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2018年03月15日

●2018合格者体験記特集

「インタビュー企画第34弾」
 2018合格者体験記特集


2018年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
それぞれの作品とともにご紹介します。






広瀬里美さん
埼玉・県立伊奈学園総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「わたしなりに」


現役生の時、わたしは自分を他人と比較ばかりして居ました。あのひとより出来てるとか出来てないとか、速いとか遅いとか。受験って競争だからそういうものなのかと思ってました。誰よりも努力しなければ、誰よりもいいものを作れるようにならなければと思ってました。その年の二次試験の自刻像はわたしは自分のペースというものを完全に見失い、お昼から泣いて、終わっても泣いてどばたに帰りました。それは落ちるから悲しいというのではなく、今までやってきたことを出すことが出来なかったことと「自分の作品」を置いてくることが出来なくて悔しかったのだと思います。


浪人して、わたしは自分がどんな調子の時でもどんな気持ちの時でもB°のものを描けるようにというのを意識して実技をしました。粘土でも形を見る力と作る力が徐々についてきて苦手だと思ってた模刻でもB°を取れるようになってきました。安定した力がついてきたのかと思いました。
そして、素描が今年から彫刻Iというものに変わってどんなものが出るかわからない中様々な課題をやっていく中で、わたしの好きなものや形ってなんだろうと考えるようになりました。作品に答えはありません。それでも秋頃わたしは彫刻Iの失敗を恐れてデッサンや模刻みたいに解答のようなものを求めていました。わたしの恐れというのは不安からくるものでした。不安というのは自分の作ったものがこれで本当に良いのか?という疑心と、制作中周りを見渡して面白い作品や良い作品を見た時に感じる劣等感だったと思います。つまりわたしは、この時は現役生の時から成長していなかったのだと今は思います。


しかし、綺麗なデッサンを描く尊敬する先輩の話を聞く機会があり、魅力とは知らないうちに出ているものだと気付きました。魅力とは個性であり、個性とは人それぞれが持っているもので、それはその人が描いている(作っている)時点でどうしようもなく出てくるものなのだと。


わたしは自分がどれだけその作品に対して真剣に取り組めたか、自分がどれだけ頑張れたか、どれだけ自分の納得するものに近づけたかが大切なのだと実感しながら制作出来るようになったと思います。いつからかわたしは他人と比べるということを辞めていました。一位じゃなくてもいいし、aじゃなくてもいい。自分が「良い」と思えるものができるようにただひたすらに制作する。それだけでした。
試験には、わたしはわたしなりに一生懸命の作品をおいてこよう。周りの環境や他人に惑わされずに、わたしに出来ることをやってこようと思って臨みました。


合格発表の前夜、ベストは尽くしましたが結果が出るまではやはり不安でドキドキしていたのですが、尊敬する先輩方と話していて、わたしはこの現役から浪人生活の中で実技のことだけでなくもっと多くの大切なものを学び、出会うことが出来たのだと心の底から思いました。たとえどんな結果になっても、わたしが幸せ者であることには変わりはないと思いました。


わたしの目標を応援し支えてくれた家族、親身に指導してくれた講師の方々、一緒に努力した仲間たち、遠くにいても励ましてくれた先輩と友人に心から感謝します。
ありがとうございました!






岩井りとさん
埼玉・県立大宮光陵高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「己を信じ抜く」


美術はハッキリとした正解や順位はない、何を信じればいいのかわからない世界だと思います。
自分と他人の価値観も違う、観る人によって評価も変わる。
それが恐怖でもあり、面白いところでもあると感じています。
そんな中で何を信じればいいのか、それは自分の経験だとわたしは思っています。
何を見てきたか、何をやってきたか、何を感じてきたか、自分で培った経験は何かの影響で変わることもない自分だけのもの、自分の力になっているはずです。
「自分なんて」そう思わず自分の力を信じる、自分を信じられるほどの経験を積み、実力をつける。
それが大事だと思います。
でも制作中は別です。疑ったほうがいい。


