2008年7月アーカイブ

2008年芸大合格者に聞く

「インタビュー企画第7弾」

2008年芸大合格者に聞く!
                  インタビューアー 西嶋、吉田
今年すいどーばたは9名の芸大合格者を輩出しました。その内訳は現役生から1浪2浪3浪と幅広い経験数の学生が合格しております。

今回はその中から、三人の方に来て頂きました。
まず最初は、すいどーばたに通えない地方在住のため「通信教育」を通じての指導と、さらに春夏冬入試直前の各講習会を受け現役合格を果たした北田君。二人目は名門美術高校出身の実力者ながら2浪することでさらに本格的な力を身に付けて合格した中澤さん。三人目は、一度一般大学を卒業したが、大学で出会った先生の影響を受け彫刻を始めたという増渕君です。将に特徴のある三名に受験や予備校生活を振り返っていただいて、大切にしていたことや意識的に取り組んでいたことなどを伺っていきたいと思います。さらには芸大に通っている現在のこともお聞きしたいと思います。

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まずは各自の紹介をしたいと思います。

昼間部・白ヘビクラス出身:増渕剛志くん
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一般大学卒業後、3浪しての合格。完成された塑造力は目を見張るものがあります。多くは語らないが制作に対する姿勢でクラスをまとめるリーダー的存在でした。
合格大学:東京芸術大学、多摩美術大学

昼間部・黒猫クラス出身:中澤安奈さん
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調子のきれいなデッサンから、描写力を身に付け、最後はそれらを超えた臨場感のある本格派デッサンを描けるようになり、文句なしの圧倒的な存在感でした。
合格大学:東京芸術大学

そして通信教育出身:北田匠くん
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通信教育では出題した課題をはるかに超える量の作品を毎回送ってきた先生泣かせの学生。優等生なだけではなく、底知れぬパワーを秘めた貪欲な現役生でした。
合格大学:東京芸術大学


西嶋:本日はよろしくお願いします。

あらためて芸大合格おめでとうございます。
経験はそれぞれですが、3人ともようやく大学生になったという感じがしますね。
そのあたりからお伺いしたいと思います。
まずは彫刻を志したきっかけを各自にお伺いします。

北田君は現役合格ですが、通信教育を始めたのは高校1年のときでしたっけ?
どういう経緯で彫刻を志したか教えてくれますか?

北田:小さい頃からもの作りが好きで、レゴをやったり、おもちゃ作ったり、陶芸をしたりものを作っている時が自分にとって一番無心になれる時間で、心地よいものでした。初めは当たり前すぎて自分が本当にもの作りが好きなのか分からなかったんですが、親が彫刻家というのもあって、小5くらいの頃には世界一の彫刻家を目指していました。
通信を受け出したのは高2の春からで、他の人に比べたら早い方だったと思うのですが、地方からの受験ということで不利に感じていた部分もあり、喰らいつく気持ちでやってました。でも、結局は地方からの受験というのは自分の土俵を持ちつつ、中央に来て触発されてまた帰って、自分のやり方を改善しながら進めて行くっていうのは利点になっていたように思います。

西嶋:小5ですか・・・。小さな頃からお父様の仕事場を見ていた影響は大きいですね。
中澤さんは美術高校出身ですよね。はじめから彫刻を専攻していたのですか?
彫刻にしたきっかけなどあれば教えてください。

中澤:初めは油絵専攻でした。それが、高1の終わりからスランプで描けなくなり、苦しんで悩んだ結果、高3で彫刻科に転科しました。正直、彫刻って良くわからなかったんですが、1年次の授業で彫刻をしている時がすごく楽しかったんですよね。そのことを身体がおぼえていたんじゃないかと思う。たぶん絵が描けない中でつくる喜びに飢えてたのかな。絵は描けないとずーっとゼロ(白紙)のままなのですが、彫刻はまず形になる、それがとても新鮮でした。あと彫刻の先生がおっしゃった「ジャコメッティーは存在するものと空間の境目を見きわめた人なんだよ」という言葉に感動して興味をもったのも大きいかも。

西嶋:当時高3の中澤さんが体験入学に来たときのデッサンを良く覚えていますよ。調子のきれいなデッサンでしたね。その時も何やら悩んでいましたね(笑)
増渕君は他の2人と違い一度一般大学を卒業してからすいどーばたに来ましたよね。
結構決断のいる事だったと思うのですが、その背景にはどのようなことがあったのですか?

