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2011年02月15日

●デッサン

この時期になってデッサンとは何か?ということを書くのもなんですが、この時期だからこそ今一度考えてみたい。

デッサンは受験に出題されるから皆必死に描いている。当然のように毎日受験生はデッサンを描く。
では、なぜ描くのか?
受かるためか?現実にはそうなんだが、目的は受かる為ではないはずだ。
では何だ?なんで毎日のように同じようなモチーフを繰り返しデッサンするのか?
よくよく考えてみるとそこを自分なりに理解出来ている人はどのくらいいるだろうか。
皆さんももう一度考えて欲しい。

私が考える所のデッサンとは、
「目の前に繰り広げられている事柄、状況、現象を、自分なりに理解し感じ取った感覚を全身全霊で手を通して表現すること」だ。
モチーフとなる事象だけでは成り立たず、また自分の感覚だけでも成り立たない。
モチーフと自分と描き出されたデッサンとの距離を保ちつつそれぞれの在り方を変化させていくこと。そこでは様々な思考が働き、視覚的に見えていることに変化が起き、理解が進む。それをまた視覚的に見えている状況に置き換える。ほとんど全ての状況は必然的に起きていて、働きかければ働きかけるほど状況は変化していく。
そういうやり取りの中でデッサンは描いては消され、消されては描かれる。モチーフと対話された一つ一つの事柄の積み重ねの結果がデッサンなのである。
だから、デッサンはキャリアによっていつでも成立する。初心者であろうが一浪生であろうが40歳であろうが、その時々の思考の状態に合わせて表現される。
だから面白い。その時の思考やその人の人柄までもデッサンには表現される。当然昔のようには戻れないのである。「今」自分がどういった状況で、どういった問題を抱えていて、どういったことに興味があるのかが表現されるのである。だから怖い。
デッサンは「嘘をつかない」のである。

このように考えると、なぜデッサンするかが見えて来るのではないだろうか。
それはそれぞれの人によって違うのだ。精神的な問題に向き合う必要がある人もいれば、技術的な訓練が必要な人もいるし、知識量を増やすことが必要なひともいる。
デッサンすることでそういったそれぞれの問題を解消していくことが出来る。
デッサンは人を「成長させる」のだと思う。


彫刻は物理と深く関係する。「モノ」を直接空間に表現するからだ。
だから彫刻家は空間のことと物質的なことの関係を知らなくてはならない。
そういったモノの成り立ちのことを研究することにおいてもデッサンは必須である。

受験生の皆さん。受験までは残り僅かですが、デッサンすることはこの先もずっと続いていきます。
付け焼き刃で無理矢理なんとかするのではなく、じっくり取り組んでください。
「上手く描く」というのは間違いで、ちゃんと取り組めば「いいもの」が描けますよ。

今の時期は集中力が増して、自然と「いいもの」が出ます。
でも力んで空回りすると逃してしまいます。じっくり行きましょう!

デッサンは嘘をつきませんから。
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                     西嶋雄志