わたしは浪人した1年間ずっと自分を信じていました。
受験のときも、1年間やり遂げた努力を信じていました。きっとなるようになる、だからどうにでもなれ、そんな気持ちで受けていました。
正直に言うと、わたしはデッサンは上位ではなく、粘土もうしろ寄り、彫刻1はまあなんとなく得意、そんな実力でした。最後の最後で何かが起きたのでしょう。
普段、まわりがどんなにうまかろうが、安定した結果を出していようが、まわりのことを気にしませんでした。口を揃えて「マイペース」と言われても。
自分が前回よりも成長しているか、信じられないミスはしていないか、どんな方法が自分の目と手を合わせるのか、何を気をつければうまくいくのかという自分のことと、人の使う技術や表現や道具など、それを気にして考えて過ごしていました。


何も信じられない時期も、うまくいかずに涙したときも、わけもわからず怒り狂った日もありました。
そんなときも、支えて応援してくれ、時には放っといてくれた先生や家族、友達がいる、本当にいい環境で過ごせています。感謝してもしきれません。
手放しに褒めず、違うところをちゃんと違うと手厳しく、良いところを良いと指導してくれた先生方、つらいときに息抜きに付き合ってくれて、応援し、励ましてくれて、合格を知らせたときも自分のことのように喜んでくれた友人たち、いろいろな行事も普段も楽しく遊び、過酷な日常を共に過ごした友人たち、指導してくれて、応援してくれて、とにかく励ましてくれた方々、そして家族にはここでは語り尽くせないほど、本当に感謝しています。地に頭がめり込むくらい。
たくさんの人に支えてもらっています。ありがとうございます。


ここがゴールではないので、気を緩めずに愉快で厳しいこれからを、強い心で進んでいきたいと思います。
ありがとうございました。






許斐真帆さん
千葉・県立船橋高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「こわくてたまらないひとに」


それにしても長居をした。
彫刻科に棲みついた座敷わらしのようだった。
居心地のいい場所がたくさんあった。
本館入り口正面の椅子、ピロティの床のすごろくみたいなモザイクのはじっこ、
自然光の入る5-3アトリエはめったに使えないけれど大好きだったし
昼どきの講師室も迷惑がられても好きだった。


嫌いだったのはコンクール後の講評待ちの、ヒリヒリする本Bアトリエの空気で、
でもそのヒリヒリする感じも、コンクール以外なら刺激的で好きだった。
受験生はもちろんヒリヒリした毎日を過ごしていたけれど
若者たちだけでなく、そこにいる大人も、彼らなりにヒリヒリする
何かを抱えて、美術という世界に身を置いているのを見ているのが好きだった。


予備校が居心地いいなんて言っているから何度も浪人するんじゃ、と
お説教くらいそう。でもね、、、居心地よい場所だったから
自分がここにいる意味を探し続けられたのだと思っている。
目の前のものを見る目がほしくて、私はどばたにきたのだし、
母が死んで、その死んでいくさまを見て、自分の残りの人生を逆算したら
もうそれくらいしかやるべきことが見つからなかったのだ。


それにしても新しい受験生に、何をいってあげられるだろう?


合格体験記だなんて困ってしまう。トシくっていることはさておいても
要領悪くて忘れっぽく、肝心なとこでヘソ曲がり、という人がもし他にいれば
もがくな、自分を受け入れろ、と言ってあげたい気もする。
もがいて、必死にモチーフを見つめて、客観性のなさに苦しんで、
それでも一生懸命モチーフを見ていると、だんだん輪郭がぼやけて
断片的な白黒のかたまりが目の前に平べったく散らばって、
いわゆるナントカ崩壊みたいな(正式名称不明)脳の状態になって
もうどうやって描くのか全部忘れちゃった、という事態になるのだ。
私はこれを何回繰り返しただろう?