増渕:前の大学ではデザインを専攻していましたが、興味が持てず、自分の可能性を模索していました。木工、金工、窯芸等大学で出来ることは手当たり次第さわってみて、その中の一つに彫刻があったんです。大学の2年の頃から彫刻を志す訳なんですが、僕は2人とは違い全く専門的な美術教育を受けていませんでした。いざ彫刻をつくるとなると、自分の中に判断基準がなく、不自由さを感じていました。自由につくればいいのに不自由なもどかしさ。
1から彫刻を学びたい、という気持ちが強くなり、彫刻とは何なのかという疑問をアカデミックな勉強の中から考えてみようと思い、予備校の門を叩きました。芸大に入るというよりも、1から彫刻を学ぶんだという気持ちの方が強かったです。その先に大学があるという考え。一度型にはまりにいこうと。そこから抜け出すか、はまるかは自分次第なので自分の中に一つの基準をつくりたいと思っていました。

西嶋:なるほど、大きな決断と言うよりは自然な流れだったんですね。マイペースな強みですね。
北田君は優等生と言われていましたが、入試直前はもっと突き抜けた精神状態だったようにみえました。そのあたりの心境を聞かせて頂けますか?

北田:自分としてはそんな認識がなかったんですが、誰よりも努力したいとは思っていました。夏季講習で3位をとった時から、トップをとりたいって意志が強くなっていって、冬も2位をとって自信もついてきてたんですが、入直になったら周りがめっちゃ上手くなっていて、現役合格を前提としてたこととかが急に重しに変わっていった感じがしました。やっぱり悩むと実技も伸びないし、焦ったり、このまま受かってもその先いけるんかなって悩んでた気がします。でもある頃から、自分は結局逃げてるだけやって気付いて、大切なんは受かるかどうかってことより、自分らしく生きることなんやって思って自分の生き方として今やるべきこと、今しか出来ないとことを一生懸命やればいいって思えるようになると、急に楽しくなってきて全てがプラスに思えて、やりたい様にやろうと思っていきました。受験のというより彫刻の勉強がしたいと思いだして、最後の方は参作より、作家の図録ばっか見てた気がします。入試も全然怖くなくなって当日も自然体でいれましたね。

吉田:実技も現役生ばなれしていましたが、考えも、普通の現役生とは違っていたのですね。北田君の実技を見ていて「どんな状況でも確実に仕上げてくる」と感じました。他の人だと形の狂いがあったとりとか、印象が出ないとか、色々な理由で途中になってしまうデッサンが何枚に一枚の割合で入ってくると思います。北田君を見ていて、途中で終わるデッサンがほぼゼロだったように記憶しています。なにか完成に対するこだわりとか、強い思いとかあったのですか?

北田:そうですね。自分は描写タイプなので、ベースやって次何やって・・・とかいうよりかは最初から描いていくし全体的にバランスを取りながら進めていく感じなんですけど、何をもって途中というのかわからないんで、まあ描き込めば完成なのかといえば、そうでもないと思うんですが、自分としては もちゃもちゃしたまま終わらせるのは嫌で形を決めていく感じでした。だからそれがかえって強引と言われる部分になったりもしましたね。でも前提として描ききりたいというのはありました。

吉田:表面的な完成度とは別の次元での戦いだったのですね。話を聞いて実技に納得がいきました。

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北田君の模刻 奴隷首像

吉田:北田君は現役で東京芸大合格を果たしました。一般的に現役生は塑造力で浪人生と差がつきやすいと思いますが、上の奴隷首像模刻のように浪人生をも凌駕するような塑造力を身につけていましたね。高校も普通科で剣道部とかだったと思うのですが、塑造に関して高校2年生の時から意識して取り組んでいた事などありますか?

