2008年11月18日

●霞を食う男

彼はいつも颯爽としていて、何事にも取り乱すということも無く、そしてあくせくせず、穏やかだ。勿論、結婚していて子供も大きいのだが、そんな妙な生活感もない。私からすると「霞を食って生きている」類いの人種の一人だ。
 彼はリトグラフの「刷り師」。もう20年来の友人である。刷り一筋、これ一本。緑豊かで閑静な住宅地の自宅の工房で黙々と刷る。刷るものも面白い。彼は画廊を回り、あるいは作家と交流し、琴線に触れた作家とコラボレーションする。作家決定の基準は様々なのかもしれない。私がその一人であることを考えれば頷ける。作家の中にはリトグラフは勿論、版画など一度も経験の無い作家もいて、とんでもない版を持って来る、普通なら「マジ切れ」の輩もいるのだが、彼はそうした作家の「難問」にも立ち向かう。こうした作家の中からメジャーになって行く作家も登場するのだが、大概は画廊が傲慢不遜にこうした作家を抱え込み不自由にしていく。彼の作家発掘はその意味でも個性的。

今日もきっと黙々とやっているに違いない。
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2008年11月08日

●健康のため、人類んため〜

すいどーばた恒例、一年に一回の健康診断。レントゲン、尿検査、問診、心電図、目、血液検査。人間ドッグまではいかないものの、自分の体の状況に関してかなりの情報を知る事となる。そして、こうした検査の精度を高めるために、前日夜からは食事もとらずに体をニュートラルにして備える。メタボへと邁進する日々の過食を戒めるには、なかなかいい機会ではある。
 イスラム教のラマダーンの断食には「罪を許すという効果」そして「肉体を健康にし、病気を防ぐという効果」があると説く。こうした教えに限らず、飽食を止め健康になることに勿論異存は無い。
 ただ・・、とても子供じみているのだが、どうも私は血を見ることに慣れていない。というより血を見ると自分から血が引いて行く。ましてや意味も無く自分の体内から血が引き抜かれ、流れ出して行くといった状況に耐えることにかなりの労力を要する。
 頭の中で「1+1は〜・・・」「今日の昼ご飯は〜・・⁈×△」と唱えながら、平気のヘイで人の腕に針を刺す看護婦の、あのマニアックとも思える微笑みと眼差しに侮蔑の言葉を心の中で叫ぶのである。
 「記念撮影しなくちゃ!」と義務も意味も無い行動。携帯片手に「カシャ!!」
 針の「ちくり」と重なって見事成功!もう私だって立派な大人。こんな痛みなんて。人類のため、平和のため、いや、私の健康の為ならばなんのその〜・・・・・・。
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2008年11月06日

●暗鳥乱舞

学校の仕事で、近隣の美術系高校などへ出向いて受験相談や実技指導を行う「校外講習会」というのがある。10月から11月にかけてはそのピークであちらこちらに「旅」をする。近郊の場合は日帰り出張となるのだが、私のように学校まで2時間以上となると時にはかなり強行な日程となる。場合によっては往復10時間、指導2時間ということさえある。帰宅時の足はもう硬直した棒に近いものがある。先日行った某美術系高校の講習時も、やはりかなりの疲労の中の帰宅路となってしまったのだが、講習を終えてタクシーで向かった駅である異常な光景を目にした。
 巨大化した駅の、それも眩しい程の照明の上空を恐ろしい数の鳥が舞っていたのだ。その塊はおよそ考えられない程の素早さで急旋回を繰り返す。太陽を天に飛ぶのではなく、地上の明かりを天にし、黒々とした集団が墜落するかのような狂気を秘めて舞っているのである。
天と地が逆転したかのような集団の舞いは、それはそれは不気味で、地上を行き交う人の群れと層を成しながら錯綜しているようでもあったが、誰一人として空を見上げる人はいなかった。その光景こそが二重に恐ろしくもあった。
しかし、よく鳥は空中衝突しないものである・・・・。すごい・・・。
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2008年11月05日

●上野蜃気楼

世に言われし「芸術の秋」である。色とりどりの紅葉が眩しい程、寒い冬を前にした最後の徒花のようにきらびやかである。想像してみてほしい。作家にとっても、この時期に作品を発表するということは、実はあの暑い夏を少しは避けて制作できるということであって、本番への追い込みもそれなりにスムーズにいくのである。やはり秋は作家にも鑑賞者にとっても相思相愛の季節なのだ。
というわけで、私にも連日、展覧会の案内が届く。都心から離れ山里に暮らす私にとっては簡単においそれとは行けないのだが、意を決して東京周遊とばかりに一日を展示会巡りに費やすことがある。天気も良ければ気持ちは行楽気分、背中にリュックで焦らずゆっくり。巡る順番をメモ書きし、おまけにお昼のメニューまで想像してみるのである(とは言っても意外と立ち食いでかっこんで終わるのだが・・・)。
先日も、治りかけた腰の痛みを確かめるように出かけた。荻窪、新橋、銀座、京橋、自由が丘、そして上野、谷中と盛り沢山。友人作家、後輩、教え子と、いつもなら「次があるので・・」と詫びながら急ぐこともなく、会場でゆっくりと話せるのもこうした「一日巡り」の良さでもある。近頃は立派なカタログも多く、「巡り」が順を追うに連れ、バックは重さを増して行く。その重量は私を新たな制作へ導くエネルギーともなれば,逆に私がもう追いつく事のない時代を突きつけられているようでもあって、いわば過ぎたる者(作家)の郷愁をたぎらせるものともなる。
 懐かしい上野の森を久しぶりに歩きながら、こちらも変わってしまった風景に新鮮さと複雑さを交差させながら佇む。
 想いをかき立てるように突然噴水が勢いよく空に噴き出す。また消える。まるで蜃気楼にも似たケーキのような白い輝きが消滅を繰り返す。そんなリズムの光景を私は、ぼんやりぼんやり眺めては、「もう少し頑張ってみるかぁ」と呟くのでした。

