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2010年04月17日

●仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー

「インタビュー企画第11弾 仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー」




東京芸術大学 保存修復彫刻研究室 非常勤講師 益田 芳樹さん
インタビュアー 吉田 朗  阿部 光成

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」部分




これまでインタビューでは大学合格者や、作家活動をしている方へのインタビューをお伝えいしてきましたが、今回は「彫刻の力を生かした仕事」を実践している先輩にお話を伺ってみようと思います。

受験勉強に打ち込む皆さん、ふと彫刻と関わりながらどのように生きて行けば良いのか?どのような将来が待っているのか、不安になるということはないですか? 彫刻を学ぶ中で培ったデッサン力、素材を扱う技術力、空間に対する意識それらを使った職業、生き方も様々あります。

そこで今回のインタビューは すいどーばた美術学院彫刻科出身で、東京芸大彫刻科に進み、そこから保存修復の道に進んだ益田芳樹さんにお話を聞いてみようと思います。益田さんは仏像の保存修復の仕事をメインにしつつも、自らの作品も制作し、発表しています。また東京芸大で講師として後進の指導にもあたられています。

彫刻を学んだあとの人生の展開や、彫刻と関わる生き方、その広がりとして皆さんの参考になればと思います。今回は益田さんと浪人時代を共に過ごした吉田と阿部がインタビュアーをつとめます。(文中敬称略)




-----益田芳樹さんの経歴-----

すいどーばた美術学院にて4年間の浪人の後、東京芸術大学彫刻科に合格。彫刻科大学院、大学院保存修復、博士課程保存修復課程を経て博士号を取得。現在、保存修復彫刻研究室の非常勤講師をつとめる。

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中央が益田さん 左が阿部 右が吉田




-----修復の仕事とは------

吉田:
仏像の保存修復の仕事とは、どんなお仕事なんでしょうか?
仏像を直すという漠然としたイメージはあるのですが、具体的にどのような感じなのでしょうか?

益田:
簡単に言えば、仏像のお医者さんと言ったところでしょうか。診断を行い、処置を施すのです。具体的には、修復を必要とする仏像があるとき、先ずは事前調査というものを行います。これは、その仏像の形状・品質・構造を調査します。必要によってはX線調査も行います。そして、どのような修復を施すのが最善であるのかを考え、修復方針をたてます。ここまでが診断に当たり、修復を行う上でとても大事なことです。ここで方針を間違えるとかえって悪化させることにもなりかねないからです。そして、修理という処置にはいります。実際の作業は修復物件によって様々ですので、ここで全てを話すことはできないので省きますが、けして派手な仕事ではなくコツコツと進めていく根気のいる仕事です。

吉田:
X線調査など、現代的な機器も活用しているんですね。伝統的技法で行うイメージだったので意外でした。

益田:
非破壊が前提なので、いろいろ使いますよ。X線だけでなく医療用CTスキャンに入れたりもします。一番最新技術が必要な分野だと思っています。古典技法から最新技術まで幅広く使ってやっていますよ。

吉田:
なるほど。そんな保存修復について、どのような考えを持っていますか。

益田:
日本における多くの文化財は、長い年月のあいだに取捨選択、淘汰された結果です。それら、素晴らしい文化と造形に最大限の敬意を持って、「ものとわざとこころ」を継承し後世に伝いきたいと考えています。それには、高度に発達してきた古典の、材料と技法に関する正しい知識と技術を習得が重要と考えています。

吉田:
保存修復の魅力はどの辺になりますか?

益田:
ここまでの話しだけだと、あまり魅力を感じなく思えるでしょうが、とても魅力のある仕事なんです。一番の魅力は何と言っても、修復後の施主さんの喜んだ顔を見れるということですかね。きれいごとを言うつもりは全くないです。本当にその時の気持ちは「やって良かった!頑張って良かった!!」ですね。相手の喜ぶ顔が見たい。どんな仕事でもそれにつきると思いますが。

阿部:
相手がいる仕事ですもんね。その喜びは一人で彫刻作品をつくっていて感じるものとは違って新鮮ですね。修復した仏像を納めるときの心境ってどんなですか?

益田:
半分半分ですね。ここまでやったら大丈夫だろうという部分と、本当に喜んでもらえるかなという部分と。

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」




吉田:
太古の名作と対峙できる喜び、怖さ…などあると思うのですが、その辺りについてお話伺えますか?

益田:
喜びも怖さもありますよ。
喜びは、「直に触れることが出来る」ということです。何百年という時間の中で、淘汰されて来た結果であるわけですから、疑うことの無い教科書です。そんな経験を出来ることはすばらしく幸せなことだと感じています。
怖さもやはり、「直に触れる」ということです。自分の仕事によっては悪くなるということも考えられますから。。。喜びと怖さは紙一重ですね。ですから、先にも話したとおり「材料と技法に関する正しい知識と技術を習得」が重要と考えているわけです。日々勉強ですよ。

吉田:
仏像によっては何度も修復を受けているものもあるんでしょうか?

益田:
もちろん。表面は江戸時代に修復しているけど、中はそれ以前とか。現在は文化財保護という考え方があります。それ以前は 、文化財(美術品)という意識はないため“治す”という考え方が違う訳です。さらに時代によって技法が違うわけで。。。文化財保護法が出来る前は、“治す”は仏様が本来ある姿に戻すという考え方なわけです。ですから、今の時代は難しいですよ。「文化財」という考え方と、「仏様の本来の姿」という考え方がありますから。本当に難しいんです。仏像修復の理念については、自分自身、何が正しいのか日々考えています。まだ答えはでていません。しかしながら、現在まで伝えられてきたのには、それぞれの時代で関わってきた人たちの心があるわけで、その気持ちというのは大事にしたいと思って修復しています。そのようなことも修復しながら見えてきます。

吉田:
すごいですね。修復しながら過去の人たちと対話する感じですね。しかもそれが手を動かしながら仏像と対峙している中で出てくるのが面白いですね。

吉田:
仏師とはどのように違うのでしょうか?

益田:
う〜ん。。。むずかしいですねぇ。
仏師の方がどのような考えで、どのような仕事をしているのかが分からないですからねぇ。
自身の意識の違いなのかなと思います。私も修復家だとは思っていませんから。(笑)
彫刻家です!個人的な意見ですが、造れない人がよい修復を出来るとは思えません。ですので、私は仏像も造り修復もする彫刻家です!!!

吉田:
日常はどんなサイクルで過ごされていますか? 一日、一仕事、一週間と、どんな生活のリズムか教えていただけますか?

益田:
生活リズムについては何の参考にもなりませんよ。(笑)なぜなら夜型だから。自分でも良いとは思っていないんです!そんなわけで、朝起きるのは遅めです。それ以上は言えません(笑)
一週間のうち2〜3日は大学に行っています。大学での仕事は、講師とはいってもあまり教えているという感覚はありませんね。一緒に学んでいますよ。そんな歳も離れていませんから先輩って感じですかね。学生には「先生と呼ぶな」「俺は何も教えない」なんて言ってます(笑)
うちの研究室は大学院からですからね。自分で考えて行動して欲しいんです。その手助けが出来れば良いと思ってます。これって給料泥棒なのかな(笑)
いやいや、実習はちゃんとやってます!それ以外の日は基本的には制作しています。お寺からの制作以来ですと半年〜1年仕事、その他は展覧会に会わせて制作しています。

阿部:
実習は、どんなことをするのでしょうか?

益田:
担当は修復担当です。実際に依頼された案件をお寺の許可を得て実際の修復物の素材、技法、などを精査しながら、実際に修復をするという実習です。

阿部:
実際の依頼ということは二度と同じ実習はないのですね。

益田:
そのとおり。おもしろいよ。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)




-----大切なのは人間力------
吉田:
最近の予備校生は、大学を卒業した後に、どうお金を稼いで生活していくか?その辺りに不安を覚えている人も多いようです。益田さんの視点でお話しいただけますか。

益田:
これは持論なのですが、私は技術を学ぶのが大事だと思っています。なぜなら、技術があれば、自分の表現したい物を表現出来るのです。だから“技術”なんです。多く稼げるかは分かりませんが、生活は出来ると思いますよ。自分の表現ではなくともその技術を必要とするところ、人はいますからね。
それから、ありきたりだけど見る目を養うこと。これは本当に重要!それには良いといわれる物を多く見ることだね。ちなみにお薦めは仏像(笑)本気だよ!
それと、一番重要なのは人間力!立派な人間になれなんてことではなく、人として当たり前の立ち居振る舞いが出来るようになった方が良いということ。空気を読める人間になった方が良いということ。個性なんて物は人それぞれにあるものなんだから、そんなものを主張させる必要は無いんだよね。私は決して立派な人間じゃないし、どっちかって言えばアホな感じだし。なんでこんな話しをしているかって言えば、ご縁が最も大事だと感じているからです。私にとっては籔内佐斗司とのご縁はものすごく大きなもので、そのご縁を大切に出来ていることが(自分では出来ていると思っている)今の自分に繋がっていると思っています。ご縁はその先のご縁に繋がり、大きく広がって行くものだから。今は諸先輩方、友達、後輩達、お寺の方々、画廊の方々、その他多くのご縁を大切にして来たことで、今に繋がり、この先に繋がると思っています。
当たり前の対応が出来ること。けっこう大事です!

吉田:
確かに、これ大事ですよね。

益田:
これが無いと、誰も助けてくれないからね。本当に大切だと思うよ。

吉田:
保存修復と作家活動、この二つは益田さんの中でどのような関係でしょうか?

益田:
私にとって保存修復と作家活動は切り離せないですね。保存修復で学ぶことが多いんですよ。古典ってすごいなっていつも思います。契約や見積もり等、正直大変な仕事もありますが、それを作家活動に活かすことが出来ますから。今は生活の面で保存修復が基盤になっているという意味でも、切り離せないのですが、両方で生活が出来れば良いなと思っていますね。両方めっちゃ楽しいんです。

吉田:
それが理想ですよね。修復の仕事をしていて、彫刻の力を使う瞬間ってどんな時でしょうか?

益田:
欠失・亡失箇所の補作です。彫刻の力を存分に発揮するところだと思っています。その時には浪人中や彫刻科でひたすら勉強した、空間やバランスは自分の財産になっていると感じています。時代の背景はもちろんあるんだけど、人体の普遍性はどの時代も同じだから、そこでは彫刻の力が大切ですね。4年間の浪人、大学での6年間の人体の勉強がいま財産になっていると思います。

阿部:
益田さんの浪人4年間は、サボることも、休むことも無く、ひたすら勉強だったよね。

益田:
本当に今の自分があるのは、その4年間のおかげだと思うよ。

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益田さんの浪人時代の作品




-----決意と継続と------

吉田:
一緒に浪人していた時から、「保存修復をやろうと思っている」とおっしゃっていたのが印象的でした。修復をやろうと思った動機は何だったのでしょうか? また、いつ頃からだったのでしょうか?

益田:
父親や親戚が彫刻や陶芸をやっていた影響もあり、小さい頃から木で動物を彫ったり、塑造で造ったものを焼いてもらったりしていたんです。けど、美術大学があるなんて知らなかったんですよ。それまでは趣味の延長線だと思ってて(笑)それを知ったのが高校2年生の春。ですから修復に行こうと思ったのは高校2年生の春ですね。
修復に惹かれたきっかけは、高校1年生の時に行った奈良への修学旅行です。その時は、まだ獣医になりたかったのですが、新薬師寺の十二神将像を観た時は衝撃でしたね!いつかこんなのを造ってみたいって漠然と思っていました。
そんな時の朗報(?)だったんです!彫刻が学べる大学があるって事が。それまでは彫刻って趣味でやるとかしか思い浮かばなかったのが、彫刻を専門的に学べる大学があって、プロとしてやっていく道があるっていうのを知って、もうそこからは、修復(彫刻)に行くには芸大の彫刻科に入るしかないって感じで。

吉田:
獣医とは意外でした。長いおつきあいですが、初めて聞きました。修復も獣医も治すお仕事なんですね。
はじめ彫刻の大学院に進まれましたが、具象をしっかり学んでから保存修復にという考えだったのでしょうか?(東京芸大の保存修復は大学院からなので、一般的に彫刻の学部から進む人が多い)

益田:
彫刻の大学院に行ったのは、テラコッタという素材と裸婦像という奥の深い題材が楽しくなっちゃったからだけです。そのときの自分と一番対峙できるのがテラコッタだったんですよ。父親が陶芸をやっていて、小さい頃から粘土に親しみがあったのかもしれません。

吉田:
益田さんは芸大学部で4年間、大学院で2年間と彫刻をしっかりと学んだ上で保存修復の道へ進まれました。もしも、彫刻をしっかりと学ばずに修復へと進んだらどのように違いが出たと思いますか?