北田:初めてどばたに来た時に、デッサンはいけても塑造は入直だけでは難しいと聞いていたんで、粘土は多めにやるようにしていました。一番実力につながったと思うのは20分間の粘土クロッキーだったと思います。スパンとしては朝粘土、放課後はデッサンという感じだったんで、行ける時は始発で行って、粘土クロッキーを3セット〜5セット位やったり、土日も学校が開いている限り作ってる感じでしたね。
浪人生は一日中制作していると思うと、焦りがちだったように思いますが、1人黙々とやっていましたね。家族の支えがあってのことだと思います。

吉田:始発、3セット〜5セット、学校が開いている限り・・・あの塑造力は血のにじむような努力のたまものだったのですね。体も心も強かったんですね。

吉田:続いては中澤さんに質問です。現役1浪と2年続けて芸大1次試験を通過しました。1浪目で落ちた時に既にかなりの力があっただけに、二浪目は大変だったんじゃないかと思います。力のない人は基本的にバンバン力をつけて、それがコンクール等の結果にも繋がり、またがんばれるという好循環をつくっていきやすのですが、中澤さんはコンクールでよい成積をおさめても(たとえトップでも)、講師陣からかなりの辛口の講評を受けるという場面が多かったように思います。なかなか思うようにデッサンが変化していかない時期が続きましたが、どんな思いでしたか?また、気持ちのコントロールがうまくいかない時とかってあったりしましたか?

中澤:あー、すごくしんどかったです。実は私はほめられてのびるタイプの人間なんですよ(笑)。何をやってもダメな人間なんだーって、いつも落ち込んでました。得意としていた描写型のデッサンを描いても、お前がやるべきことはこれじゃないだろ!って言われるし、よくわかんないから、とりあえず描写を捨ててみたら、何も残らなかった。何をやるべきなのかわかっていなかったんですね。ただ自信がなかった。
それが夏季講習のコンクールのあと、先生が「中澤にはこういう能力があるんだ!」というのを1時間くらい言い続けてくれて、初めて客観的に自分を認めることができました。そしたら、自分は何を捨てるべきで、何を構成すべきなのかが明確に見えてきたんです。求められているのは、元々自分にない彫刻的、量的見方なんだと。別に先生方に嫌われている訳じゃないんだって(笑)。
あの時「お前のやっていることは一浪の延長だ」と言ってもらえて感謝でした。私の本当の二浪のスタートはここから、とも言えます。
でも現実は大変でしたね・・・。新しい見方がなかなかものにならなくて。直前の一週間までもがいていました。でも新しいことを学ぶ喜びがあったので充実していました。
それに経験したことは、必ず絵に出ますね。大切なのは見ることですね。

吉田:自分との戦いの1年だったんですね。

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中澤さんの石膏デッサン 円盤投げ全身像

吉田:中澤さんは、描写力などのテクニックはこの三人の中でも一番優れていたように思うのですが、受験においてのテクニック(技術)とメンタル(精神力)はどんな関係でしたか?支え合うもの、反発するもの、いろいろな考えがあると思うのですが、中澤さんにおいてはいかがだったでしょうか。

中澤:テクニックが邪魔している!と思う事が何度もありました。本当はわかっていない部分もうまさでカバーできてしまうから、まず自分がそれにだまされてるという危険な一面もありました。モチベーションが低い時は、テクニックが先行して、表面的でつまらない絵になるし、不器用な人の味のあるデッサンに憧れていましたねぇ。私の場合は「キレイだなぁ」とか「スゲーなぁ」と感じることからデッサンに入ると、調子が良かったです。テクニックそれ自体では力を成さない。自分のイメージを形にする道具ですから。私はイメージがないとダメでした。うまさを見せるためというよりも、他の人に何が描きたかったのかわかってもらうためのテクニックであることが大切だなと思います。

吉田:うまさでカバーできる というラインを超えた対象とのやりとりのレベルに向かっていたんですね。やはり2浪めは高いレベルで戦っていたんですね。

西嶋:じゃあ次は増渕君に聞きます。
増渕君は塑造力がしっかりしていて、かなり自分でコントロールできるようになっていたと思います。どんな点に気をつけて制作していましたか?