たかだか絵を描くのに、なぜ怖くて手が震えたりする?と呆れられたりもする。


でも震えるんです。にっちもさっちもいかなくなると。
怖くて木炭持つ手が震えてヨレヨレの線になったり、鉄ベラが持てなくなったり、
わかる人にはわかるはずだがわからない人はわからない。
とりわけ6時間の実技になると、焦りもあるからなおひどい。


これを乗り越えるのは不可能に思えた。
実際、今年も2月に入ると、怖くて間抜け面でアトリエに座る日が続き、
もうそういう自分を受け入れるしかなく、しまいには、
私は石膏描いているのじゃない、階段と壁を描いている、
と言い聞かせるほかなくなった。
ひたすら「階段と壁、階段と壁」と呪文のように繰り返し、見かねた講師に
あのねちょっと動きが、、と小声で指摘されてもまだひたすら
「動く階段と壁、動く階段と壁」と呟きながら円盤を描いたりした。


怖がりで要領悪くても、壁と階段くらいならなんとか描けるものらしく、
結局そうやって入試直前まで石膏を描いた。正直に言えば本番でさえ
最初の1時間は階段と壁を描いていたし、弥勒によく似た階段だなと
思いながら作っていた。
もしも怖くてどうにもならない時は、階段と壁を思い出して、
バカらしくなるまでやってみてほしい。おすすめはしないけれど。
バカみたいなので。




私ほど要領悪く過ごしているわけでもない人がほとんどだろう、だとしたら、
私が伝えてあげられることってなんだろう?
美術は楽しいといったって、結果が出なければ苦しい。本当に苦しい。
これは書けと言われたから書くわけじゃないけれど、私は息苦しくなると、
夏期や冬期に、基礎科の彫刻で講習を取ったりもした。
美術を始めて日の浅い人たちの実技は、本当にのびのびしていてきれいで、
自分の作品がしょぼくてびっくりした。ポケモンのぬいぐるみと幾何形態
の構成、油絵具の匂う基礎科のアトリエの隅っこでのんびり作る日が、
どれほど救いになったことか。油画の1次対策の木炭デッサンに
お邪魔したこともある。あんまりにも自由で楽しくて、ショッキングだった。
ああそう、苦しいときはときどき、美術の原点に帰れるような機会をもつのも
よいかと思う、人によっては。また彫刻を続ける力になります。




でもそれでも、受からない。受かるあてがみつからない。




そういう日々を繰り返した私に、言ってあげられる言葉なんてあるのだろうか。




講師のひとたちからは、ずいぶんいろんな言葉をもらった。
コミュニケーション好きなので。
その点は唯一、私の長所かもしれない。
私には私の、人には人の、それぞれ受かり方がある、と言ってくれた講師が
いたな、とか、最後まで合わせにいけ、という前の日の言葉、そこそこ
描けるしそこそこ作れるんだからもう受かっていい、と言ってくれた人や、
手なんて所詮シルエットの集合体、と言った美人講師、私の実技が
大好きだと言ってくれた講師。
私のこれまで過ごしてきた日々の、いろいろな場面のいろいろな言葉が、
ほぼ同時にあの芸大のアトリエで、私をかわるがわる励まし続けてくれていたので、
怖すぎてテンパっちゃいたが最後の1秒まであきらめずに、モチーフと作品とを
見比べ続けていられたのだった。
私がどばたで過ごした時間は、長かったけれど無駄にはならず、
それらのぜんぶが私を支えてくれた。
これはきっと、だれにとっても同じだろう、決して無駄にはならない、だから
安心して苦しんで、ということくらいかな言ってあげられるとすれば。




とりとめもなく長々と書いてしまった。
文章が長くなるのは高齢者の特徴なので、ここらへんでおしまいにします。
どばたにいる方々とその建物と、あと私の家族と犬に深い感謝をささげます。