益田:
まったく想像がつかないですね。でも絶対に今のような状況ではなかったと思います。
そこで学んだものが、今の私の基盤だと思っています。予備校での4年を含めての10年間の彫刻の勉強があって、今の自分があるように思います。今していることも、絶対この先に繋がると思っています。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)部分




吉田:
芸大での在学期間が、11年と非常に長かったと思うんですが、焦りとかはなかったのでしょうか? 人生の進路をしっかりと決めて、そこにブレがなければ、そのへんは怖くないのですか?

益田:
いやいや、途中何度か大学を辞めようと思った事もありましたよ。年齢的なことで焦りや怖さもありましたし。それでも家族や籔内先生や仲間達に支えられて、博士号取得までたどり着いたって感じです。「学びたい事が大学にあるのなら、とことんやれ!」って家族が背中を押してくれたんです。本当に感謝ですね。
今は、辞めなくて本当に良かったと思っています。人生には遠回りなんてものは無いって実感しています。

吉田:
大学を辞めようと思ったとは意外です。具体的にいつ頃のことだったんですか?

益田:
最初は学部の3年の時。はじめて現実が見えたのがその時じゃないかな。彫刻で好きなことがやりたくて来たけど、好きなことやりたいだけで生きていける世界じゃないと、そのとき強く感じたんだよね。もう一回は博士の1年。こっちは年齢的な焦りだね。




-----作品と修復と------

吉田:
須田悦弘さんのアシスタントを以前されたと聞いたのですが、伝統的な保存修復の仕事と現代美術の世界に接点があるというのが興味深いのですが、そのときのエピソードなどお聞かせ願いますか。

益田:
今から4年程前の博士課程1年生の時でした。修復家で、芸大の古美術研究施設の教員もされている方からの話しでした。急に電話があり「今暇か?須田悦弘という作家のアシスタントが出来そうな人間を地中美術館で探しているから、君を紹介しておいた。すぐに直島に行ってくれないか?3日くらいの着替えと彫刻刀と砥石を持ってけば大丈夫だから」って言われたんです。もちろん須田さんのことは知っていたし、そんなチャンスは無いって思って、2日後には行きました。しかし、アシスタントは朝から晩までみっちり1ヶ月でした(笑)それと、後から人に聞いた話しなんですが、話しをくれた先生は、最初は「そんな技術のあるやつで暇なやつはいない」って断ったらしいのですが、ちょっと考えたら学生にいるって私を思い出してくれたらしいんです。この話しを聞いた時は正直嬉しかったですね。しっかり勉強しておいて良かったと思いましたよ。
その先生と須田さんとの接点は無かったのですが、地中美術館の研修で古美術研究をして、その時に同行したのが、その先生だったというのが話しが来た理由らしいです。
その時の経験も、私の財産ですね。須田さんの作品は私の価値観を変える程のものでしたから。

吉田:
3日くらいの着替えって言うのはそれを洗えば1ヶ月はいけるってことだったんですね…
でもとてもうらやましい経験ですね。大きな出会いの一つですね。

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益田芳樹 炎金魚2010(赤)




益田:
大学のなにが良いって、何かに向かって一所懸命やっている人と出会える事だと思う。自分も何かに真剣に向かっていて、他の人も何かに真剣に向かっている、そういう状況での出会いって貴重だと思う。そういう意味で予備校、大学って大切だと思う。人との出会いは財産だよ。

吉田:
作品も制作して発表されていますが、修復の仕事とどのような違いがありますか、またどんなふうに切り替えているのですか?

益田:
違いは感じています。ただ瞬間というよりは、向かう対象への気持ちの切り替えだと思います。修復は、尊重しなければならない対象があるということで、自分だけを出してはいけないということです。文化と造形への最大限の畏怖と敬意を持つことです。自身の制作では、誰かの喜ぶ姿を想像しながら制作しています。そこには造っていて楽しいというのが前提です。
しかし、作業に関してはそれほど違いを感じないですね。 
修復する時にも自分の感覚は大事にしていますし、彫刻する時に資料も集めますからね。そういった感覚を養うためにも良いものを沢山見るのは大切かな。世間一般に良いといわれているもので良いと思うし、はじめはどこが良いのかわからなくても良いと思う。そのうちどこが良いとかわかるようになってくるから。それが経験だと思います。
つくれない人間は修復も出来ないし、感じれない人は作ることも出来ないし、修復することも出来ないからね。

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益田芳樹 炎金魚(黒)




------彫刻を勉強している学生に向けて------

吉田:
益田さんは、すいどーばたで長く浪人されていましたが、今の受験生、特に多浪生に向けてアドバイスをいただけますか?

益田:
何度も言っていると思いますが、今の自分になるには無駄なことは1つも無かったと思っています。4浪したから今の自分があるのです。もちろん、浪人生を楽しんでしまったがために4浪もしたんでしょうが、まじめにやっていたとしても4浪していたでしょう。私にはその時間が必要だったのです。人生には遠回りなんてものは無いのですから。
ですので、くさらず真っ正面に向き合ってください。
最後に、受験に関するアドバイスとしては、受験には“答え”があります。その答えを導きだしてください。そしてその答えは先生からは導き出せません。僕は現役から5年かかりましたが、皆さん、自らの手で導き出してください。

吉田:
これから彫刻を勉強する学生、保存修復を学ぼうとする学生に大変ためになる貴重なお話を伺えました。本日は本当にありがとうございました。

今回インタビューをさせていただいた、益田さんの所属する東京芸術大学大学院 美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室では、多くのすいどーばた美術学院出身者も日々研究にいそしんでいるそうです。そのなかから3名、作品画像のみとはなりますが、紹介させていただきたいと思います。(敬称略)

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小沼祥子(教育研究助手)
興福寺蔵脱活乾漆造八部衆のうち乾闥婆立像(修了作品)「お仏壇のはせがわ賞」




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鈴木篤(博士課程3年)
東京国立博物館所蔵天王立像模刻(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




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中村志野(博士課程1年)
雪蹊寺蔵木造吉祥天立像(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




また、保存修復彫刻研究室で昨年度手がけた修復、模刻研究の研究成果展示発表会があります。保存修復の仕事に興味のあるみなさんはぜひ足を運んでみてください。

研究報告発表展
場所:シンワアートミュージアム(銀座7-4-12 ぎょうせいビル1F)
期間:2010年4月25日(日)〜29日(木・祭)
時間:10:00〜17:00


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東京藝術大学 大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室 ホームページ
にて研究室での活動、最新情報などを見ることが出来ます。


2009年09月27日

●『これから彫刻を学んでみたい!と言う方に読んで欲しい、どばた先輩方との対談』

「インタビュー企画第9弾」
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●私が、彫刻を学びたい”と思った時、まずは、大学を目指そうと決めました。ですが、芸大や美大受験は倍率も高く難しそうなイメージがあり、彫刻の基礎を学ぶには、まず予備校に行こうと考えました。その時に頭に浮かんだ事は、彫刻の予備校”ってどんな所なのか?予備校って怖そう、というイメージでした。
現在では、彫刻科を希望してやってくる女性の割合も増えて来ています。もし、私と同じくそういった疑問や不安を抱いている人たちがいるとすれば?先輩たちは、どの様な思いでどばたにやってきたのか?これから彫刻を目指す方たちの背中が少しでも押せたらと思い、すいどーばた美術学院彫刻科で講師をやっている氷室幸子(熊本県出身29歳)が現役浪人生や、すいどーばた出身の先輩方、特に今回は私同様地方出身の3人に、現在に至るまでの流れをサクッと伺ってみました!

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●まず1人目はすいどーばた彫刻科に在学中の山田 果林さんに協力をお願いしました。 (写真右)    

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◎山田 果林さん(21歳)◎     
福岡県出身。
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氷)果林ちゃんは福岡から上京して来て今年で2年目だよね。良かったら、これまでのどのような経緯があって、現在に至るのか、色々な話を交えながら、教えてもらえたらと思います。どうぞ宜しくお願いします!
早速なんだけど、私は、高校が美術科で2年生のときに彫刻をやってみたいと思ったんだけど、果林ちゃんは、いつ頃から彫刻をやって見ようと思つたの?手足も長くてスラッとしていて。何となく日本画とかが似合いそうな雰囲気なんだけど。何で、彫刻”って言うごついイメージのある科を選んだのかなぁと思って。

果)小さい頃から粘土で何かを作ったり、絵を描いたりする事が凄く好きでした。油絵とか日本画も興味はあったんですが、粘土を触っているのが好きだったので彫刻の方に進みたいと思いました。あと、ルーブル美術館に行ったときニケ”の彫刻を見て、これを人が作れるんだ!!と感動したのも、理由の一つにあります。

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ルーブル美術館所蔵 ニケ

氷)そうだったんだ!あの完成度には、感動するよね。そういえば果林ちゃんは、フランスにしばらく住んでたんだよね!実際に現地の美術館に足を運んで、実物の古代彫刻を見て影響されたなんて中々経験出来ないし、貴重な原点だね。それからいきなり、石を彫ってみようとは、思わなかったかもしれないけど、彫刻を学べる道に行こうと思ったんだよね?そのために高校では何か具体的に実践したりしてた?

果)美術部には所属していました。でも、あまり本格的に美術に関われはしなかったです。自分でも、彫刻というジャンルにどういった勉強方法があるのか、良く分かってはいませんでした。ただ、やはり美術の一つなので、デッサンも必要かなぁとは思っていて。予備校などに通いデッサンを描きに行きたかったんですが、高校が寮だったために、なかなかチャンスがありませんでした。それで、高校3年生の時から地元の画塾みたいな所に日曜日を利用して通う事にしたんです。

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どばた夏期講習での塑像風景

氷)そっかぁ。予備校に通おうと決めた頃には、彫刻を詳しく学ぶため、芸大や美大を受験しようって考えてたの?

果)そうですね。大学は目指そうと思っていました。

氷)その通っていた画塾には、果林ちゃんと同じく芸大や美大を目指している人たちは居たの?

果)いえ、私一人でした。絵画教室の様な所で、受験生は一人だったので、比べる基準みたいなものがなく、ひたすら先が見えない中、頑張っていました。そしてそのまま、1浪したんですが、地元の予備校でも、東京で習っている人たちとのレベルの差は埋められるかなと、その時は思っていました。

氷)一人で受験を目指しながらテンションを保って行くのは、結構きつかったと思うんだけど、やめたいとか思わなかったの?

果)いえ、やめたいと思う事はありませんでした。ただ、これでいいのかな?という、周りが見えない不安はありました。

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デッサン風景

氷)確かに、それはそうだよね。でも、そんな環境でも続けられたのは、きっと何か熱いものを秘めてたんだろうね。華奢だけど根性があるよね。

                 ☆☆☆

氷)どばた行こうと決めた理由とかきっかけってある?

果)1番には、やっぱり受験当日に感じた周りの人たちとの実力の差です。それで、東京の予備校を意識し始めました。地元で習っていた先生もどばた出身だった事もあり、美術手帖にも載っていて名前は知っていたので、それで1浪目の夏期講習で初めてどばたに行きました。地方とは、とにかく行きたい大学の情報量が違うと実感し2浪目からどばたに通う事を決めました。それと、彫刻を専門的に教えてくれる先生が地元には居なかった事もありますね。

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指導風景

氷)うんうん。やっぱり、地方では彫刻の基礎を教えてくれる先生と出会える確率が低いよね。ちなみに私はね、彫刻を学べる大学に行きたい!っていう気持ちだけは強かったんだけど、今考えると、どんな力が必要なのか?なんて事は、ほんの少ししか知らなかったかも。ただ、受験の倍率が高いとは知ってたし、受験には何が必要かを知るには、予備校に通わなきゃって思って。現役生の冬休みから受験の間まで、高校の先輩が教えている東京の予備校に、お世話になったんだ。でもなにせ初めての上京だし、友達と一緒に知り合いの人の家に泊めてもらってたんだけど、めちゃめちゃ不安でよく泣いて友達をあきれさせてたのを思い出すよ笑。そんなこんなで、私もその予備校で1浪してね。私も果林ちゃんと同じく、生徒数が少なくても、その分頑張れば大丈夫だろうって思ってたんだ。でもやっぱり大手の予備校ってどんな所だろうって気になってさ。それで知っている大手の予備校を回ってみて、一番雰囲気が落ち着いていて、ここならやって行けるかもと思ったのがどばたで、一大決心して、2浪目からどばたに通う事を決めたんだ。だけど、友達が出来るかも不安で、まして人見知りだから、一番人数が多い予備校に通うのはめっちゃ怖かったんだけど、果林ちゃんはどばたに行こうと決める時に、不安はなかった?

