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2016年03月29日

●2016合格者体験記特集

「インタビュー企画第30弾」
 2016合格者体験記特集

2016年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
今年はこの一年で制作したそれぞれの塑造作品とともにご紹介します。






アイザック・レオンくん(2016年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「 好きだ!!」

一浪のとき二次試験で模刻が出題され落ちました。形の狂いに気づいていたのにも関わらず、直さないでただそのまま作り込んでしまいました。終わってから、あれしてればこれしてればと悔しい思いをしながらももう1年浪人することにしました。 そこで1年前のこの日、国立西洋美術館にあるロダンの考える人を前に 「藝大生になる!彫刻家になる!」と新たに決心しました。
しかし、その熱意が入試に近づくにつれ受かることだけに意識を向けてしまい 自分との戦いではなく、他人との比較や、これがやりたい作りたい!ではなく、これをやらないといけないという惰性が続き、 意識が偏っていきました。そもそもなぜ自分が2浪までしてここにいるのか悩みに押しつぶされていました。そんなときある講師に、「好きなんだろ、普通にやりな、自然に、強引になる必要はないよ」と言われて、なぜ僕がここにいるのか、確かに藝大に合格するためだが、藝大に行きたいのは自分が彫刻をやりたいから、彫刻が好きだからだ!と新ためて気付きました。
試験前になると肩の力が抜けてきて気楽に無理しない日々を過ごし、受かる受からないではなくただ粘土に触れたい、形を作りたい、彫刻を作りたい その気持ちで試験に向かい、本番では受かる実技ではなくその時作りたかった彫刻作品を作ることが出来ました。それが合格に結び付いたのだと思います。

1年ただやりたい事をやればいいとは思いませんが、悩んで手が動かせない日々が続く人は楽しんでほしいです。何かを作るのが好き!と少しでも思っていれば、それは作品制作をする上でもっとも裏切らない気持ちだと思います。
自分は好きだったから体力的に精神的に辛い日でもどばたに行けた。
好きだったからやめられなかった。
好きだからこれからも頑張って行きたい。と思います。
1年間支えてくださった先生方、友人家族本当にありがとうございました!!






山元 佑介(2016年 彫刻科)
東京・私立明星学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「6年間」

赤茶色の門をくぐると、父は「俺を2回も落とした大学だ」と私に呟いた。それは小学校を卒業した春休みのこと。父に案内されてやって来た東京藝術大学で聞いた「ゲイダイ」という響きは楽園として私の耳を潤し、中学校入学前に早くも遠くまで伸びる1本の確かな道を見出すこととなったのだ。
中学校入学と同時に都内の大手美術予備校に入学し、高校1・2年生と同じ土俵で鉛筆の削り方から学ぶことになり、中2の時には初めて体験した塑造の楽しさに感動し、専攻を彫刻にすることを決意した。中3になって初めて夏季講習会で浪人生たちと絡み、その熱気に自分の腰が引けていたのを今でも覚えている。
高校生になっても中学生の時と同じ2週間に1作品のペースで木炭デッサンと塑像を繰り返し制作する日々を繰り返しながら、私はゆっくり着実に実技のレベルが上がっていくことを実感していた。
しかし、高2の終わりに突然私は今まで通っていた予備校をやめることにした。5年間、同じ場所で与えられた課題をひたすらに制作することにすっかりと慣れてしまったマンネリ感たっぷりの私の体が、果たして1年後に藝大に通用するのか不安だったからである。そこで目に入ってきたのはすいどーばた美術学院だった。それまで他人事のように眺めていたドバチョウブログも見れば見るほど身近な危機感を感じ、いま通っている予備校にはない魅力を放つ作品が作者の意思と共に伝わってきた。そんな私は考え抜いた末にすいどーばたの彫刻科にて最後の1年を過ごすことにした。
しかし、どばたに入学した時点ですでに私には5年間のキャリアがあったにも関わらず、制作における自分の癖や高飛車な姿勢は合格レベルから限りなくかけ離され、2学期に入るまでは頭部がでかくなる癖が直らなかったり、生炭が残ってギラギラなデッサンを描いたり、粘土をまとめすぎて表情が死んだり、ガーゼに頼ってモサモサのデッサンだって描いたりした。もちろん2学期に入っても公開コンクールでは現役生のライバルだった友人に1位を取られ、自分は惨敗し講師には笑われた。以前通っていた予備校に戻って公開コンクールに参加しても、今まで抑えていた癖が全面的に出てしまい、B’をとって「どばたで何やってたの?」と言われて泣いたりもした。このまま来年も予備校に通う自分が想像できてしまったことにとてつもない恐怖と不安を感じ、いわゆるスランプの時期が12月まで続いた。個性と癖の違いが分からなかったり、モチーフを見ることとは何なのか分からなくなったり、紙と手の構成素描で折り紙の鶴を折ったら講師に怒られたりした。年が明けてからは受験に向けての程よい緊張感によるモチーフに対する熱い視線と自分の実技レベルを冷静に客観視する姿勢を両立させることで、自分の作品の魅力と基本的な抑えどころが噛み合っていくように心掛けた結果、入試直前のコンクールにて浪人生をおさえて上位に入ることが出来たりした。そんなこともあって2月頃には絶対に現役で藝大に合格するぞと感じる気合いと自分の作品が比例していき、今まで恐怖の対象だったグングン伸びていく現役生も恐れない気持ちになれ、むしろ一緒に合格していく仲間なんだと感じられた。おかげで試験当日のジョルジョも真面目で冷静にデッサン出来たし、大石膏室の騎馬像も感動で泣きそうになりながらカッコイイ素描が描けたし、6年間で1度しか作ったことのなかったハトも心臓バクバクながらも丁寧に当たり前のことをおさえて作れた。
結論を言うと、1年前にすいどーばたの彫刻科に来たことは最終的に藝大合格へと繋がり、正解となった。テクニックに頼った受け身な作品を制作するようになっていた私にとって、柔軟な考えを持ったすいどーばたの周りの生徒の作品や、大勢の講師の適度で質の高い指導、大量の参考作品などは、私自身の表現の幅を飛躍的に広げてくれ、大学に入ってから自分1人で考えて行動していくための責任感と機動力を身につけることが出来た。いい意味で1年間という短い間だけお世話になったすいどーばたと、5年間じっくりと長い間お世話になった以前通っていた予備校無くして6年前に見出した道は存在し続けることはなかった。
ひとことで合格と言っても、人それぞれ受験勉強を始めた時期もきっかけも、受験勉強が終わる時期もきっかけも多種多様だと思う。勉強の仕方も合格の仕方も、志望大学へ臨む人の数だけドラマがあっていいと思うし、これから受験勉強が始まる人は、是非自分だけの合格の勝ち取り方を作り出してほしいと思う。






川合 香鈴さん(2016年 彫刻科)
東京・私立専修大学附属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「向き合う」

周りに甘えて自分を甘やかした1浪、周りを拒絶してストイックに自分を責めた2浪、今考えると、「何やってんだ!」とあの頃の自分に蹴りをいれたくなる。けれど、反面、「よく頑張った!」とチョコを買ってあげたくもなる。3浪目の今年、こんなにも素敵な1年になったのは、間違いなくあの頃の私がいたからだろう。

1浪目の私はとにかく甘かった。周りの人の助け船にふんぞり返って乗った。このまま合格まで導いてもらえると思った。自分と向き合うことなんて、しなかった。

それではダメだと気付いた2浪は、頑固一徹、周りの力なんて借りないと決めた。毎日怖い顔をしていた。他人の言葉に、ほとんど耳を貸さなかった。全部自分でなんとかした、つもりになっていた。
結局、そんなことはなくて、毎日だれかが助けてくれていたけれど。

3浪もしてしまった。でもたかが3浪。1浪目で周りの力を借りることを知り、2浪目で自分と向き合うことを知り、最後に知ったのは他人と向き合うこと。一緒に頑張る仲間、導いてくれる講師、応援してくれる家族。自分と向き合うことが辛くなっても、その時はかわりにだれかが向き合ってくれる。だから自分も、凝り固まらずに他人と向き合おう。ただ、それだけのことだった。技術がどうとか、才能がどうとか、そんなことではない。私に向き合ってくれる沢山の人の中に私自身もいて、だから私もその人たちと向き合う。受験に向かう心が、これでどんなに軽くなったことか。3浪もしてようやく気づけた。間違いなく意味のある3年だった。周りの人たちには長い3年だったと思う。だから、私に向き合ってくれた全ての人に感謝を捧げて、これを、私の合格体験記の「シメ」とさせて頂きます。






小野 海くん(2016年 彫刻科)
兵庫・県立明石高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「受験という美術」

受験はギャンブルではない。本番でしっかりと実力を発揮し合格をつかむ。そのために自分の中にしっかりとしたプロセスを確立する。過程を結果に結び付ける力を。
これが自分の受験でした。
では「実力」とは何でしょうか?自分の120%の実技のことでしょうか。自分はそうは思いません。
大失敗した、あぁもう全然楽しくない、普通になってしまった…って時でもB°を置ける力こそが「実力」だと思います。
これは技術どうのこうのではなく、精神的なことだと思います。

『有為転変を乗り越えよ、不壊不動の境地に至れ。』
これは、毎日毎日色々あるけど、何があってもブレない強い心を持ちましょう。という意味です。
自分は今年、常にこの言葉を握りしめてました。自分が弱いからです。すぐに人に頼ってしまうからです。けっきょく一人です。自分ができることしかできません。こんなの当たり前のことですが、自分を自分だけにするというのは意外と難しいことでした。
天気が、気温が、木炭が、紙が、家族が、講師が、友達が、恋人が…etc.
自分以外に原因を作るのは簡単なことです。しかしそれは自分でコントロールできません。自分の周りで何があろうと、何を言われようと自分以外に期待しない、影響されない精神。コントロールできるのは自分自身だけだという意識が常に必要だと思います。


ここまでに書いたことは、ぼくが2浪して見つけた、ぼくの弱さを克服するために自分に言い聞かせた考えです。
正直、考えすぎだと思います。(笑)
すぐに甘えてしまうので無理して自分を追い込んだりもしました。
ぼくは本来 そんなにストイックな方じゃありません。本音では、楽しいことが一番だ!!っていうタイプです。でもそれこそがもの作りをする上で何より大切なことだと思います。楽しくなけりゃやる意味ありません。
課題である前に美術であること。受験である前に娯楽であることを忘れないでほしいです。
とはいっても 受験ですから独りよがりになってはいけません。 モチーフや見る側に歩み寄ることも必要です。
でもあんまり考え過ぎてもつまらない作品になるし… あぁ矛盾だらけで苦しい、、
自分の世界観と他人の感覚、主観と客観、情熱と冷静、美術と受験、どれも同じことだし両立させるのは本当に大変なことですが、そのバランスを探り当てることこそ自己表現において最も重要で楽しいことではないでしょうか。

受験というのは自分を見つめること、自分を受け入れることだと思います。どんなに見てくれの良い作品が作れたとしても、自分の中の本当の自分と向き合えていなければ合格はできないんだと思います。
いったいなんの順番で合格するのか?きっと上手い人順ではありません。

最後に、今日ここに書いたことは模範解答でも何でもありません。その名の通りぼくのただの体験記です。

自分にしかできないこと、自分にしか作れないものを作ってください。






堀内 万希子さん(2016年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「自分を見つめて」

はじめに、ここに今から書く体験記はあくまで私が感じたことなので「こういう考え方をしなくちゃいけない」とは思わず、こういう考え方もあるんだな、ぐらいの気持ちで読んで下さい。

受験と戦っていく上でぶつかる壁は沢山ありますが、それぞれの壁には共通点があり、
それは「周りに呑まれないこと」です。

高校3年、どばたに通いはじめた当初私は「彫刻科だからこんなデッサンを描かないといけない、こんな粘土付けをしなきゃいけない」という 染まらなければ という思いにかられ、自分の作品に自信が持てずにいました。
しかし時間が経つにつれて気がついたことは、
良いとされているものを描ける、造れるようになることが重要なのではなく、
自分が持っている周りにない良さを引き出し、誰もが納得するレベルまで磨いていくことが重要なのだということでした。

私の「良さ」は高校1、2年生のときに没頭していた個人の作品制作にありました。
コンセプトを考えることや空間を取り入れることに重点を置いた制作、一つ一つの作品に意図をこめて制作することが受験でも活かされ、今回の結果に繋がっていったのかなと思います。

皆さんもゆっくりとした冷静な気持ちになって自身の作品や、今までに体験したことを見つめ直してみて下さい。
きっと他の人にはない、自分だけの良さがあるはずです。 
今見つけられなくても、それは受験当日に発見できたりするものです。
途中で間違っても構いません、3歩進んで2歩下がる。最後には5歩ぐらい進めます。
焦らず、落ち着いた心で修練を重ねていって下さい!






轟木 麻左臣くん(2016年 彫刻科)
東京・都立福生高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「人は人、自分は自分」

周りが羨ましかった
私にないものを持っていた
それがほしくて真似ばかりしていたが
それはあくまでも真似事であって自分のものではなかった

ある時気づかされたのは
自分にしか感じれない作れないものがあるんだということ
自分が持っているものを
腰を据えて地道に磨いていくしかないんだということでした

過程は人それぞれだと思います
私は時間がかかってしまいましたが
早足で通りすぎていたら知らなかったであろう様々な事を学べたと思っています

こんな私を見放さず助言をしてくださった講師の方々、友人達、家族。
成長させてくれた皆さんに
ただただ感謝です

これからも地道に一歩づつ進んでいこうと思います

本当にありがとうございました






山崎 千里くん(2016年 彫刻科)
静岡・県立沼津西高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「自分にあった目標を」

高校生の皆さん大きな夢、目標持っていますか?
僕はもっていました!
芸大への進学はそのための通過点として考えていました。でも漠然と大きな目標をだけを持っていても自分のしなければならない事を見失ってしまうことがあるかもしれません。そこで僕はまずは芸大合格という近い目標を立てそれに向かいまっしぐらに美術に打ち込みました。そしてその中でさらに小さな、前のものよりいいものを描く、造るという目標も立てました。
前の自分に絶対に負けたくない、前の方がよかったと言われたくないという思いがよりいっそうその目標を意識させました。そのおかげか自分でも一枚一枚描くごとに一つ一つ造るごとに自分の実力が上がっている事を実感出来ました。
結局塑造に関しては芸大に受かることは出来ましたが、まだまだの状態です。
ですが芸大に受かったところで終わりではなく、次はまた新たな目標ができ最終的には初めに持った大きな夢、目標を実現出来るようこれからも鍛錬していきます。
皆さんも大きな目標、小さな目標を使い分け無理なく自分モチベーションを保ち美術に打ち込んで下さい。






木村 知史くん(2016年 彫刻科)
京都・市立銅駝美術工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「すべてを味方に」

知っている人や知っていない人もいるかもしれませんが、彫刻科では粘土で作品を造る時、芯棒というものをつくります。
この時しっかりしておかないと重さで像が倒れたり落っこちたりしてしまいます。
僕はある日芯棒の芯を”心”という字で書いて人から「芯と書かないの?」と言われました。どちらもほぼ同じ意味なのですが、僕は心の方が気に入って使っていました。なぜだろうと考えると作品を造ることと自分の心に大きなつながりを感じたからだと思います。
人の心も彫刻と同じで”心棒”がしっかりしていないと大変だということです。
僕はその心の問題で一浪の時に大きく悩み、そのまま二浪をむかえました。
技術だったりおさえるべきポイント、人から見てどう思われるか、そんなことばかり考えながら制作していました。
ですが結局は見抜かれてしまいます。
自分のやりたいこと、主張、そして心がぐらついていたのです。
視点が無い、強さが無い、それは目に見えない形で自分の作品に反映されていました。
ではいったい何がそうさせているのだろうと考える、、、
そもそもなぜ東京芸大に受かりたいのか
自分の彫刻を見る態度はどうだろう
彫刻がなぜ好きなのか
どこで彫刻を知ったのか
自分はどこで生まれどこで育ち今に至るのか
そういう生い立ちみたいなものまで視野を広げて感じてみる。
そしてそこから生まれるネガティブやポジティブな感情、、、
肝心なのはそこから自分が何をくみ取って強い心(芯)をつくりあげるか、
それは人ひとりによって違います。
でもそれを考え始めたら最後、制作に対しての劣等感や不安、ネガティブな考えは吹き飛んでいました。
自分の過去に対する感情は簡単に変えられるものでは無い、それならいっそすべて自分の味方にしてしまえばいいと思ったのです。
そう思えたのは先生や仲間が集まる空間としてのすいどーばたがあったおかげです。純粋にやりたいことを探求できる時間、外に出て作品を鑑賞する時間、たわいも無い話をする時間、悔しい時間、感動する時間そういった時間たちがこの学校には流れている、そしてそこで磨かれた感覚は自分は大切にしなければならないと思っています。
改めてすいどーばたにありがとう!
そして地方からもし来るか来ないか迷っている人は、ぜひ見に来てください。
きっと発見があると思いますよ!