菊地寅祐くん
山梨・県立韮崎高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「浪人」


朝は大概七時半に起きる
冷蔵庫にある安い卵と生醤油
七時に炊けていた白米にかける


八時 見もしないテレビを消す
父親から貰った革靴
暇はあっても塗らないミンクオイル
家の鍵はガスコンロの右側
やがて自転車にまたがる


何故か三つも薬局のある駅前
愛想の悪いパン屋を通り過ぎる
ギアは錆びて外れやすい
予備校の電柱に自転車を括り付け
マイバスで烏龍茶、生麦を買う
打刻をして階段を降りる
席取りにサインして仲間と雑談
開始十五分前 用を足す
事務側トイレは使用頻度が高い
木炭紙一枚
レシートは貰わない
縦向きの箱椅子
道具箱は右手 パンは左手に
イーピンにガーゼをかけ
靴紐を縛りモチーフを見上げる。




支えて頂いた沢山の方々に感謝しています。ありがとうございました。






田村領磨さん
東京・女子美術大学付属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「受験を終えて」


私の受験生生活は助けられてばかりだった。








受験を決めたのは高2の冬で高3から塾に通い始めた
好きな人と同じ大学に行きたくなくて
誰にも劣りたくなくて
何か夢中になれるものが欲しくて
不純な動機で受験を決めたわたしには
頑張り続けるには余りにも弱い理由だった
受験は逃げだった


それでも負けず嫌いなりに懸命に逃げることを頑張っていた
学校に教育実習で来ていた卒業生の方に同じ受験経験者としてアドバイスをもらったり
夏休みは朝から晩まで余計なことを考えないように制作に打ち込んでいた
学校内ではある程度の評価もされていて自信があったわたしは塾でも現役生の中では然程悪い評価ではなく
逃げ続けられていることに満足していた


そんな中
夏も終わり受験本番に差し掛かった頃
わたしは失恋をした
わたしは何から逃げているのかすら分からなくなった
失ってから気づくとはこのことかと理解した
ずっと好きで情で付き合ってくれていたことも分かっていたのにそれでも
それから逃げることで自己満足し
相手をほっといた自分に対しては相応の成り行きだと思った


わたしに自信がなくなって心が弱くなったのはこの頃からだったと思う
制作にも集中できず何かと理由をつけては休みがちになった


高3の冬受験本番になった頃
卒業制作をすると言って何日間も塾も学校も休み怠惰な生活を送っていた
年を越した辺りからは制作も右肩下がりで心ここに在らず
周りには表面的な笑いばかりするようになった
全く集中も出来ずに自分が何を何のために頑張っているのかさえ分からなかった。








そしてそのまま一次試験の日を迎えた


どうしても観たい展示があったわたしは試験終わりに急いで展示会場へと向かった
受験の不安な気持ちを抱えたまま着いた展示室で作家さんに声をかけてもらった瞬間に涙が溢れた
同じどばた出身の藝大生の方で他人のわたしとでさえ優しく受験の苦しみを分かち合ってくれた


その会話の中で
教授はちゃんと受かるべきひとを選んでいるんだよきっと頑張ってやり切ったなら大丈夫!
との言葉をいただいて
その言葉とは裏腹に逃げだけでやってきたわたしは落ちてることを悟った
それと同時にわたしはもう失うものがないこと
逃げる必要もないこと
それでも彫刻が好きなこと
色々なことを悟った


一次発表の日
合格者の中に自分の受験番号はなかった
受かるべきひとになれていなかった私は涙を流すことすらなく浪人することをきめた
どばたにかえると、講師の方々と色々と話をした
一浪の1年間を支えてくれたそんな言葉もたくさん与えてくれた。








そして間も無く浪人生活が始まった
浪人中は
受かるべきひと
になることを何よりも掲げて制作をした
上手くなることよりも受験当日にモチベーションを合わせていけるように毎日を過ごした


失恋をしてから脆くなった心は元に戻ることはなく
急に伏せてしまって休んでしまうことも多かった
それでも頑張って塾に向かうと笑顔で
今日は来たな!
それだけ言って受け入れてくれる講師の方々に
何度も心が救われた