果)怖かったです!どばたは美術手帖にも大きく広告が載っていて有名だし、漠然と敷居が高い所だと感じていました。でも習っていた先生が、背中を押してくれたので踏み出せました。冬期講習で来た時には、環境がガラッと変わって、慣れるまでは時間がかっかたんですが、来てみたらみんな優しかったので良かったです(笑)

氷)そっか、それは良かった!私も最初は、友達できないかも“っていう覚悟で、どばたに来たんだけど笑、すぐに友達できた記憶があるなぁ。生徒数が多いだけあって、色々なパターンのデッサンや塑像が見れるのもいいよね。自分のレベルが今、どこら辺にあるのかも分かりやすいし。

果)そうですね。それは大きいです。

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山田さんの人体デッサン

                 ☆☆☆

氷)上京する事に親御さんは反対したりしなかったの?

果)はい。どうしても東京で勉強がしたかったので相談したら、親は好きな事をして欲しいと応援してくれました。

氷)やっぱり気持ち的にも金銭面的にも応援してもらえると、安心して頑張れるし、すごく有り難いし一番の励みになるよね。素敵なご両親だね。

氷)ちなみに、一人暮らしにはもう慣れた?最初は東京に来る事自体が不安だよね。色々な期待とかもあるのはあるけどね。

果)そうですね、それまで東京は観光で1,、2回しか来た事が無かったし、高校は関西だったので、東京の人は冷たいと聞いていて。全然そんな事はなかったですけどね笑。どばたに来た年は、どばたで紹介してもらった学生会館の寮に入っていたので、一人部屋だしご飯も付いていて安心でした。また、何より周りに同じ所を目指している人が近くに居る事は、とても良い環境だと思います。

氷)東京に慣れるのに寮は、安心だよね。ご飯付きなんて、夢の様(笑)どばたでの生活の方は、どう?2浪目と3浪目での取り組みで、何か意識の違いとかはある?

果)そうですね、毎日がギュッと詰まっている充実感はあります。3浪目では、色んな人と会話をする機会を作り自分のペースを保つ様に努力しています。予備校以外では、雑貨屋さんが大好きなので、雑貨屋さんを巡ったり美術館や動物園に行ったりもしてます。

氷)うんうん。自分のペースを探す事は、私も大学に受かった年に良く考えていたよ。自分のペースっていっても色々面での努力や自信が必要だからね。美術館やギャラリーを巡るのも勉強になるし、気分転換にもなるよね。

                 ☆☆☆

氷)予備校では、芸大の1次試験に向けて、石膏をデッサンしたり、2次試験に向けて、水粘土で動物や首像を作ったり、模刻、構成などを主に勉強するけど、

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塑像風景

氷)その中で好きな課題はある?私は、石膏だとブルータスや円盤が好きだったかな。粘土だと、首像とか、動物系が好きだったよ。

果)えっ?見るのだったら、ラオコーンやニケ、ジョルジョの全身像が好きです。

氷)おおっ。見るのが好き”って答えが返ってくるとは思わなかった(笑)

果)描くのであれば。奴隷の顔とか(笑)塑像では、私も首像が好きです。

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石膏像奴隷

氷)奴隷の顔かぁ。珍しいね。他にも奴隷の顔隠れファンって居るのかなぁ?(笑)

                 ☆☆☆

氷)果林ちゃんは、ここに至るまで誰か影響を受けた人や出来事ってある?

果)よく、両親に美術館に連れて行ってもらってました。だいぶ前の記憶なんですが、幼稚園の頃に見た、ピカソの可愛い素描やデザインのパターンが記憶に残っています。色彩豊かなシャガールの絵画も好きです。

氷)うんうん。私もクリムトやクレーなど、色に印象がある絵画が好きだよ。彫刻科って色があまり使えないイメージがあるけど全然そんな事ないし、結構色が好きな人たちも多いよ。

                 ☆☆☆

氷)何か、悩みや質問などあるかな?
前に、デッサンが描けない時はどうしてましたか?っていう質問もあったよね。それには、人それぞれ意見や解決方法あるのだけど、結局はくじけずに、やるしかない!精神的にもタフになれ!と言う結論に至ったんだよね。そんな壁が生まれて来るのは、前進している証拠だもん。凄く力がついてきてるって事だよ。預かり作品も何点か出してるもんね。

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山田さんの友人デッサン

果)今は、そういった壁にぶつかる事はあっても、受験以外で悩みたいとは思わないのですが、しいて聞くなら、地方に居る時は無謀な夢がいっぱいあったんですが、今は、大学に入ったら?とか、大学を出たら?とか自分が具体的にどうしたいのかがイメージ出来ずに、少し不安に思っています。だから、色んな事を見たいと心がけています。

氷)それは重要な悩みだよね。人によっては、この世界にいると常に付いて回る悩みだったりするかもしれない。私も予備校生だった時には、そういうイメージが出来ずに、同じ事を思ってたかなぁ。比較的、それをイメージできている人の方が少ないかもね。予備校では、受験用にデッサンや塑像課題しか主にやらないから、中々、今、具体的な事が想像できなくても、大学に入ったら、ガラッと環境も変わって、やった事の無い素材や課題に触れる事が出来るし、色々な人とも出会えるから、十分夢を持っていてもいいと思うよ!表現する事って、これからたくさん勉強できるから!現段階で勉強している事は、もちろん後々すごく感覚敵な所や基礎として生きてくるけど、まだまだ全部であるかの様だけど、ほんの一部だったりするからね。海外にだって行ける選択肢もあるし。私は何より、大学で、他では出会えない様な、とても向上心の高い仲間に出会えた事が、一番良かったなぁと感じているよ。

果)そうですね!漠然とですが海外にも住みたいと思っています!

氷)うんうん、夢はどんどん広げていっていいと思うよ!

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山田さんの外国人モデル首像

氷)他にはないかな?

果)プライベートな質問でも良いですか?(笑)

氷)う、うん。あまり参考にはならないと思うけど。恋愛についてとかだったり?(笑)

果)そうです(笑)彼氏さんとかは居ますか?結婚したいとかって思いますか?

氷)彼氏は、今は居ないけど(笑)女友達とも、その話題にはなったりするよ。結婚したら彫刻を続けていくのは厳しいかもしれないという意見もあるし。確かにとも思う。私の場合は、いつか結婚は出来たらいいなとは思うよ。甘いかもしれないけど、もちろん彫刻や表現する事は続けて行きたいと思う。両方とも諦めない道を探しています笑。実際結婚してみないと分からない部分もたくさんあるのだろうけど、女の人だったら子供を生む生まないもあるしね。金銭面での現実もあり、とてつもなく厳しい事かもしれないし。でもどんな環境にあれ、その時の自分を感じながら、負けずに表現を続けていくことが何かにつながっていくんじゃないかと今は思うから、夢を持って道を切り開いていけたらと。いつかみんなに、やれば出来るよ”と言える事を目指して頑張ります!

果)なるほど!ありがとうございました(笑)

氷)こちらこそ、多忙な中、質問に協力してもらって本当にありがとう。これからも頑張って下さいね!
 

☆☆☆後記☆☆☆ 
果林ちゃんは制作熱心で、とても丁寧に毎日を過ごしている学生さんです。華奢な体からは想像出来ないほど根性があるのだなぁといつも感じさせてくれる、強さを秘めた人だと思います。これからもっとたくさんの人たちと出会い、世界を広げて行ってもらえる事を願っています。また、いつの日か作品の話や、アートについての話が一緒に出来る事を楽しみにしています!


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●2人目は私の同級生の根上 恭美子さんに協力をお願いしました。(写真右)

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◎根上 恭美子さん(26歳)◎     
群馬県出身。
すいどーばたで1浪。
東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了した後、昨年からフリーで制作活動をスタート。
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氷)根上さんとは、もう結構長い付き合いになるよね。まだまだ分からない所がいっぱいあって面白くて、料理が上手で、思いやりがあって頑張りやで、笑いのツ ボが変で。そんな根上さんの生きてきた流れの一部かいつまんで聞けたらと!
早速、私は、全然具体的なイメージはなかったんだけど、高校2年生のときに初めて、彫刻をやってみたいし、彫刻の道に進もう!と思ったんだけど、根上さんはいつ頃から彫刻をやって見ようと思つたの?

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根)普通科で、美術の時間は少なかったんだけど、美術が好きで、中学の頃から美大に行きたいと思っていて。彫刻刀で、木を彫るのとか楽しそうとかそれくらいの理由で彫刻科に。で、高2の時から地元の予備校に通い始めて高3年の夏期講習で初めてどばたに行ったんだよね。一浪が決まって、始めは地元の予備校に通う予定だったんだけど、どばたの先生に特待生あげるからおいでよ!って言われて。後半からどばたに通い始めたんだよ。

氷)なるほどね!特待生”っていうのは、魅力的だよね。で、通い始めた半年間は受験までずっと、どばたに新幹線で通ったんだよね?凄いよね!!前代未聞じゃない?とっても寛大な両親だよね。大変じゃなかった?睡眠時間とか削られそうだし。やめたいとか思わなかったの?

根)親に、学費を払ってもらって、新幹線代も出してもらって、送り迎えまでしてもらってたから、その分、しっかりみっちりやるしかないと!思ったら、遅 刻もできなかったし、大変だと感じる暇はなかったよ。本当に両親には感謝で、今制作を続けられているのもやっぱり理解ある親のおかげで。

氷)それはそうだね!私の両親も反対とかせずに、応援していてくれたから。本当に親の協力なくして今は無いなって思うと感謝だよね。でも、遠くから通いながらカリキュラムをこなしていくには、やっぱりガッツがあったんだろうね。もちろんそのパワーは、今でもひし ひしと感じるけどね。

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                 ☆☆☆

氷)どばた行こうと決めた理由とかきっかけってある?

根)地元の予備校は、講師が1人だったからその人の好みのデッサンじゃないと否定されてしまって、もうどういう方向に行ったら良いのかって悩んでいるときに、夏期講習でどばたに来て、初めてまっとうに評価してもらっている気がして。先生が多いから色んな見方をしてくれて、それが良くてどばたに行こ
う!って決意したよ。

氷)そっか!先生の人数が多いと、指導に幅があって偏らないから、安心して自分なりの絵が描ける気がするよね。私も1浪目は、人数の少ない違う予備校にいたんだ。中々うまく描けない自分が悔しくて泣いてばっかりいたかも。もちろん前に居た予備校では、みっちり基礎を教えてもらえたし、今でもとても感謝はしているんだけど。どばたに公開コンクールの時に来てみて、やっぱり生徒数が多い方がいいのかもって思って。 色んな人のデッサンや塑像が見れるから。あと、単純に合格率の高い予備校に行けば、大学に受かる”って考えて2浪目にどばたに通う事を決めたんだ。でも、小心者だから友達が出来るか不安でさ。どばたには、怖い浪人生がいるイメージが強かったから。根上さんはどばたに行こうって決める時怖くなかった?

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彫刻科ソフトボール大会での集合写真

根)超怖かった!最初は誰ともしゃべれなくて“友達が欲しいけど、内気で誰ともしゃべれないんですけど“って先生に相談したら、先生が配慮してくれて、 皆が話しかけてくれるようになって。1が月後には完全に溶け込めてた気がする。

氷)そうだったんだ!どばたの先生、優しいね(笑)厳しい指導も時にはあったけど、今思うとその意味が分かると言うかね。予備校生も若干、見た目が怖そうな人とかいるけど、みんな意外と中身は優しいし、繊細だったりするよね。

根)そうそう、意外とそうなんだよね!はじめは誰だって怖い。自分から、みんなの輪に入って行くのはキツくて恥ずかしかったけど、先生たちのフォローがあったから今があると思ってるよ。半年間だったけど、予備校で友達が出来たから、その友達に会いに、大学の学祭やイベントに遊びに行ったり、展示を見に行ったり、他の大学とつながりが持てたのは本当によかったと。

氷)今でもその友達とはつながってるしね。予備校での仲間は、他の大学との交流のきっかけにもなるよね。それは、ひとつのメリットかな。

                 ☆☆☆

氷)何か予備校時代には、心がけてた事とか、これだけはやっとこうみたいなポリシーはあった?

根)大学には特にこだわりはなくて、受かったらどこかには必ず行こうって決めてたのはあるかな。後は、どばたに来たら、どこかには絶対受かると思ってた。デッサンは、感覚的に描くと失敗したりする時が多々あったから、自分なりの失敗しない方法論をあみだしてみたり。めっちゃ測りまくるとか。描く前にとにかく測る。まあ、それは人それぞれなので自分で研究して見つけてみてください。

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根上さんの予備校時代のデッサン

氷)私も結構出だしでは測ってたかな。その後には、自分の目で見ることが大事だけどね。最終的には、精神的にも実技的にも受験現場でも、色々な意味で安定感は大事だよね。私も、受験現場で、いかに冷静で居られるか考えてたよ。
デッサンが 描けない時とかは、どうしてた?