葛城 龍哉くん(2016年 彫刻科)
埼玉・私立浦和実業学園高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「道のり」


自分は小さい頃にものを作るのが好きな子供でアーティストになるという漠然とした夢をもっていました。
小学校のときは特に絵画が好きで、父親にダリの画集を買ってもらったのを覚えています。
しかし、中学校に入ると美術の授業は週に1時限となり、美術に触れる機会は減ってしまいました。(このときの夢は宇宙飛行士でした。)
自分は美術系の高校に入ろうと考えていたのですが担任や親は普通の高校に行けと言い、自分は普通の高校に行きました。ですが、そこには美術の授業はありませんでした。
自分は理系の道に進み普通に勉強して普通の理系の大学に入り普通の企業に就職するつもりでいました。
しかし、大学の試験中にこのままこの大学に入って4年間過ごしてそこそこの企業で働くことを本当に自分が望んでいるのかと疑問に思い本当に自分が小さいときからやりたい事が美術であったことを思い出し数学の答案を白紙で出しました。

ここから自分の「どばた」での浪人が始まりました。

親は自分のことを理解してくれて浪人することを許してくれました。本当に感謝しています。

どばたにとりあえず体験入学に行きました。
自分はそこそこ絵を描くことに自信を持っていましたが、どばたの体験入学で衝撃を受けました。ブルータスの首像を鉛筆でデッサンしました。何時間で描いたかは覚えてないのですが最後に講評があり体験で来ていた人のデッサンが並べられたときに自分より上手な人がたくさんいてこれまで感じたことのないほどに劣等感を物凄く感じました。
どばたの帰り道に自分はあんなやつらに勝てるわけないと思いました。
その後右も左もわからない世界だったのでどばたの基礎科から入ることにしました。木炭で描くということにカルチャーショックを受けました。基礎科に入って1ヶ月もせずに自分はすぐに受験のために昼間部に行きました。

昼間部の人たちは体験入学で見た人たちや基礎科の人たちを遥かに上回る実力でもう少し基礎科で基礎を身につけるべきだったなと後悔した反面かなり刺激になりました。
0の状態からスタートした浪人生活の中で日が経つにつれてデッサンも粘土も経験を積めば変わっていくことを知り、同年代の人たちと実技で張り合えるようになることが最初のどばたでの自分の目標でした。
デッサンや粘土はうまくいかなくてもいままで疎遠だった美術の世界に触れていることが自分はとても楽しく嬉しく思いました。
始めたばかりのときは自分の日々の成長が手に取るように実感できて本当に楽しかったです。
入試直前にはそこそこ力がついてきたのですが最初の受験は失敗しました。一次落ちでした。
当たり前の結果だったのでショックは感じませんでしたが個人的には1年だけ勉強して入れたらかっけーなとか思ってました。

そして、二浪が始まります。

春季講習、円盤投げのトルソーを模刻したのですがもはや模刻になっておらず春季講習の中盤からもう苦痛でした。
しかし、大きなものを作ったおかげで粘土のみせかたが変わりました。いままで小さな凹凸ばかり気にしていて全体性を欠いていたのを解決させてくれました。失敗したとはいえ春季講習で大きなものをやっといてよかったなと思います。
春季講習が終わり普通に昼間部が始まると二浪としてのプライドみたいなものを感じました。同年代の人たちはみんな上手でいつも尊敬していました。
そんな同年代の人たちや先輩たち、後輩たちと仲良くなりいろんな人の実技をみてたくさん刺激を受けられたので本当にすいどーばたでよかったと思いました。
二浪の模擬試験でデッサンがあまりうまくいかずぎりぎりの一次突破でしたが粘土で高く評価してもらい結果は学科落ちでしたが3位でした。とても嬉しかったです。今まで以上に努力が実ったのを実感しました。
そのときに模試の結果を見に来ていた基礎科の時の講師の方に学科落ちを爆笑されたのですが一次受かれば受かるってことじゃんと言われかなり励みになりました。
それ以降はなんの根拠もなく一次突破したら自分は合格すると信じてやっていました。
二浪の入試直前の時は一浪のときよりも緊張してデッサンコンクールでクソみたいな結果を連発しました。

そして受験が始まったのですが、二浪の受験はいろいろと事故がたくさんありました。
まずはじめに受験票がなかなか届かず受験票を再発行して送ってもらいました。
つぎに、一次試験の3日前でした。朝から気持ち悪かったのですがコンクールの素描がある日で3時間だけなら耐えられると思ったので電車で池袋に向かいました。電車ですでに胃がむかむかしていて吐けば良くなりそうな気がして池袋に着いてすぐコンビニのトイレで吐き少し楽になりました。どばたについて素描の課題が出て自分の指定された席につくと尋常ではない頭痛がし、鉛筆を持つ手が動きませんでした。これは描けないと思い中断し、家に帰り、病院に行き、ウイルス性胃腸炎と診断され、38度の熱を出し、嘔吐+下痢の猛攻を受けました。
結局、2日後熱も下がりほぼ良くなったのでおぼつかない足取りでふらふらしながらどばたに向かい試験前最後のデッサンを描きました。
そして試験当日、再発行の受験票を握りしめ一次試験に臨みました。
デッサンは大分序盤で紙の目が潰れてしまい焦っていました。
そんな時にふと三浪することが頭をよぎりました。またセンター試験を受けなければならない。ふざけるな!と思い必死になって描きました。
結果、可もなく不可もなくというようなレベルのものを置いてきてしまい帰り際は本当に死んだ魚のような目をしていたと思います。

一次の発表が自分の中ではほぼすべてだったので発表があるまで本当に緊張が続きました。

発表当日は会場で自分の番号をみつけて本当に安堵しました。と同時に本当に喜びました。

もう後は肩の力を抜いて二次試験に挑むだけだ

そう思ってました。
いざ2次試験が始まるとほぼ伝説のように言われていた大石膏室での素描で緊張と興奮で手が震えました。
3時間本当に楽しかったです。こんな経験二度とないと思うので本当にいい経験ができました。デッサンであまりいいものを描けなかった分素描と粘土で巻き返さないとと思ったのですが素描もあまり満足のいくものは描けませんでした。
粘土は模刻だったらある程度は出来たので模刻が出ることを願っていたのですが
、鳩でした。
ナマモノがあまり得意ではなかったので泣きそうでした。
しかし、講師の方が何が出てもガッツポーズしろと言っていたのを思い出したので、とりあえずガッツポーズしておきました。
自分は鳩は軽く足回りの空間が重要な鳥だと思っていたのでまず小割りを縦に4等分して建てた芯棒をつくりました。
モチーフの鳩は痩せていてとてもカッコよかったのですがあまり鳩らしくないと自分は感じました。
昼休みに昼飯を忘れていたことに気づいたのですが胃腸炎の影響かあまりお腹が空いてませんでした。しかし、何か食べないとだめだと思い友達にサンドウィッチを分けてもらいました。
午後、アトリエに入るとモチーフの鳩が太っていました。自分の中では衝撃的なことでした。鳩はこんなスピードで太るのかと。
ですが、午後の鳩のほうが鳩らしいと思ったのでプランチェンジしました。
大幅なプランチェンジのせいで鳩の全体像がおかしくなり結局残りの30分くらいに安定し始めました。
最後まで粘土を動かしていた記憶があります。

最終合格発表の日
1人で音楽を聴きながら電車に揺られて上野に到着。
正直ダメだと思っていたので変な気持ちで会場に向かいました。
上野公園を歩いていると合格の袋を持った人、何も持たずに泣いている人。日曜日で人が多かったのですが受験生たちは一目でわかりました。今まで味わったことのない緊張感を感じました。会場に着くまで吐き気がすごかったです。
会場についてから自分の番号があり信じられずに七度見くらいしました。
イヤホンを外すときに手が震えていました。嬉しいと同時に複雑な気持ちになりました。一緒に頑張ってきた仲間全員が入れる訳ではないという現実を見ました。
書類を貰いに中央棟にこそこそ向かっていたら講師に見つかり飛びつかれました。嬉しくて嬉しくて言葉にできませんでした。
これまで応援してくれた家族とすいどーばたに本当に感謝しています。

ここまでが自分の合格までの道のりです。

長くなりましたが
何を言いたいかと言うと
夢のために努力すれば夢に限りなく近づくことが出来るということです。

何ごとも諦めずにやれば必ず人は上達する。

自分は2年間すいどーばたで過ごしてそう思いました。
あと、
実技をする上で自分が大事にしていたことは
「見えたものを見えた様に表現する」ということでした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

2015年06月10日

●現役芸大合格者に聞く!

「インタビュー企画第28弾」

〜 榎田進之介(東京藝術大学大学院1年)×冨田佳菜子(すいどーばた講師)〜

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冨田(以下:冨)どうもこんにちは。前回に引き続き、インタビュアーは夜間部の講師の冨田がやっていきたいと思います。今回のゲストはすいどーばたの夜間部に通い、現役で芸大に合格した榎田くんです。ちなみにわたくし冨田の同級生でもあります。それではさっそくインタビューを始めたいと思います。

榎田(以下:榎)こんにちは〜

冨:さっそくですが榎田くんに受験についてや色々な話を聞いていきたいと思います。先日講演会という形で夜間部でもお話ししてもらったので話が重複するところもあると思いますが、もう一度伺いたいと思います。
まず、彫刻を目指そうと思ったきっかけはなんですか?これは聞いてなかったですね。

榎:高校の先生が彫刻専攻だったということもあって、そこの誘導的なところもあるけど、
彫刻家になりたかったというよりは、高校2年の頃にダミアンハーストにめちゃくちゃ憧れてる時期があって。
こういうアーティストになりたいって思ってたら、「これも立体(彫刻)だからね。」と高校の先生に。
まぁ最近の現代アートって、絵も描くし立体も作るし、、マルチプレーヤーが好まれてるから、まぁ一番アーティストになるために勉強するべきなのは立体を作る能力だったり、空間を作ってく力だと思って。彫刻に入って、彫刻を作りながら絵を描く、というのと、絵画に入って絵画をしながら彫刻を作るのだったら、彫刻に入って絵画を描くって方が、できるような気がしたの。

冨:たしかに立体感覚とか空間把握能力は大切だよね。今は何とも思わずに立体を把握できるけど、高校生の時とか立体感覚ってまったくわからなかった!見え方が全然違うよね。本当にそう思う。

榎:その時は本格的に彫刻って決めたわけじゃなかったけど、とりあえず予備校の彫刻科に通ってみて、石膏デッサンとか自分に合ってると思ったからこれだったらこの勉強を続けていって合格できるんじゃないかなと思って。

冨:受験を意識し始めたのはいつ頃ですか?

榎:高校二年生の時にタチビの夏期講習に行ったなぁ。受験のコースだったからかなりピリピリだった。その時のタチビはとにかく放置するような指導方針で全然何も教えてもらえなくて。心棒の作り方とかシュロ縄こととか。まぁ優しい浪人生に教えてもらいつつやったなぁ。

冨:タチビの後は学校?

榎:うんそう、学校が美術系だったからね。学校で描いてた。あと担任の先生がかなり厳しかったし。予備校より全然厳しかったから。

冨:そんなに?(びっくり)

榎:すごいよ、めっちゃ怒られる。描ける描けないじゃなくて、本当に精神的な面でめちゃくちゃ怒られる。なんでそんな怒られなきゃいけないんだよって思ってた。

冨:おおそうなんだ!そういう気持ちが大切なんじゃない?なんでこんなにって思わせるような。

榎:まあね、結構本気でこっちと接してくれるから、こっちも応えなきゃいけないと思ってたし。
ある日突然学食でお昼を食べ終わって同級生と話してたら突然その先生が来て、いきなりめちゃくちゃキレだして。

冨:え?!急に?なんで?

榎:お前ら気合が足りない、こんなんで芸大受かろうなんて思ってんじゃねえぞって
お昼ご飯食べて、時間を一分一秒無駄にできないと思ってないようじゃ受かるわけない
昼ごはんを食べる時間も惜しんで、お腹空きすぎて食パン食べながらデッサンするってくらいの気合がないと受からねぇって言われた。

冨:すごい!スパルタですね〜。でも私もそんな感じだったよ!普通科だったし地方だし、自分でやるしかなくて。朝早く起きて学校行く前に家でデッサンして、学校開いたら学校の美術室で描いて、自主勉の時間も教室を抜けて美術室で描いて、お昼休みもちょっと描いて、部活時間も描いて、家に帰ってご飯を食べたらまた少し家で描いてから、寝る、みたいな。そしてまた朝早く起きる!

榎:俺は家では描いてなかったけどね、まぁ学校の門の前で朝は待機する感じだったね。
じゃないと先生に怒られる〜って言って。俺も5時くらいに起きてやってた。

冨:良い先生。そうやって怒ってくれる人がいるっていいよね。一人では出来ないこととか気づけないこととかあるし。
やっぱ言う時は言って、思ったこと言わないと結局学生のためにならないよね。

榎:まぁね、ずっともうほとんど常に怒られてたけど。
受かってからはやっぱりすごい感謝してるから、いいんじゃない。
予備校初めて行った時、甘くてびっくりした。

冨:では学校でやりつつ、高校三年生になました、それから?

榎:高3の春季はシンビに言って、今の同級生と出会った(笑)
シンビも優しくてびっくりしたね。講評も優しいし、心棒の作り方からあら付けの仕方まで丁寧に教えて貰った。
その時に初めて色々教わったかな。まぁもともと高校が主体で、いろんな予備校に通ってるやつを倒しに行くって意識で行ってたけど。
まぁそのあと夏期講習でどばた行ったね。やっぱ人数も一番多いって聞いてたし。
コンクールとかできっちり順位つくってのとかもやっぱ人数多くていいし、常に現役一位でいようと思ってたから。
現役の中で一番だったら受かるだろうなって。

冨:私は現役生の時、浪人生以上にやらないとって思ってた。

榎:まぁでも感覚が違うと思うんだよね、浪人生とは。
あんまりこう一緒に合わせて戦うってのも、もはや成り立たないんじゃないかなって思ってた。

冨:確かに!私も良くわかんなかった。現役生の時冬期講習のコンクールで良い順位が取れたんだけど、1位から10位くらいまでの割と評価されているデッサンの何が良いのかわからなかった。とりあえず見て描いただけで結果だけ良くて、嬉しいな〜みたいな。

榎:現役の人は自分と土俵が一緒なわけだから、同じゲージで戦えるからね。いつから始めようが、みんな受験したことないわけだし。
とにかく、自分なんかじゃ無理だって思わないで欲しいかな。自分とまったく同じ立場の人たちなんだから、その中で一番を目指せばいいことなんだし。

冨:では、受験当日や入試直前の話を聞いていきましょう。
入試直前は現役生ってすごく伸びますからね。

榎:いや、ほんと伸びるね。ほんと1日1日変わってくよね。

冨:前日はどうだった?
ちなみに私は前日にカツカレーを食べました!ゲン担ぎ。

榎:前日は円盤投げ描いたな。円盤投げ好きだったし、円盤投げでも描いて気合だすかぁーって。
まぁでもその一枚でもいろんなことわかった。
本番は全然緊張してなかったの覚えてるなぁ?。もともと緊張しないタイプだからなぁ。
そういえば私大も受けた!芸大を受かる為に、肩ならしというかリズムを作る為に、私大受けよっかなって。
それが成功してたのかわかんないけど。
別に多摩美武蔵美落ちようがね、関係ないよ。
武蔵美補欠30番台だったけど、まぁ武蔵美の試験向いてないなぁって思ってたし。
あくまでウォーミングアップだったから結果は気にしてないな。

冨:さすがですね〜。わたしは一本だったけど、結果が出たら気にしちゃうかも。

榎:まぁ本気で自分のこと考えられてて、芸大より私大が自分にベストだと思ったらそっち行けばいいと思うけどね。
俺はアーティストになりたいって気持ちがあったし、その為には芸大が一番いいって思ってたし。
自分の将来のことを考えて大学を選ぶってことが本当に大事だと思う。
自分の将来についてしっかり考えたほうがいいと思うよ。
まぁ作ることが好きでとりあえず何か作ってたいって人にも芸大はいいと思うね。大学入ってからの課題とか少ないし。
就職するにしても、肩書きはあるしね、いいと思うよ。

冨:なるほど、確かにそうですね。
しっかり将来を意識して計画的に考えてて、すごいなって思います。同級生ながら感心、、、。

では最後にみんなに何かアドバイスがあればお願いします。

榎:まぁほんとに自分で考えることかな。
伸びるのが遅い人は頑固な人が多いと思う。固定概念を変えられないっていうのがね。
だから今まで自分が信じてる何かがあったとして、それで自分が伸び悩んでるとしたら、なるべく早く変えなきゃいけないわけだから。
うまくいってないなら、いままで思ってたこと全部勘違いかもしれないと思って柔軟に対応できないと。やっぱ常に柔軟に考えることが大事。
自分に今これが必要なのか、冷静に判断して、違うんだったらすぐにやめれないと。
だから固定概念が強い人って間違ってることを変えられないし、間違いを間違いと認めたがらないんだよね。
冷静になって考えを整理しないとね。

冨:それ大事!

榎:自分が間違っていることっていっぱいあるって思ってないと。

冨:そうだよね。

榎:先生の言うことを全部鵜呑みにするんじゃなくて、知識として保管するって感じかな。
まぁとにかく自分にとって何が必要かを考えるってことが重要なんじゃないかな。
で、それが合ってたら、受かる。

冨:受かる為に、どうするかってことですね。
あとは、楽しく描くこと。意識してましたね。

榎:それ大事だね。気持ち大切だよね。

冨:うんうん。
現役生にしろ、浪人生にしろ、その場で感じた気持ちや感動を大切にいつも新鮮な作品を作っていってもらいたいですね。
というわけで、たくさんお話しを聞かせてもらいました!榎田くんありがとうございました!

とても色んなお話が聞けました。学生のみんなも、すこしは参考になったのではないでしょうか?
もうすぐ夏季講習も始まります。今の自分には何が必要なのか、しっかり考えて取り組んでいこう!


榎田くんの試験前日のデッサン
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2015年04月22日

●歴代現役生の芸大合格体験記

「インタビュー企画第26弾」
 歴代の現役合格者体験記特集

2007年度からこのdobachou.netを始めましたが、当時の合格体験記まで遡りそこから今年までの中で現役で東京芸大に合格した人たちの体験記をピックアップしました。

基礎科から始めた人や、通信教育の人、短期間で合格した人など、それぞれの過ごし方や考え方がありますね。
現役生、高校1.2年生、是非読んでみてください。






2007年
大石雪野(2007年彫刻科)
神奈川・県立神奈川総合高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
東京造形大学 造形学部美術学科 彫刻専攻
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『前進』


  私がすいどーばたで過ごした2年間の中で、最も意義があったのは、自分を高めるための行動を惜しまなかったことだと思っています。
 彫刻が強いのは「どばた」と聞いて、矢も盾もたまらず以前通っていた予備校をやめ、すいどーばたの門を叩いたのは、高校2年の春でした。私はまだ受験生ではありませんでしたが、できるだけ早く、多くの経験を積みたいと思い、その頃から夜間部に通わせていただきました。それからはただひたすらに彫刻と向き合う毎日でした。自分の課題をひとつひとつ駆逐していき、着実に上手くなっていく手応えを感じられ、とても楽しい日々を過ごしましたが、その一方で、自分の作品がだんだんと技術に凝り固まり、色褪せていっているという事実に苦しまされることになりました。そんな中助けられたのが、友人や教師の存在です。彼らに、時には力を抜き、素直に感動することの大切さを教えられ、最後には克服することができました。「どばた」で得た人とのつながりは、何にも代え難い宝になったと思います。
 私は常に危機感を抱えていました。いくら実力をつけても、満足できたことは1度もありませんでした。自分はもっと成長できる、と信じる事が、私を支える力となりました。これからも自分の可能性を信じ、生涯邁進し続けたいと思っています。






2008年
北田匠(2008年彫刻科)通信教育生
岩手・県立不来方高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『冷静と情熱の間を』


「冷静と情熱の間」入直の間、その言葉ばかりとなえていた気がする。地方ということもあって2年の始めから通信と講習会を受講してきた。3年の冬季頃には安定した実力もついてきて自信もあったが、センターを終えて入直にくると周囲がかわっていた。浪人生は今まで見たことのない馬力できてるし、現役もノーマークの奴らがやたらと上手くなっていて急に焦った。がんがん伸びる周囲の中で、安定はしていても伸び悩む自分。いつその伸びが自分に訪れるのか不安だった。目も利くようになってこのまま入ってもいいのだろうかと迷っていたとき、自分が逃げていることに気付いた。そんなことを言ったって仕方ない。今ここで受からなきゃ後悔する。勉強は一生していくもので、今を生き抜くことが大切なんだって気付いた。それから本当の受験が始まった。自分のために描こう、作ろうと思った。誰かに勝つためでもなく、誰かを喜ばすためでもなく、自分が納得するために。そうするうちに、色んなものが見えて、何もかも楽しくて、誰よりも自由に駆け回りたくなった。作品を作る上で大切なこと、それがこの言葉「冷静と情熱の間」だった。冷静にならなきゃ見えるものも見えないし、本当に伝えたいことも伝えられなくなる。かといって冷静になり過ぎてもつまらないものになってしまう。情熱的にただうちこめば良い訳でもない。その2つのバランスが絶妙に調和した時初めて、本当に自分の伝えたかった言葉が相手に伝わってくれる。よく感じ、よく観察し、思ったことを丁寧に、大胆な方法で伝える。そう出来るようやってきました。
 受験は人が決めること、そこで悩むより、貪欲に学びにいく方が実は重要だったり。
 芸大合格は自分にとってのスタート地点。どばたの存在が自分に有意義な時間を与えてくれた気がします。世界一の彫刻家になれるよう頑張ります。