だんだんと感情が制作に影響せずある程度のクオリティを上げられるようになった頃にはすでに厚手の上着がないと肌寒い季節になっていた


新しい年を迎えてセンター試験も終わった頃
周りのみんなは朝から晩まで塾で制作をして熱い熱気に包まれていた
そんな中でわたしはまた受かるべき人とは何だろうかと考えていた
わたしの拙い結論は
いつも通りであることだった


きっと上手くなるには誰よりも制作するべきなのは明確だった
けれどもわたしの中で
受かる=上手い
の式はすでに成り立たなかったので
それまでも制作の時間が終わったら誰よりも早く切り上げていたわたしは
入直の時期になっても夜まで頑張っているみんなを尻目にそそくさと帰宅して夜は制作を忘れて自由な時間を過ごすようにした


趣味の料理も明日に疲れが出るからやらない
ではなく
やりたいと思った時に即座にやることにした
それもあって受験直前も気を張らずにモチベーションを上げていくことができたのだと思う。








そして迎えた一次当日
現役の時は木炭も全て芯ぬきをして
真っ赤なワンピースを着て
いつもとは比べものにならない程の気合を入れて挑んでいた
でもそれではダメだと分かっていたので
いつもの履きなれた靴地味な洋服
箱のままの木炭で挑むことを決めた


部屋の中に見えたモチーフは
現役の時は上手く描くことが出来ずにあまり好きでは無かったヘルメスだった
しかしちょうど
ふと何か惹かれるものがあって今までの中で1番熱くかっこよくヘルメスを描いた日が前日の事だった


部屋に入ってすぐに座席抽選をした
私の好きな光の向き
場所の座席を見つけて絶対にそこを引き当てると意気込み抽選をした
見事にその席を引き当てたわたしは
描き始める前に一次合格を確信した


現役の時とは違う冷静かつ平常心で挑むことが出来た一次試験は狂うこともなく
良い描き出しが出来たのだと思う


そして一次の発表を迎えた
案の定一次通過で
嬉しさとともにここで思い上がってはいけないと心を鎮めることに専念をした
それと同時にわたしは言霊や思い込みはわりとそうなると考えている人間なので
一次通ったら二次も通る
今のわたしは受かるべき人間になれている
そうなんども心の中で繰り返した。








そして翌日すぐに二次試験の彫刻1迎えた
講師の方々が試験内容といつもの授業が類似していると安心してしまいあまりよくないかもしれないねと言っていたそんな中で
試験内容はいつも塾でやっていることに程近く
それはいつも通りを心がけていた私にはとてもありがたい課題であったと思う


お昼休憩の時間にはいつものようにクッキーを焼いて持って行った
監視員をしていた方々からは不思議な目で見られていたかもしれないけれど
私がいつも通りに過ごすためには必要不可欠だったと思う。








人物や構成に比べてきっちりと合わせなくてはならない模刻が来る可能性が高いと予想されていた中で
模刻があまり得意で無い私は塑造の試験を何よりも恐れていた
そんな中で出たのは手と菩薩の構成だった
これは受からせてくれる試験だと確信した
午前中誰よりも早く心棒を作り終え
粘土付けも早々と済まし確実に完成に向けて作って行った


しかし午後になって手の心棒がぐらつくことに気がついた
残り時間は2時間程度で焦り動揺した
けれどこれは受からせてくれる試験であって
ここで手を抜いたり諦めてはいけないと
最善を考えた
やりきれずに落ちることだけは絶対にしたくないと一か八かの勝負に出ることにした
一度作った手を半分ほど壊しシュロ縄できつく結んで固定をし安定させることにきめた
そこからはここで諦めたらいけないと出来る限り作り込みをした