根)描けない時は、あまり悩まずに、結構ポジティブに考えていたかな。ちょうど描けない時、インフルエンザにかかってたので描けないのは私のせいじゃな い、とか。

氷)そのポジティブさが、精神的強さに繋がるのかもね。

                 ☆☆☆

氷)石膏とか塑像では、好きな課題はあった?

根)アムール。トルソは顔が小さくて、多少似なくてもバレないから。と思ってたけど普通にバレバレ。やっぱりいい加減はしてはいけないのです。粘土は模刻が好きだったかな。逆にウサギとか動いているモチーフの方が苦手だったかも

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石膏像アムール

氷)アムールとかマイナーかもね(笑)私とは逆だなぁ。模刻とか、苦手だったもん。でも塑像は、回数を重ねれば目に見えて上達して行くのが分かるし、体を使うから、思いをストレートにぶつけられると言うか、健康的で楽しいよね。

                 ☆☆☆

氷)バイトとかはしたりしてた?ちなみに、私は予備校時代には、クリーニング屋さんで、大学時代は、ずっとあんみつ屋さんでバイトしてたんだけど。

一)予備校の時は群馬から通ってたし、バイトはできなかったかも。大学時代は仕送りもあったけど、アニメーションの特殊効果をパソコンでやる仕事とか や子供のシッターのバイトをやってたよ。あまり人と触れ合う様な仕事はしてなかったけど。なぜか行くと感謝される様なバイトで、いつも何か貰って帰る。
本当に人に恵まれてて、行くのが楽しくて全然バイトって感じではなかったかも。あと、あまり生活費がかからなかった、倹約が趣味で。

氷)いいバイトにめぐまれてたんだね!倹約と言えば!良く、大学構内に植えてあった、木になってたさくらんぼを取りに行ったりしたよね。

根)そうそう!あとは、カリンの実取ってきて蜂蜜漬けしてたし、琵琶、フキ、銀杏、筍とかはえてるものはなんでも食べます。

氷)網羅してるねー、さすが!琵琶の木とか、ゴミ捨て場の上に生えてたけどね(笑)あとは、パソコンが使えるのは、かなり役に立つよね!作品ファイルを 作ったり。

根)そうそう!!パソコンは絶対に勉強できるならやっておいた方がいいよ!

氷)根上さんの作品ファイルは、かなり面白いもんね。しっかりした作品ファイルが、自分で1冊作れれば、自分の作品を人に見てもらいたい時に役立つよね。

                 ☆☆☆

氷)大学では、木や石を彫ったり、塑像でテラコッタやポリが扱えたり、金属や鋳造などが基本的に学べるけど、その中で根上んは、主に木や粘土、ポリを使って制作してたよね!何か彫刻する素材に、こだわりはある?

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『モーニング息子』

根)こだわりは特になくて、作りたい作品に合ったもので。何でも使えれば使うかな?

氷)私も結構、素材は色々気になるタイプかも。これが使えればなーなんて良く考えてるよ。

                 ☆☆☆

氷)今は幾つかのギャラリーで展示を開催したりしてるけど、そこに至るまでは、どんな流れがあったの?

根)大学3年生までは全く、作家としてやって行くという具体的なイメージがなかったんだけど、3年生の夏に開いたクラス展示の時に作品が人目に触れて、初めて他人からの反応を目の当たりにして楽しくなってしまって、作家としてやって行きたいという思いが湧いてきたよ。あとは、卒業や修了制作展で、作品を見てくれたたギャラリーの方から連絡があったり、大学1年生の時のグループ展の際に、コレクターの人に声をかけてもらったり。それが、ギャラリーでの展示につながってるよ。学内展示でも何でも人に見てもらえるチャンスがあれば、積極的に動いていった方がいいかも。

氷)そっかぁ。最近では、グループ展や卒業・修了制作展などで、作品を気にいってくれたギャラリーから声をかけてもらうというケースも増えてきてるよね。

根)うんうん。あとは、個展やグループ展などの展示目標を決めてモチベーションあげていく事が一番大事かもね。自分の作品ファイルをしっかり作ったり、HPもあれば色んな人に作品を観てもらえて相当広がる。ギャラリーに作品ファイルを持ちこんだり、コンペに出すならファイルはいつも数冊持っていたほうがいいかな。

氷)確かに、モチベーションは大事だ!何にせよくじけず、地道でも続けて行く事だね。そこが一番難しくもあるけどね。

                 ☆☆☆

氷)今、どのような生活スタイルなの?

根)3人の共同アトリエで〈1人だと怠ける、人目があるのも刺激になって大切だなぁと。〉、制作しながら、それだけでは、金銭的に辛いから、バイトもしてて。

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アトリエ風景

根)あとは、なるべく制作に時間を割けるように必要以上は寝ないとか、ご飯は何があってもしっかり食べる、体壊したら本末転倒だし…

氷)確かに!健康管理は制作をして行く上では大事だよね。根上んは、大学を卒業してからも規則正しく制作できる様に常に考えているし、自分で自分の時間を使う事って難しいなと思うんだけど、本当に尊敬してるよ。そんな規則正しいイメージとは、一風変わって、作品はめっちゃ面白いというか、きわどい作品だったりするんだけど、どういう発想からなの?発想元と言うか。一番気になるかも!
根上さんにとって彫刻って?影響を受けた人や出来事とかある?

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『スーパーカー』

根)色々考えてみたんだけどね。やっぱり、今まで出会ってきた人や友達に、いい意味で影響されてきたのかなぁって。元々スケバン刑事と仮面ノリダーをこ よなく愛するウ○コ好きな小学生だったんだけど、それが中学の時に凄く絵が上手くて剛毛でいつもゲリぎみの友人と出会って。毎日、日が暮れるまでお題を 決めて絵を描きまくったり、3年間腹がよじれるほど笑って過ごして。予備校でも強烈キャラがいてロッカーの中に勝手に祭壇作ってウ○コはベルクでしてて、毎日和田アキ子を聞かされて。小、中、高と出会って来た人たちが、本当におかしくて、地元は変態の宝庫だった。そういう出会いや環境が、作品のうま れる素になってるのかもしれない。だから、人との出会いって大切だなーって心底感じるよ。

氷)なるほどー!きっと根上さんの人柄が、出会うべく、その人たちを呼び寄せたんだろうね!それはもう染み付いてる揺るぎないものが、作品となっている感じだよね!そういう出会ってきた環境から作られた今”なんだね。

根〉そうだね!あとは、表現するジャンルが彫刻だっただけという事で。

氷)何気に初めて聞けた内容だったかな。この企画をきっかけに、質問出来て良かった!まだまだ、未知な部分は沢山あるのだけど、それはそれで想像するの も楽しいもので、また機会があれば、ぜひ紐解いて行けたらと。

                 ☆☆☆

氷)最後に、予備校生やこれからアートに関わって行きたい方に、何かメッセージがあれば是非。

根)作品って自分から生まれてくるものだから、常に自分との向き合うことかな。でもネタはその辺に落ちてたりするものだから自分の殻に閉じこもらずフットワーク軽く色々やってみること、あれ、矛盾かな?自分の中に常に相反する思いが同時に存在しているものだけど、それを認めること、生きることは常に葛藤、でしょうか?

氷)深いなぁ。なるほど!自分と向き合う機会を与え続けてくれる制作活動って素晴らしいね。それには、常にアンテナは張っておかないとだね。
忙しい中、協力してもらってどうもありがとう!これからも作品、楽しみにしているね!

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根上さんのHPはこちら

☆☆☆後記☆☆☆ 
根上さんは.、制作熱心で物事を色々な角度から観察し、吸収されている作家だと思います。日常がアートになり、その根上スタイルは、多くの人を魅了しています。次から次へと繰り出される根上ワールドに、日々感嘆しています。もっともっとたくさんの人たちに根上さんの面白さを知って欲しいと思います!また、機会があればもっと深く、作品の生まれる謎に迫れたらと思います!


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●3人目は、すいどーばた彫刻科出身で作家の、一井 弘和さんにお話を伺うべく協力をお願いしました!(写真左)

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◎一井 弘和さん(29歳)◎     
兵庫県県出身。
すいどーばたで2浪。
東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了した後、芸大の助手経て、去年からフリーで制作活動をスタート。
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氷)一井さんは、美術科がある明石高校のご出身ですよね。いつ頃から彫刻をやって見ようと思われたんですか?

一)そうだね。中学の時から工作の時かな。選択課題っていうのがあって、油絵と彫刻の2種類を選択してさ。その時くらいに、彫刻の方に行ってみよう!と決めたんだ。でもその当時は漠然とだけど彫刻家”を目指すという訳ではなく、美術作家になりたいと思ってたんだよね。

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Tokyo Contemporary Art Fair 2008 展示風景

氷)私も美術科がある高校出身なのですが、彫刻家’’と言う明確なビジョンは、中々想像し辛かったですね。ただ粘土に触るのが楽しかったので、私も彫刻をやってみたいと思いました。360度から物が存在させられる感覚に感動した覚えや、凄く不器用なんですが、体を動かしながら作品が作れるのが気持ちが良かったのを覚えています!才能とかではなく、そう言った感覚が彫刻を続けて行く軸になっている気がします!
  
氷)私は、高校2年生の時に彫刻をやりたいなぁ、それなら芸大を受験してみよう!と決めたのですが、それにはやはり予備校に通った方が良いと思ったんです。彫刻なら、すいどーばたが有名でしたが、地方出身で、東京に行くにも勇気が居るし、一番人数が多い予備校に通うのも、一人で未知なる世界に飛び込んで行く気がしてとても怖かったんですが、一井さんは、すいどーばたに行こうと決める時に、不安などはありましたか?

一)俺の場合は、全然そういった不安は無かった。むしろ、彫刻を専門的に教えてくれる所が地元にはなかったから、地元に残る事の方が不安だったかも。どばたでは、色々な人に出会え、色々な事に触れられとても楽しかったよ!〈当時、中瀬主任に、現役で芸大の1次に受かれば、どばたの奨学生にしてやるから!と言われてさ、それを信じて、何の不安も無く上京し、どばたに行く事を決意したよ笑。2浪目の時に、60%もらったよ。今思えば、恵まれている事が理解できるし、やっぱり遅刻はまずかったなと反省してる(笑)〉

氷)そうだったんですね。色んな意味でさすがだと思います!
どばたは先生方も優しく、生徒も人数が多いだけあって、同じ目標を持って頑張る仲間にも出会えますもんね。私も勇気を出して踏み込んでみると、拍子抜けなくらい怖い所じゃなかったのを覚えてます笑。
奨学生制度もあるので助かりますよね。〈ちなみに私も2浪目の時、奨学生試験を受けて30%学費が安くなりました。〉
 予備校と言う場所は、自分と向き合える機会が多く、精神的にも、とても成長できる場所だと思います。中々、現代において、仲間を見つけたり自分を鍛える場所を見つけるのは、難しいんじゃないかなと私は思います!
 
                 ☆☆☆

氷)予備校では、何か心がけていた事などはありましたか?

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一井さんの予備校時代のガッタメラータ模刻

一)1浪目は、一人暮らしの生活に慣れるのとカリキュラムを、しっかりやり込んでいくのに必死だったけど、2浪目は、予備校生活にも慣れてきて、やればそれなりに実力も付いて来た様に感じてたから、それだけじゃなく、+「とにかく落ち着いた奴が受かる!」と思って、例え遅刻しても、走ったりせず(笑)焦らない事”をモットーに、何を言われようがマイペースを保ち続けたかな。

氷)確かに!遅刻が良いか悪いかは置いといて、何が起こっても動じないタフな精神力は受験に於いて、とてもポイントになると思うので、そういった心がけも重要ですよね。

                 ☆☆☆

氷)現在の予備校生でもバイトをしながら通っている生徒もたくさん居ますが、一井さんは
何か、バイトされていましたか?ちなみに、私は予備校時代には、クリーニング屋さんで、大学時代は、ずっとあんみつ屋さんでバイトしていました。

一)予備校の時は、カリキュラムに集中したかったから、春休みや夏休みを利用して短期でバイトやってたよ。大学時代は、仕送りもあったけど、制作費も必要になってくるし、色々なバイトやったよ。ディズニーのペンキ塗りでしょ、写真の現像、コンビニ、引っ越し、ウェイター、内職とか。その他色々。

氷)そのバイト数は、凄いですね!それぐらいやっても大丈夫なんだ“っていうのは、何だか励みになる気がします!