2009年
相澤亮(2009年彫刻科)
埼玉・県立大宮高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科


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『悩んでる暇があったら手を動かせ!』


 僕がどばたでの生活を通して常に意識していたことは、自分を慰めないということです。夏季講習会を終えたとき、僕はそれまで自分が思っていたよりも、自分の実力はかなり低いというキツい現実を受け止めなくてはいけませんでした。このままだと、浪人してから「そう言えばあの頃は現役合格なんて夢見てたなぁ」なんて思い出すことになりかねない。かなりガックリきて落ち込みながらも、ここで自分を慰めたらだめだと思いました。ここで安心したって何の解決にもならないし、むしろ問題から目を背けることになる。実力が低いという問題が見えて落ち込んでるんだったらやるしかないじゃん!実技の悩みは手を動かして解決するしかないんだ!と半ばやけくそな気持ちになって2学期を頑張りました。やけくそになって頑張る熱い気持ちと自分を突き放して見る冷たい気持ち。この2つの気持ちをバランス良くコントロールすることが大事。ただ冷たすぎてもつまらないし、ただ熱すぎてもいいものはできない。2学期を頑張るうちにそういうことにも気がつきました。
 実力を上げなくてはいけないという問題の他に「波」をなんとかしなくてはいけないという問題がありました。僕は気分屋なところがあり、いい時と悪い時の差が激しかったのです。いくら実力をつけたところで本番で実力を出せなければ何の意味もなくなってしまう。そう思ってかなり焦っていたんですが、ここでも自分を慰めないということが解決の鍵だったと思います。上手くいった日には上手くいったところは素直に喜びつつも過度に調子に乗らないように気を付け、上手くいかなかった日には、上手くいかなかった原因を分析してみることで感情的に落ち込まないようにしてできるだけ毎日落ち着いて生活するように心掛けました。
 結局、どばたでの生活は自分を知ろうという模索の連続だったと思います。自分の能力を最大限引き出すには自分という人間を客観的に把握していないとできないはずです。僕はどばたでそういうことに気付いて少しは大人になれたかなと思います。






2010年
村田 勇気さん(2010年彫刻科)
富山・県立高岡高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『限られた時間の中で』


私のスタートはかなり遅く、実技に本腰を入れるようになったのは高校3年生の秋。塑造に取り組み始めたのもこの時期からでした。
 それまでは普通の進学校に通いラグビー部に所属し活動する傍ら、空いた時間にデッサンを重ねていたのですが、力試しに当校の公開コンクールに出てみたところ、当然の如く揮わぬ成績に終わり、大変悔しい思いをしました。それを契機として本格的に志望先へと焦点を当て始め、当校の冬季及び入試直前講座を受講するに至りました。
 受験までのごく短い時間と、圧倒的な経験不足という致命的とも言えるハンデの中、いかに他の受講生たちと比肩し得るレベルまで自分の実力を高めていくか。それが私にとっての最重要課題だったのですが、その際に実践したのが以下の4点でした。1.1日あたりの実技の絶対量を増やす。2.講師陣の指導を徹底的に実践する。3.周りの生徒のテクニックを接収する。4.参考作品を徹底して分析する。
 一見すると当たり前かつ簡単すぎる内容なのですが、、これらが絶大な効果を発揮するに充分な要素がすいどーばたには凝集されているのです。1〜4におけるそれぞれの具体例を挙げるならば、以下の通りになります。1.早朝も夜間もアトリエを使用できる。2.優秀な講師陣が熱心に指導して下さり、力をつける上での具体的なアプローチを提示して下さる。3.全国から実力者が集っている。4.膨大な資料がジャンル別に整理されている。
 このように優れた環境に囲まれていたおかげで、2ヶ月弱という短い時間の中でど素人からそこそこのレベルにまで力をつけることができました。
 こんな環境を利用しない手はありません。あなたも今スグすいどーばたへGO!!






2011年
榎田 進之介 さん(2011年 彫刻科)
東京・広尾学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
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『出会い』


 ボクの体験記は芸大の1次合格発表の日からはじまります。その日ほど芸大に合格したいと思った日はないし、今まで芸大を目指してきたくせに、その日ほど芸大の厳しさを知った日はないからです。1次発表の当日、ボクは少しドキドキはしていたもののわりと楽な気持ちでその日を向かえていました。芸大の勝負は2次、1次は突破して当たり前と思っていたからです。甘く考えていたわけではありません。すいどーばた美術学院に通い、参考作品もたくさん見て、これが芸大に受かるデッサンなんだと理解してたつもりでした。その上で、1次試験前のすいどーばたのデッサンは現役、浪人ともにいままで見たことのないような素晴らしいものが並び、あまりの迫力にボクは本気でこれはほとんど全員1次合格しても全然おかしくない、自分も絶対その中にいなくてはと思いました。
 あっという間に1次が終わり発表の日、予備校の仲間たち数人と発表を見に行きました。その中で1次合格はボクだけでした。えっなぜ?みんなあんなに頑張ってたのに、すごい上手いのに、仲間たちは自分のくやしい気持ちをおさえボクに頑張れと言ってくれました。芸大の厳しさが改めてボクに重くのしかかります。みんな粘土もとても上手いのに、当然2次試験で競いあうことになると思っていたし、誰が芸大に入ってもおかしくないと思っていたのに、こんなにも厳しいなんて、ずうずうしかったかもしれませんが、みんなのくやしい思いの分もボクが合格してはらすしかないと本気で思いました。
 2次試験当日、手が出たらあの人、首像はあの人、構成はあの人、と仲間を一人一人思い浮かべます。予備校の先生、高校の先生、学校のみんな、家族を思い浮かべます。そうして挑んだ2次試験は今までとはくらべものにならない作品をボクに残さしてくれました。この結果に導いてくれたすべての出会いに深く感謝します。ありがとうございました。






2013年
室井 颯輝くん(2013年 彫刻科)通信教育生
香川・県立高松工芸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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(入直のコンクールで浪人生を押さえ2位に食い込んだデッサン。上手いというより素直なデッサンですね!)




『見ること』


 私は、高校2年の夏季講習会で初めてすいどーばたに行きました。それまで地元の高校でしか作品を作っていなかった私にとってすいどーばたの空気はとても新鮮に感じられたことを覚えています。そしてその中で私は、自分には明らかに力が足りないことに気がつきました。その後、高校に通いながら通信教育を受け、講習会の度にすいどーばたに通い、できる限りの努力をしました。コンクールの結果もある程度ついてきたこともあり、実力はかなり付いてきたと思っていました。
 しかし、冬季講習の中頃、私はかつて無いほどの不調に陥りました。
デッサンが納得いかないまま時間が過ぎ、途中で終わる。そんなことを何度も繰り返しました。原因はおおよそ分かっていました。テクニックに頼りすぎたデッサンに限界がきて、崩壊していたのです。ある先生に、「今お前のデッサンが途中で終わるのは自分でどこか引っかかってる部分があるからだ。そこで自分の手を頼るんじゃなく、目でしっかりモチーフを見て描いて欲しい。途中で終わるのはお前の目が正しい証拠だ。」と言われ、この時から意味も分からず「モチーフを見る」ということを常に課題にして作品を作りました。
初めは上手く行かず、見るってなんだ?としか思いませんでした。
しかし、少しずつモチーフを見ることができるようになってきて自分の作品がよくなっていきました。自分が納得できる「作品」を作りたい。そんなことも考えながら作品を作っていると、気づいたら、今私が作品を作る上で一番大切にしたいと思う、「モチーフを見てその感動を写し込む」ということが出来るようになっていました。
しかし、1人じゃ絶対にここまで来ることは出来ませんでした。こんなに素晴らしい事を気づかせてくれたのはやはり、今までに出会ってきた先生であり、ライバルであり、支えてくれた人々です。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!







2014年
笹野井 もも さん(2014年 彫刻科)通信教育生
静岡・県立清水南高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『今できることを』


私は地方の美術科のある高校に通う高校生でした。高校の先生に勧められて高校2年の夏から、何度かすいどーばたの講習会に行くようになりました。
そして高校3年の秋からは高校に通いながらすいどーばたの通信教育を受け始めました。朝早く高校に行って誰もいないアトリエでこそこそデッサンを描きました。
私は高校とすいどーばたでは指導内容や雰囲気が大きく異なるように感じていました。
自分の作品に対して多様な意見が聞ける良さと、何を吸収し次の制作に活かすべきか自分で選択しなければならない難しさがあり、2つの場所で彫刻を学ぶ上で考え悩むことがたくさんありました。
しかし入試でどんな結果が出ようと後悔や言い訳をしたくないし、良い作品を制作するために出来ることはなんでもやりたいと思って通信教育をつづけました。
入直に入ってからは、すいどーばたで一日中制作する毎日で、
通信教育では添削してもらう機会の少ない塑造が著しく良くなっていくのを感じました。
しかしこれまでがんばってきたデッサンはなかなか伸びず、
結局入直最後のコンクールまで、納得するものが描けませんでした。
先生に「自分に不足しているものに気をとられ過ぎている」と言われ、
自分がビビっていることに気づきました。
先のことはなるようにしかならないし、
いま出来ることをやるしかないじゃないかと
開き直ったら、とても気が楽になりました。
そして一次試験の3日前になって、
ようやく自分がいいなと思うデッサンが描けるようになりました。
これからも自分が納得できる作品を、
楽しみながらつくっていきたいです。
これまで私に様々な影響をくださったすべての方に感謝します。






2015年
中村 那由多さん(2015年 彫刻科)
東京・都立荻窪高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『合格体験記』


・受験前
 私のどばた体験は中学2年の夏季講習が最初です。高2からは油画科(基礎)に在籍していました。小学4年で油絵を習い始めて以来、ずっと油画指向。彫刻とはまったく縁がなく、紙粘土すらろくに扱ったことがなかったのです。それが、高2の春季講習で彫刻基礎を体験し、高3を彫刻科夜間部生としてスタートしました。転科して1年で合格するまでは、様々なエピソードがあったのです。
 それをすべて書くとキリがないので、受験直前からの出来事を実況風に綴ることにします。
 冬季と入試直前講座では、昼間部・夜間部・ときどき残業(自主クロッキー部)をこなしていたのですが、私にとって一番難しかったのは「彫刻的な」デッサンを描くことでした。そして、ついに3月に突入。
 夜間部で、石膏デッサンをしていた時のことです。ある先生が突然、
「キミ、背景付けなよ」
「……(えっ、いやいや、このデッサンあと2時間しかないんですが。それに一次まであと3日なのに今さら描き方を変えろと!?)」
「付けなよ」
「………………」
 と、言うわけで、石膏像に背景を付けるという油画時代の描き方に戻してみました。が、やはり(彫刻では背景を付けたら受からないのでは)と不安でした。
 でもそんな時、また別の先生が、「描き方なんて考えなくて良い。感じたままに描くんだ」と教えてくれました。おかげでその翌日、つまり一次試験の前日には、スッキリした気持ちで、私本来の描き方が出来た気がします。

・受験中
 私はトルソーが苦手で、一次試験の前日の夜、「神様、円盤とアムールだけは出さないでください」とお祈りしました。しかし、一次の課題はまさかのアムール。あんなに祈ったのに! すでに描く前から涙目になっていた私ですが、どばたの先輩に「ま、難しいほうに考えるな」と励まされ、どうにか冷静に画面に向かうことが出来ました。
 幸運なことに、試験場の重厚な空気感は私を落ち着かせてくれました。この空間を感じながら背景を付け、最後まであきらめずに描こう! と思った矢先。消しゴムペンの調節をしていたら、壊れちゃったのです。……正直、あきらめかけました。しかしその時。近くにいたどばたの仲間が、余分に持っていた消しゴムペンを1本貸してくれたのです。
 これで落ちたらカッコ悪すぎる! と描きまくり、一次を突破することが出来たのでした。助けてくれた仲間たちには足を向けて寝られません。
 二次試験の素描課題は、与えられた素材で立体をつくり、描くというものでした。私は気合いを入れて立体をつくり、それを遠くから眺めて(うーんカッコいい)と悦に入りました。その時点で30分経過していることに気づき、あわてて描き始めるというボケをやらかしましたが、一次に比べると落ち着いて作業出来たように思います。
 その夜、急な喉の痛みと発熱で救急病院に駆け込み、迷惑がられたのが唯一のトラブルと言えるでしょう。
 そして翌日、いよいよ、二次の塑造です。課題はアムール。(またお前か! 出たがりか! もしかして、私が出るなと言ったから怒ってるのか!?)と、軽くツッコみたくなりましたが、一次の時と違って、この出題を楽しんで受け入れることが出来ました。一次の時に励ましてくれた先輩に、謎のテンションで話しかけてしまったほどです。
「先輩、アムールですよ!」
「……う、うん、そやな」
と、微妙に引かれましたが、そのくらい落ち着いていたのです。
作業中は、彫刻的な仕事がどうこうよりも、アムールの美しさや、佇まいの上品さを、拙いなりに表現することしか考えませんでした。このときの私は、「感じたままに描く」という先生のアドバイスを、無意識に実行していたのかも知れません。

・発表
 そして発表日。13日の金曜日、うららかな上野公園内を通って、母と一緒に(どうせないんだろうな)と重い足取りで会場に向かいました。門を入り、掲示板に目を凝らすと、……あった。いやまさか、いやいやいや、と受験票を確認すると、やっぱりある。それでも信じられず門まで戻って、守衛所の係の人に訊ねました。
「番号あったらどうしたらいいんですかっ?」
「中央棟に行って手続きをしてくださいね」
と、落ち着いて道案内をしていただき、中央棟へ猛ダッシュ。書類を渡してくれるお姉さんに、
「本当に私の番号ありますか?」
「ありますよ、大丈夫ですよ(ニッコリ)」
と、ここでもまた慣れた対応をしていただき、桜色の袋を受け取って呆然とどばたに向かい、先生がたに背中をバンバンされ、ひとまず激動の受験生活が終わったのです。

・あとがき
 ダラダラと書いてきましたが、受験、楽しかったです。二次試験の昼休みに木彫室の木屑だらけの床に直に座ってお弁当を食べたのも、なんだか遠足気分でした。でも、そう思えるのも、私の受験生活を支えてくれた人たちがいたからです。
デッサンに背景を付ける楽しさを(半ば強引に)思い出させてくれた夜間の先生。
私の不安を取り除いてくれた先生。
指導してくれたすべての人たち。
励ましてくれた仲間、助けてくれた仲間、夜間部の後で一緒にクロッキーをした皆。

 受験日の朝立ち寄ったカフェで気持ちをほぐしてくれたスタッフさん、沿道でカイロを配りながら「頑張ってください」と声をかけてくれた業者さんたち、そして、発表日に一緒に猛ダッシュしてくれた母に、心よりの感謝を捧げます。

2015年04月03日

●2015合格者体験記特集

「インタビュー企画第25弾」
 2015合格者体験記特集

2015年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






津田 直樹くん(2015年 彫刻科)
熊本・県立第二高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『保つ』

僕が受験を目前に控え、いくつか意識していた事があります。
一つは、「平常心」を保つ事でした。
具体的に自分が心掛けていた事は、「いつも通りを保つ」という事です。それは、実技の面でも、生活の面でも共通して心掛けました。入試直前だからといって、実技だけに注意を注がず、生活(特に家事など)をおろそかにしないということです。
それが本番で、自分のペースの乱れを抑制してくれたのではないかと思います。
もう一つは、「モチベーションを保つ」という事です。
自分が大学に入って何を学び、何を作りたいのか、ほんの少しでも具体的なビジョンを持つ事は自分を支えてくれます。「大学に合格する」という漠然とした目的に少しでも具体性を持たせる事は、自分にとって強みになると思います。それは、現役の時の僕に欠落していた事でもあります。
ビジョンは強ければ強いほど、自分を一歩前に進ませる原動力となります。
3つめは、「感謝を忘れない」という事です。家族からの支援や応援。先生や先輩や友達などから受けた言葉のおかげで、自分は成長出来たと確信しています。他者からの言葉は、どんなものでも捉え方次第で励みになります。
この3つは自分の中で大きな主軸です。皆さんの参考になれば幸いです。

一年間様々な方に支えられてきました。本当にありがとうございました!!!






田中 綾子さん(2015年 彫刻科)
大阪・市立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『信じる』

すいどーばたで過ごした3年間で、私が受験において大切だと感じたことは、自分の目を信じるということです。
自分の目を信じるためには、たくさんの経験を積むこと、いつでもフラットな気持ちであること、自分が何を大切にして制作をしているのかという考えを持っていることが必要だと思います。
知識も技術もなかった私は、がむしゃらに色々なことを試しました。
失敗が続くと、何も描けない作れないという気持ちになるし、周りを見て劣等感を感じて、どんどん自信はなくなって、あーもうあかん…やってられへん…と何度も心が折れて。
そうなると、何かにすがりたくなるもので、観念的になったり保守的になったりしてしまいました。
そんなとき、ある先生の「モチーフに頼れ」という言葉に救われました。
自分の見えているもの感じているものを信じて、落ち着いて制作することができるようになりました。
長い時間はかかりましたが、やっと結果が出せたのは周りで支えてくださった方々のおかげです。
本当にありがとうございました。






田中 地平くん(2015年 彫刻科)
宮崎・県立宮崎西高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
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『試行錯誤』

一浪のころは実技に劣等感がありました。夜間部からどばたに通っていた人の実技を見ると、いかに自分が何も考えずに制作していたかを思い知らされました。そんな時は自分の強みはどこか、どういうモチベーションだといい実技になるか、など自分と向き合いながら必死にもがいていました。
しかし一浪で落ち二浪が決まった時、この一年やりたいことをやって悔いのないものにしよう!と決心し、一学期から大きな作品をいくつか作りました。カリキュラム外の制作をすると、自分の作る作品への要求度があがり、いい作品を残すことが出来ました。すると自分に自信を持てるようになりました。
しかし、12月頃から自分の実力と最終的にあがってくるものにギャップが出てきて、なんでうまくいかないだぁ!!とかなり悩みました。そこで入直を受験へ向けた調整に使うことにしてみました。
コンクールを試験に見立て、どういうモチベーションと課題の解釈をしたときに結果がいいか、普段も毎課題微調整をして、入試の2日前にようやくこれだ!と思えるところに行き着けました。そして試験では今までつけた力が支えてくれたように思います。
合格して報告をしたい人がたくさんいたときに、いろんな人に支えられてきたんだなぁと実感しました。いままで応援し支えて下さった皆さま本当にありがとうございました。






篠塚 未来さん(2015年 彫刻科)
神奈川・神奈川大学付属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
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『努力』

こんなにも色々な想いで過ごした2年間は、今まで生きてきた中で1番だったように思います。

たくさんの不安や葛藤に何度も押し潰されそうになり、眠れない夜も何度もありました。でも、そんな不安を自信に変えてくれたのは、これまで作ってきた作品達です。
自分には今何ができて何ができないのか、これを常に考え行動するようにしていました。自分に足りないと思う実技があれば夜残り、自分が納得できるまで制作しました。私は、誰がなんと言おうと自分が納得できないと不安だったので、それはとても大切なことだったと思います。
自分の納得いく作品が一つまた一つと増えていくにつれ、それらが大きな自信となりました。そして、胸を張って試験に望むことができました。

これからも、努力を惜しまず頑張っていきます。
今まで私を支えてくれたすいどーばた美術学院のみなさんに感謝します。ありがとうございました。






齊藤 澄果さん(2015年 彫刻科)
東京・都立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『私が一番信じてあげなくちゃ!』


浪人生活をしていく中で、苦手意識のあった塑造が少しずつではあるけど、着実に伸びていくのを感じた。
しかし、その一方で満足のいくデッサンが描けない状態が続いた。

そして秋の初めのコンクールで、最悪な結果を出してしまった。すごくショックだった。
それから2ヶ月ほど、「自分はできない、できない」と狂いまくりのデッサンを描いたり、真っ黒なデッサンを描いたりした。
周りの同い年の子たちがどんどん伸びていって焦った、悔しかった。
ずっと自惚れていた。
あるはずの自分の力を信じられなくなった。

冬が近づき、「できる」とか「できない」とか考えるのも面倒になって、余計なことは何も考えず、ただモチーフを見つめ、そこに見えるものだけ、自分の目を信じて描いた。そしたら今まで何を悶々としてたのかというほど描けた。
この小さな波を大波にしてやろうと思った。


自分を信じろ、とかよく言うけど、それはフィルターのかかった自惚れとかじゃなく、自分の今まで感じたこと、やってきたこと、見てきたこと、自分しか知り得ない自分を信じて向き合うことだと思う。
今まで積み重ねてきた記憶や経験があるのにそれを否定して「できない」「ダメだ」なんて、そんなの自分が可哀想じゃん!