この選択はあっていたと思う
形が甘いところが多くなってしまったけれど
今の自分が出来ることは出し切った


最終合格発表まではずっと心がざわついて
一生分の鼓動を打っているのではないかと思うほどだった


そして迎えた最終合格発表
緊張のあまり家を出るのが遅くなり
大学に着いたころにはすでに開示してから30分あまり経過していてすれ違う人達の少しざわついた空気の中自分の番号が掲示されているのを見つけた


一浪で必ず受かると決めていたわたしは
嬉しさと安堵の感情に包まれ
始めてこの一年色々な方々に支えられながら頑張ってきてよかったと思うことが出来た。








思えば不純な動機で受験を決めたわたしがここまでやってこれたのも
学校の先生からの応援を始め
先輩や尊敬する作家さん
講師の方々
何よりも家族が支えてくれたからこそだなと
改めて感謝することができて
それに対しておめでとうと
皆が皆祝って下さって
恵まれた環境の中でやってこられたことに
何よりの幸せを感じることができた




きっと好きだった人から振られなければ
現役であんなに落ち込むこともなかったとは思うけれど
受験をしようと思わせてくれたわたしの人生に居なくてはならない人だったなと
色々な出会いに今だからこそ素直に感謝できていると思う




合格はまだスタート位置に立てただけで
これからの頑張りが大切だと分かってはいるけれども
スタート位置に立つこともきっと1人では出来なかったと思う
それも色々な方の支えがあったからこそ何とか立つことができた
だからこそわたしは何年もかけて作品を通してこの感謝の気持ちを届けていけたらと思っています。






伊藤珠生さん
東京・都立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「彫刻が好きだから」


夜間部だった2年前、彫刻を始めて間もない頃、「私は誰よりも頑張ってやる。」そんな風に思っていた。
学校の課題に追われつつも、頑張ることが楽しくて予備校が楽しかった。冬、地方生も増えて、皆んな熱かった。「頑張っているのは私だけじゃない。私より頑張っている人達がたくさんいる。」そんな当たり前の事に、その時気付いた。頑張れなくなった。私は人から頑張っていると思われたかっただけだった。そんな自分に気づいて頑張ることが恥ずかしくなってしまった。
そのまま私は藝大に落ちて、浪人生になった。浪人に少し憧れていた、楽しそうだと思っていた。私はどこまでも甘かった。
浪人すると、実技や人間関係、上手くいかず泣いてばかり。自分の良いと思っていた作品が講師には評価されなかったり、力はあるけど魅力がない、そんな事を言われて自信がなくなった。評価されない作品は嫌いになって、見たくなくて講評の後、すぐに壊した。


「何で彫刻をやっているのだろうか。何で藝大を目指しているのだろう。」


全てが分からなくなった。受け入れられない自分を人に受け入れてもらおうとした。
9月頃、自暴自棄になった。泣きながら制作したり途中で帰ったりしていた。そんな私にある講師が、面談しようと声をかけてくれた。講師は私に、自分を受け入れる事を教えてくれた。迷いも不安も受け入れる事にした。受け入れると、自分が何をしたいのか考えることが出来た。とりあえず、もう後戻りは出来ないのだからと、不安定な気持ちと戦いながら、実技をする事にした。
コンクールで結果が出るようになった。その結果に救われた。きっと、夜間部の頃、頑張っていた自分のおかげだ。
明日の自分のために今日頑張ろうと思った。
粘土もデッサンも上達し安定していった入試直前、私は、彫刻が大好きになっていた。
藝大に行く理由が見つかった。「彫刻が好きだから」行くのだ。
この一年間、たくさんの事があった。辛い事の方が多かったかもしれない。でも私は全力でぶつかれた。だから、後悔する事は何もない。
この先どんな事があっても、私は全力でぶつかっていきたい。泣いたり笑ったり、全力で生きて、全力で彫刻をしていきたいと思う。


これまで支えてくれた講師の方々、予備校で出会い、かけがえのない一年間を共に過ごした仲間達、応援してくれた家族や友達に、心から感謝します。本当にありがとうございました。