                 ☆☆☆

氷)大学では、木彫、石彫、塑像、金属、ポリ、ブロンズなど様々に、学ぶ素材がありますが大学院からは主に、木彫で作品を作られていますが、なぜ木を主に使い制作されているのですか?

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『虹色坐像』

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『月見坐像』

一)総合的な理由から言えば簡単なんだけど、やっぱり祖母の影響が大きいかな。小さい時から家にたくさん木彫りの小物があって。実際、彫ってみると自分の感覚とあってるなと思ったし、形にしろ彩色にしろダイレクトな作業工程に魅力を感じるからかな。

                 ☆☆☆
  
氷)大学を出られてからは、幾つかのギャラリーで展示を開催されたり作品をアートフェアに出品されたりしていますが、今はどの様な生活をしていらっしゃいますか?
  
一)埼玉の蓮田にあるアトリエを借りて、毎日制作してる。アトリエ代は月2万円で、色々な大学の学生や大学出身者8人がアトリエを使ってるよ。
  制作だけではやっぱり金銭面で厳しい部分もあるから、今は仕事やバイトと掛け持ちしながら作品を作ってるよ。

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『森』共同アトリエHP

氷)ちなみに私も、この『森』共同アトリエを借りている一人です。芸大に在学しているメンバーと1スペースを半分ずつ借りているので、私のアトリエ代金は1万円です!

                 ☆☆☆

氷)最後に、一井さんにとって彫刻とはどの様なものですか?また影響を受けた人などはいらっしゃいますか?

一)作品を作るという事は、彫刻“という言葉に縛られず、人のためになる様な色々な職業の中の一つだとかんがえてるよ。影響を受けた人は数えきれない程居るけど、美術家にはこだわらず、様々な人から影響を受けてると思ってるかな。

氷)その考えには、私も賛成です!作品を作ることで、社会と関わって行く。とても魅力的で誇れる生き方だと思います。ついつい狭くなりがちなので、私も視野を広げてアンテナを張っておかなければなぁと、常日頃意識するように心がけています。 
  お忙しい中、サクッとですが、お話を聞かせて頂きどうもありがとうございました! 
これからも作品、楽しみにしています!制作、頑張って下さい!
  
☆☆☆後記☆☆☆ 
一井さんは、イメージとは違い気さくな方でした。とても芯があり勉強家で、様々な角度からアートや現状について思索されていて、出てくる言葉には共感があり、まだまだ話たりない位でした。今回は、私の質問に答えて頂く形をとらせてもっらたので、また機会があれば、現代のアートシーンや作品などについても幅広くお話が聞ける事を楽しみにしています!

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以上、今回は3人のメンバーにお話を伺わせていただきました。
普段中々聞けない、彫刻を始めたきっかけや、知っている様で知らなかった経緯を新たに知る事ができ、彫刻に携わる人として、皆さんをさらに身近に感じる事ができました。若い人には敬遠されがちな、彫刻という世界は、とても魅力的で意外にも近くにあるのだと、これからも色々な人たちに浸透していって欲しいと思います。
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●一井 弘和さん
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〈GROUP EXHIBITION〉
2009.08.28-09.01  ART TAIPEI2009 (台湾)
2009.04.03-04.05  アートフェア東京 (有楽町国際フォーラム)
2007 「物語の彫刻」展(東京藝術大学大学美術館陳列館)
2006 「第1回アトリエの末裔あるいは未来」展(上野桜木 旧平櫛田中邸 東京)

〈SOLO EXHIBITION〉
2009.7.18-8.1  「空想旅行」(BUNKYO ART)
2008 東京コンテンポラリーアートフェア2008

〈AWARD〉
2008 国際瀧富士美術賞受賞
2004 サロン・ド・プランタン賞 受賞


●根上 恭美子さん
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〈GROUP EXHIBITION〉
2005 「’82」 東京芸術大学・大学会館
2006 「No.9Jack」 東京芸術大学・第9講義室
    「体験展in東京」 東京芸術大学・大学会館
    「第2回アトリエの末裔あるいは未来」展 旧平櫛田中邸
2007  tsuranari-ART EXHIBITION- MARUIKE HOUSE
     藝大アーツイン丸の内  東京・丸ビル
    「第3回アトリエの末裔あるいは未来」展  旧平櫛田中邸
2008 「New-laid eggs」展  Gallery MoMo
    「100 degrees Fahrenheit vol.0」 CASHI
    「Gallery MoMo Ryogoku Opening Exhibition」 Gallery MoMo

〈SOLO EXHIBITION〉
2009 「スターだらけの」 Gallery MoMo

2008年07月07日

●2008年芸大合格者に聞く

「インタビュー企画第7弾」

2008年芸大合格者に聞く!
                  インタビューアー 西嶋、吉田
今年すいどーばたは9名の芸大合格者を輩出しました。その内訳は現役生から1浪2浪3浪と幅広い経験数の学生が合格しております。

今回はその中から、三人の方に来て頂きました。
まず最初は、すいどーばたに通えない地方在住のため「通信教育」を通じての指導と、さらに春夏冬入試直前の各講習会を受け現役合格を果たした北田君。二人目は名門美術高校出身の実力者ながら2浪することでさらに本格的な力を身に付けて合格した中澤さん。三人目は、一度一般大学を卒業したが、大学で出会った先生の影響を受け彫刻を始めたという増渕君です。将に特徴のある三名に受験や予備校生活を振り返っていただいて、大切にしていたことや意識的に取り組んでいたことなどを伺っていきたいと思います。さらには芸大に通っている現在のこともお聞きしたいと思います。

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まずは各自の紹介をしたいと思います。

昼間部・白ヘビクラス出身:増渕剛志くん
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一般大学卒業後、3浪しての合格。完成された塑造力は目を見張るものがあります。多くは語らないが制作に対する姿勢でクラスをまとめるリーダー的存在でした。
合格大学:東京芸術大学、多摩美術大学

昼間部・黒猫クラス出身:中澤安奈さん
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調子のきれいなデッサンから、描写力を身に付け、最後はそれらを超えた臨場感のある本格派デッサンを描けるようになり、文句なしの圧倒的な存在感でした。
合格大学:東京芸術大学

そして通信教育出身:北田匠くん
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通信教育では出題した課題をはるかに超える量の作品を毎回送ってきた先生泣かせの学生。優等生なだけではなく、底知れぬパワーを秘めた貪欲な現役生でした。
合格大学:東京芸術大学


西嶋:本日はよろしくお願いします。

あらためて芸大合格おめでとうございます。
経験はそれぞれですが、3人ともようやく大学生になったという感じがしますね。
そのあたりからお伺いしたいと思います。
まずは彫刻を志したきっかけを各自にお伺いします。

北田君は現役合格ですが、通信教育を始めたのは高校1年のときでしたっけ?
どういう経緯で彫刻を志したか教えてくれますか?

北田:小さい頃からもの作りが好きで、レゴをやったり、おもちゃ作ったり、陶芸をしたりものを作っている時が自分にとって一番無心になれる時間で、心地よいものでした。初めは当たり前すぎて自分が本当にもの作りが好きなのか分からなかったんですが、親が彫刻家というのもあって、小5くらいの頃には世界一の彫刻家を目指していました。
通信を受け出したのは高2の春からで、他の人に比べたら早い方だったと思うのですが、地方からの受験ということで不利に感じていた部分もあり、喰らいつく気持ちでやってました。でも、結局は地方からの受験というのは自分の土俵を持ちつつ、中央に来て触発されてまた帰って、自分のやり方を改善しながら進めて行くっていうのは利点になっていたように思います。

西嶋:小5ですか・・・。小さな頃からお父様の仕事場を見ていた影響は大きいですね。
中澤さんは美術高校出身ですよね。はじめから彫刻を専攻していたのですか?
彫刻にしたきっかけなどあれば教えてください。

中澤:初めは油絵専攻でした。それが、高1の終わりからスランプで描けなくなり、苦しんで悩んだ結果、高3で彫刻科に転科しました。正直、彫刻って良くわからなかったんですが、1年次の授業で彫刻をしている時がすごく楽しかったんですよね。そのことを身体がおぼえていたんじゃないかと思う。たぶん絵が描けない中でつくる喜びに飢えてたのかな。絵は描けないとずーっとゼロ(白紙)のままなのですが、彫刻はまず形になる、それがとても新鮮でした。あと彫刻の先生がおっしゃった「ジャコメッティーは存在するものと空間の境目を見きわめた人なんだよ」という言葉に感動して興味をもったのも大きいかも。

西嶋:当時高3の中澤さんが体験入学に来たときのデッサンを良く覚えていますよ。調子のきれいなデッサンでしたね。その時も何やら悩んでいましたね(笑)
増渕君は他の2人と違い一度一般大学を卒業してからすいどーばたに来ましたよね。
結構決断のいる事だったと思うのですが、その背景にはどのようなことがあったのですか?

増渕:前の大学ではデザインを専攻していましたが、興味が持てず、自分の可能性を模索していました。木工、金工、窯芸等大学で出来ることは手当たり次第さわってみて、その中の一つに彫刻があったんです。大学の2年の頃から彫刻を志す訳なんですが、僕は2人とは違い全く専門的な美術教育を受けていませんでした。いざ彫刻をつくるとなると、自分の中に判断基準がなく、不自由さを感じていました。自由につくればいいのに不自由なもどかしさ。
1から彫刻を学びたい、という気持ちが強くなり、彫刻とは何なのかという疑問をアカデミックな勉強の中から考えてみようと思い、予備校の門を叩きました。芸大に入るというよりも、1から彫刻を学ぶんだという気持ちの方が強かったです。その先に大学があるという考え。一度型にはまりにいこうと。そこから抜け出すか、はまるかは自分次第なので自分の中に一つの基準をつくりたいと思っていました。

西嶋:なるほど、大きな決断と言うよりは自然な流れだったんですね。マイペースな強みですね。
北田君は優等生と言われていましたが、入試直前はもっと突き抜けた精神状態だったようにみえました。そのあたりの心境を聞かせて頂けますか?

北田:自分としてはそんな認識がなかったんですが、誰よりも努力したいとは思っていました。夏季講習で3位をとった時から、トップをとりたいって意志が強くなっていって、冬も2位をとって自信もついてきてたんですが、入直になったら周りがめっちゃ上手くなっていて、現役合格を前提としてたこととかが急に重しに変わっていった感じがしました。やっぱり悩むと実技も伸びないし、焦ったり、このまま受かってもその先いけるんかなって悩んでた気がします。でもある頃から、自分は結局逃げてるだけやって気付いて、大切なんは受かるかどうかってことより、自分らしく生きることなんやって思って自分の生き方として今やるべきこと、今しか出来ないとことを一生懸命やればいいって思えるようになると、急に楽しくなってきて全てがプラスに思えて、やりたい様にやろうと思っていきました。受験のというより彫刻の勉強がしたいと思いだして、最後の方は参作より、作家の図録ばっか見てた気がします。入試も全然怖くなくなって当日も自然体でいれましたね。

吉田:実技も現役生ばなれしていましたが、考えも、普通の現役生とは違っていたのですね。北田君の実技を見ていて「どんな状況でも確実に仕上げてくる」と感じました。他の人だと形の狂いがあったとりとか、印象が出ないとか、色々な理由で途中になってしまうデッサンが何枚に一枚の割合で入ってくると思います。北田君を見ていて、途中で終わるデッサンがほぼゼロだったように記憶しています。なにか完成に対するこだわりとか、強い思いとかあったのですか?

北田:そうですね。自分は描写タイプなので、ベースやって次何やって・・・とかいうよりかは最初から描いていくし全体的にバランスを取りながら進めていく感じなんですけど、何をもって途中というのかわからないんで、まあ描き込めば完成なのかといえば、そうでもないと思うんですが、自分としては もちゃもちゃしたまま終わらせるのは嫌で形を決めていく感じでした。だからそれがかえって強引と言われる部分になったりもしましたね。でも前提として描ききりたいというのはありました。

吉田:表面的な完成度とは別の次元での戦いだったのですね。話を聞いて実技に納得がいきました。

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北田君の模刻 奴隷首像

吉田:北田君は現役で東京芸大合格を果たしました。一般的に現役生は塑造力で浪人生と差がつきやすいと思いますが、上の奴隷首像模刻のように浪人生をも凌駕するような塑造力を身につけていましたね。高校も普通科で剣道部とかだったと思うのですが、塑造に関して高校2年生の時から意識して取り組んでいた事などありますか?