1年という長い期間で弱気にならないわけがないと思います。
ふとネガティブなことがよぎることもあるでしょう。
別に口に出さなくったていい、内側で思ってるだけでいいんです 。
それで良い結果が出る保証なんてないけど、きっと何かがあるはずです。






白谷 琢磨くん(2015年 彫刻科)
佐賀・佐賀北高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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『自分のペースで』

 現役の時に受験した大学は全て一次で落とされました。浪人して初めてのコンクールで最下位に近い評価を付けられました。人にからかわれ、無力な自分に腹が立ちました。自分の全てを否定された気持ちになり、周りとのレベルの差感じざるを得ませんでした。
 それでも途中でめげることがなかったのは藝大に合格している自分を明確にイメージできていたからだと思います。根拠のない自信などではなく
「自分はどのくらい勉強すれば追いつけるのか」
「どのくらい時間が必要か」
冷静に自分自信と相談しました。一年では時間が足りないと思ったので二浪目の受験に焦点を合わせました。

 すいどーばたで様々な方からアドバイスやヒントを貰い、実践して自分なりに解釈を深め、答えをだしていく。感覚だけを磨くのでなく、何をしたらどうなるのか実践しノートにとったり、上手い奴は何故上手いのか分析してみたり、有意義な時間を過ごせたと思います。
 そして気づいたのはどんな状況だろうと自分は自分であることが大事だということです。積み上げたものは確実に自分の力になっています。個性はそれまで生きてきた全てです。自分に素直になればそれだけで見えてくるものがたくさんありました。試験本番でもそういう自分の言葉を会場に置いてこれたと思います。

 悔しい思いをして、泣いてあがいて、やっと一つの結果をだすことができました。どばたで経験し積み上げたものはこの先様々な場面で僕を支えてくれると思います。何も言わずに協力してくれた両親、彫刻の道を指し示してくれた先生方、常に自分の前を走ってくれた仲間達、本当に感謝しています。






中村 那由多さん(2015年 彫刻科)
東京・都立荻窪高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『合格体験記』


・受験前
 私のどばた体験は中学2年の夏季講習が最初です。高2からは油画科(基礎)に在籍していました。小学4年で油絵を習い始めて以来、ずっと油画指向。彫刻とはまったく縁がなく、紙粘土すらろくに扱ったことがなかったのです。それが、高2の春季講習で彫刻基礎を体験し、高3を彫刻科夜間部生としてスタートしました。転科して1年で合格するまでは、様々なエピソードがあったのです。
 それをすべて書くとキリがないので、受験直前からの出来事を実況風に綴ることにします。
 冬季と入試直前講座では、昼間部・夜間部・ときどき残業(自主クロッキー部)をこなしていたのですが、私にとって一番難しかったのは「彫刻的な」デッサンを描くことでした。そして、ついに3月に突入。
 夜間部で、石膏デッサンをしていた時のことです。ある先生が突然、
「キミ、背景付けなよ」
「……(えっ、いやいや、このデッサンあと2時間しかないんですが。それに一次まであと3日なのに今さら描き方を変えろと!?)」
「付けなよ」
「………………」
 と、言うわけで、石膏像に背景を付けるという油画時代の描き方に戻してみました。が、やはり(彫刻では背景を付けたら受からないのでは)と不安でした。
 でもそんな時、また別の先生が、「描き方なんて考えなくて良い。感じたままに描くんだ」と教えてくれました。おかげでその翌日、つまり一次試験の前日には、スッキリした気持ちで、私本来の描き方が出来た気がします。

・受験中
 私はトルソーが苦手で、一次試験の前日の夜、「神様、円盤とアムールだけは出さないでください」とお祈りしました。しかし、一次の課題はまさかのアムール。あんなに祈ったのに! すでに描く前から涙目になっていた私ですが、どばたの先輩に「ま、難しいほうに考えるな」と励まされ、どうにか冷静に画面に向かうことが出来ました。
 幸運なことに、試験場の重厚な空気感は私を落ち着かせてくれました。この空間を感じながら背景を付け、最後まであきらめずに描こう! と思った矢先。消しゴムペンの調節をしていたら、壊れちゃったのです。……正直、あきらめかけました。しかしその時。近くにいたどばたの仲間が、余分に持っていた消しゴムペンを1本貸してくれたのです。
 これで落ちたらカッコ悪すぎる! と描きまくり、一次を突破することが出来たのでした。助けてくれた仲間たちには足を向けて寝られません。
 二次試験の素描課題は、与えられた素材で立体をつくり、描くというものでした。私は気合いを入れて立体をつくり、それを遠くから眺めて(うーんカッコいい)と悦に入りました。その時点で30分経過していることに気づき、あわてて描き始めるというボケをやらかしましたが、一次に比べると落ち着いて作業出来たように思います。
 その夜、急な喉の痛みと発熱で救急病院に駆け込み、迷惑がられたのが唯一のトラブルと言えるでしょう。
 そして翌日、いよいよ、二次の塑造です。課題はアムール。(またお前か! 出たがりか! もしかして、私が出るなと言ったから怒ってるのか!?)と、軽くツッコみたくなりましたが、一次の時と違って、この出題を楽しんで受け入れることが出来ました。一次の時に励ましてくれた先輩に、謎のテンションで話しかけてしまったほどです。
「先輩、アムールですよ!」
「……う、うん、そやな」
と、微妙に引かれましたが、そのくらい落ち着いていたのです。
作業中は、彫刻的な仕事がどうこうよりも、アムールの美しさや、佇まいの上品さを、拙いなりに表現することしか考えませんでした。このときの私は、「感じたままに描く」という先生のアドバイスを、無意識に実行していたのかも知れません。

・発表
 そして発表日。13日の金曜日、うららかな上野公園内を通って、母と一緒に(どうせないんだろうな)と重い足取りで会場に向かいました。門を入り、掲示板に目を凝らすと、……あった。いやまさか、いやいやいや、と受験票を確認すると、やっぱりある。それでも信じられず門まで戻って、守衛所の係の人に訊ねました。
「番号あったらどうしたらいいんですかっ?」
「中央棟に行って手続きをしてくださいね」
と、落ち着いて道案内をしていただき、中央棟へ猛ダッシュ。書類を渡してくれるお姉さんに、
「本当に私の番号ありますか?」
「ありますよ、大丈夫ですよ(ニッコリ)」
と、ここでもまた慣れた対応をしていただき、桜色の袋を受け取って呆然とどばたに向かい、先生がたに背中をバンバンされ、ひとまず激動の受験生活が終わったのです。

・あとがき
 ダラダラと書いてきましたが、受験、楽しかったです。二次試験の昼休みに木彫室の木屑だらけの床に直に座ってお弁当を食べたのも、なんだか遠足気分でした。でも、そう思えるのも、私の受験生活を支えてくれた人たちがいたからです。
デッサンに背景を付ける楽しさを(半ば強引に)思い出させてくれた夜間の先生。
私の不安を取り除いてくれた先生。
指導してくれたすべての人たち。
励ましてくれた仲間、助けてくれた仲間、夜間部の後で一緒にクロッキーをした皆。

 受験日の朝立ち寄ったカフェで気持ちをほぐしてくれたスタッフさん、沿道でカイロを配りながら「頑張ってください」と声をかけてくれた業者さんたち、そして、発表日に一緒に猛ダッシュしてくれた母に、心よりの感謝を捧げます。






林 岳くん(2015年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『受験、美術』


美術とはいえ、受験は所詮受験です。
受験には「評価をする人間」という明確な相手がいます。おさえるべきポイントがあり、大部分がその減点の数できまる評価があります。より良い評価を得るために必要なのはそのポイントをおさえようとすることではなく、「評価をする人間」におさえていると思われることだと思います。自分の表現やこだわりに陶酔するのではなく、常に「評価する人間」がいるということを基準に、すべきことを考えることが出来れば一過性のものではない安定した制作ができると思います。

2014年03月23日

●2014合格者体験記特集

「インタビュー企画第23弾」
 2014合格者体験記特集

2014年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






『美大を志す人達へ』
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高橋 銑くん(2014年 彫刻科)
東京 都立三鷹高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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はじめに、あくまで一つの考え方として読んで下さい。
自分がこの一年で感じた事を書きました。


誰よりもまっさらな目で対象に向かう事。
それが全ての始まりなのだと思います。

所謂、技法や決まりごとは、先人が全身全霊で対象と向かい合い、それによって残された作品達の中から、ある共通性を見出す事で生まれているはずです。
そして、それを外面だけ真似するのではなく、追体験する事こそが「勉強」なのではないでしょうか。

劣等感、主観と客観のギャップ、過去の辛い思い出、この先色々な苦しみがみんなの目を曇らせていくだろうとは思います。
そうなってしまったら、まずは自分自身を見つめて下さい。
受け止められる所から、少しずつでいいので、自分を知っていって下さい。
そしたらきっと、前よりも少しだけ、対象と向き合えるようになった事に気付くと思います。

ゆっくりで大丈夫。かっこ悪くてもいいんです。後悔があってもいいんです。肩の力が自然に抜けるまで、じっくり格闘してみて下さい。






『今できることを』
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笹野井 もも さん(2014年 彫刻科)通信教育生
静岡 県立清水南高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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私は地方の美術科のある高校に通う高校生でした。高校の先生に勧められて高校2年の夏から、何度かすいどーばたの講習会に行くようになりました。
そして高校3年の秋からは高校に通いながらすいどーばたの通信教育を受け始めました。朝早く高校に行って誰もいないアトリエでこそこそデッサンを描きました。
私は高校とすいどーばたでは指導内容や雰囲気が大きく異なるように感じていました。
自分の作品に対して多様な意見が聞ける良さと、何を吸収し次の制作に活かすべきか自分で選択しなければならない難しさがあり、2つの場所で彫刻を学ぶ上で考え悩むことがたくさんありました。
しかし入試でどんな結果が出ようと後悔や言い訳をしたくないし、良い作品を制作するために出来ることはなんでもやりたいと思って通信教育をつづけました。
入直に入ってからは、すいどーばたで一日中制作する毎日で、
通信教育では添削してもらう機会の少ない塑造が著しく良くなっていくのを感じました。
しかしこれまでがんばってきたデッサンはなかなか伸びず、
結局入直最後のコンクールまで、納得するものが描けませんでした。
先生に「自分に不足しているものに気をとられ過ぎている」と言われ、
自分がビビっていることに気づきました。
先のことはなるようにしかならないし、
いま出来ることをやるしかないじゃないかと
開き直ったら、とても気が楽になりました。
そして一次試験の3日前になって、
ようやく自分がいいなと思うデッサンが描けるようになりました。
これからも自分が納得できる作品を、
楽しみながらつくっていきたいです。
これまで私に様々な影響をくださったすべての方に感謝します。






『どばたでよかった!!!』
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岡野 貴之くん(2014年 彫刻科)
三重 県立暁高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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一浪の夏、どばたに来て「こんなにも上手い人がいるのか」と歓喜かつ劣等感を感じたのを凄く覚えている。「這い上がってやる」って必死こいて結果芸大一次落ち。劣等感を持ちながら二浪になった。もっと強気なモチベーションで死に物狂いする気でいたがそれだけじゃ上手く事が運べなかった。自分に足らなかったのは友達の重要さだった。それに気づいただけで気が楽になり視野が広くなりモチベーションを高く持ち続けれた。時には語って嘆いて時にはすごく泣いて時には爆笑してほんと楽しい生活がおくれた。先生たちも親身になって指導してくれたり、檄を飛ばしてくれたり、なんだかんだ自分の支えになっていて、その分うまくいかない時には勝手に責任感じて泣く事も多々あったがめげずに頑張れた。だからこそ合格する自分をイメージ出来た。そのイメージが自分を合格に導いたと自分は思ってます。高め合えながらも優しい仲間、見捨てる事なく見届けてくれた先生方、画材あーるの店員さんや地元で応援してくれてた人、そして家族、みんないなければここまで充実して受験に励めなかったです。どばたに来てほんとによかったです。みんな大好きです!ありがとうございます!!!






『自分』
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古谷 由布くん(2014年 彫刻科)
東京 都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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「制作は一人でするもの」浪人中自分の中でそれを常に意識していました。その理由は二つあります。
一つは、一人で作ったものを他人に見てもらって何と言われるか、言われたことを自分なりに考えてまた一人で作る、他人に見てもらう。これを繰り返すことが最も力がつくと考えたからです。
二つめに、実際の入試は一人です。アドバイスをくれる先生はいません。誰も助けてくれません。自分以外はみんな敵。頼れるのは自分だけだからです。
もちろん、助け合う仲間や競い合うライバル、先生方の助けは必要だと思います。でも、結局は自分です。結果が良くても悪くても、それは自分のせい。合格するための最良の道を自分で判断し、芸大合格を勝ち取ってください。

2013年03月25日

●2013合格者体験記特集

「インタビュー企画第21弾」
 2013合格者体験記特集

2013年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






「浪人生活と僕」
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吉野 俊太郎くん(2013年 彫刻科)
埼玉県 県立大宮光陵高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(2月の寒空の下、外で描いた自然光デッサン。スケール感が凄い良いデッサンですね!)


 尊敬する先輩ができた。大切な仲間ができた。この二年間、沢山沢山目標ができました。

 美大受験を志してすいどーばたの夜間部に入学した時から、自分の照準は自分の先を行く人達でした。その人達に負け続けたくない、偉そうな顔なんかされなくない。生意気な自尊心を武器に勝負しにいって、ボロボロに負けた時に助けてくれたのは、自分が仇にしていた先生や先輩達でした。優しかったし、暖かかった。突き放すことなく、僕にヒントを与え続けてくれました。

 受験勉強をしていく中で、美大受験は人間として成長すること、いわゆる自分との戦いなんだと知りました。今まで受験における敵だと思っていた奴らはみんな僕の先輩や先生に変わりました。自分にできないことをやってのける素敵な仲間でした。もちろん、悔しさも感じましたが、何より学ぶことが多すぎた。それからどんどん時間がすぎて、とうとう二度目の受験が近づいた時、充実していた二年間を振り返って、正直すごく寂しく感じました。二年間がとても早かった。楽しかったなあ。そんな二年間を仲間と共に送れたからこそ、今の自分はあると思います。

 僕は先輩は最高のヒントだと思います。先生の指導は最高の薬だと思います。仲間は最高の武器です。この二年間で学んだこと、これからの最高の糧になります。

 自分を応援してくれた家族と仲間と先生方に感謝しています。ありがとうございました。






「見ること」
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室井 颯輝くん(2013年 彫刻科)
香川県 県立高松工芸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(入直のコンクールで浪人生を押さえ2位に食い込んだデッサン。上手いというより素直なデッサンですね!)


 私は、高校2年の夏季講習会で初めてすいどーばたに行きました。それまで地元の高校でしか作品を作っていなかった私にとってすいどーばたの空気はとても新鮮に感じられたことを覚えています。そしてその中で私は、自分には明らかに力が足りないことに気がつきました。その後、高校に通いながら通信教育を受け、講習会の度にすいどーばたに通い、できる限りの努力をしました。コンクールの結果もある程度ついてきたこともあり、実力はかなり付いてきたと思っていました。
 しかし、冬季講習の中頃、私はかつて無いほどの不調に陥りました。
デッサンが納得いかないまま時間が過ぎ、途中で終わる。そんなことを何度も繰り返しました。原因はおおよそ分かっていました。テクニックに頼りすぎたデッサンに限界がきて、崩壊していたのです。ある先生に、「今お前のデッサンが途中で終わるのは自分でどこか引っかかってる部分があるからだ。そこで自分の手を頼るんじゃなく、目でしっかりモチーフを見て描いて欲しい。途中で終わるのはお前の目が正しい証拠だ。」と言われ、この時から意味も分からず「モチーフを見る」ということを常に課題にして作品を作りました。
初めは上手く行かず、見るってなんだ?としか思いませんでした。
しかし、少しずつモチーフを見ることができるようになってきて自分の作品がよくなっていきました。自分が納得できる「作品」を作りたい。そんなことも考えながら作品を作っていると、気づいたら、今私が作品を作る上で一番大切にしたいと思う、「モチーフを見てその感動を写し込む」ということが出来るようになっていました。
しかし、1人じゃ絶対にここまで来ることは出来ませんでした。こんなに素晴らしい事を気づかせてくれたのはやはり、今までに出会ってきた先生であり、ライバルであり、支えてくれた人々です。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!






「作品として作る」
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小林 かおる さん(2013年 彫刻科)
群馬県 白鷗大学足利高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(私立美大からの再受験なので昨年の作品です。コンクール1位でした。光と空気感のきれいなデッサンですね!)


 無我夢中で駆け抜けた現役一浪、どばたに来て自分が明らかに技術と知識が足りないことを思い知った二浪。粘土に問題のあった私はいつも講師に作品として作りきることを言われていた。コンプレックスの塊でいつも塑像をするときは怖かった。完成させられない、みんなのようにうまく作れないと馬鹿なことばかり考えていた。そんなのだから二浪目も芸大に落ちた。もう精神的に浪人はできないと考え私大に進んだ。
 大学に行って、今度は私の立体に対する姿勢の甘さに気付かされた。ただ作るだけではない。足すことも引くこともあって、そしてなによりも自分が感じたこと、それを他人にわかりやすく伝えること。デッサンのときにはできていたのに頭でわかったつもりになっていただけで理解してなかった。
 入直に再受験するためまたどばたに戻って来てしまった。相変わらず作るのは遅いし焦るし、講師には背中を叩かれた。それでも今まで見て見ぬ振りをしていた自分の弱さを受け止めて、表現したいことを率直に粘土に出そう、そう思えるようになった。それが私にとっての作品として作りきることだった。本番も吹っ切れていたのだろう。
 私は二浪で一回私立大学に行ってしまったし、お金も時間もたくさんの人に迷惑もかけてしまった。けれども受験生活で学んだことは何一つも無駄ではない。私のように実技が硬直していた人にとって大事なことは視野と価値観を広げ、自分自身が変わることだと思う。受験にとって最大の敵は自分で一番の味方も自分。努力してください、気付いてください、そしてなによりも周りの人と多く関わってください。それが受験生にとっての特効薬です。






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日吉 智子さん(2013年 彫刻科)
長崎県 長崎日本大学高等学校 デザイン美術科 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(入直で制作した友人像。思い切って腰上の像にチャレンジし、見事に造り切りましたね!)


