●取留めのない話.1 世界の果て?
講師ブログ、初めてアップします。こういう場で何かを綴るというのはなかなか緊張するものですね。何を書こうかとあれこれ考えてはみたものの、結局、何も思い付かず、頭の中に浮かび上がってくるのは取留めのない事ばかり。なので、とりあえず、その取留めのないことから書き始めようかと思います。
僕は家のベランダでよく煙草を吸います。煙草を吸っているときは何も考えていない事が多く、割と頭の中は空っぽです。だから僕の視線も蝶のようにヒラヒラと取留めのない感じで宙をさ迷います。でも、その回遊経路は往々にして、いつも同じ軌跡を辿ります。僕の家はマンションの5階なので、眺望と言うには少し低いのですが、辺りを見渡す事ぐらいは出来ます。視線はまず、マンションの下にあるいつもの十字路といつもの街灯を彷徨し、そこから周りの家々を回遊して、最終的に遠く地平へと向かってフラり飛んで行きます。そこには距離感をなくしたビルやらマンション群がコラージュされたかのように建ち並び、空との間に歪な境界線を描いています。昔のテレビゲームのように平面的に交錯する線の重なりを見ていると、本来、その先にあるはずのものを上手く想像することができません。代わりに、その切り取られた境界のすぐ後ろ側には、底の見えないほど切り立った崖が聳えているのではないかと言う錯覚をいつも覚えてしまいます。そして、そこは世界の果てなのではないかと思ってしまいます。それは、とても現実的と言えるような捉え方ではありませんが、そんな風に景色を眺めていると一人の人間が抱え込む事ができる世界と言うのは、それほど広くはなく、逆に言ってしまえば、ごく限られた輪郭線を持つ事で、ようやく存在することが許されるのではないかと考えてしまいます。だから、ベランダから見える切り取られた景色は、今、自分が捉える事の出来る世界の一つの現れ(限界)なのかもしれません。その先にあるものは、言ってしまえば宇宙と同じです。その総体を掴むことは、今の自分にとってはかなり困難なように思います。ベランダで煙草を吸っていると、そんな取留めのない考えが空っぽの頭の中に生まれ、それもまた蝶のようにヒラヒラと回遊して何処かへ消えて行きます。
以上、取留めのない話でした。
虫本 文