北田:初めてどばたに来た時に、デッサンはいけても塑造は入直だけでは難しいと聞いていたんで、粘土は多めにやるようにしていました。一番実力につながったと思うのは20分間の粘土クロッキーだったと思います。スパンとしては朝粘土、放課後はデッサンという感じだったんで、行ける時は始発で行って、粘土クロッキーを3セット〜5セット位やったり、土日も学校が開いている限り作ってる感じでしたね。
浪人生は一日中制作していると思うと、焦りがちだったように思いますが、1人黙々とやっていましたね。家族の支えがあってのことだと思います。

吉田:始発、3セット〜5セット、学校が開いている限り・・・あの塑造力は血のにじむような努力のたまものだったのですね。体も心も強かったんですね。

吉田:続いては中澤さんに質問です。現役1浪と2年続けて芸大1次試験を通過しました。1浪目で落ちた時に既にかなりの力があっただけに、二浪目は大変だったんじゃないかと思います。力のない人は基本的にバンバン力をつけて、それがコンクール等の結果にも繋がり、またがんばれるという好循環をつくっていきやすのですが、中澤さんはコンクールでよい成積をおさめても(たとえトップでも)、講師陣からかなりの辛口の講評を受けるという場面が多かったように思います。なかなか思うようにデッサンが変化していかない時期が続きましたが、どんな思いでしたか?また、気持ちのコントロールがうまくいかない時とかってあったりしましたか?

中澤:あー、すごくしんどかったです。実は私はほめられてのびるタイプの人間なんですよ(笑)。何をやってもダメな人間なんだーって、いつも落ち込んでました。得意としていた描写型のデッサンを描いても、お前がやるべきことはこれじゃないだろ!って言われるし、よくわかんないから、とりあえず描写を捨ててみたら、何も残らなかった。何をやるべきなのかわかっていなかったんですね。ただ自信がなかった。
それが夏季講習のコンクールのあと、先生が「中澤にはこういう能力があるんだ!」というのを1時間くらい言い続けてくれて、初めて客観的に自分を認めることができました。そしたら、自分は何を捨てるべきで、何を構成すべきなのかが明確に見えてきたんです。求められているのは、元々自分にない彫刻的、量的見方なんだと。別に先生方に嫌われている訳じゃないんだって(笑)。
あの時「お前のやっていることは一浪の延長だ」と言ってもらえて感謝でした。私の本当の二浪のスタートはここから、とも言えます。
でも現実は大変でしたね・・・。新しい見方がなかなかものにならなくて。直前の一週間までもがいていました。でも新しいことを学ぶ喜びがあったので充実していました。
それに経験したことは、必ず絵に出ますね。大切なのは見ることですね。

吉田:自分との戦いの1年だったんですね。

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中澤さんの石膏デッサン 円盤投げ全身像

吉田:中澤さんは、描写力などのテクニックはこの三人の中でも一番優れていたように思うのですが、受験においてのテクニック(技術)とメンタル(精神力)はどんな関係でしたか?支え合うもの、反発するもの、いろいろな考えがあると思うのですが、中澤さんにおいてはいかがだったでしょうか。

中澤:テクニックが邪魔している!と思う事が何度もありました。本当はわかっていない部分もうまさでカバーできてしまうから、まず自分がそれにだまされてるという危険な一面もありました。モチベーションが低い時は、テクニックが先行して、表面的でつまらない絵になるし、不器用な人の味のあるデッサンに憧れていましたねぇ。私の場合は「キレイだなぁ」とか「スゲーなぁ」と感じることからデッサンに入ると、調子が良かったです。テクニックそれ自体では力を成さない。自分のイメージを形にする道具ですから。私はイメージがないとダメでした。うまさを見せるためというよりも、他の人に何が描きたかったのかわかってもらうためのテクニックであることが大切だなと思います。

吉田:うまさでカバーできる というラインを超えた対象とのやりとりのレベルに向かっていたんですね。やはり2浪めは高いレベルで戦っていたんですね。

西嶋:じゃあ次は増渕君に聞きます。
増渕君は塑造力がしっかりしていて、かなり自分でコントロールできるようになっていたと思います。どんな点に気をつけて制作していましたか?

増渕:予備校では彫刻をつくるとなると、受験ということもあり、必然的に粘土での表現になってしまいます。それを受動的な素材の選択ではなく、数ある素材の中から粘土での表現を選んでいるんだと捉え直してみました。数ある素材の一つとして粘土の可能性を考えてみようと思ったんです。3浪して自分では押さえどころは理解していた、と思っていたのであとは自由にやろうと思いました。やることやったらあとは遊ばせてくださいな、という感覚で粘土の表現として面白いかどうかや、素材としての魅力を引き出せているかに重点を置いていました。

西嶋:なあるほどね。そうした意識が塑造に対する取り組みに出ていたんですね。
逆にデッサンはなかなか調子っぽい状態から抜け出せず苦労したように思いますが、そのあたりも聞かせてください。

増渕:デッサンでは一つのきっかけ、意識的な変化はありました。
ある人に何も見ずに卵を描いてみろと言われたんです。描けなかった・・・。それが自分の実力なんだと痛感させられましたね。自分は画面の中に卵一つ存在させる事が出来ない。平面的な見方しか出来ていないんだと。石膏デッサンを描いていると何となく立体っぽくなるけど、今までのはただの色塗りだったんだと。真っ白な画面の前に立つと平面的な輪郭的な見方になっている自分がいる。それを自覚した上でデッサンは平面という制限のある中で立体をより立体として捉えるための確認と訓練なんだと。平面だけども立体の仕事をするんだと思ってからデッサンが変わっていったように思います。

吉田:西嶋先生の言われていた調子っぽい感のあったデッサンですが、試験直前の二月終盤、最後ある種の吹っ切れた感じというか、悟りというのか(笑)ごちゃごちゃ気にせずこう描くんじゃい!と言わんばかりに、どんどん力強く、活きたデッサンになってったように思います。そのあたり、何か心境の変化でもあったのでしょうか?

増渕:講評の時、皆のデッサンと一緒に並べてみると、自分のデッサンが絵として見た時に全くつまらない、面白くないものに見えたんです。狂っていても感覚的な魅力のある絵に引きつけられる自分がいました。正確に描くよりも、表現として見た時に大事なものが他にあると。いくら構造だ動きだと考えても話にならない。受験直前は頭がいっぱいいっぱいで何も考えられないし、何も入ってこなくなりました。3年間考えて来たんだからもう体が覚えている。だったら最後は自分がカッコイイと思ったものを画面にたたきつけるだけだと思いました。自分の見えているもの、感じたものはこんなもんじゃない、俺にはこんなにもかっこよく見えているんだと。それだけをずっと追い求めていました。昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日と、前向きな気持ちがエネルギーになっていたように思います。

吉田:構造、動きといった彫刻的要素を3年かけて体得しきった上での達観だったんですね。

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増渕君の 石膏自刻像

吉田:増渕くんが首の塑造で色々なタイプの表現を取り込んで制作していたのを良く憶えています。荒々しいマチエールの作品や、量感の強さを追い求めた作品など、塑造表現としての探求みたいなものが、はじまっていたように思います。どのようなスタンスで塑造制作に取り組んでいましたか?試験でも手という作品性を入れやすい課題でしたが、予備校での取り組みと実際の芸大の試験での実技にスタンスの違いなどはありましたか?

増渕:首と手にはこだわりがありました。大学に入ってからも作り続けたいという思いはあったし、こういうものを作りたいという欲求があったので、じゃあ予備校の授業の中では何が出来るのかなと試していました。自分の可能性を広げるという意味でも他の人の粘土を参考にしたり、好きな作家の真似をしたり、こんなことも出来るんじゃないかという遊び感覚です。粘土をカピカピに固くして磨いたり、グチョグチョの粘土でベチョベチョ等いろいろやってみて自分はどういうものに反応するのか、快感を覚えるのかを探っていました。芸大の試験ではシンプルでチョー地味な作品を作りました。派手さのかけらもないですね。よく見てくれたなと思います。僕が教授なら見向きもしませんけど。ただ、アイデアはなくても他の要素で見せる自信はあったので、元気が良いのは周りに任せてガツンと真っ向勝負という感じでした。予備校での手の構成課題では物語性を持たせたり、構成として面白くしたり、いろいろ考えて楽しんでいましたけど。そうじゃなきゃやってられなかったですし(笑)。ただ、いざ試験となると、びびるしいつも通りいく訳ない。自分が緊張しいてたのは分かってたし、手はブルブル震えるし、心棒は材料の関係でヒョロイのしか作れないし、無難にいくかと。
普段の授業の中で色々な表現をする事で、6時間という短い時間の中で適した作り方はどれか、受験に確実に勝っていく仕事のやり方を1つ自分の中で作れたので、粘土に関しては余裕がありました。受験用の塑造と割り切って作っていました。

吉田:塑造表現の広がり限界まで追った先で、6時間の試験との折り合いを見極めたんですね。かなり深い戦いだと思います。増渕君はどちらかというと器用なタイプではないと思うのです。もちろん良い意味でもね。じっくりと力をつけ、積み上げ続ける、それを支える強い信念があった学生だ という感想を僕は持っているのですが、全国で芸大目指して彫刻の勉強をしている器用ではないタイプの人たちに何かアドバイスをお願いします。

増渕:確かに、恐ろしいほど不器用ですね。不器用だからこんな回りくどい生き方をしているんでしょうし。人一倍時間はかかるは、上手くいかないはで大変ですけど、人一倍悩み考えた分、出来た頃には確実に自分のものになっているはず!! 不器用な人、人に教わるのが苦手な人にはそのぶん癖のある、こだわりのある人が多いと思う。下手に器用で上手くこなす人よりも見ていて面白いし、うまくはまった時にはその人にしか出来ないものが生まれるんじゃないかな。人生長いんだし、先に行きたいやつは行かせて何十年か後に抜かせばいいじゃないか。ゆっくりと自分の足で歩いたぶん、走り抜けただけでは気付かない、自分だけの探し物がきっとみつかると思います。 彫刻は時間かかるんだし、のんびりいきましょうよ。
ナイフではなく棍棒で振り回すようなかっこよさ、生臭さがあっていいと思いますよ。不器用なものはしょうがないじゃん、そんな自分を受け止めてあげましょうよ。

西嶋:では次の質問です。これまで合格してきた人は大抵自分独自のプロセスをつくりあげていると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか?自分を支えた何かがありましたら教えてください。
先ほどの質問と被ることがあるかもしれませんが、これは!というものがあれば教えてください。

北田: 常に自分を見失わないで、客観的にみつつ、主観も通すという事を意識していました。入直において大切なのは体と気持ちのコンディション。入試は長丁場なんで、無理しすぎない生活を送る事が大事だと思います。どばたではガンガンやってホテルに帰ったら何もしないとか、集中にメリハリをつけてリラックスするのが大切だったと思います。自分にとっては牛乳がリラックスの必需品だったんで、そう言うアイテムを見つけるのも大切だと思います。

西嶋:牛乳ですか(笑)。確かに気持ちの切り替えは大事ですよね。
他はありますか?

中澤:参考にならないかもしれませんが、私は中1から芸大を目指してきたので、当然根強いこだわりがありました。でも2浪して、芸大ってどういうところなんだろうというのを世界の基準から見るようになって。そしたら今まで芸大に対して持っていた憧れや強い思いとは別に、そこには日本の役割を荷なう教育機関が見えました。そしたら、大学4年間という時間の中で何ができてどういう可能性があるか、というのが見えてきたんです。そして不思議なことに、2浪してダメだったら、芸大よりも最善な道があるってことなんだ、と思うようになったんです。実際落ちたら、スケッチブックをもって世界を放浪するつもりでした(笑)。落ちたら落ちたで私にとって芸大に行くよりも益になるかもしれない、と。
2浪して初めて落ちてもいいやと思えたんです。それはあきらめではなく、新しい希望でした。自分の道を神様に全部ゆだねる気持ちになったというか。そのための2浪だったんだな、と今思います。試験が終わってから、父が「受かるといいね。でも落ちても、それもいいよね」と言ってくれたことも大きかったです。家族の支えに感謝しています。

西嶋:そうですね。自分にできる事はやりきったからこそ、そう思えたんでしょうね。
どちらにしても次の道が見えてきたということですね。
ではさらにお聞きします。受験において一番重要だと思うこと、あるいは自分が大切にしていたことがあれば教えてください。

北田:受験は合格するためのものだけど、受験のため(だけ)の勉強というのは良くないと思います。その先を見据えた、作品制作に繋がるよう学んでいくことが大切だと思います。
実際は体力とか、精神力がものをいうし、プラス思考でいかなきゃ絶対に潰される。弱いところを直すというよりかは、良いところを伸ばすことが大切だと思います。自分のスタイルって考えた時に、弱点を直したからといって、自分らしさになる訳じゃない。自分の強みを生かしていくとおのずと問題も見えてくるからそれを直していく方が、自分のスタイルを築けると思います。常にプラスへで、自分を動きやすくすることが大切だと思います。現役生って不安や迷いも多いけど、そこで勇気を出して一歩踏み出さなきゃダメ。自分を信じられるところまでやるのが一番です。

西嶋:北田君は強いね。だけどその裏には先ほど出てきた話にもありましたが、自分の弱さを経験し、乗り越えた上にこそあるのでしょうね。
中澤さんはどうですか?