 なんのためにデッサンを描くのか。描かされてると気がついたのは二浪が終わった頃だった。作品に責任も取れず、良いものを生み出すことが正義だと不安の中、やみくもに出された課題をこなしていた。分かっていたはずのものがわからなくなった。
 三浪のはじめ、私はなぜ芸大を目指してるのか、そこには胸を張って言える答えが無く、彫刻の力が欲しくて最高峰ばかりを意識しているだけではないか、どこでも作りたいものは作れる。盲目的に彫刻=芸大になっている自分を再認識したのを覚えている。暖かい春の陽気を感じながら、三浪を最後に受験を辞めよう、そして意味のある一年にしようと心に決めた。
 とにかく自分を知ることから始まった。自分の制作のリズムや思考、体力、実践……。そこにはただ毎日実技をしていた自分とは違うものとなっていた。芸大にピークを合わせるために調子も合わせ、計画も立てた。あと、校内試験での落ち着き、その中での結果、それがいかに大切かと知った。どんな時も自分の作品を客観視し、試験当日その瞬間に感じたことをそこに表現しようと。自分を殺すのも生かすのも自分しかいない。
 実技が自分自身を強くし日々のコンクールでも合格圏内をキープ出来るようになったころ、見えない壁に当たった。なかなか実技でトップを取れず、二番三番が続いた頃、先生に「だからお前は二番手なんだよ」と言われた。その時は「なんでそういうことを言うの」としか思えなかったが、それは最後の自分の弱さだった。認めたくないから変われた。悔しかったから上達もしていった。辛い言葉だったが、それが私を強くしたのかもしれない。
 私にはまだな部分が多いけれど、ようやくスタート地点に立てました。自分で学費を払うのは大変だったし、口下手で不器用で、悩みも多かったけれど、すいどーばたで浪人できた日々は本当に大切で、多くを学べた三年間でした。最後にずっと応援してくれた家族に「合格したよ!」と伝えられて本当に嬉しいです。






「走らされるな」
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安井 鷹之介くん(2013年 彫刻科)
愛知県 東邦高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(試験直前の課題。自刻像と手の構成。言い切りがあり説得力があります!)


 自分は負けず嫌いなのもあるし、ただただ験を担いでるのもあるが、信号一つ渡るにしても赤になるまでに渡れるか?いや渡れる!・・みたいに日常のアホらしい些細なとこからの干渉を自然とやってきた。
 入直である講師にご飯に連れてってもらい「お前らは勝負しかける気がないだろ」と言われ、自分は実技に関しては置きにいってたのか?と疑った。高校の時はぶいぶい言わせていて、でも芸大落ちて、どばたに来てどんどん抜かされて結局は根拠のないエゴな自信みたいなのだけにしがみついていた。
そこからはとにかく作品に自分をブチ込もうと思った。それをやることを通し決断を自分の意思で意識してするということを目的とした。すると一歩引いたニュートラルで紳士的な違視点も組み合わさっていった。
 結果、どばたで得たのは実技上だけのことでなく、成り行きや流れに任せない"自分の意志で動く"こと、こうしたいと思った事に対して前向きである事、これからの生き方の考えるキッカケでもあった。






「答え(仮)」
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島田 佳樹くん(2013年 彫刻科)
埼玉県 獨協高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(どばたで描いた最後のデッサンです。柔らかく奇麗な炭で繊細かつゆったりとデッサンしていますね。)


ただただ、答えを探す一年でした。
 この一年は、自分は本当に彫刻をやっていて良かったのか、美術をやっていて良かったのか。それを何度も何度も自分に問いかける日々でした。
 芸大に受かったことで、やっと答えが出たような気がします。
 ここまで自分を成長させてくれた、どば彫講師の方々、大事な仲間。
 本当に今までありがとうございました。

2012年10月10日

●2012合格者体験記特集

「インタビュー企画第19弾」
 2012合格者体験記特集

2012年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。


『楽しむ』
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荒木 秀造くん(2012年 彫刻科)
兵庫・明石高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 実技を学ぶ上で人それぞれいろんな価値観を持っていると思います。 僕は何よりも楽しむことを大切にこの一年を過ごしました。 でもその楽しみはただ待っていても決して得られるものではありません。自分が自分のために自分でつくりださなければならないものだと思います。 どんな課題が出されても、常にどこをどう楽しむかをまず考えます。石膏デッサンでも、この石膏のかっこよさってどこだろう?そのかっこよさってどうやったら出せるだろうか?そんなことを考えながら手を動かせば自然と作品はイキイキとしてくると思います。でも当然上手くいかなくて、しんどくなったりイライラしたり、凹んだりすることも沢山出てきます。そんな時に必要不可欠なのが友達です。 実技の話をするのも勿論ですが、一緒にカラオケに行ってばか騒ぎしたり、下らない話で盛り上がったり、そういった時間にどれだけ救われたでしょうか。本当に楽しかった。友達だけじゃなく、無条件に応援してくれる家族や真剣に指導してくださった先生方、影で支えてくれた教務の皆さんにも本当に感謝しています。 自分が合格できた一番の理由は、浪人生であることを何よりも楽しめたからだと思います。今だから胸を張って言えます!「この予備校で浪人できて本当によかった!!ありがとう!!!」


「粘った」
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中本 那由子さん(2012年 彫刻科)
東京・東京大学教育学部附属中等教育学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科/武蔵野美術大学 彫刻学科
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 二浪の三月、私は芸大受験に一次で敗れました。それまでに膨らみすぎたちっぽけなプライドはズタズタのグチャグチャになり、好きだったデッサンが大嫌いになりました。 三浪の春は、本当に何をしたらいいのかわからないところからスタートしました。 それでももう一度やることにしたので、一年かけて確実に成長しよう、絶対に無駄にはしないと決めました。 しばらくはまともに課題と向き合うことができませんでした。 前と同じことをしてしまったり、逃げ腰になって空回りしたりを繰り返しました。 膠着状態が続きました。 もう嫌だと思った秋に、先生に相談して無理を言ってじっくり時間をかけてやらせて貰った個人課題が転機でした。 それ自体の出来はともかく、見て作って考えることが楽しいという、ただ工作が好きだった子供の頃のような感覚に戻り、これだ!と思いました。 それからは実技が「ちゃんとやる」から「表現したいことを見つけてがんばる」にシフトしていきました。 そうすると自分に心地良いプレッシャーがかかり、一時期嫌で嫌で仕方なかった描くこと・作ることがまた楽しくなり、見えることも増えて、自然と自分の状態が整っていきました。 毎回、初心者になった気分でした。 最後は第一印象の感動を再現したところがゴールだとひたすら思い込んで、モチーフとの会話を徹底しました。 変に高いプライドは適度な自信に変わりました。 四月の苦しさは消え去り、自分の感覚の奴隷になることがとても楽しかったです。 本当に好きなことは嫌いになってからが本番だ、というのを誰かが言っていたのですが、まさにそんな一年でした。 こんなことはまたあるんだと思います。 しっかりとやりきれたのは、色々な気付きを与えてくれた先生方、一緒にいてくれた友人、ずっと支えていてくれた家族のおかげです。ありがとうございます。

「転」
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新井 健くん(2012年 彫刻科)
千葉・安房高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科/武蔵野美術大学 彫刻学科
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 色んな人に出会い寝て色んな人に支えられ寝て良きライバルを持ち寝て良き講師に恵まれ寝て色んな人と寝て後悔して寝て覚悟を決め寝てだめだ、このままだとただ予備校に糞尿をはこんで食物を摂取し家に持って帰る生命体だ!と気づいた辺りから作品制作において自分に何が足りないのかを自覚しました。僕の場合おそらく誰の参考にもなりませんが、東京を練り歩いて映像作品を撮ったりギターとソフトで音源を制作してみたりそれ等をパソコンで編集してみたりと、受験彫刻以外のことを同時進行で取り組みました。 とにかく面白くて得たものは沢山あり、それ等を通してより彫刻も作品性が増したように感じます。 一見バラバラにあるものでも何でも主体は自分であり、自分のフィールドを広げその中から得たものを選別して自分を高めていく。そういった制作スタイルを自分はこの一年間やってきました。 とにかく周りと一緒にされることが御免なひとは何でも体当たりでダイナミックに失敗しまくれば良いと思います。失敗の質をどんどん高くしていけば良いのだから。そのエネルギーをどんどん活用してください。 これから受験という環境で自分に何が足りないのか悩むことが沢山あると思いますが、気づくタイミングは人それぞれ他人に合わせる必要はないです。そして何より、今もこれからも自分の成長を止めないことが一番肝心なことだと思います。そぉいった意味で沢山の生徒さんがいるすいどーばた美術学院をお勧めします。

「決意」
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村岡 佑樹くん(2012年 彫刻科)
広島・修道高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科/武蔵野美術大学 彫刻学科
日本大学芸術学部 彫刻コース
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 僕は現役のとき自分は今年芸大に受かると思っていました。けれども、一次で落ちました。落ちてからも、たまたまとか、運が悪かったとか、そんな理由を考えて逃げていました。  一浪を始めてもやはり、色々理由をつけては逃げていました。先生に「お前は作品の完成像を考えてない」と言われるようになっても、完成像ってなんや?と悩むばかりで秋頃まで中途半端な作品ばかりつくっていました。そうするうちに、親のお金を使ってわざわざ東京へ出て来て何をしているんだろうと、申し訳ない気持ちが大きくなっていき、実技を真面目に考えるようになりました。なんのためにデッサンや塑造をしているのか、他の人が当たり前のように考えていることをやっと悩み始めました。間に合わないかもしれないという考えはあり、親にも相談しましたが、お前がベストをつくすんならそれでええと言われ前向きになれました。  センター試験が終わったあと、考え始めたのが遅かった僕は追いこまれ、すべての帳尻を合わせるには受かるしかない、そのためには見せかけじゃなく本当の努力をするしかないと決意しました。 決意をしてから、デッサンでは、先生に言われた回り込みや空間を必死に描いていき、粘土では自分の粘土付け、模刻だと石膏像の印象を必ず合わせることに努めました。  そして試験の日、一次試験のデッサンは描き出しをゆっくり時間をかけて確かなものに、二次試験の素描はキレイに見えるように、そして、模刻は量のバランスと顔が似るようにしました。それらの結果が合格でした。  入試直前期頃に思ったんですが、僕みたいな人は追いこまれないと事態の重大さに気づけないんだと思います。ですが、それは気づいてからちゃんと行動できれば、そんなに悪いことではありません。毎回自分のベストを尽くして悔しい思いをしながら歯をくいしばっていけば必ずいい方向へ向かうと僕は信じています。  また、僕には慰めではなく自分の問題点を気付かせてくれる友人がいたからよかったです。  最後に一年間支えてくださった全ての人に感謝しております。 本当にありがとうございました。


「得たもの」
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戸張 花さん(2012年 彫刻科)
東京・都立武蔵丘高校 現役
合格大学:
多摩美術大学 彫刻学科/東京造形大学 彫刻専攻


 私が彫刻に興味を持ちはじめたのは高2の頃です。私は、予備校を探してすいどーばたの彫刻基礎科に入りました。 最初は何も分からず、先輩たちの実力に圧倒されるばかりでした。でも、好きな事を学べるすいどーばたの時間がとても楽しかった事を覚えています。 そして高3で夜間部に入り、沢山の人に出会いました。同じ目標に向かって頑張る夜間部の皆は私にとって負けられないライバルであり、かけがえのない仲間でした。ずっと付き合っていきたい仲間です。 また、熱心に指導してくださった先生たちには実技の力だけではなく、実技に向かう姿勢や態度、自分の作品に対する心構えを教わりました。 先生たちは、私たちをただの受験生ではなく一人の彫刻家を育てるように正面から向き合ってくれました。それがとても嬉しかったです。 私が合格できたのは、先生や夜間部の皆、陰で支えてくれた教務の方々、入直生の皆や先輩方、そしてなにより家族のおかげです。 これからも大変な事があるかもしれません。でもそんな時は、すいどーばたで学んだ事を思い出し、立派な彫刻家になれるよう、これからも頑張っていきます。私を支えてくれた全ての人に感謝します。ありがとう

2011年07月19日

●2011合格者体験記特集

「インタビュー企画第17弾」
 2011合格者体験記特集

2011年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






「自分」
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諸岡 亜侑未 さん(2011年 彫刻科)
大阪・市立工芸高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 背中を丸めてトボトボ歩きながら発表を見に行き、やはり同じ姿勢でトボトボと上野を去った現役の3月。私は浪人することになりました。
 どばたにやってきて。それはそれはいろんな人がいました。たくさんの人がいたというより、色んな人がいました。特に入試直前の人の多さといったら…アトリエぎゅうぎゅうです。でも、それだけいろんな人がいたからこそ、いろんなものが発見できました。アトリエぎゅうぎゅう、中味もぎゅうぎゅうの1年でした。
 受験は一見、周りとの戦いのように見えますが、結局は自分との戦いです。
自分と向き合うこと。でも、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、自分と向き合うことというのは、自分1人ではできないことなのです。いろんな人がいて、やっと自分が客観的に見えてくる。いろんな人のなかの1人である自分。
 デッサンについて、粘土について、作品について、彫刻について、受験について、全然関係ない、音楽について、本について、もっとくだらないことについて、いろんな話を、いろんな人としました。お互いの作品を、ほめることもあれば、けなすことも多くありました。それぞれの視点、それぞれの考え方、それぞれの価値観を持って、そして、みんな正直でした。お世辞も嘘もなくて、ただみんないつも本気の本音でぶつかっていました。講師も、学生も。
 色んな人を知ることで、自分が見えてくる。人数の多いどばただからこそ、見えてくるものが多いと思います。
 そんな中で、入直に入ると、毎日の課題が「受験」としてではなく「作品」として捉えられるようになって、「作品を作っているんだ」という意識が強くなり、制作が楽しくなり、塑造の質も上がっていきました。
 そして今年の3月。1年前の背中を丸めて上野を歩いていた私はどこへやら、まだ結果もわからないのに私は胸を張って歩いていました。受かるという自信があった訳じゃない、やりきった、という自信があったのです。作品と向き合うこと、それはつまり自分と向き合うこと。
本音でぶつかり合うこと。きっと大学に行ってその先もずっとずっと大切なこと。
 それを教えてくれたのは、どばたのたくさんの講師と、同じ学年のみんな、教務の方々、私を取り巻く全ての人達です。本当にありがとうございました。






「出会い」
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榎田 進之介 さん(2011年 彫刻科)
東京・広尾学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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 ボクの体験記は芸大の1次合格発表の日からはじまります。その日ほど芸大に合格したいと思った日はないし、今まで芸大を目指してきたくせに、その日ほど芸大の厳しさを知った日はないからです。1次発表の当日、ボクは少しドキドキはしていたもののわりと楽な気持ちでその日を向かえていました。芸大の勝負は2次、1次は突破して当たり前と思っていたからです。甘く考えていたわけではありません。すいどーばた美術学院に通い、参考作品もたくさん見て、これが芸大に受かるデッサンなんだと理解してたつもりでした。その上で、1次試験前のすいどーばたのデッサンは現役、浪人ともにいままで見たことのないような素晴らしいものが並び、あまりの迫力にボクは本気でこれはほとんど全員1次合格しても全然おかしくない、自分も絶対その中にいなくてはと思いました。
 あっという間に1次が終わり発表の日、予備校の仲間たち数人と発表を見に行きました。その中で1次合格はボクだけでした。えっなぜ?みんなあんなに頑張ってたのに、すごい上手いのに、仲間たちは自分のくやしい気持ちをおさえボクに頑張れと言ってくれました。芸大の厳しさが改めてボクに重くのしかかります。みんな粘土もとても上手いのに、当然2次試験で競いあうことになると思っていたし、誰が芸大に入ってもおかしくないと思っていたのに、こんなにも厳しいなんて、ずうずうしかったかもしれませんが、みんなのくやしい思いの分もボクが合格してはらすしかないと本気で思いました。
 2次試験当日、手が出たらあの人、首像はあの人、構成はあの人、と仲間を一人一人思い浮かべます。予備校の先生、高校の先生、学校のみんな、家族を思い浮かべます。そうして挑んだ2次試験は今までとはくらべものにならない作品をボクに残さしてくれました。この結果に導いてくれたすべての出会いに深く感謝します。ありがとうございました。






「一年間で得たもの」
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冨田 佳菜子 さん(2011年 彫刻科)
京都・府立宮津高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 高校二年生の頃から彫刻というものに興味を持ち、私は何も分からないまますいどーばた美術学院へやってきました。何もかもが新鮮で、先生方から教わる技術や 知識などが流れるように脳や身体に入ってくる。講習会に行く度、そんな感覚に喜びや楽しみを覚え、気づけばあっという間に高校三年生の冬、まさに入試直前になっていました。
 塑像力においては弱いところがあったものの、合格する可能性は無くもないといわれ、結果は不合格。そして私はその瞬間、「見破られた」と思いました。私は、完全な受身となって受験をしていたのです。不合格という結果を目にして、自分の描ける力だけに頼り、周りに流されてきたことに気づかされました。だから、この与えられた1年間は、自分を見直し、どうして大学へ行きたいのか、自分の気持ちを確かめ、何事も自発的な年にしようと思いました。
 そうして始まった浪人生活では、生徒それぞれの個性を活かして力を伸ばしていく、という先生方の方針に存分に甘え、1枚1枚描いたり創ったりするたびに、どんなことが伝えたいのか、それはどうすれば伝わるのか・・・。
 たくさんの表現に挑戦することができ、ただ実技を上手くこなすのではなく、その先の『絵』としてどのように描くか、『自分の作品』としてどのように創るのか、たくさん学ぶことができました。きっと、現役生の私がそのまま大学へ行っていたら、このように自分のしたい表現がすぐにできるようになるところまで辿り着くことはできなかったと思います。
 また、定期的に実施される実技コンクールなども、そのような実技の成果を試すことのできる良い刺激になりました。 そして1浪目の冬、2度目の入試直前、私は楽しくて仕方がありませんでした。なぜなら、すいどーばたで1年間ひたすら実技に時間を費やすことによって、描きたいものを描きたいように描き創りたいものを創りたいように創れる、しっかりとした力がついていたから。受身ではなく、自分から受験に向かっていたから。私はそう思います。
 そう思えるところまでこれたのは、互いに高めあえる良きライバル達、ユニークで楽しい先生方、そんな人たちがたくさんいる充実した環境のおかげです。こんな素敵な環境を共に作り上げてくれた皆さんに感謝です。本当にありがとうございました(*^^*)






「恵まれた環境」
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大野 陽生 さん(2011年 彫刻科)
埼玉・浦和実業学園 現役
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻学科/ 東京造形大学 彫刻専攻領域
日本大学芸術学部 彫刻コース
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 僕がどばたに始めて訪れたのは高2の終わりに受講した春季講習会で、それからすぐ学年が上がると同時に夜間部生としてどばたに通うようになりました。
 講習会は体力勝負で、集中力を持続させるのがとても難しかったですが、その分長く自分を見つめ直す事ができる期間でもありました。
 ある日、僕の兄が何気なく愚痴をこぼしました。「今やってることが勉強の為の勉強になっている」それからだいぶ時間が経ち芸大1次の1週間くらい前にこの言葉を何気なく思い出したとき、はっとしました。兄の言葉が自分の中で置き換わり、「大切なことは受験の中で得た技術とか知識をどんなふうにに生かしていくかで、受験の為だけの、受験用のデッサンや塑像になったらダメなんじゃない?」と言っている様に思ったからです。
 それからは受験というよりも1つの作品を作るような感覚で実技に取り組みました。私大に合格出来たのは試験当日、無意識にそれを実行していたからではないかと今では思います。芸大合格の夢は叶いませんでしたがそれ以上にどばたで得たものの素晴らしさを実感しています。
  どばたの人々は友人や先輩方、先生方に関わらず、皆彫刻というもの、美術というものに対してとても純粋でまっすぐです。参考作品からもその志というか欲求の様なものがもの凄く伝わってきます。この様な恵まれた環境で人生の分岐点を迎えられたことや仲間や先生方と巡り会えたことはとても幸せなことです。一緒に実技を高めあった夜間部の皆を思うと感謝仕切れない思いがあり涙が出ます。一生忘れません。入学後は彫刻に限らず様々な分野から知識や表現を吸収して広い視野を持った人間になれるよう努力し、そして将来的には、どばたの仲間たちと共に現代美術を担っていきたいです。少しでも多くの人に感動を与えられるよう頑張ります!






