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2007年10月30日

●皮膜

「あちら」と「こちら」を隔てるものがある。例えば「カーテン」。外界を遮断するようにカーテンを閉める。それは安心感と共に重層な厚みを持った質感として君臨する。さらに闇の中では単純な空間の仕切りとして、閉じた空間を規定する。
 朝。光と共にその重層感は徐々に後退し、柔らかな皮膜のように透過性のある空間へと変容していく。
 何気ないささやかな機能の背後に、千変万化に富んだ要素と変化が隠されている。そうした要素はそこここにあるのだと思う。狭く四角い部屋の中で唯一存在感を見せるカーテン。確かに前夜は眠れず多くの夢の中にいた。
脳みその皮膜がうっすらと落ちて、夢の記憶も消えて行く。
 カーテンを開け、晴れた空からの光を招き入れる。さぁ、今日も頑張って「あちら」に行ってみましょうか!・・と思う。
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●鳥取

26日〜28日と鳥取の校外講習会に行って来た。出発当日の朝は電車の遅延、下車駅の勘違いと絶対絶命も、台風の影響でフライトが1時間程遅れ、奇跡的にセーフ。この旅ははたして全て自分に風が吹いている〜!との強気の出張となった。結果的には、東京都民が今年最後の台風と格闘している間、鳥取は爽やかな風と青空という幸運の女神が微笑んでくれたのでした。
とは言え、現地での指導はかなりハードな内容。鳥取全県内から集合した高校生がコンクール形式でデッサンの順列を競うというもの。指導を含めてのコンクールの為、朝から夕方まで一人一人基礎的なアドバイスを休み無く続けるという具合で、学生諸君も初めての集中デッサンで、いわば短期決戦の合宿というようでもありました。
 ただ、悲しかったのは、これほどの学生が集まったのにもかかわらず、なんと彫刻科(家)を目指す学生が一人もいなかった・・・。そして指導の忙しさで彫刻のアピールも彫刻の面白さも披露できる場面も無く、何やら胃袋に消化されずに残った異物のような気分での終了となりました。
 倉吉から鳥取空港へと向かう海沿いの道。なぜか水平線はひどく太く暗く見え、「やはり日本海はこうじゃないとな・・」などと勝手に演歌気分でイメージを作り上げてはみたものの、彫刻を志す希望の星には出会えず、何やら無念の帰還となりました。
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おまけ
出張唯一の楽しみの現地珍味。今回は珍味より「びっくり」でした。巨大どんぶりでの昼食。
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2007年10月07日

●山のこだま

 先日、学生と混じって山に登った。平均年齢を一気に上げる事になったうえ登山歴2回目の『とーしろ』である。登りたくて登ったと言うより、ある種の自虐的性格と将来的に果たしてみたい目的の為の予備訓練になればとの思いもあった。
 さてこうした登山では否が応うでもある種の極限状態を体験できる。つまり常に危険と隣合わせであるということなのだが、興味深いのはこうした状態で人は二つに別れるということ。
 饒舌が寡黙か・・・・。
最終的な場面ともなれば勿論寡黙にならざるおえないが、それを回避するのが引率の役目なので、いわば苦しくなった時の対応と言ったほうがむしろいいかも知れない。私はどちらかと言えば後者の方。自己内部にグウ〜〜っと向き合って外部を遮断していく。と、突然、饒舌者が一貫性を欠いた話題とリズムで黙々と連なって登る集団に波乱を起こす。それに感染するように饒舌者が増えていく。果たして登山はこうした波を繰り返しながらやっとの思いで目的地に達する。
登っても下っても、登る途中も下る途中も饒舌者は饒舌だ。何処までも何処までも饒舌なのだ。

幸か不幸か(やっぱり不幸?)、老体に鞭打って登った後の記憶に強烈に残ったものは、寡黙な私が自分と対峙したおよそ風景とは言い難い時間と、こちらも高山から垣間見える風景とはまるで違う「饒舌者の言葉のこだま」でした・・・。

山の頂上で空をつかむ 
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