中澤:芸術の仕事というのは、答えのない問いかけだったりするものなんじゃないかと思うのですが、受験ではまず問いがあって答えがあるんだ というのに気づいて、楽になったこともありました。ちゃんと相手の問いかけに的確に答えられているか?ということはしっかりおさえていないと、受験は成立しないんだなと。自分だけが理解出来るような作品を作っても意味をなさない。そういう意味で相手をよく知ること、自分をよく知ること、その上で戦いができると思います。浪人で気をつけていたことは、波を最低限におさえること。体調が悪くても、精神的にふにゃふにゃでも、合格ラインを保つこと。普段どんなにうまく描けても試験当日にそれが出せないと意味がないと思っていました。

西嶋:受験に於いて重要なポイントですね。言葉ではわかっていても実際に明確にそのことを理解し、実践出来る人は少ないと思います。精神的に強くなりましたね。
増渕君はどう?

増渕:客観性の一言に尽きます。客観性の意識とその獲得こそが予備校で得た一番大きなものだった様に思えます。講師から何度も同じ事を指摘され、そのたびに自分に苛立ち、わかっているけど出来ないもどかしさ。ただ、自分の作品を見て感じることと講師から言われることは同じだったので、自分が客観的に見さえすればいいんだと、今、自分はどういう状態で何が必要で何を捉えにいくのかを見極める。自分で自分を育てる力を身につければ良いのではないかと思います。すいどーばたには幸いにも大勢の人がいて比較できる対象が多いので周りに流されやすいという危険性はあるけど、客観的になれる材料は揃っていると思います。一人ひとり必ずいいものを持っているので、それをどう活かすかも実力だし、そこを補うのが客観的な視点だと思います。それさえ出来れば誰でも受かりますよ。

西嶋:他の二人の話の中にも「客観性」というキーワードが出てきましたね。
そのことを本当の意味で実感できた事は今後の人生において非常に有益になると思います。
では、今度は芸大に合格した後のことを伺っていきたいと思います。
芸大に通ってみて感じる予備校と大学の時間の流れの違いや、予備校と大学の先生との距離、仲間との過ごし方など受験時代とはだいぶ変化があると思いますが、その辺りをお話し頂けますか?

北田:大学は自由と聞いていたけど、思ったより制作時間が限られていて残念でした。授業内容は1年ということもあって道具作りなど基礎的なことが多い印象を受けました。だけど、その中で自主的に制作をすることもできるので、その辺りは居心地が良いです。課題の期間も長いので、自分のペースで制作ができるところは大きな違いです。

西嶋:今は石彫実習をやっているのかな?

中澤:はい。正直、身体はかなりツライです〜。毎朝手が固くて開かない(笑)。

西嶋:6面出しですよね。

北田:はい。僕はもう6面出しましたよ。

西嶋:おお、すごいねー!先生との関わりなどは何か変化ありました?

中澤:入学前に先輩の話を聞いた限りでは、先生との距離や同級生との関わりも薄いと思っていたのですが、実際は割と親密な感じですよ。研修旅行では教授や助手の方々と一緒に山登りしたりして、意外な一面を見ることができたり。関わりを持つチャンスはあるし、要は自分次第ですね。

増渕:予備校では受験ということもあり教えられるという感じでしたが、大学では先輩の作家としてアドバイスしてもらうという印象です。

北田:石彫場を含め大学では先生の制作している姿を見ることができるので、刺激になります。

増渕:助手の方からも研究室に気軽に来ても良いとおっしゃっていただき、フレンドリーな感じを受けます。

西嶋:ほう、結構親密にやっているんですね。

北田:クラスメートともみんなで鍋やったりパーティーしたり、楽しいですよ。今年の学年は仲が良いようです。

増渕:そうですね。肩苦しい感じはないですね。受験生の時は、どうしても一人で戦っていた感じがあったけど、大学ではもう少し周りと密接に関係を持てていて、一人一人が見えやすい感じがしますね。

西嶋:時間の感覚もやっぱり違うよね。

増渕:時間はゆっくりしています。予備校とは真逆ですね。受験という特殊な状況から意識を変えるのにはこういったゆっくりとした時間の流れが必要なのだと思います。


西嶋:では最後に受験生に向けてメッセージがありましたらお願いします。

北田:受験において、合否というものは、自分の許容範囲にあるものではないと思います。やりきって合格する人もいれば、それなりにやって合格する人もいる。逆にやりきっても合格できなかったりということもある。自分の手の及ばないところで悩む必要はないと思います。自分に出来ることを自分が納得するまでやりきることは、自分次第でどうにでもなること。それをやるだけ、それだけでいいと思います。

中澤:いろいろな問題や課題を一人一人が抱えているのだと思いますが、問題の以前にまずしっかりとした土台において、自分が自分らしく存在すること、これが最も大切な事だと思います。それと体あっての制作だし、必要なだけ食べ、寝て、時には心よりも体の方が正直な事もあるのでそれに素直に従う事も大事だと思います。周りの人、アトリエの空間も大切にすることが、心の在り方、作品の在り方につながってくると思います。来年みんなが芸大の門をくぐって来ることを楽しみにしています。

増渕:とくにないですけど、多浪の楽しみ方の一つとしては、大学に入ってからの事を考えるとおもしろいかも。授業なんて出なくて良いから、予備校に縛られず、色んな作品見たりして常に新鮮な気持ちでいることが大事になる。おもしろい作品のアイデアが浮かんだらニヤニヤしながらメモして授業の中で出来そうなら学校に来てやってみる。意外と予備校のカリキュラムの中でも考え方次第で、自由に楽しく自分の作品作りが出来ますよ。あと、どばたにいると1日とか多くても3日課題だけど、先生にお願いして、1,2ヶ月ぐらいかけてじっくりと納得いくまでやってみてもいいのでは?一度人生踏み外しているんだし、周りに合わせる必要はないと思います。一浪生、現役は知りません(笑)。ただ突っ走れば良いんじゃないですか。だめだったら浪人すればいいじゃん。いいことあるから。

西嶋 吉田:増渕くん、中澤さん、北田くん、本日はありがとうございました。3人とは予備校を通して長く接していましたが、今日初めて聞くエピソードに、驚きや納得が多々ありました。やはり3人ともかなりディープな戦いを経て合格を勝ち取っていたんですね。全国の芸大、美大を目指す多くの方々にも多くのヒントや励ましに富んだインタビューだったと思います。
今日は本当にありがとうございました。

2008年03月05日

●すいどーばた卒業生に聞く大学生活

「インタビュー企画第6弾」
インタビュー第六弾はドバタから巣立っていった学生のみなさんがその後、大学などでどのような活動をしているのかに迫ります。大学での生活や作品制作、カリキュラム以外での自主的な活動など、大学に入るとどのような日常が待ち受けているのかを聞いてみました。皆さんに近い等身大の大学生の生活、自主的な活動など参考になるお話が聞けると思います。

今回は、広島市立大学に進学し、この春卒業を迎えた黒田君と丸橋君に話を聞いてみました。クラス担当した西嶋と広島の展覧会に参加した吉田がインタビュアーを務めます。

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黒田大祐君と現在の作品

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丸橋光生君と現在の作品

吉田(以下Y):今回はすいどーばた出身者が大学に進んでどんな活動をしているのか?紹介して、すいどーばたで勉強している皆さんにアフタードバタのイメージを持ってもらおうという企画です。まずはお二人とすいどーばたとの関わりから聞きいていきたいと思います。
二人は結構浪人が長かったように思うけど何浪してたんだっけ?ちなみに僕は3浪なんだけど・・・
丸橋(以下M): 僕は3浪しました。
黒田(以下K): 僕も3浪しました。長いですね。

西嶋(以下N): 二人は京都から出てきて下宿生活をしていたけど、暮らしとか変化しました?二人とも バイトしながらじゃなかったっけ?
M: そうですね。浪人中バイトはずっとしていました。 でもあまり大変だとかっていう気持ちは無かった気がします。バイトをしている人は他にもたくさんいましたし。僕は田舎から出てきてたんで、特に始めのころは美術館やライブハウスなんかによく出かけ、刺激的なものを沢山目にしながら、東京での生活を楽しんでいたような気がします。2浪、3浪となるにつれて、精神的に徐々にしんどくなっていった気がします。

K:僕はかなりバイトしましたね。1浪の頃は正直、両立が難しくて病んでいました。でも2浪3浪としていくうちに、当然ですけど生活力とかついていった感じはしますね。なんというのか慣れかもしれませんけど健康になっていきました。

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黒田大祐君 すいどーばた時代の塑造作品


N:精神的には重くなり、肉体的には軽くなる・・・重い言葉ですね。考え方なんかは変化しましたか?
M:僕の場合考え方は3年間変わらなかったかなあ・・・、それは良くない事だったと思いますが・・・。一つ変化があったとしたら2浪目までは芸大一本だったんですが、3浪目の春に今年で浪人は最後にしようという決心みたいなのがあって、他の大学も受けることにしたことでしょうか。黒田は1浪から3浪にかけて考え方に変化はあったりしたのかな?
K:どうかな〜。う〜ん、浪人に金を使う事は勿体ないと思うようになって、自己投資もいい加減おんなじ事ばかりは無駄とは言わんけど、アホらしくなって。ちょっと考えて、喫茶店でコーヒー飲んで考えてるうちに、芸大じゃなくてもいいと思えてきたんやな。

N:二人とも塑造力中心にかなり力をつけて、浪人でやる勉強をしっかりやれたから、そのような境地に行けたのかな?「学び尽くした!」みたいな感じってあったのかな?
M:そうですね。実力がついてきて、でも同時にマンネリ化してくるのもあって、もう次のステップに進んだ方がいいなと自然になりました。学びつくしたかどうかは解りませんが。
K:嫌いな石膏像がまあそこそこ描けるようになって、そうしたら、逆にこの先はもう本当に長いと思ったし、デッサンや塑造は上手くなり続けるかもしれませんけど、ただそれだけで、試験の日に緊張しない自信は全然いつまでも持てそうになかったんです。試験は陸上競技やスポーツに似たところがあって結果を出さないとダメで、ジワーと何とかなるようなことは一つもないですから、そういう勝負は肌に合わないし、もっと違う基準で勝負したいと思ってきたんですね。3回も負けて学び尽くしたというよりは、そういうことを思い知らされた感じです。

M:そうやな、結局その日(試験の日)が大事なのが解ってくる。ほんならその他の日は何なんやとなるしな。そこで遊んでしまう人もいるけど、遊んでも勉強しても試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かってもねえ、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。遊ぶ事も大事やと思いますけど、勉強も大事なんです。
K:器用にできたら一番いいんですけどね、結局試験は受かった方がいいです。

M:でも3年も居たから友人も沢山できたし、今でもその頃の友人とは交流がありますがとても刺激になります。だから3年間あの時は苦しさもあったけど、今思うと3年位いて丁度良かったかもしれないと思うし、事実、今その頃に助けられてると思います。
K:そうやね。

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丸橋光生君 すいどーばた時代の塑造作品


N: つらく長い浪人生活だった訳だけど、実技以外に培われたものとか、何かあったのかな?
M:そうですね、自主性というのか、良くも悪くも自分で判断して行動することでしょうか、考えているだけでは何にも成らないのでやってみる姿勢かな。ドバタで言えば朝早く来てやるとか、自主課題とか、まあ遅刻しないみたいな事を含めて自分にはね返ってくるんだぞっていう。
K:ああなるほど。

N: 「自分に跳ね返ってくる」っていうのは、人生の教訓だね。黒田君はどう?
K:先生の批評を鵜呑みにし過ぎないとかね。やっぱり自分で判断しないとね。素直に聞くにしても、試験でもそうだし、浪人が終わってもそうだしね。僕は自分では素直に聞き過ぎる感じだったと思ってんだけど、これは講評じゃなかったと思うけど、中瀬さんが「報われる努力をしろ」と言ったのをよく覚えてるなあ。その時は全くその通りだなあと思った。浪人生は特にそうだと思う。
M:へえー。