「フランス野郎!」
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ホノラ ルイジ さん(2011年 彫刻科)
フランス
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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 私はコンピュターグラフィックス(CG)を勉強して、その分野から来ました。
 元々美術にも興味を持っていて、技術的CGに近い伝統の芸術は彫刻であるので、彫刻を学んでみたいと思えてきました。それで美術専門学の彫刻学科に入って、1年間彫刻の基本を学びました。美大に進学したいことを決めて、すいどーばたを通うようになったのは去年の夏後でした。比較的に短い期間を通いましたが、学んだことがとても多かったです。
 大人数、レベルが高いクラスの授業は、自分の意識を強めて、集中力を高めたと思います。初めて日本の予備校のシステムを経験した私には、非常に良い勉強になりました。今まで自分のペースでものを学んだが、わりと早く予備校になれました。その理由はクラスの雰囲気が集中しやすくて先生の丁寧で解りやすいアドバイスであると思います。5人の先生のそれぞれの意見と教え方がとても良い授業でした。
 最初はデッサンより彫刻を多めに勉強したいと思っていましたが、どうしてデッサン力が大事なのか初めて理解ができたかもしれません。ものの見え方はデッサンをたくさん描くと変わってきてものの「立体」が見えるようになりました。
 そして上手な人の作品を見たり、講評を聞いたりするのも勉強になりました。日本語はまだ上手じゃないだけど、日本人の学生と同じレベルを目指し、だんだん自分の上達を見ることは力になったと思います。彫刻の面白さをさらに解ってきて、彫刻をこれから深く勉強したい気持ちが強くなりました。だから大学入る前にとてもいい準備が出来たと思います。
 友達もできて、とても楽しい時間を過ごしました。予備校で出会った友達のこれからの作品を楽しみにしています!みんな頑張って下さい!

2011年02月10日

●2010合格者体験記特集

「インタビュー企画第16弾」
 2010合格者体験記特集

2010年度の合格体験記をまとめました。
wabや入学案内に載っていますが、こちらにご紹介しようと思います。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






「自信を持つということ」
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佐野 藍 さん(彫刻科) /東京・桐朋女子高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
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 1浪の最後、東京芸術大学の合格発表。自分の番号がなかった。その時に自分は「来年は確実に合格する」と決心した。今まで自分が残してきた作品に対してひとかけらの自信もなく、それがこの結果を呼んだということがわかったからだ。
 2浪始めの面談で、「絶対に合格します」と宣言して2浪目がスタートした。たくさん実技をこなしたけれど自信がついてこなかった1浪の時とは違う毎日にしたいと思い、その頃を振り返ってみた。いろいろな事にチャレンジして、苦手を克服して、穴を埋めて… とても充実した1年だった。できることも増えて、成長したとも思う。 けれど「じゃあ何が得意なの?」ともし訊かれたら、答えられなかっただろう。もっと自分が満足できる実技がしたい。自分が生み出したものを、愛したい。振り返ってみて、そう強く思った。
 なので、2浪目は、もっと自分が「かっこいい」「美しい」と思う作品を作れるようになるために、自分なりに考えて過ごした。粘土の質感だったり、見せ方や動きの事、そのような「勉強」をしてきたことを、自分の作品をかっこ良くするために使いたいと思うようになった。はじめのうちはあまりうまくいかなかったけれど、すこしずつ自分が納得する作品も出てきて、自信もついてきた。
 自信がない時というのは人に何を言われても、良い成績をとれても、それでも自信を持てない。そんな時に、一番勇気をもらえたものは、こだわり抜いてできあがった、自分の作品だった。
 試験の時は、本当に自分の目しか信用できない。そんな時に、自分が1年やってきたことに確かな実感が持てたら、それだけでもかなり強いと思う。本当に今思えば、どんな時でも、どんな状況でも、かっこいい作品が作れるようになれればと思って、それが合格への確かな道だと信じてやれたのが良かったのだ。
 今まで自分を支えてくれた全ての人に、感謝します。






「限られた時間の中で」
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村田 勇気さん(彫刻科) / 富山・県立高岡高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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私のスタートはかなり遅く、実技に本腰を入れるようになったのは高校3年生の秋。塑造に取り組み始めたのもこの時期からでした。
 それまでは普通の進学校に通いラグビー部に所属し活動する傍ら、空いた時間にデッサンを重ねていたのですが、力試しに当校の公開コンクールに出てみたところ、当然の如く揮わぬ成績に終わり、大変悔しい思いをしました。それを契機として本格的に志望先へと焦点を当て始め、当校の冬季及び入試直前講座を受講するに至りました。
 受験までのごく短い時間と、圧倒的な経験不足という致命的とも言えるハンデの中、いかに他の受講生たちと比肩し得るレベルまで自分の実力を高めていくか。それが私にとっての最重要課題だったのですが、その際に実践したのが以下の4点でした。1.1日あたりの実技の絶対量を増やす。2.講師陣の指導を徹底的に実践する。3.周りの生徒のテクニックを接収する。4.参考作品を徹底して分析する。
 一見すると当たり前かつ簡単すぎる内容なのですが、、これらが絶大な効果を発揮するに充分な要素がすいどーばたには凝集されているのです。1〜4におけるそれぞれの具体例を挙げるならば、以下の通りになります。1.早朝も夜間もアトリエを使用できる。2.優秀な講師陣が熱心に指導して下さり、力をつける上での具体的なアプローチを提示して下さる。3.全国から実力者が集っている。4.膨大な資料がジャンル別に整理されている。
 このように優れた環境に囲まれていたおかげで、2ヶ月弱という短い時間の中でど素人からそこそこのレベルにまで力をつけることができました。
 こんな環境を利用しない手はありません。あなたも今スグすいどーばたへGO!!






「1人では出来なかった」
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山田 亜紀さん(彫刻科) / 長野・県立諏訪二葉高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 地方から東京に出て来て周りにビクビクしていた1浪、彫刻の面白さに気付き技術面での上達に没頭した2浪、自分の価値観を疑い続けた3浪。
 1番自分のペースで出来たのはなんだかんだ1番辛いと思った3浪だった気がします。
 精神が上下左右に振れに振れ〔同時に実技も(笑)〕、もう止まらないんじゃないかと思う日もあったけど、そこは先生方や友達やどばたならではの先輩方に止めてもらっていました。
 自分が1人で戦っていると思ってしまうことが多かった私は、浪人を終えて気付けたことがあります。それは、本当に沢山の人に支えられていたことです。自分が何かコツを掴んで先に進めた時には、必ず誰かがきっかけをくれていたこと。それはどばたの先生であったり友達であったり親であったり「画材あ〜る」の皆さんやバイト先に来てくれたお客さんであったり。そして、刺激しあえるどばたの友人達がどれ程私の精神面の支えになっていたか。
 どばたで出会えた友人達は、歳の差なんて関係なくて。個々の持つ課題に日々向き合う姿勢が脇にそれようとする私を何回も進むべき道に戻してくれました。
3年間どばたに通い「得られることは全て得たのだ!」と思いたいと思っています。今の私の精神面での成長も技術面での成長もどばたに通わないと得られなかったと思いますから。
 それともう1つだけ大切なことがあるんですが。
『上達は螺旋階段』という言葉を昔教わったことがあります。上から見ると同じ所を回っている様でも横からみると少しずつ上に登っているということなんです。実技は嫌でもやればやっただけ気がつかない程少しずつ積み重なっています、それにいつ気が付くかは個々のペースで。気が付いた時の上達っぷりは先生達を驚かすことができちゃうくらいです。あとは、気が付けるまで自分をどうコントロールするかということだけで。それを、学べたおかげで私は、3年間最後までやり通すことが出来たのだと思います。
 支えてくれた先生方、味のある友人達、本当にありがとう!






「要は意識の仕方」
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宮内 素さん(彫刻科) / 私立・城西大学附属川越高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 造形学部彫刻科
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 僕は高3の夏まで油画科に在籍していましたが、夏季講習会から転科して彫刻科で制作するようになりました。今考えれば本当に無謀なことをしたなと思いますが、時間的に追いつめられたぶん、
がむしゃらになってがんばることができたと思います。その年は私大は結果を出せたものの東京芸大は不合格、それでも次は必ず受かってみせるということで浪人が決まりました。
 この1年を振り返ってみると、現役の年に比べて実技に費やすことのできる時間が増えたために「1歩引いて客観的に見直す」余裕があったように思えます。
 どうして自分はここで浪人してるのか、どうして自分は芸大を目指すのか、どうして自分は美術をやっているのかなど、根本的なところを改めて考えることができ、それをふまえて今自分のするべきことや目標を立てることができました。
 この1年は経験不足を補うためにただひたすら手を動かしていましたが、時には一息ついて原点に立ち返ることで大きくぶれることなく目標に向かって進むことができたと思います。
 また、僕はどばたで浪人して大切な仲間と出会うことができました。夜間一緒に残って自主課題をし、コンクールではライバルとして競い合い、課題以外では仲の良い友達としてみんなで過ごして充実した浪人生活を送ることができたと思います。美術は自分と向き合うことも大切ですが、そういった周囲との結びつきもまた重要だということを教わりました。
 納得のいくものができなくて行き詰まったり、本番が近付くにつれて焦りや緊張を感じてしまうこともあったけれど、そういう時こそ原点に立ち返って見つめ直し、仲間とともに意識を高め合って前進していくことが大切だと思います。それはきっと受験だけではなく今後制作するうえでも重要なことで、これから先も忘れてはいけないことだと思います。






「疑う」
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村田 亜里紗さん(彫刻科) / 東京・私立跡見学園 卒
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻科
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 私が実技をやって行く上で一番意識した事は、疑問を持ち続けることでした。デッサンや粘土はもちろん、考え方や言葉にも気をつけていました。色々な考え方を知り自分が固まらないように、「うまく形がとれた」「いい感じだ」と思っても口に出す前に本当にそうなのか?と自分に問いかけるように、言葉に出すとそうだと思い込んでしまうので、思い込まないように自分を戒めていました。
 疑いを持つためにまず大事なのは知識でした。色々な事、考え方を知っていなくては考えることもできないので知ることから始めました。私は実技が上手くなく、経験も浅かったので人一倍努力していこうと思っていました。努力したら報われるとは思っていませんでした。ただ、努力する事で少しでも自分に自信をつけようと思っていました。
 知識をつければつけるほど自分の駄目さがどんどん見えてきました。自分を褒める事が出来なくて何を描いても何を作っても欠点が見えて不安で仕方ありませんでした。
 自分の作品を素直に褒められる人が羨ましくて、毎日悩んでいました。でも、悩み続けながら課題を続けているうちに吹っ切れてきました。自分はこのやり方で良いのかわからないけれど、おばあちゃんになるまで、満足できる作品が出来なくても新しい課題を見つけ続けられたら本望だなと思うようになりました。そう思うと前向きに取り組めるようになっていきました。
 芸大も多摩美も武蔵美も満足のいく作品は出来ませんでしたが、反省しつつ描くこと、創ることを楽しめたので、半歩前進したと思います。






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結城 実菜子 さん(彫刻科) / 埼玉・私立大妻嵐山高等学校 現役
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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私は、高2の夏頃からどばたに通っていたのですが、本当にこの1年半、あっという間に終わってしまいました!でもこの1年半という時間は、実技の成長と共に、人間的にも成長できた、とても充実した時間になったと思います。
どばたに入りたての頃はただ美術に携わっていたいと漠然と思っていただけだったのですが、デッサン基礎での体験から、高2の冬、進路をはっきりと彫刻に決めることができました。
私は、後悔だけはしたくなかったのです。たくさんの選択肢、岐路の中から常に最善の…とまでは言えませんが、自分の選択に後悔しないよう、意志を強く持っていたと思います。
だから私は進路を彫刻にしたことを全く後悔していません。むしろ本当に彫刻科にきて良かったと思っています。そのおかげで、わたしはたくさんの良い友人、先生たちに出会えました。一時、酷いスランプに陥りデッサンが本当に描けなくなってしまいました。自分でどうしたら良いのかわからなくてパニックになり、もう自分はずっとこの調子なのかもしれない、という不安に押し潰されそうになったときも、私のことをよく理解してくれていた人々の厳しくも優しい言葉や、指導のおかげで何とかスランプを抜け出すことができました。
実技のことを考えていると、どうしても気持ちが落ち込んで暗くなってしまいがちな私は、そういう時は友人や先輩、先生たちと話してみるようにしていました。言葉にすることで、自分の作品についての考え方が整理されてはっきりとわかることがある、と私は思います。そういう思案の繰り返しによって、精神面でも鍛えられ、実技にも考えていることを反映させてみたり、新しいことに挑戦することができました。その結果、自分の良い部分と悪い部分が明確になり、自分は自然な感じと、色味が持ち味だからそれを前に押し出して、苦手な形を徹底的に最初にあわせる!!という気持ちで、モチベーションを上げていったことで自信がつき、試験では気持ちよく実技をこなすことができました。
そして、私が身をもって実感したことは、現役生はとにかく本っ当に入直で伸びる!!
周りの現役生の伸び具合には本当にびっくりしました。実際私も、入直前までのコンクールでは上位になんて雲のまた上〜みたいな感じだったのに、入直最後のコンクールではなんと現役3位!!
これには本当にびっくりしたし、何より嬉しかったです。
やっぱり、実技はこなした数だけ力になるし、あとはとにかく根性です。誰にも負けないって気持ちと、自信を持つこともまた大事だと思います。そうして試験でも新鮮な気持ちで楽しく実技をこなすことができれば、きっと合格できます!あと学科は大事です!やっておいて損する事なんかないと思います。
本当に、1年間夜間部で面倒を見てくださった彫刻科の先生には感謝しきれません。ありがとうございました!

2010年04月17日

●仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー

「インタビュー企画第11弾 仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー」




東京芸術大学 保存修復彫刻研究室 非常勤講師 益田 芳樹さん
インタビュアー 吉田 朗  阿部 光成

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」部分




これまでインタビューでは大学合格者や、作家活動をしている方へのインタビューをお伝えいしてきましたが、今回は「彫刻の力を生かした仕事」を実践している先輩にお話を伺ってみようと思います。

受験勉強に打ち込む皆さん、ふと彫刻と関わりながらどのように生きて行けば良いのか?どのような将来が待っているのか、不安になるということはないですか? 彫刻を学ぶ中で培ったデッサン力、素材を扱う技術力、空間に対する意識それらを使った職業、生き方も様々あります。

そこで今回のインタビューは すいどーばた美術学院彫刻科出身で、東京芸大彫刻科に進み、そこから保存修復の道に進んだ益田芳樹さんにお話を聞いてみようと思います。益田さんは仏像の保存修復の仕事をメインにしつつも、自らの作品も制作し、発表しています。また東京芸大で講師として後進の指導にもあたられています。

彫刻を学んだあとの人生の展開や、彫刻と関わる生き方、その広がりとして皆さんの参考になればと思います。今回は益田さんと浪人時代を共に過ごした吉田と阿部がインタビュアーをつとめます。(文中敬称略)




-----益田芳樹さんの経歴-----

すいどーばた美術学院にて4年間の浪人の後、東京芸術大学彫刻科に合格。彫刻科大学院、大学院保存修復、博士課程保存修復課程を経て博士号を取得。現在、保存修復彫刻研究室の非常勤講師をつとめる。

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中央が益田さん 左が阿部 右が吉田




-----修復の仕事とは------

吉田:
仏像の保存修復の仕事とは、どんなお仕事なんでしょうか?
仏像を直すという漠然としたイメージはあるのですが、具体的にどのような感じなのでしょうか?

益田:
簡単に言えば、仏像のお医者さんと言ったところでしょうか。診断を行い、処置を施すのです。具体的には、修復を必要とする仏像があるとき、先ずは事前調査というものを行います。これは、その仏像の形状・品質・構造を調査します。必要によってはX線調査も行います。そして、どのような修復を施すのが最善であるのかを考え、修復方針をたてます。ここまでが診断に当たり、修復を行う上でとても大事なことです。ここで方針を間違えるとかえって悪化させることにもなりかねないからです。そして、修理という処置にはいります。実際の作業は修復物件によって様々ですので、ここで全てを話すことはできないので省きますが、けして派手な仕事ではなくコツコツと進めていく根気のいる仕事です。

吉田:
X線調査など、現代的な機器も活用しているんですね。伝統的技法で行うイメージだったので意外でした。

益田:
非破壊が前提なので、いろいろ使いますよ。X線だけでなく医療用CTスキャンに入れたりもします。一番最新技術が必要な分野だと思っています。古典技法から最新技術まで幅広く使ってやっていますよ。

吉田:
なるほど。そんな保存修復について、どのような考えを持っていますか。

益田:
日本における多くの文化財は、長い年月のあいだに取捨選択、淘汰された結果です。それら、素晴らしい文化と造形に最大限の敬意を持って、「ものとわざとこころ」を継承し後世に伝いきたいと考えています。それには、高度に発達してきた古典の、材料と技法に関する正しい知識と技術を習得が重要と考えています。

吉田:
保存修復の魅力はどの辺になりますか?