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2008年10月26日

●桂さん

先日、舟越桂さんが来た。言わずと知れたあの「舟越桂」氏である。つい先頃まで開催されていた東京都庭園美術館「船越桂 夏の邸宅」での内覧会でお会いして以来である。実は船越氏とは長い付き合いになる。お父さんである船越保武氏は学生時代、芸大ラグビー部の顧問で、桂さんも造形大学のラグビー部繋がりで親しくさせて頂いた。大学を出て以後、私がベルリンへ留学していた時も訪ねて来ていただきお会いしている。つまりは美術以前の体育会系的繋がりなのである。父上である保武氏は亡くなられたが、毎年12月には舟越先生に因んだ「船越杯」というOB戦があり、私は今でも年に一度のこの大会で「才能が無ければ体力だぁー」を実践しているのである。
 いかん、そんな話ではない。話しを戻そう・・・。
本来であれば予備校での講演会はしない桂さん(そうじゃないと止めどなく依頼が来ちゃいますからね・・)。そうとなれば、そう、この「濃い」関係を超最大限に使いこなし、若き彫刻家志望学生の為に登場していただいたという訳です。講演会というよりは、何かぶらっと来て話して行った、そんなコンセプトとアプローチで。

 柔らかな語り口、言葉を心の奥から探し出すように、実に丁寧に自作について語って頂いた。後半はこれも私の友人である造形大教授の三木俊治氏と作家対談。学生の質問も加わって本当に和やかで楽しい時間となった。
 静謐な作品が生み出される時間や現場が想像できて、学生も十二分に満足したようである。
 桂さん、どうもありがとうございました。

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修了後、パチ!!(中)船越氏(右)三木氏

2008年10月25日

●天使の花

私の通勤は少々過酷だ。山梨との県境から片道2時間半近く電車通勤。新宿から山の手への乗り換えはマラソンでの最終コーナーを回った、そんな安堵感と同時に、満員電車の中央線で熟睡した頭を切り替える、そんな時間でもある。もうこの時間の山の手線は車内は空いていて、穏やかな目白駅での下車はいたって清々しいものがある。
 そんな中で先日、吊り革につかまる私の目の前の座席で必死に折り紙を折る女の子に出合った。お母さんは携帯片手に静かにメール打ち。女の子はたまにお母さんに話しかける。もちろん手と目は膝の上の折り紙へ集中している。私はいったい何ができるのかとその手を追った。電車の中、膝の上という不安定な中で、女の子の手はまるで魔法のように几帳面に折り紙を折って行く。
 こんな小さな手でなぜこれほどのことができるのか不思議で不思議で。さらに折り進められて行くその折り紙の奇麗な色の対比にも見とれ、「おじさん」はもう固まったように見続けた。
 と、その子が突然顔を上げた! 目と目があってしまった!
「まずい!!」とおじさんは分けも無く焦りたじろいだ。すると、その子が手を差し出した。
 「あげる!!」と・・・。

実は私には子供恐怖症的なところがある。どうもあの純粋さの前でうまく振る舞えないのである。 顔は引きつり、やっとの思いで受け取り、その折り紙を胸にあてがい勲章のようだとポーズ。女の子は僕の顔の引きつりを見て、うれしそうに引きつった。
 まるで天使のようなその手から渡された折り紙は、僕の心を満開にさせる「花」だった。

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2008年10月15日

●ブラジル

「ジャパンブラジルクリエイティブアートセッション2008」という展覧会が行われた。
今年は1908年にブラジルへ向けた第1回日本人集団移住者を乗せた移民船「笠戸丸」が、2ヶ月におよぶ航海を経て、ブラジルのサントス港に入港してから今年で100年目にあたるという。この節目を祝おうと、今年はさまざまな行事や関連イベントが計画された。その中でこの展覧会は将に交流という意味で突出したものだった。主催者は両国のアーティスト。10年以上の長期に渡りアーティスト同士が深く交流し、そうした中から自らの視点で今のブラジルアートを紹介する、手作りの展覧会だ。規模、内容から言ってもよくここまでできたものだと感心する。通常の交流展と言われる展覧会の多くが、突発的で間接的情報で人選等が行われる事を考えれば、これは理想的な方法と言えるだろう。また昨今の若い美術家達が人が仕立てた俎上でのみで蠢くのとは対照的に、彼等は自分の足元を自ら作り上げる、そんな気概に満ちている。お互いが検証し合い、甘える事無く、価値観の相違を超えて成立させていくそのプロセスそのものが、作家にはひどく重要なものなのだと、ささやかながら彼らの人間味を帯びた雄叫び聞こえるようである。