広島時代

N:そういった浪人生活を経ていよいよ広島での生活がはじまる訳だけど、大学ではどんな作品を作るの?人体とかがやっぱり多い?
M:そうですね。カリキュラムは人体中心です。広島市立大学の彫刻科では、学部の間はどの学年も半分は人体の塑像に時間が当てられています。残りの半分で、石、木、金属、テラコッタなどの実習を行います。それらの実習も基本的には人体の制作になっていますね。
卒業制作あたりから、自分なりの展開を加えて作品の制作をはじめる人が出て来る感じです。
大学院以降は人体の制作だけを続ける人もいますが、大きな構造物の様な作品やモニュメント的な作品を作る人も多いように思います。広島は東京のようにギャラリーがいっぱいあるわけではないので野外での展示やプロジェクトでの展示が多く、そのため大きな作品やサイトスペシフィックな作品を制作される方が多いです。

K:学校も新しくて広いですし、設備が充実してるから大きいのが作りやすいかもなあ。でも今のカリキュラムは人体が中心だね。
M:うん。まあでも、大学の課題と自分のしたい事が一致するとは限らないけど、
強制的にせよ自分だけでは得られない知識や経験があるから、両立させるしんどさも含めて楽しいですね。
K:うんうん
N:課題やカリキュラムの制約をそういう形でポジティブに受け入れてやっていけるのはいいことだね。

Y:大学でのカリキュラム以外の活動をなにやら二人はやっているように見えるんだけ ど、少し詳しく聞かせもらって良いかな?
M:僕は昨年、柳幸典さん(現在広島市立大学の准教授をされています。)がプロデュースし、広島で開催された「旧中工場アートプロジェクト」に参加させて頂きました。この展覧会は旧ゴミ処理工場、吉島という住宅街、日本銀行の旧広島支店の三つの会場からなっていて、それぞれの会場にコンセプトが与えられて、そのコンセプトに沿った作品が各会場で展示されているというもので、総勢60名を超えるアーティストが参加しました。
僕はこのプロジェクトの少し前に、あるビルの前に作品を設置させていただく事があって、それがキッカケで声を掛けて頂きました。著名なアーティストが多く参加されているプロジェクトだったので、かなりやりがいはありましたね。この展覧会の時はプラスチックの作品を短期間で約50個作ったんですが、大学の課題と違いやりたい事をやっているという楽しさはありました。でも完成が間に合わなかったら色んな人に迷惑をかけるし、緊張感はとてもありましたね。(笑)友人に手伝ってもらったりして何とか間に合わせることができましたが。
Y:他の科とも連携して企画に携わるのは貴重な体験ですね。

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丸橋光生君の現在の作品

Y:黒田君はどうですか?
K:僕は浪人の頃から続けていた劇団のようなものを引きずっていて、今もパフォーマンスと言うか、変なダンスのような事をする集団を率いています。広島ではビルの屋上などでお金もらって公演したり、広島のお祭りに出たりしてます。ダンスの人とも交流ができて、とあるダンスサークルのお手伝いで国際展に参加したりと意外な展開がありますね。あくまで彫刻が本業と思ってるんですが、昔から彫刻以外で褒められる事の方が多いので何ともいえない気持ちになります。勿論カリキュラムにはダンスはありません。
M:ビルの上でやったパフォーマンスには僕もでていました。(笑)
K:丸橋はなんでもやるね〜。

Y:その辺の課題以外の制作は大学を使っているの?
M:僕は大学で作品を作ることが多いですね。大学にはプラスチックと塗装専用の工房もあるのでプラスチックをやるときはそこを使わせてもらってます。他にもいろんな工房があります。うちの大学は設備が充実しているので使わない手はないです。人脈などは、大学内、大学外問わずに広がっていきますね。僕の場合は作品を本格的に創り出してから広がりました。作品をみてもらう事があって、それがキッカケで興味をもって頂いたり、展覧会に誘って頂いたりといった感じです。
黒田は?

K: 僕の場合は家でも学校でも制作しますね。僕の家は普通のマンションで7畳くらいの広さなんですが、一度家で7mくらいの大きさの作品を家で作ったことがあって、その時はもうホントに隙間で生活するかんじで、しゃがんでるか丸くなって寝てるしか出来ませんでした。「家に帰りたくない!」とか「雨でも出かけたい!」みたいな凄まじい狭さでした。そんなこともありました。
M: へ〜
K: 学校に居場所が無い訳ではないので、今は大きなものは学校でつくります。

Y:学部在籍中からそこまで活発に活動するのは珍しいと思うんだけど、どういった考えからそういう活動をしているの?
M: 確かに周りにそういう人はいませんね。
K: うん。性格もあると思いますけど、
M:大学での課題に興味がもてないわけではないですが、これだけ(課題だけ)やっててほんとにいいのかな?というようなことは思っていたと思います。いずれは社会にでて美術を続けていくわけですし、大学の中でじっとしているのは逆に不安だったりします。何かしないとと思いながらなにもできずにいたところに、タイミングよくビルの前に設置する彫刻の制作の依頼や、プロジェクトのお誘いがあったりしました。実際それらの仕事をさせてもらって、少しはやれるかなという自信はつきました。

Y:やっぱり危機感みたいのはあるんだね。その危機感を活動のエネルギーに換えて活動していくのがすごいね。黒田君はどう?
K:大学が地方なんでこのままでいいのか!みたいな危機感はすごくあって、なにかやらねばと足掻いているだけで、クールやれたらいいと思います。でも浪人生が大学に落ちたときの悔しさで、上野から歩いて池袋まで帰るとか、終電まで山手線ぐるぐる乗ってるとか、そういうよく聞く異常行動を起すエネルギーに比べたら、大学での足掻きはまだ省エネですね。もっとなんとかしなければと思います。でも異常行動は避けたい。
M:異常行動は避けたいね。

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黒田大祐君の現在の作品




ヒロシマ・オーについて

N:ヒロシマオーについて、概要というか、簡単に教えてください。
M:ヒロシマ・オーは若手美術作家による展覧会です。黒田を中心に広島の若手美術作家が運営を行い開催しています。広島では先程も言いましたがギャラリーの数が少ないせいもあり、若手美術作家の作品を観る機会というのが、東京などに比べると格段に少ない状況にあります。そこで関東や関西で活躍されている若手作家の方と広島の若手作家とが合同で大規模な作品の発表を広島で行って、そのエネルギッシュな表現を広島の方達に見て頂こうというものです。作品の発表と、若手作家の交流から広島の芸術や文化がより活気づくことを目的としています。
K:これまで二回開催しどちらも20名前後の活躍中の若手作家の方が参加されました。朗さん(吉田)には二回とも参加していただいています。

Y:ヒロシマオーをやろうと思った動機ってなんなのかな?そもそも二人で思いついたの?それともどちらかが誘ったのかな?
M:もともとは黒田のアイディアでした。ね?
K: そういうことになってるんですけど、何でこんなことしてるのかとアホらしくなるときもあって、誰が考えたんだっけ?と丸橋に聞くこともあります。
M:聞かれてもこまるわ。

K:でもそんな感じで誰かという個人が強く出ないから、皆でうまくやってるということなんでしょうね。東京に比べたらギャラリーも少ないし、学生も少ない。そんななかで東京に行くという発想では限界があって、みんながそういう風にするととても窮屈で一方通行だと思うんです。もうすこしやりようがあるんじゃないかと、無いものは自分で作ってしまえ!というような少々乱暴な、でもそういうことです。
自分達で展覧会をつくるという事はグループ展としてはよくありますよね。ああいう感じをただデカくしたらいいんじゃないかと、こういう単純な事なんですけど、それを必要としている場もあって、それが広島では物理的な面でのハードルが低くて出来やすかったんです。もし続いていけば何となく何かボヤ〜とジワ〜といい事になる気がします。


Y:建物について 広いし味わいのある建物なんだけど、これも少し教えてください。


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旧日本銀行広島支店外観

M: 広島市の中心部にあるこの建物、旧日本銀行広島支店は1936年(昭和11年)に日本銀行広島支店として建てられました。第二次世界大戦時に被爆していますが、爆心地からわずか380mという近さにありながらもその堅牢なつくりから建築当時の外観をとどめています。戦後も日銀支店として使われ続けていたそうです。日銀支店が1992年に移転した後、広島市の市指定重文に指定され、同時に日本銀行より広島市に無償貸与されました。そして現在は広島市の管理のもと、市民も利用が可能となっています。原爆ドームと並ぶ広島の歴史を象徴する建築物です。
K:結構頻繁に平和関連の展示や美術展などが行われています。

N:こういった建物で美術展示が出来るってことは、広島という街にこういった活動を受け入れる、そういう環境があるのかな?
K: そうですね?。確かにそういう風にしていこうというような行政などの動きはあるように思いますが、環境が整っているとはまだいえないかもしれません。
M: そうだね。

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吉田朗ヒロシマオー展示作品

N:朗(吉田)は展覧会に参加してみて、 どう感じたの?

Y:去年は黒田君と丸橋君で仕切っている感じがしたんだけど、今年はなんか組織が厚くなっている感じがしました。二人の下級生にあたる世代の人も参加していたよね。
M:そうですね伝えていくというより、参考にしてもらえればいいとおもいます。
K: そうやな

N:ヒロシマオーをやることは、市立大学の人たちにどう認知されているのかな?どんな目で見られているの?
M:どうなんでしょうか?でも今年二回目でしたが、やはり前回よりは認知されてきてるなあとは思いました。見に行くよ、と声を掛けてくれる人は増えた気がします。他の専攻の先生からヒロシマ・オーについて話しかけられることもありました。
K:良くも悪くもやってることがジワ〜と浸透してるといいですね。

Y:大学サイドは学外での展覧会に積極的に見えるけど、そういうサポート体制みたいなものはあるの?
M:学生の自主的な活動に対する金銭面の若干のサポートはありますね。

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広島市立大学

Y:ヒロシマオーの搬入の日に作業していていたら、二人は卒業制作の搬入をしているって聞いて、卒業制作と時期をかぶらせるなんて大変というか、この人達は異常だ!(良い意味で)と思ったんだけど、すごいバイタリティーだよね。なんか突き動かされるものがあるのかな?
M:なんでしょうか・・・。やっぱりあっという間に時間は過ぎていきますし、やれることはやっておこういうのはあります。少々無理するぐらいでいいんじゃないかと。
K: 僕は「しまった!俺は馬鹿だ!」と後悔しました。事の重大さに気がつくのが遅いと言うか、すぐ忘れるんですかね。
でも展覧会の準備のどこかのタイミングでは気がついて考えて「大丈夫や」という結論を出しているんでしょう。事実過ぎさってみれば、かぶってた事自体忘れかけています。

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Y: 卒業後は二人はどうされるのですか?
K: 僕も丸橋も大学院に進学します。

Y: そうですか、これからより活動を発展させていくのが楽しみですね。最後の質問になるのですが、ふたりの現在にドバタ時代はどんな影響を与えましたか?
M: やっぱり自分のものづくりの原点のようなものがあるように思います。僕はデッサンより塑像が好きでしたが、ただの粘土のかたまりが試行錯誤していろいろ手を入れていくうちに、ある瞬間から粘土ではなく全く別の質感が現れてくる、そしてそこにある世界が生まれる。そういう感動をドバタでたくさん味わったと思います。作る喜びでしょうか。今でもやはり感動や喜びを求めて作品を制作していますし、そういう感覚はドバタの頃と変わってないと思います。ドバタ時代の思い入れの強い作品に関しては、制作当時の気分や、考え、情景、感動をはっきり思い出す事ができますね。

K: つらくて、しんどくて、我慢して、ともかく自分の程度を思い知らされて、反省して勉強しましたから、少しは反省的思考を身につけられました。デッサンや彫刻は上手くなったとも下手になったとも何ともいえない感じですが、ともかく一生懸命やりました。今は、やはりそれでこれからもそうしていかないといけないという気持ちになります。

Y: 浪人時代の話の「試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かっても、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。」という言葉が、私にはとても印象的でした。作り続けるということは日々の積み重ねであり、それは浪人時代も大学を出ても変わらず続いていくことですしね。危機感をもちながら、それを自らの活動やバイタリティーで克服していく姿に「強さ」を感じました。お二人の話、皆さんはどのように感じましたか?予備校生だけでなく、大学に進学した学生にも参考になる貴重なお話を聞けたと思います。ありがとうございました。


黒田大祐
個展
2007   「自然のめぐみ」         広島 新地ギャラリー
主なグループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2007   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
     「大塚かぐや姫プロジェクト」  広島  安佐南区大塚


丸橋光生
個展
2007    art space HAP  広島
2007    新地ギャラリー  広島
グループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2006   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
2007   「小野画廊小作品展」      東京  銀座小野画廊
     「旧中工場アートプロジェクト」 広島  吉島地区
     「kwon-ki」           広島  ギャラリーG
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
その他
野外彫刻「今日のためのうた(1)(2)」が広島パークビル・ストリート・ギャラ
リー(広島市中区大手町)に現在設置中。(2008年9月まで)