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2007年12月27日

●仮説の通路「万華鏡」

まるで自然の猛威を見せつけられるように地表を覆い尽くす緑。あの夏に見た光景だ。手鎌ひとつで立ち向かうには自然はあまりにも膨大だ。そんな野外での作品制作をここ10数年続けて来たのだが、その中に、ある山村の荒れた畑を再生させた場所に作った作品がある。高さ4メートル、直径6メートルの円柱状の建築物。中は二重構造になっていて扉を開けて入るとそこは真っ暗な闇。原始音が響き、少し佇むとかすかに地面から灯りが浮かび上がる。闇に慣れて中央の空間に進むとそこは太陽の光と水と土の世界。天井には透明な水槽が浮かび、その水を通して光のシャワーを浴びるのだ。その光のシャワーに向かって壁は沸き立つようなディテールで上昇する。
さらに次の部屋に進む。そこはまた闇に包まれる。これもしばらく闇に慣れると、壁面からのわずかな光に照らし出された水の入ったコップが無数に浮かび上がる。
 と、まぁ、ちょっとオーバーアクションで語るとこんな作品。
言ってみればかなり劇的ではあるが、人によってはかなり怖い空間でもある。さらに夏場ともなるとそんなロマンなど消えて蒸し風呂のように暑かったり・・・。
 という訳で、今回思い切って「闇」から「光」へ!!と逆転ホームランを狙っての起死回生「万華鏡ハウス」へとリニューアルを決断!
 屋根を外し、透明な素材に変更し、さらに壁は白へ。我尊敬するジョージア・オキーフ顔負けの雄大な花々を散りばめ、さらに水の入ったグラスが壁面に数百個浮かび上がる・・そんな予定であるのだが。
されど、これが大変・・。低予算、高所恐怖症を克服しながら、梯子を昇り降り、凍てつく真冬の中孤独な作業となる。老体にかなりきつい作業ではあるのだが、きっときっと春には周りの花々に囲まれながら私はここで昼寝をするのである。
 夢よ、まま。
万に花咲く郷土と成り得るか・・・!
乞うご期待を。

「仮説の通路ーshinohara」夏風景
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●花

先日カレンダーを買った。写真家アンドリュー・ローソンのイングリッシャーガーデンの花のカレンダー。色鮮やかな花のクローズアップから乱舞,群舞する花々と、知覚の中心に突き刺さる程のインパクトに圧倒される。実は私は作品に度々こうした花を登場させて来た。ドローイング、立体作品、写真。そして時には大量の造花さえ。それは生の証であったり、逆に死のイメージさえ漂わせるものだったりもする。そうした花への魅力に向かわせた原因はある。子供時代のお祭り。青森に「ねぷた祭り」というのがある。夜、豪壮な絵が描かれた巨大な灯籠のようなものを引き練り歩くものだ。それは夜の漆黒に赤々とした巨大な花が咲くようでもあった。幻想の域さえ超えて呆然とし踊り狂う。
可憐にひっそりと咲く山野草の花もいいのだが、なぜかこうした圧倒的な鮮やかな魅力に引き寄せられてしまうのはその為だろう。ひとつの光景が自分の視覚を超えてさらに奥深くまで到達してしまうような、そんなリアリティー。されど、その強烈なイメージの中に非常にシンプルな何かが立ち上がる。その瞬間がいいのだ。そんな瞬間に立ち会う為に花を植え、花を探し、花を撮る。
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●冬の甲子園

冬の講習会も最終に近づいて来た。こうした講習会を受講する地方からの学生の殆どが高校生(それに最近は高校1年や2年生も増えましたね)。親元を離れて一人、朝9時から夜の8時までハードなカリキュラムに怯む事無く最後の力を振り絞っています。カリキュラムによっては朝から夜まで立ちっ放しで塑造作品に取り組むことにもなる。将にスーパーハードな「合宿」のようでもある。
 遠く鹿児島から、そして東北からと、将に全国の美術系高校等から集まった優秀な学生ばかり。正直、美術系高校さえ無く、ましてやこうして東京の講習会に参加するなんて発想も環境も無かった自分の学生時代を思うと、こうしたアクティブな環境での体験は将に貴重で「羨ましい〜!」とも思ってしまう。とりわけ彫刻を目指すというのは美術の中でもかなりの少数派。そうした目で学生を見ていると、この中から確実に日本を背負う作家が登場するだろうとの確信に至る。不夜城の如くに熱気に包まれたアトリエ、全国から選ばれた俊英達がそのイメージと想像力と精神力を競う美術の「冬の甲子園」。
 全入時代と言われる今日の受験にあって、この空間はそうした安易な状況に流されることなく高いビジョンへの意思が感じられる。
 さてさて、クライマックスに向けて、もうひとがんばり!!ジェットの力を緩めずに、皆さん行ける処まで行ってみて下さいね。普通も平均も要りません。どこまでも自分らしく突っ走って下さいね。

2007年12月07日

●続/秋深しーもっと光を

光が織りなす優雅な極彩色の世界。以前ドイツ留学から帰国した時に、ある種のカルチャーショックというものを初めて味わった時がある。その一番は、都市部で遭遇したファションの同一性と黒い髪の毛の集団への異様さだったことを今でも記憶している。そして一方で食材の豊かさと自然の風景の多様さに、こちらは絶叫する程にあらためて感動したものである。快晴の中央高速を一人車で飛ばしながら、危険とも思える両手上げで、次々と出現する紅葉の美しさに「美し日本!」を叫んでいたのである。
 さて、一方でそうした錦の紅葉とは対局に、光が織りなす空間にハッとすることがある。それは影が作り出す陰影の世界。どんな極彩色の世界もその影はシンプルな要素としてまとめられ、言わばシンボリックな程の世界へと還元されていく。目白の裏道。「目白庭園」の白壁。散る程に咲き誇る楓の紅葉も、白壁に落とすその影は密やかなほどに静かで暖かい。
 思わず光りと影の境へ手を伸ばす。光を捕まえられそう、そんな気がするのだ。

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●秋深し

落ち葉が舞う。別段、郷愁もないのだが・・・やけに気になる・・。田舎暮らしも手伝ってか落ち葉がどうも「宝物」に見えるのだ・・・。つまりは落ち葉を利用した「腐葉土」というやつ。ホームセンターでは意外と廉価な値段で売ってはいるのだが、どうもモノ作りの性分がウズウズと沸き起こるのだ。山道を走らせる車がカーブ切る毎に落ち葉を舞い上げる。そうしてたっぷりと堆積した場所をチェックしながら「明日はゲットだぁ〜!」と意気込むのだが、これだけ広い山道でも矢張りいるのだ・・ライバルが。
 初冬の風。落ち行く枯れ葉。わくわく感と焦る気持ちを交差させながら、湖の紅葉にしばし我を取り戻すのでした。
 
  秋色の
       落ち葉の道に
               光射す
う〜ん・・・もっと光を・・。

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