高橋晴久くん
千葉・県立松戸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『楽しかった受験生活』


僕は高2になってから進路を彫刻に決め、それから毎日欠かさずデッサンを描いていました。
制作してないと僕は死んでしまうので朝早く高校へ行き制作し、授業が終わると最終下校時間まで制作し、家に帰っても次の日の制作の事しか考えていませんでした。自由な時間と自由な先生と自由な親と自由な友達。僕が努力できたのはこの自由な環境があってこそだったと思っています。飽きっぽくて移り気な性格だったので、1時間デッサンを描いたら粘土がいじりたくなってきて、それで粘土をいじっていたら今度は陶芸がやりたくなって、それでお皿を作っていたら今度はまたデッサンが気になって気になってしょうがなくなって、結局いろんな教室を転々としてたのを覚えています。


高3になってからドバタの夜間部に入りました。毎日高校が終わるとすぐドバタへ行き、8時半まで制作し、夜遅くに帰宅する。体力的に厳しい毎日でしたが、それでも楽しさは変わらなくて、予備校に行くのが1日の内の一番の楽しみでした。
受験だと思ってデッサンを描いたり粘土を作ったりした事はありませんでした。だからこれだけ楽しめたと思います。実技で泣くこともあったけど受験が怖くて泣いた事はありませんでした。ただデッサンを描くのが楽しかったから妥協せずにやれました。だから上手くいかないと悔しくて泣きたくなってしまう事がありました。遊び心も大事、妥協も必要と言う大人もいますが、子供は遊ぶときほど妥協しないと思います。
試験本番も楽しんで作れました。デッサンも新鮮な環境とピリピリした空気を味わいながら楽しんで描けました。彫刻1は特に楽しんでやれました。彫刻2も苦手な構成粘土だけど、迷いなくやれました。悔いのない作品を作れたので受かった時は本当に嬉しかったです。ここまで来れたのは自分だけの力ではありません。両親や、高校の先生方、ドバタの講師陣が非常に立派な人達だったからです。こんな悪餓鬼でも学費を出してくれた両親、最後まで全力で指導してくれた講師の方々、そして基礎を築いてくれた高校の先生方。本当にありがとうございました。裏で悪いことばっかしたり、友達に心配かけたり、色んな女の人に迷惑掛けたけど反省しています。これからは立派な男になれるように努力します。
あくまでも大学に受かっただけに過ぎないので、浮かれずにこれからも精進していきたいと思います。






関野正祥くん
東京・私立錦城学園高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科


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「楽しまないと!」


自分は勉強が嫌いで本を読むのも嫌いで文章を書くのなんて死んでしまいます。でも物事を考える事はすごく好きで浪人生活の中で考えてた事をいくつかあげて行きます。


僕がここで受験生に向けて関野正祥の浪人生活のどんな事を書こうと他人からしてみればどうでもいい事。合格者から聞くべき事は考え方だと思います。3年間の講評ノートを振り返り好きな自分の考えを紹介します。


「楽しまないと芸術をやっている意味が無い。嫌ならやめるべきだ。芸術は勉強なんかよりはるかに贅沢なものだから。」これは芸術を学ぶひとは絶対に忘れてはいけないことだと思います。


「静かに集中。熱くなってはいけない。座禅をするように実技をすれば全てが研ぎ澄まされ作品は良くなる。そのうち余裕が出来てさらに集中することが出来る。」どんな表現にも集中力は必要で、その力が作品に込められて作品の価値が上がると僕は思います。


「実技は頭を使って自分をコントロールしながら目でやるもの。」目と手を直結させることを前提としてその動作をしているうちに余計なことが、入って来たり、自分の行き着く先が変わったら頭で補正する。