益田:
ここまでの話しだけだと、あまり魅力を感じなく思えるでしょうが、とても魅力のある仕事なんです。一番の魅力は何と言っても、修復後の施主さんの喜んだ顔を見れるということですかね。きれいごとを言うつもりは全くないです。本当にその時の気持ちは「やって良かった!頑張って良かった!!」ですね。相手の喜ぶ顔が見たい。どんな仕事でもそれにつきると思いますが。

阿部:
相手がいる仕事ですもんね。その喜びは一人で彫刻作品をつくっていて感じるものとは違って新鮮ですね。修復した仏像を納めるときの心境ってどんなですか?

益田:
半分半分ですね。ここまでやったら大丈夫だろうという部分と、本当に喜んでもらえるかなという部分と。

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」




吉田:
太古の名作と対峙できる喜び、怖さ…などあると思うのですが、その辺りについてお話伺えますか?

益田:
喜びも怖さもありますよ。
喜びは、「直に触れることが出来る」ということです。何百年という時間の中で、淘汰されて来た結果であるわけですから、疑うことの無い教科書です。そんな経験を出来ることはすばらしく幸せなことだと感じています。
怖さもやはり、「直に触れる」ということです。自分の仕事によっては悪くなるということも考えられますから。。。喜びと怖さは紙一重ですね。ですから、先にも話したとおり「材料と技法に関する正しい知識と技術を習得」が重要と考えているわけです。日々勉強ですよ。

吉田:
仏像によっては何度も修復を受けているものもあるんでしょうか?

益田:
もちろん。表面は江戸時代に修復しているけど、中はそれ以前とか。現在は文化財保護という考え方があります。それ以前は 、文化財(美術品)という意識はないため“治す”という考え方が違う訳です。さらに時代によって技法が違うわけで。。。文化財保護法が出来る前は、“治す”は仏様が本来ある姿に戻すという考え方なわけです。ですから、今の時代は難しいですよ。「文化財」という考え方と、「仏様の本来の姿」という考え方がありますから。本当に難しいんです。仏像修復の理念については、自分自身、何が正しいのか日々考えています。まだ答えはでていません。しかしながら、現在まで伝えられてきたのには、それぞれの時代で関わってきた人たちの心があるわけで、その気持ちというのは大事にしたいと思って修復しています。そのようなことも修復しながら見えてきます。

吉田:
すごいですね。修復しながら過去の人たちと対話する感じですね。しかもそれが手を動かしながら仏像と対峙している中で出てくるのが面白いですね。

吉田:
仏師とはどのように違うのでしょうか?

益田:
う〜ん。。。むずかしいですねぇ。
仏師の方がどのような考えで、どのような仕事をしているのかが分からないですからねぇ。
自身の意識の違いなのかなと思います。私も修復家だとは思っていませんから。(笑)
彫刻家です!個人的な意見ですが、造れない人がよい修復を出来るとは思えません。ですので、私は仏像も造り修復もする彫刻家です!!!

吉田:
日常はどんなサイクルで過ごされていますか? 一日、一仕事、一週間と、どんな生活のリズムか教えていただけますか?

益田:
生活リズムについては何の参考にもなりませんよ。(笑)なぜなら夜型だから。自分でも良いとは思っていないんです!そんなわけで、朝起きるのは遅めです。それ以上は言えません(笑)
一週間のうち2〜3日は大学に行っています。大学での仕事は、講師とはいってもあまり教えているという感覚はありませんね。一緒に学んでいますよ。そんな歳も離れていませんから先輩って感じですかね。学生には「先生と呼ぶな」「俺は何も教えない」なんて言ってます(笑)
うちの研究室は大学院からですからね。自分で考えて行動して欲しいんです。その手助けが出来れば良いと思ってます。これって給料泥棒なのかな(笑)
いやいや、実習はちゃんとやってます!それ以外の日は基本的には制作しています。お寺からの制作以来ですと半年〜1年仕事、その他は展覧会に会わせて制作しています。

阿部:
実習は、どんなことをするのでしょうか?

益田:
担当は修復担当です。実際に依頼された案件をお寺の許可を得て実際の修復物の素材、技法、などを精査しながら、実際に修復をするという実習です。

阿部:
実際の依頼ということは二度と同じ実習はないのですね。

益田:
そのとおり。おもしろいよ。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)




-----大切なのは人間力------
吉田:
最近の予備校生は、大学を卒業した後に、どうお金を稼いで生活していくか?その辺りに不安を覚えている人も多いようです。益田さんの視点でお話しいただけますか。

益田:
これは持論なのですが、私は技術を学ぶのが大事だと思っています。なぜなら、技術があれば、自分の表現したい物を表現出来るのです。だから“技術”なんです。多く稼げるかは分かりませんが、生活は出来ると思いますよ。自分の表現ではなくともその技術を必要とするところ、人はいますからね。
それから、ありきたりだけど見る目を養うこと。これは本当に重要!それには良いといわれる物を多く見ることだね。ちなみにお薦めは仏像(笑)本気だよ!
それと、一番重要なのは人間力!立派な人間になれなんてことではなく、人として当たり前の立ち居振る舞いが出来るようになった方が良いということ。空気を読める人間になった方が良いということ。個性なんて物は人それぞれにあるものなんだから、そんなものを主張させる必要は無いんだよね。私は決して立派な人間じゃないし、どっちかって言えばアホな感じだし。なんでこんな話しをしているかって言えば、ご縁が最も大事だと感じているからです。私にとっては籔内佐斗司とのご縁はものすごく大きなもので、そのご縁を大切に出来ていることが(自分では出来ていると思っている)今の自分に繋がっていると思っています。ご縁はその先のご縁に繋がり、大きく広がって行くものだから。今は諸先輩方、友達、後輩達、お寺の方々、画廊の方々、その他多くのご縁を大切にして来たことで、今に繋がり、この先に繋がると思っています。
当たり前の対応が出来ること。けっこう大事です!

吉田:
確かに、これ大事ですよね。

益田:
これが無いと、誰も助けてくれないからね。本当に大切だと思うよ。

吉田:
保存修復と作家活動、この二つは益田さんの中でどのような関係でしょうか?

益田:
私にとって保存修復と作家活動は切り離せないですね。保存修復で学ぶことが多いんですよ。古典ってすごいなっていつも思います。契約や見積もり等、正直大変な仕事もありますが、それを作家活動に活かすことが出来ますから。今は生活の面で保存修復が基盤になっているという意味でも、切り離せないのですが、両方で生活が出来れば良いなと思っていますね。両方めっちゃ楽しいんです。

吉田:
それが理想ですよね。修復の仕事をしていて、彫刻の力を使う瞬間ってどんな時でしょうか?

益田:
欠失・亡失箇所の補作です。彫刻の力を存分に発揮するところだと思っています。その時には浪人中や彫刻科でひたすら勉強した、空間やバランスは自分の財産になっていると感じています。時代の背景はもちろんあるんだけど、人体の普遍性はどの時代も同じだから、そこでは彫刻の力が大切ですね。4年間の浪人、大学での6年間の人体の勉強がいま財産になっていると思います。

阿部:
益田さんの浪人4年間は、サボることも、休むことも無く、ひたすら勉強だったよね。

益田:
本当に今の自分があるのは、その4年間のおかげだと思うよ。

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益田さんの浪人時代の作品




-----決意と継続と------

吉田:
一緒に浪人していた時から、「保存修復をやろうと思っている」とおっしゃっていたのが印象的でした。修復をやろうと思った動機は何だったのでしょうか? また、いつ頃からだったのでしょうか?

益田:
父親や親戚が彫刻や陶芸をやっていた影響もあり、小さい頃から木で動物を彫ったり、塑造で造ったものを焼いてもらったりしていたんです。けど、美術大学があるなんて知らなかったんですよ。それまでは趣味の延長線だと思ってて(笑)それを知ったのが高校2年生の春。ですから修復に行こうと思ったのは高校2年生の春ですね。
修復に惹かれたきっかけは、高校1年生の時に行った奈良への修学旅行です。その時は、まだ獣医になりたかったのですが、新薬師寺の十二神将像を観た時は衝撃でしたね!いつかこんなのを造ってみたいって漠然と思っていました。
そんな時の朗報(?)だったんです!彫刻が学べる大学があるって事が。それまでは彫刻って趣味でやるとかしか思い浮かばなかったのが、彫刻を専門的に学べる大学があって、プロとしてやっていく道があるっていうのを知って、もうそこからは、修復(彫刻)に行くには芸大の彫刻科に入るしかないって感じで。

吉田:
獣医とは意外でした。長いおつきあいですが、初めて聞きました。修復も獣医も治すお仕事なんですね。
はじめ彫刻の大学院に進まれましたが、具象をしっかり学んでから保存修復にという考えだったのでしょうか?(東京芸大の保存修復は大学院からなので、一般的に彫刻の学部から進む人が多い)

益田:
彫刻の大学院に行ったのは、テラコッタという素材と裸婦像という奥の深い題材が楽しくなっちゃったからだけです。そのときの自分と一番対峙できるのがテラコッタだったんですよ。父親が陶芸をやっていて、小さい頃から粘土に親しみがあったのかもしれません。

吉田:
益田さんは芸大学部で4年間、大学院で2年間と彫刻をしっかりと学んだ上で保存修復の道へ進まれました。もしも、彫刻をしっかりと学ばずに修復へと進んだらどのように違いが出たと思いますか?

益田:
まったく想像がつかないですね。でも絶対に今のような状況ではなかったと思います。
そこで学んだものが、今の私の基盤だと思っています。予備校での4年を含めての10年間の彫刻の勉強があって、今の自分があるように思います。今していることも、絶対この先に繋がると思っています。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)部分




吉田:
芸大での在学期間が、11年と非常に長かったと思うんですが、焦りとかはなかったのでしょうか? 人生の進路をしっかりと決めて、そこにブレがなければ、そのへんは怖くないのですか?

益田:
いやいや、途中何度か大学を辞めようと思った事もありましたよ。年齢的なことで焦りや怖さもありましたし。それでも家族や籔内先生や仲間達に支えられて、博士号取得までたどり着いたって感じです。「学びたい事が大学にあるのなら、とことんやれ!」って家族が背中を押してくれたんです。本当に感謝ですね。
今は、辞めなくて本当に良かったと思っています。人生には遠回りなんてものは無いって実感しています。

吉田:
大学を辞めようと思ったとは意外です。具体的にいつ頃のことだったんですか?

益田:
最初は学部の3年の時。はじめて現実が見えたのがその時じゃないかな。彫刻で好きなことがやりたくて来たけど、好きなことやりたいだけで生きていける世界じゃないと、そのとき強く感じたんだよね。もう一回は博士の1年。こっちは年齢的な焦りだね。




-----作品と修復と------

吉田:
須田悦弘さんのアシスタントを以前されたと聞いたのですが、伝統的な保存修復の仕事と現代美術の世界に接点があるというのが興味深いのですが、そのときのエピソードなどお聞かせ願いますか。

益田:
今から4年程前の博士課程1年生の時でした。修復家で、芸大の古美術研究施設の教員もされている方からの話しでした。急に電話があり「今暇か?須田悦弘という作家のアシスタントが出来そうな人間を地中美術館で探しているから、君を紹介しておいた。すぐに直島に行ってくれないか?3日くらいの着替えと彫刻刀と砥石を持ってけば大丈夫だから」って言われたんです。もちろん須田さんのことは知っていたし、そんなチャンスは無いって思って、2日後には行きました。しかし、アシスタントは朝から晩までみっちり1ヶ月でした(笑)それと、後から人に聞いた話しなんですが、話しをくれた先生は、最初は「そんな技術のあるやつで暇なやつはいない」って断ったらしいのですが、ちょっと考えたら学生にいるって私を思い出してくれたらしいんです。この話しを聞いた時は正直嬉しかったですね。しっかり勉強しておいて良かったと思いましたよ。
その先生と須田さんとの接点は無かったのですが、地中美術館の研修で古美術研究をして、その時に同行したのが、その先生だったというのが話しが来た理由らしいです。
その時の経験も、私の財産ですね。須田さんの作品は私の価値観を変える程のものでしたから。

吉田:
3日くらいの着替えって言うのはそれを洗えば1ヶ月はいけるってことだったんですね…
でもとてもうらやましい経験ですね。大きな出会いの一つですね。

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益田芳樹 炎金魚2010(赤)




益田:
大学のなにが良いって、何かに向かって一所懸命やっている人と出会える事だと思う。自分も何かに真剣に向かっていて、他の人も何かに真剣に向かっている、そういう状況での出会いって貴重だと思う。そういう意味で予備校、大学って大切だと思う。人との出会いは財産だよ。

吉田:
作品も制作して発表されていますが、修復の仕事とどのような違いがありますか、またどんなふうに切り替えているのですか?

益田:
違いは感じています。ただ瞬間というよりは、向かう対象への気持ちの切り替えだと思います。修復は、尊重しなければならない対象があるということで、自分だけを出してはいけないということです。文化と造形への最大限の畏怖と敬意を持つことです。自身の制作では、誰かの喜ぶ姿を想像しながら制作しています。そこには造っていて楽しいというのが前提です。
しかし、作業に関してはそれほど違いを感じないですね。 
修復する時にも自分の感覚は大事にしていますし、彫刻する時に資料も集めますからね。そういった感覚を養うためにも良いものを沢山見るのは大切かな。世間一般に良いといわれているもので良いと思うし、はじめはどこが良いのかわからなくても良いと思う。そのうちどこが良いとかわかるようになってくるから。それが経験だと思います。
つくれない人間は修復も出来ないし、感じれない人は作ることも出来ないし、修復することも出来ないからね。

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益田芳樹 炎金魚(黒)




------彫刻を勉強している学生に向けて------

吉田:
益田さんは、すいどーばたで長く浪人されていましたが、今の受験生、特に多浪生に向けてアドバイスをいただけますか?

益田:
何度も言っていると思いますが、今の自分になるには無駄なことは1つも無かったと思っています。4浪したから今の自分があるのです。もちろん、浪人生を楽しんでしまったがために4浪もしたんでしょうが、まじめにやっていたとしても4浪していたでしょう。私にはその時間が必要だったのです。人生には遠回りなんてものは無いのですから。
ですので、くさらず真っ正面に向き合ってください。
最後に、受験に関するアドバイスとしては、受験には“答え”があります。その答えを導きだしてください。そしてその答えは先生からは導き出せません。僕は現役から5年かかりましたが、皆さん、自らの手で導き出してください。

吉田:
これから彫刻を勉強する学生、保存修復を学ぼうとする学生に大変ためになる貴重なお話を伺えました。本日は本当にありがとうございました。

今回インタビューをさせていただいた、益田さんの所属する東京芸術大学大学院 美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室では、多くのすいどーばた美術学院出身者も日々研究にいそしんでいるそうです。そのなかから3名、作品画像のみとはなりますが、紹介させていただきたいと思います。(敬称略)

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小沼祥子(教育研究助手)
興福寺蔵脱活乾漆造八部衆のうち乾闥婆立像(修了作品)「お仏壇のはせがわ賞」




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鈴木篤(博士課程3年)
東京国立博物館所蔵天王立像模刻(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




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中村志野(博士課程1年)
雪蹊寺蔵木造吉祥天立像(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




また、保存修復彫刻研究室で昨年度手がけた修復、模刻研究の研究成果展示発表会があります。保存修復の仕事に興味のあるみなさんはぜひ足を運んでみてください。

研究報告発表展
場所:シンワアートミュージアム(銀座7-4-12 ぎょうせいビル1F)
期間:2010年4月25日(日)〜29日(木・祭)
時間:10:00〜17:00


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東京藝術大学 大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室 ホームページ
にて研究室での活動、最新情報などを見ることが出来ます。


2009年09月27日

●『これから彫刻を学んでみたい!と言う方に読んで欲しい、どばた先輩方との対談』

「インタビュー企画第9弾」
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●私が、彫刻を学びたい”と思った時、まずは、大学を目指そうと決めました。ですが、芸大や美大受験は倍率も高く難しそうなイメージがあり、彫刻の基礎を学ぶには、まず予備校に行こうと考えました。その時に頭に浮かんだ事は、彫刻の予備校”ってどんな所なのか?予備校って怖そう、というイメージでした。
現在では、彫刻科を希望してやってくる女性の割合も増えて来ています。もし、私と同じくそういった疑問や不安を抱いている人たちがいるとすれば?先輩たちは、どの様な思いでどばたにやってきたのか?これから彫刻を目指す方たちの背中が少しでも押せたらと思い、すいどーばた美術学院彫刻科で講師をやっている氷室幸子(熊本県出身29歳)が現役浪人生や、すいどーばた出身の先輩方、特に今回は私同様地方出身の3人に、現在に至るまでの流れをサクッと伺ってみました!

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●まず1人目はすいどーばた彫刻科に在学中の山田 果林さんに協力をお願いしました。 (写真右)    

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◎山田 果林さん(21歳)◎     
福岡県出身。
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氷)果林ちゃんは福岡から上京して来て今年で2年目だよね。良かったら、これまでのどのような経緯があって、現在に至るのか、色々な話を交えながら、教えてもらえたらと思います。どうぞ宜しくお願いします!
早速なんだけど、私は、高校が美術科で2年生のときに彫刻をやってみたいと思ったんだけど、果林ちゃんは、いつ頃から彫刻をやって見ようと思つたの?手足も長くてスラッとしていて。何となく日本画とかが似合いそうな雰囲気なんだけど。何で、彫刻”って言うごついイメージのある科を選んだのかなぁと思って。

果)小さい頃から粘土で何かを作ったり、絵を描いたりする事が凄く好きでした。油絵とか日本画も興味はあったんですが、粘土を触っているのが好きだったので彫刻の方に進みたいと思いました。あと、ルーブル美術館に行ったときニケ”の彫刻を見て、これを人が作れるんだ!!と感動したのも、理由の一つにあります。

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ルーブル美術館所蔵 ニケ

氷)そうだったんだ!あの完成度には、感動するよね。そういえば果林ちゃんは、フランスにしばらく住んでたんだよね!実際に現地の美術館に足を運んで、実物の古代彫刻を見て影響されたなんて中々経験出来ないし、貴重な原点だね。それからいきなり、石を彫ってみようとは、思わなかったかもしれないけど、彫刻を学べる道に行こうと思ったんだよね?そのために高校では何か具体的に実践したりしてた?

果)美術部には所属していました。でも、あまり本格的に美術に関われはしなかったです。自分でも、彫刻というジャンルにどういった勉強方法があるのか、良く分かってはいませんでした。ただ、やはり美術の一つなので、デッサンも必要かなぁとは思っていて。予備校などに通いデッサンを描きに行きたかったんですが、高校が寮だったために、なかなかチャンスがありませんでした。それで、高校3年生の時から地元の画塾みたいな所に日曜日を利用して通う事にしたんです。

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どばた夏期講習での塑像風景

氷)そっかぁ。予備校に通おうと決めた頃には、彫刻を詳しく学ぶため、芸大や美大を受験しようって考えてたの?

果)そうですね。大学は目指そうと思っていました。

氷)その通っていた画塾には、果林ちゃんと同じく芸大や美大を目指している人たちは居たの?

果)いえ、私一人でした。絵画教室の様な所で、受験生は一人だったので、比べる基準みたいなものがなく、ひたすら先が見えない中、頑張っていました。そしてそのまま、1浪したんですが、地元の予備校でも、東京で習っている人たちとのレベルの差は埋められるかなと、その時は思っていました。

氷)一人で受験を目指しながらテンションを保って行くのは、結構きつかったと思うんだけど、やめたいとか思わなかったの?