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2008年10月11日

●濃く深くトルコ

今日はあったかいコーヒーがいい。そんな肌寒さ。一気に20°を切った。学生も無言に気合いが入っているだろう。寒さと気合いはイコールなのだ!!と学生の真剣さを想像しながら、腰を痛めて出講もできない自分を無理矢理に鼓舞してみる。
 コーヒーと言えばトルコのコーヒーを思い出す。トルコの飲み物と言えば一日10杯は飲むという「チャイ」という紅茶。とても爽やかで飲みやすい。一方の「トゥルク・カフヴェスィ」、つまり「トルココーヒー」は粉ごと煮出して上澄みだけを飲む、日本人にはかなり濃い飲み物。自ずと沈殿したコーヒー粉が底に溜まる。そのコーヒーを飲み終わったらカップごと逆さにして受け皿に置く。しばらく置いてカップの中を覗くと、カップの内壁を伝ってコーヒー粉が落ちて行く模様ができる。その模様でその人の性格判断や将来を占うのである。これが実によく当たるのである。「だって、あなた、僕の事知ってるでしょ?!」と、占い事には異常に疑い深い私なのだが、こうした占う人の一言一句の文学的な言い回しについ頷いてしまうのである。朗々と謳い上げるように真剣に人生を語ってくれる。たったひとつのコーヒーで、それも飲み終わったコーヒーがさらにコミュニケーション役割を果たす。小さなコーヒーカップは濃く味わい深いのである。
 痛さで動く事もままならない今、メタボへの道と知りつつ流し込むミルクの軌跡を追いながら、展覧会の展示を終えたあの寒い冬、イスタンブールのボスボラス海峡を眺めながら飲んだコーヒーを思い出すのです。
 「わたしのわたしのコーヒーさん、あしたのわたしをおしえてください・・・。」
今日の白いミルクは、表面をくるくる回りながら無音で溶けていくのでした。
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2008年10月07日

●ロマンチックに

「あ〜・・今日も雲が流れる・・」と、まぁ、真昼の紺碧の空を見上げ、そしてまた夕焼けの紅空に心を「じわ〜ん」とさせる。他人の評価とは別に、どちらかと言うと感激屋であり涙もろくくデリケートである。
 「うちの子は気が弱くて・・」と嘆く母親。しかし裏返せばデリケートなのだろう。デリケートじゃない作家なんていないわけで、だから気が弱い事はある種の才能とも言える。そしてこうしたデリケートな感情はロマンティシズムへと繋がる。
 話しは違うがロマンチックな感情はどうも男の方が勝るようである。学生を見ていてもそう思う。男の方がデリケートでロマンチストなのである(あまり根拠も無く自己弁護にも近いが・・・)
 抜ける程の空、無限の広がりを見せる夕焼け。言葉では語れない程に神秘的で夢のようで。自分の内部に存在する特殊な感情とが合体し、想像性とが絡み合い、心が解放されていく。一時の猶予を持って訪れるであろう不安や憂鬱さも引き連れて、心は何か心地よく宙を彷徨うのである。
 そう今日も泣ける程の空を仰ぎながら想いを描くのである。ビバビバー青春!
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2008年09月30日

●そこはかとなく

秋とはいえ、まだ暑さが残っている。今年は学生、講師で行く恒例の夏山登山も腰を痛めてキャンセル。雨男である私の不参加は、矢張り近年に無い「快晴」の中の登山で大成功!との連絡。学生達の顔を思い浮かべながら、取り敢えず安堵するものの何とも素直に喜べないこのモヤモヤ感・・。残念なことに人の喜びより自分への悔しさが勝る、ほんと、心のひろ〜い大人にはまだ成りきれていないのだ。
 今年の登山は学生数の減少にありながら今までで最も多い参加数と聞き、彫刻科の同族意識の強さをあらためて見せつけたと同時に、彫刻科連中の自慢は肉体なのだということを図らずも証明する形となった。つまりは最も体育界系に近いというべきか。そして毎年、登山した学生の合格率が高い!というジンクスが今年は崩壊しないようにと祈るばかり。
 
 ひと時の高揚した精神が夏の象徴であろうか。思い出は確実に彼らに刻まれた。
朝顔の花はまだまだ絶え絶えの大輪を咲かせている。役割を終えた石膏像は初秋の雨に濡れている。悲喜こもごもの秋がやって来る。精神の炎を燃やす季節がやって来る。頑張れ諸君!!
あの山の頂きを忘れるな〜!!快晴の空を掴み取れー!!