増渕:予備校では彫刻をつくるとなると、受験ということもあり、必然的に粘土での表現になってしまいます。それを受動的な素材の選択ではなく、数ある素材の中から粘土での表現を選んでいるんだと捉え直してみました。数ある素材の一つとして粘土の可能性を考えてみようと思ったんです。3浪して自分では押さえどころは理解していた、と思っていたのであとは自由にやろうと思いました。やることやったらあとは遊ばせてくださいな、という感覚で粘土の表現として面白いかどうかや、素材としての魅力を引き出せているかに重点を置いていました。

西嶋:なあるほどね。そうした意識が塑造に対する取り組みに出ていたんですね。
逆にデッサンはなかなか調子っぽい状態から抜け出せず苦労したように思いますが、そのあたりも聞かせてください。

増渕:デッサンでは一つのきっかけ、意識的な変化はありました。
ある人に何も見ずに卵を描いてみろと言われたんです。描けなかった・・・。それが自分の実力なんだと痛感させられましたね。自分は画面の中に卵一つ存在させる事が出来ない。平面的な見方しか出来ていないんだと。石膏デッサンを描いていると何となく立体っぽくなるけど、今までのはただの色塗りだったんだと。真っ白な画面の前に立つと平面的な輪郭的な見方になっている自分がいる。それを自覚した上でデッサンは平面という制限のある中で立体をより立体として捉えるための確認と訓練なんだと。平面だけども立体の仕事をするんだと思ってからデッサンが変わっていったように思います。

吉田:西嶋先生の言われていた調子っぽい感のあったデッサンですが、試験直前の二月終盤、最後ある種の吹っ切れた感じというか、悟りというのか(笑)ごちゃごちゃ気にせずこう描くんじゃい!と言わんばかりに、どんどん力強く、活きたデッサンになってったように思います。そのあたり、何か心境の変化でもあったのでしょうか?

増渕:講評の時、皆のデッサンと一緒に並べてみると、自分のデッサンが絵として見た時に全くつまらない、面白くないものに見えたんです。狂っていても感覚的な魅力のある絵に引きつけられる自分がいました。正確に描くよりも、表現として見た時に大事なものが他にあると。いくら構造だ動きだと考えても話にならない。受験直前は頭がいっぱいいっぱいで何も考えられないし、何も入ってこなくなりました。3年間考えて来たんだからもう体が覚えている。だったら最後は自分がカッコイイと思ったものを画面にたたきつけるだけだと思いました。自分の見えているもの、感じたものはこんなもんじゃない、俺にはこんなにもかっこよく見えているんだと。それだけをずっと追い求めていました。昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日と、前向きな気持ちがエネルギーになっていたように思います。

吉田:構造、動きといった彫刻的要素を3年かけて体得しきった上での達観だったんですね。

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増渕君の 石膏自刻像

吉田:増渕くんが首の塑造で色々なタイプの表現を取り込んで制作していたのを良く憶えています。荒々しいマチエールの作品や、量感の強さを追い求めた作品など、塑造表現としての探求みたいなものが、はじまっていたように思います。どのようなスタンスで塑造制作に取り組んでいましたか?試験でも手という作品性を入れやすい課題でしたが、予備校での取り組みと実際の芸大の試験での実技にスタンスの違いなどはありましたか?