他にもありますがこのくらいにしておきます。でもまあ、なんだかんだ言って自分以外の奴の事を倒す気持ちと気合で大体の事はなんとかなると思います。


青汁のCMみたいに急に宣伝ぽくなっちゃいますが、生徒1人1人の考え方を大切にしてくれるのがドバ彫だと思います。僕は学校も先生も好きじゃないタイプのひねくれ生徒でしたが、どばたはマジで好きです。講師で呼んでくれるのを待っています笑。


最後に学科落ちって言うのは本当にあります。高校生はよく「勉強はしといた方がいいよー」って言われると思いますがマジです。勉強が本業の時に勉強しとくべきです。実技だけうまかったら藝大に入れるなんてそんなに甘くありません。






水巻映くん
埼玉・県立芸術総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「上達するために」

 
まず初めに、今まで何も言わず支えてくれた家族。切磋琢磨し合い笑いあった友人。やたらとあごをいじる講師の皆さん。優しく働き者の助手さんたち。今まで応援してくださった皆さんへ。無事、東京芸術大学に合格できました。ありがとうございました。


 さてさて、体験記に移りましょう。僕は実技ではあまり目立つような立ち位置にはいなかったと思いますし、体験記で彫刻論とか精神論とか、そんなかっこいい話は他の人がすでに書いていると思いますから、ちょっと違う話をします。
 デッサンや塑造において大切なのは何でしょう?モチーフへの観察や理解はもちろんです。完成のイメージを持つこともとても大切です。客観性や様々な観点から発想を広げることなど、良い作品を作るためにはこれらのことがとても重要です。ですが、それ以前にもっと大切なことがあります。それはアトリエの環境ですね。環境が悪いといい作品は作れません。
塑造のとき、彫刻科は動き回ります。例えば模刻をしていて、観察する際に死角ができてしまうのは彫刻科にとって致命的です。床に使っていない道具や箱椅子が置きっぱなしになっていることが多くあります。観察したい場所に物があるから観察できない。すごいストレスですね。
使う道具も共同のものが多いです。作るものも場所を取りますね。モチーフも大きいです。少しでも広いほうが伸び伸び制作できます。使ったらすぐに元の所に戻す。とても大切ですね。
とはいってもみんな忙しいです。片づけなきゃと思っても忘れてしまうことが多いです。
制作中は実技に一生懸命な人たちの集まりですから、放置粘土があったり、置きっぱなしの道具があったりするのもわかります。だから授業終わりに気づいた人が片付ける、声をかけて本人に片してもらう。みんなのアトリエですから、みんなでよい環境にしなきゃいけない。当たり前のことです。だから僕は放課後にアトリエの掃除ばっかりしていました。誰のかわからない芯棒を壊したり、粘土を片したり、隅に落ちている縄とか垂木とか拾ったり、頼まれた訳でもなく、褒められたくてやっていた訳でもないです。いい実技がしたいから、ある意味自分のためにやっていました。それに掃除している自分の姿を見て気づいた人は手伝ってくれます。いい人ですね。そういう人が増えれば自然と良い環境になるし、良い作品も増えると思います。
入試が近づいてみんなが自主制作している横で、僕は道具の整理をしたり、片付けしたり、棚作ったりしていたんですが、それが逆に心に余裕を作ってくれて、変に悩んだり自分を追い詰めたりすることなく、落ち着いた心境で本番に臨むことができたと思います。アトリエを使わせてもらったお礼にきれいにする。次使うとき使いやすいようにする。一見関係ないように思えるけど、上達するための近道です。芸大でも自分が制作した範囲はできる限りきれいにしました。
実技以外のところでもしっかりした仕事ができる人が受かるんだと思います。ただうまいから受かるのではないです。僕が言いたいのはそういうことです。
最後に
これからも多くの人が、美術の道を歩むその先駆けとしてすいどーばた美術学院で学んで行くことと思います。2年間でしたがとても成長できた場所でした。その恩返しという訳ではないですが、新しく霧吹きの棚を作りました。「高みを目指してほしい」「上へ上へと上達してほしい」という思いでモチーフを選び作りました。大事に使ってくれると嬉しいです。