●浪人
僕は頭が良くない。判断力や洞察力に欠けるし、決断力もない。だから何かにつけ人より時間がかかるし、うやむやにしてしまうことも多い。大学へ行くのに四年かかったのも基本的にはそこに因っているところが大きいと思っている。僕はここで四年間過ごした。厳密に言えば、四年間籍はおいていた、と言う方が正しいかもしれない。一浪の時はかなり長い間学校を無断欠席したし、四浪の時は後期の夜間部から通った。実質的には四年間ずっといたわけではない。ただ、四年という時間の長さが必要だったことは確かだ。三浪で落ちた時、僕は初めて心の底から悔しさを感じた。僕の悔しさを目一杯引き出してくれたのは、純粋に落ちたという結果ではなく、その時、同じ予備校から合格したある一人の女性に負けたという事実だった。その女性は一浪生だった。僕は自分にそれなりの自信を持っていたし、その人は明らかに自分より下だと思っていた。でも、結果として僕はその人に負けてしまった。それは相当な屈辱感だった。受験が終わってから、その人に負けた理由を考えた。もちろん試験は結果が全てだ。だから、試験での出来が良くなかったという以外に理由などない。だけど 、その時はそれだけには思えなかった。僕はたぶん気持ちで負けたのだろうと考えた。気持ちというと少しあやふやにも聞こえてしまうから意志と言った方がいいかもしれない。自分がどれだけ大学へ行きたいかという意志、どれだけ自分に危機感を持って臨もうとするかという意志。僕は彼女のそれに圧倒的に負けたのだ。僕は屈辱感を味わうと共に、もうここにいてはいけないという気持ちをかなり強く抱いた。もうここにいることは何の意味もなさない。そのことに僕は四年目にして初めて気付くことができた。というより、それは以前からわかっていたのかもしれないが、ただ実感として伴うことが出来なかった。最後の年は意識的に受験に望んだ。合格するという意志を強く持つこと。目的を成し遂げるためにはどのようなプロセスを組まなければいけないのか、実技面・メンタル面においての自分の長短を考察し、それをどれだけ良い状態で保つことができるかを心掛けた。そして、試験と公開コンクールだけにポイントを絞り、そこに向けて突き進むことだけを考えた。その間でどんなに上手くいかないことがあっても、いい意味でそれらをすべて切り捨てた。今、思えば、その彼女がどこまで考えて受験に臨んでいたのかは分らない。でも四年目に入り、もう後がないと切羽詰った状況に陥った僕は、自分を意識的に持っていくことが大切だと思い込んだし、そう思い込むしかなかった。今でも思うのだけれど、早く目的を達成していく人たちは、単純にそのことに対して早く気付ける人たちなのだと思う。もちろん全員がそうとは言えないけれど・・・。今自分が置かれている状況に気付き、しっかりとした目標を見据えた上で、それに向かって自分が何をすべきか考え、実践することが出来る人たち。僕は自分の置かれている状況に気付くのに四年もかかってしまった。四年という時間は正直長いけれども、それは必然性を帯びたものとして自分には必要だったのだろうなという思いもある。だから反省すべきことは多いけれども、後悔したことはない。
今、彫刻科の多数を一浪生が占めている。若い集団だ。多浪生と言える人たちは少ない。正直、もう多浪をするような時代ではないのだろう。僕は自分が多浪してしまったから、多浪生へ向けて話したい気持ちが大きいのだけれど、若い一浪生なども含め、強い気持ちと意志を持って欲しいと思う。そのために何をしなければならないのか、自分がどうあるべきなのかを今一度しっかりと考えて欲しい。多浪生に限って言えば、これまでの浪人生活の中で幾度となく、それらを考え、実践してきたのかもしれないけど、現状として今ここ(予備校)にいると言う事実に確実な危機感を覚え、意識的・意図的なプレッシャーを自分に与えながら適度な緊張感を保つこと、これまでの実技・メンタル面での自分の癖を考察した上で、公開コンクールや定期コンクール、普段のカリキュラムの中のどのポイントで、どんな目的・目標を据えながら残された時間を使っていくのか計画的な工程表を各人の内に組み立ていくことが必要であると思う。そして気負う必要は全くないのだけれど、これまでの挫折や屈辱感を糧を大いに活かし、さらに強い意志を持つことが大切である。それが出来なければ、一浪であろうと多浪であろうと、また同じことを繰り返すだけだと思う。結局は、その人本人がどれだけ自分に実感を持てるのか、危機感を持とうとするのかということでしか問題は解決しないのだけれど、ただ、受験は自分を試すことが出来る場であることは確かだ。目的を課し、それを追行するという構図をシンプルに描くことが出来る。そして、その軌跡を自分で作ることが出来る。そのことをしっかりと頭の中へ焼き付けて欲しい。それらをどれだけ意識できているかで日々の生活は変わってくるし、最終的には、その人にとっての受験というものを意味あるものとするかどうかを決定的に左右する。僕は自分の瑣末な経験からしかものは言えないし、そこには偏りが出てしまう。ただあえてこの場で書き記すことで、何かしら参考になることがあれば幸いである。もう六月も半ばを過ぎたけれども、試験までには、まだたっぷりと時間はある。いくらでも成長出来るし、いくらでも変わることができる。各人にとって意味のある浪人生活になればと思う。
虫本 文