増渕:首と手にはこだわりがありました。大学に入ってからも作り続けたいという思いはあったし、こういうものを作りたいという欲求があったので、じゃあ予備校の授業の中では何が出来るのかなと試していました。自分の可能性を広げるという意味でも他の人の粘土を参考にしたり、好きな作家の真似をしたり、こんなことも出来るんじゃないかという遊び感覚です。粘土をカピカピに固くして磨いたり、グチョグチョの粘土でベチョベチョ等いろいろやってみて自分はどういうものに反応するのか、快感を覚えるのかを探っていました。芸大の試験ではシンプルでチョー地味な作品を作りました。派手さのかけらもないですね。よく見てくれたなと思います。僕が教授なら見向きもしませんけど。ただ、アイデアはなくても他の要素で見せる自信はあったので、元気が良いのは周りに任せてガツンと真っ向勝負という感じでした。予備校での手の構成課題では物語性を持たせたり、構成として面白くしたり、いろいろ考えて楽しんでいましたけど。そうじゃなきゃやってられなかったですし(笑)。ただ、いざ試験となると、びびるしいつも通りいく訳ない。自分が緊張しいてたのは分かってたし、手はブルブル震えるし、心棒は材料の関係でヒョロイのしか作れないし、無難にいくかと。
普段の授業の中で色々な表現をする事で、6時間という短い時間の中で適した作り方はどれか、受験に確実に勝っていく仕事のやり方を1つ自分の中で作れたので、粘土に関しては余裕がありました。受験用の塑造と割り切って作っていました。

吉田:塑造表現の広がり限界まで追った先で、6時間の試験との折り合いを見極めたんですね。かなり深い戦いだと思います。増渕君はどちらかというと器用なタイプではないと思うのです。もちろん良い意味でもね。じっくりと力をつけ、積み上げ続ける、それを支える強い信念があった学生だ という感想を僕は持っているのですが、全国で芸大目指して彫刻の勉強をしている器用ではないタイプの人たちに何かアドバイスをお願いします。

増渕:確かに、恐ろしいほど不器用ですね。不器用だからこんな回りくどい生き方をしているんでしょうし。人一倍時間はかかるは、上手くいかないはで大変ですけど、人一倍悩み考えた分、出来た頃には確実に自分のものになっているはず!! 不器用な人、人に教わるのが苦手な人にはそのぶん癖のある、こだわりのある人が多いと思う。下手に器用で上手くこなす人よりも見ていて面白いし、うまくはまった時にはその人にしか出来ないものが生まれるんじゃないかな。人生長いんだし、先に行きたいやつは行かせて何十年か後に抜かせばいいじゃないか。ゆっくりと自分の足で歩いたぶん、走り抜けただけでは気付かない、自分だけの探し物がきっとみつかると思います。 彫刻は時間かかるんだし、のんびりいきましょうよ。
ナイフではなく棍棒で振り回すようなかっこよさ、生臭さがあっていいと思いますよ。不器用なものはしょうがないじゃん、そんな自分を受け止めてあげましょうよ。

西嶋:では次の質問です。これまで合格してきた人は大抵自分独自のプロセスをつくりあげていると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか?自分を支えた何かがありましたら教えてください。
先ほどの質問と被ることがあるかもしれませんが、これは!というものがあれば教えてください。

北田: 常に自分を見失わないで、客観的にみつつ、主観も通すという事を意識していました。入直において大切なのは体と気持ちのコンディション。入試は長丁場なんで、無理しすぎない生活を送る事が大事だと思います。どばたではガンガンやってホテルに帰ったら何もしないとか、集中にメリハリをつけてリラックスするのが大切だったと思います。自分にとっては牛乳がリラックスの必需品だったんで、そう言うアイテムを見つけるのも大切だと思います。

西嶋:牛乳ですか(笑)。確かに気持ちの切り替えは大事ですよね。
他はありますか?

中澤:参考にならないかもしれませんが、私は中1から芸大を目指してきたので、当然根強いこだわりがありました。でも2浪して、芸大ってどういうところなんだろうというのを世界の基準から見るようになって。そしたら今まで芸大に対して持っていた憧れや強い思いとは別に、そこには日本の役割を荷なう教育機関が見えました。そしたら、大学4年間という時間の中で何ができてどういう可能性があるか、というのが見えてきたんです。そして不思議なことに、2浪してダメだったら、芸大よりも最善な道があるってことなんだ、と思うようになったんです。実際落ちたら、スケッチブックをもって世界を放浪するつもりでした(笑)。落ちたら落ちたで私にとって芸大に行くよりも益になるかもしれない、と。
2浪して初めて落ちてもいいやと思えたんです。それはあきらめではなく、新しい希望でした。自分の道を神様に全部ゆだねる気持ちになったというか。そのための2浪だったんだな、と今思います。試験が終わってから、父が「受かるといいね。でも落ちても、それもいいよね」と言ってくれたことも大きかったです。家族の支えに感謝しています。

西嶋:そうですね。自分にできる事はやりきったからこそ、そう思えたんでしょうね。
どちらにしても次の道が見えてきたということですね。
ではさらにお聞きします。受験において一番重要だと思うこと、あるいは自分が大切にしていたことがあれば教えてください。

北田:受験は合格するためのものだけど、受験のため(だけ)の勉強というのは良くないと思います。その先を見据えた、作品制作に繋がるよう学んでいくことが大切だと思います。
実際は体力とか、精神力がものをいうし、プラス思考でいかなきゃ絶対に潰される。弱いところを直すというよりかは、良いところを伸ばすことが大切だと思います。自分のスタイルって考えた時に、弱点を直したからといって、自分らしさになる訳じゃない。自分の強みを生かしていくとおのずと問題も見えてくるからそれを直していく方が、自分のスタイルを築けると思います。常にプラスへで、自分を動きやすくすることが大切だと思います。現役生って不安や迷いも多いけど、そこで勇気を出して一歩踏み出さなきゃダメ。自分を信じられるところまでやるのが一番です。

西嶋:北田君は強いね。だけどその裏には先ほど出てきた話にもありましたが、自分の弱さを経験し、乗り越えた上にこそあるのでしょうね。
中澤さんはどうですか?

中澤:芸術の仕事というのは、答えのない問いかけだったりするものなんじゃないかと思うのですが、受験ではまず問いがあって答えがあるんだ というのに気づいて、楽になったこともありました。ちゃんと相手の問いかけに的確に答えられているか?ということはしっかりおさえていないと、受験は成立しないんだなと。自分だけが理解出来るような作品を作っても意味をなさない。そういう意味で相手をよく知ること、自分をよく知ること、その上で戦いができると思います。浪人で気をつけていたことは、波を最低限におさえること。体調が悪くても、精神的にふにゃふにゃでも、合格ラインを保つこと。普段どんなにうまく描けても試験当日にそれが出せないと意味がないと思っていました。

西嶋:受験に於いて重要なポイントですね。言葉ではわかっていても実際に明確にそのことを理解し、実践出来る人は少ないと思います。精神的に強くなりましたね。
増渕君はどう?

増渕:客観性の一言に尽きます。客観性の意識とその獲得こそが予備校で得た一番大きなものだった様に思えます。講師から何度も同じ事を指摘され、そのたびに自分に苛立ち、わかっているけど出来ないもどかしさ。ただ、自分の作品を見て感じることと講師から言われることは同じだったので、自分が客観的に見さえすればいいんだと、今、自分はどういう状態で何が必要で何を捉えにいくのかを見極める。自分で自分を育てる力を身につければ良いのではないかと思います。すいどーばたには幸いにも大勢の人がいて比較できる対象が多いので周りに流されやすいという危険性はあるけど、客観的になれる材料は揃っていると思います。一人ひとり必ずいいものを持っているので、それをどう活かすかも実力だし、そこを補うのが客観的な視点だと思います。それさえ出来れば誰でも受かりますよ。

西嶋:他の二人の話の中にも「客観性」というキーワードが出てきましたね。
そのことを本当の意味で実感できた事は今後の人生において非常に有益になると思います。
では、今度は芸大に合格した後のことを伺っていきたいと思います。
芸大に通ってみて感じる予備校と大学の時間の流れの違いや、予備校と大学の先生との距離、仲間との過ごし方など受験時代とはだいぶ変化があると思いますが、その辺りをお話し頂けますか?

北田:大学は自由と聞いていたけど、思ったより制作時間が限られていて残念でした。授業内容は1年ということもあって道具作りなど基礎的なことが多い印象を受けました。だけど、その中で自主的に制作をすることもできるので、その辺りは居心地が良いです。課題の期間も長いので、自分のペースで制作ができるところは大きな違いです。

西嶋:今は石彫実習をやっているのかな?

中澤:はい。正直、身体はかなりツライです〜。毎朝手が固くて開かない(笑)。

西嶋:6面出しですよね。

北田:はい。僕はもう6面出しましたよ。

西嶋:おお、すごいねー!先生との関わりなどは何か変化ありました?

中澤:入学前に先輩の話を聞いた限りでは、先生との距離や同級生との関わりも薄いと思っていたのですが、実際は割と親密な感じですよ。研修旅行では教授や助手の方々と一緒に山登りしたりして、意外な一面を見ることができたり。関わりを持つチャンスはあるし、要は自分次第ですね。

増渕:予備校では受験ということもあり教えられるという感じでしたが、大学では先輩の作家としてアドバイスしてもらうという印象です。

北田:石彫場を含め大学では先生の制作している姿を見ることができるので、刺激になります。

増渕:助手の方からも研究室に気軽に来ても良いとおっしゃっていただき、フレンドリーな感じを受けます。

西嶋:ほう、結構親密にやっているんですね。

北田:クラスメートともみんなで鍋やったりパーティーしたり、楽しいですよ。今年の学年は仲が良いようです。

増渕:そうですね。肩苦しい感じはないですね。受験生の時は、どうしても一人で戦っていた感じがあったけど、大学ではもう少し周りと密接に関係を持てていて、一人一人が見えやすい感じがしますね。

西嶋:時間の感覚もやっぱり違うよね。

増渕:時間はゆっくりしています。予備校とは真逆ですね。受験という特殊な状況から意識を変えるのにはこういったゆっくりとした時間の流れが必要なのだと思います。


西嶋:では最後に受験生に向けてメッセージがありましたらお願いします。

北田:受験において、合否というものは、自分の許容範囲にあるものではないと思います。やりきって合格する人もいれば、それなりにやって合格する人もいる。逆にやりきっても合格できなかったりということもある。自分の手の及ばないところで悩む必要はないと思います。自分に出来ることを自分が納得するまでやりきることは、自分次第でどうにでもなること。それをやるだけ、それだけでいいと思います。

中澤:いろいろな問題や課題を一人一人が抱えているのだと思いますが、問題の以前にまずしっかりとした土台において、自分が自分らしく存在すること、これが最も大切な事だと思います。それと体あっての制作だし、必要なだけ食べ、寝て、時には心よりも体の方が正直な事もあるのでそれに素直に従う事も大事だと思います。周りの人、アトリエの空間も大切にすることが、心の在り方、作品の在り方につながってくると思います。来年みんなが芸大の門をくぐって来ることを楽しみにしています。

増渕:とくにないですけど、多浪の楽しみ方の一つとしては、大学に入ってからの事を考えるとおもしろいかも。授業なんて出なくて良いから、予備校に縛られず、色んな作品見たりして常に新鮮な気持ちでいることが大事になる。おもしろい作品のアイデアが浮かんだらニヤニヤしながらメモして授業の中で出来そうなら学校に来てやってみる。意外と予備校のカリキュラムの中でも考え方次第で、自由に楽しく自分の作品作りが出来ますよ。あと、どばたにいると1日とか多くても3日課題だけど、先生にお願いして、1,2ヶ月ぐらいかけてじっくりと納得いくまでやってみてもいいのでは?一度人生踏み外しているんだし、周りに合わせる必要はないと思います。一浪生、現役は知りません(笑)。ただ突っ走れば良いんじゃないですか。だめだったら浪人すればいいじゃん。いいことあるから。

西嶋 吉田:増渕くん、中澤さん、北田くん、本日はありがとうございました。3人とは予備校を通して長く接していましたが、今日初めて聞くエピソードに、驚きや納得が多々ありました。やはり3人ともかなりディープな戦いを経て合格を勝ち取っていたんですね。全国の芸大、美大を目指す多くの方々にも多くのヒントや励ましに富んだインタビューだったと思います。
今日は本当にありがとうございました。