果)いえ、やめたいと思う事はありませんでした。ただ、これでいいのかな?という、周りが見えない不安はありました。

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デッサン風景

氷)確かに、それはそうだよね。でも、そんな環境でも続けられたのは、きっと何か熱いものを秘めてたんだろうね。華奢だけど根性があるよね。

                 ☆☆☆

氷)どばた行こうと決めた理由とかきっかけってある?

果)1番には、やっぱり受験当日に感じた周りの人たちとの実力の差です。それで、東京の予備校を意識し始めました。地元で習っていた先生もどばた出身だった事もあり、美術手帖にも載っていて名前は知っていたので、それで1浪目の夏期講習で初めてどばたに行きました。地方とは、とにかく行きたい大学の情報量が違うと実感し2浪目からどばたに通う事を決めました。それと、彫刻を専門的に教えてくれる先生が地元には居なかった事もありますね。

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指導風景

氷)うんうん。やっぱり、地方では彫刻の基礎を教えてくれる先生と出会える確率が低いよね。ちなみに私はね、彫刻を学べる大学に行きたい!っていう気持ちだけは強かったんだけど、今考えると、どんな力が必要なのか?なんて事は、ほんの少ししか知らなかったかも。ただ、受験の倍率が高いとは知ってたし、受験には何が必要かを知るには、予備校に通わなきゃって思って。現役生の冬休みから受験の間まで、高校の先輩が教えている東京の予備校に、お世話になったんだ。でもなにせ初めての上京だし、友達と一緒に知り合いの人の家に泊めてもらってたんだけど、めちゃめちゃ不安でよく泣いて友達をあきれさせてたのを思い出すよ笑。そんなこんなで、私もその予備校で1浪してね。私も果林ちゃんと同じく、生徒数が少なくても、その分頑張れば大丈夫だろうって思ってたんだ。でもやっぱり大手の予備校ってどんな所だろうって気になってさ。それで知っている大手の予備校を回ってみて、一番雰囲気が落ち着いていて、ここならやって行けるかもと思ったのがどばたで、一大決心して、2浪目からどばたに通う事を決めたんだ。だけど、友達が出来るかも不安で、まして人見知りだから、一番人数が多い予備校に通うのはめっちゃ怖かったんだけど、果林ちゃんはどばたに行こうと決める時に、不安はなかった?

果)怖かったです!どばたは美術手帖にも大きく広告が載っていて有名だし、漠然と敷居が高い所だと感じていました。でも習っていた先生が、背中を押してくれたので踏み出せました。冬期講習で来た時には、環境がガラッと変わって、慣れるまでは時間がかっかたんですが、来てみたらみんな優しかったので良かったです(笑)

氷)そっか、それは良かった!私も最初は、友達できないかも“っていう覚悟で、どばたに来たんだけど笑、すぐに友達できた記憶があるなぁ。生徒数が多いだけあって、色々なパターンのデッサンや塑像が見れるのもいいよね。自分のレベルが今、どこら辺にあるのかも分かりやすいし。

果)そうですね。それは大きいです。

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山田さんの人体デッサン

                 ☆☆☆

氷)上京する事に親御さんは反対したりしなかったの?

果)はい。どうしても東京で勉強がしたかったので相談したら、親は好きな事をして欲しいと応援してくれました。

氷)やっぱり気持ち的にも金銭面的にも応援してもらえると、安心して頑張れるし、すごく有り難いし一番の励みになるよね。素敵なご両親だね。

氷)ちなみに、一人暮らしにはもう慣れた?最初は東京に来る事自体が不安だよね。色々な期待とかもあるのはあるけどね。

果)そうですね、それまで東京は観光で1,、2回しか来た事が無かったし、高校は関西だったので、東京の人は冷たいと聞いていて。全然そんな事はなかったですけどね笑。どばたに来た年は、どばたで紹介してもらった学生会館の寮に入っていたので、一人部屋だしご飯も付いていて安心でした。また、何より周りに同じ所を目指している人が近くに居る事は、とても良い環境だと思います。

氷)東京に慣れるのに寮は、安心だよね。ご飯付きなんて、夢の様(笑)どばたでの生活の方は、どう?2浪目と3浪目での取り組みで、何か意識の違いとかはある?

果)そうですね、毎日がギュッと詰まっている充実感はあります。3浪目では、色んな人と会話をする機会を作り自分のペースを保つ様に努力しています。予備校以外では、雑貨屋さんが大好きなので、雑貨屋さんを巡ったり美術館や動物園に行ったりもしてます。

氷)うんうん。自分のペースを探す事は、私も大学に受かった年に良く考えていたよ。自分のペースっていっても色々面での努力や自信が必要だからね。美術館やギャラリーを巡るのも勉強になるし、気分転換にもなるよね。

                 ☆☆☆

氷)予備校では、芸大の1次試験に向けて、石膏をデッサンしたり、2次試験に向けて、水粘土で動物や首像を作ったり、模刻、構成などを主に勉強するけど、

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塑像風景

氷)その中で好きな課題はある?私は、石膏だとブルータスや円盤が好きだったかな。粘土だと、首像とか、動物系が好きだったよ。

果)えっ?見るのだったら、ラオコーンやニケ、ジョルジョの全身像が好きです。

氷)おおっ。見るのが好き”って答えが返ってくるとは思わなかった(笑)

果)描くのであれば。奴隷の顔とか(笑)塑像では、私も首像が好きです。

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石膏像奴隷

氷)奴隷の顔かぁ。珍しいね。他にも奴隷の顔隠れファンって居るのかなぁ?(笑)

                 ☆☆☆

氷)果林ちゃんは、ここに至るまで誰か影響を受けた人や出来事ってある?

果)よく、両親に美術館に連れて行ってもらってました。だいぶ前の記憶なんですが、幼稚園の頃に見た、ピカソの可愛い素描やデザインのパターンが記憶に残っています。色彩豊かなシャガールの絵画も好きです。

氷)うんうん。私もクリムトやクレーなど、色に印象がある絵画が好きだよ。彫刻科って色があまり使えないイメージがあるけど全然そんな事ないし、結構色が好きな人たちも多いよ。

                 ☆☆☆

氷)何か、悩みや質問などあるかな?
前に、デッサンが描けない時はどうしてましたか?っていう質問もあったよね。それには、人それぞれ意見や解決方法あるのだけど、結局はくじけずに、やるしかない!精神的にもタフになれ!と言う結論に至ったんだよね。そんな壁が生まれて来るのは、前進している証拠だもん。凄く力がついてきてるって事だよ。預かり作品も何点か出してるもんね。

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山田さんの友人デッサン

果)今は、そういった壁にぶつかる事はあっても、受験以外で悩みたいとは思わないのですが、しいて聞くなら、地方に居る時は無謀な夢がいっぱいあったんですが、今は、大学に入ったら?とか、大学を出たら?とか自分が具体的にどうしたいのかがイメージ出来ずに、少し不安に思っています。だから、色んな事を見たいと心がけています。

氷)それは重要な悩みだよね。人によっては、この世界にいると常に付いて回る悩みだったりするかもしれない。私も予備校生だった時には、そういうイメージが出来ずに、同じ事を思ってたかなぁ。比較的、それをイメージできている人の方が少ないかもね。予備校では、受験用にデッサンや塑像課題しか主にやらないから、中々、今、具体的な事が想像できなくても、大学に入ったら、ガラッと環境も変わって、やった事の無い素材や課題に触れる事が出来るし、色々な人とも出会えるから、十分夢を持っていてもいいと思うよ!表現する事って、これからたくさん勉強できるから!現段階で勉強している事は、もちろん後々すごく感覚敵な所や基礎として生きてくるけど、まだまだ全部であるかの様だけど、ほんの一部だったりするからね。海外にだって行ける選択肢もあるし。私は何より、大学で、他では出会えない様な、とても向上心の高い仲間に出会えた事が、一番良かったなぁと感じているよ。

果)そうですね!漠然とですが海外にも住みたいと思っています!

氷)うんうん、夢はどんどん広げていっていいと思うよ!

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山田さんの外国人モデル首像

氷)他にはないかな?

果)プライベートな質問でも良いですか?(笑)

氷)う、うん。あまり参考にはならないと思うけど。恋愛についてとかだったり?(笑)

果)そうです(笑)彼氏さんとかは居ますか?結婚したいとかって思いますか?

氷)彼氏は、今は居ないけど(笑)女友達とも、その話題にはなったりするよ。結婚したら彫刻を続けていくのは厳しいかもしれないという意見もあるし。確かにとも思う。私の場合は、いつか結婚は出来たらいいなとは思うよ。甘いかもしれないけど、もちろん彫刻や表現する事は続けて行きたいと思う。両方とも諦めない道を探しています笑。実際結婚してみないと分からない部分もたくさんあるのだろうけど、女の人だったら子供を生む生まないもあるしね。金銭面での現実もあり、とてつもなく厳しい事かもしれないし。でもどんな環境にあれ、その時の自分を感じながら、負けずに表現を続けていくことが何かにつながっていくんじゃないかと今は思うから、夢を持って道を切り開いていけたらと。いつかみんなに、やれば出来るよ”と言える事を目指して頑張ります!

果)なるほど!ありがとうございました(笑)

氷)こちらこそ、多忙な中、質問に協力してもらって本当にありがとう。これからも頑張って下さいね!
 

☆☆☆後記☆☆☆ 
果林ちゃんは制作熱心で、とても丁寧に毎日を過ごしている学生さんです。華奢な体からは想像出来ないほど根性があるのだなぁといつも感じさせてくれる、強さを秘めた人だと思います。これからもっとたくさんの人たちと出会い、世界を広げて行ってもらえる事を願っています。また、いつの日か作品の話や、アートについての話が一緒に出来る事を楽しみにしています!


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●2人目は私の同級生の根上 恭美子さんに協力をお願いしました。(写真右)

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◎根上 恭美子さん(26歳)◎     
群馬県出身。
すいどーばたで1浪。
東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了した後、昨年からフリーで制作活動をスタート。
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氷)根上さんとは、もう結構長い付き合いになるよね。まだまだ分からない所がいっぱいあって面白くて、料理が上手で、思いやりがあって頑張りやで、笑いのツ ボが変で。そんな根上さんの生きてきた流れの一部かいつまんで聞けたらと!
早速、私は、全然具体的なイメージはなかったんだけど、高校2年生のときに初めて、彫刻をやってみたいし、彫刻の道に進もう!と思ったんだけど、根上さんはいつ頃から彫刻をやって見ようと思つたの?

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根)普通科で、美術の時間は少なかったんだけど、美術が好きで、中学の頃から美大に行きたいと思っていて。彫刻刀で、木を彫るのとか楽しそうとかそれくらいの理由で彫刻科に。で、高2の時から地元の予備校に通い始めて高3年の夏期講習で初めてどばたに行ったんだよね。一浪が決まって、始めは地元の予備校に通う予定だったんだけど、どばたの先生に特待生あげるからおいでよ!って言われて。後半からどばたに通い始めたんだよ。

氷)なるほどね!特待生”っていうのは、魅力的だよね。で、通い始めた半年間は受験までずっと、どばたに新幹線で通ったんだよね?凄いよね!!前代未聞じゃない?とっても寛大な両親だよね。大変じゃなかった?睡眠時間とか削られそうだし。やめたいとか思わなかったの?

根)親に、学費を払ってもらって、新幹線代も出してもらって、送り迎えまでしてもらってたから、その分、しっかりみっちりやるしかないと!思ったら、遅 刻もできなかったし、大変だと感じる暇はなかったよ。本当に両親には感謝で、今制作を続けられているのもやっぱり理解ある親のおかげで。

氷)それはそうだね!私の両親も反対とかせずに、応援していてくれたから。本当に親の協力なくして今は無いなって思うと感謝だよね。でも、遠くから通いながらカリキュラムをこなしていくには、やっぱりガッツがあったんだろうね。もちろんそのパワーは、今でもひし ひしと感じるけどね。

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                 ☆☆☆

氷)どばた行こうと決めた理由とかきっかけってある?

根)地元の予備校は、講師が1人だったからその人の好みのデッサンじゃないと否定されてしまって、もうどういう方向に行ったら良いのかって悩んでいるときに、夏期講習でどばたに来て、初めてまっとうに評価してもらっている気がして。先生が多いから色んな見方をしてくれて、それが良くてどばたに行こ
う!って決意したよ。

氷)そっか!先生の人数が多いと、指導に幅があって偏らないから、安心して自分なりの絵が描ける気がするよね。私も1浪目は、人数の少ない違う予備校にいたんだ。中々うまく描けない自分が悔しくて泣いてばっかりいたかも。もちろん前に居た予備校では、みっちり基礎を教えてもらえたし、今でもとても感謝はしているんだけど。どばたに公開コンクールの時に来てみて、やっぱり生徒数が多い方がいいのかもって思って。 色んな人のデッサンや塑像が見れるから。あと、単純に合格率の高い予備校に行けば、大学に受かる”って考えて2浪目にどばたに通う事を決めたんだ。でも、小心者だから友達が出来るか不安でさ。どばたには、怖い浪人生がいるイメージが強かったから。根上さんはどばたに行こうって決める時怖くなかった?

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彫刻科ソフトボール大会での集合写真

根)超怖かった!最初は誰ともしゃべれなくて“友達が欲しいけど、内気で誰ともしゃべれないんですけど“って先生に相談したら、先生が配慮してくれて、 皆が話しかけてくれるようになって。1が月後には完全に溶け込めてた気がする。

氷)そうだったんだ!どばたの先生、優しいね(笑)厳しい指導も時にはあったけど、今思うとその意味が分かると言うかね。予備校生も若干、見た目が怖そうな人とかいるけど、みんな意外と中身は優しいし、繊細だったりするよね。

根)そうそう、意外とそうなんだよね!はじめは誰だって怖い。自分から、みんなの輪に入って行くのはキツくて恥ずかしかったけど、先生たちのフォローがあったから今があると思ってるよ。半年間だったけど、予備校で友達が出来たから、その友達に会いに、大学の学祭やイベントに遊びに行ったり、展示を見に行ったり、他の大学とつながりが持てたのは本当によかったと。

氷)今でもその友達とはつながってるしね。予備校での仲間は、他の大学との交流のきっかけにもなるよね。それは、ひとつのメリットかな。

                 ☆☆☆

氷)何か予備校時代には、心がけてた事とか、これだけはやっとこうみたいなポリシーはあった?

根)大学には特にこだわりはなくて、受かったらどこかには必ず行こうって決めてたのはあるかな。後は、どばたに来たら、どこかには絶対受かると思ってた。デッサンは、感覚的に描くと失敗したりする時が多々あったから、自分なりの失敗しない方法論をあみだしてみたり。めっちゃ測りまくるとか。描く前にとにかく測る。まあ、それは人それぞれなので自分で研究して見つけてみてください。

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根上さんの予備校時代のデッサン

氷)私も結構出だしでは測ってたかな。その後には、自分の目で見ることが大事だけどね。最終的には、精神的にも実技的にも受験現場でも、色々な意味で安定感は大事だよね。私も、受験現場で、いかに冷静で居られるか考えてたよ。
デッサンが 描けない時とかは、どうしてた?

根)描けない時は、あまり悩まずに、結構ポジティブに考えていたかな。ちょうど描けない時、インフルエンザにかかってたので描けないのは私のせいじゃな い、とか。

氷)そのポジティブさが、精神的強さに繋がるのかもね。

                 ☆☆☆

氷)石膏とか塑像では、好きな課題はあった?

根)アムール。トルソは顔が小さくて、多少似なくてもバレないから。と思ってたけど普通にバレバレ。やっぱりいい加減はしてはいけないのです。粘土は模刻が好きだったかな。逆にウサギとか動いているモチーフの方が苦手だったかも

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石膏像アムール

氷)アムールとかマイナーかもね(笑)私とは逆だなぁ。模刻とか、苦手だったもん。でも塑像は、回数を重ねれば目に見えて上達して行くのが分かるし、体を使うから、思いをストレートにぶつけられると言うか、健康的で楽しいよね。

                 ☆☆☆

氷)バイトとかはしたりしてた?ちなみに、私は予備校時代には、クリーニング屋さんで、大学時代は、ずっとあんみつ屋さんでバイトしてたんだけど。

一)予備校の時は群馬から通ってたし、バイトはできなかったかも。大学時代は仕送りもあったけど、アニメーションの特殊効果をパソコンでやる仕事とか や子供のシッターのバイトをやってたよ。あまり人と触れ合う様な仕事はしてなかったけど。なぜか行くと感謝される様なバイトで、いつも何か貰って帰る。
本当に人に恵まれてて、行くのが楽しくて全然バイトって感じではなかったかも。あと、あまり生活費がかからなかった、倹約が趣味で。

氷)いいバイトにめぐまれてたんだね!倹約と言えば!良く、大学構内に植えてあった、木になってたさくらんぼを取りに行ったりしたよね。

根)そうそう!あとは、カリンの実取ってきて蜂蜜漬けしてたし、琵琶、フキ、銀杏、筍とかはえてるものはなんでも食べます。

氷)網羅してるねー、さすが!琵琶の木とか、ゴミ捨て場の上に生えてたけどね(笑)あとは、パソコンが使えるのは、かなり役に立つよね!作品ファイルを 作ったり。

根)そうそう!!パソコンは絶対に勉強できるならやっておいた方がいいよ!

氷)根上さんの作品ファイルは、かなり面白いもんね。しっかりした作品ファイルが、自分で1冊作れれば、自分の作品を人に見てもらいたい時に役立つよね。

                 ☆☆☆

氷)大学では、木や石を彫ったり、塑像でテラコッタやポリが扱えたり、金属や鋳造などが基本的に学べるけど、その中で根上んは、主に木や粘土、ポリを使って制作してたよね!何か彫刻する素材に、こだわりはある?

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『モーニング息子』

根)こだわりは特になくて、作りたい作品に合ったもので。何でも使えれば使うかな?

氷)私も結構、素材は色々気になるタイプかも。これが使えればなーなんて良く考えてるよ。

                 ☆☆☆

氷)今は幾つかのギャラリーで展示を開催したりしてるけど、そこに至るまでは、どんな流れがあったの?

根)大学3年生までは全く、作家としてやって行くという具体的なイメージがなかったんだけど、3年生の夏に開いたクラス展示の時に作品が人目に触れて、初めて他人からの反応を目の当たりにして楽しくなってしまって、作家としてやって行きたいという思いが湧いてきたよ。あとは、卒業や修了制作展で、作品を見てくれたたギャラリーの方から連絡があったり、大学1年生の時のグループ展の際に、コレクターの人に声をかけてもらったり。それが、ギャラリーでの展示につながってるよ。学内展示でも何でも人に見てもらえるチャンスがあれば、積極的に動いていった方がいいかも。

氷)そっかぁ。最近では、グループ展や卒業・修了制作展などで、作品を気にいってくれたギャラリーから声をかけてもらうというケースも増えてきてるよね。

根)うんうん。あとは、個展やグループ展などの展示目標を決めてモチベーションあげていく事が一番大事かもね。自分の作品ファイルをしっかり作ったり、HPもあれば色んな人に作品を観てもらえて相当広がる。ギャラリーに作品ファイルを持ちこんだり、コンペに出すならファイルはいつも数冊持っていたほうがいいかな。

氷)確かに、モチベーションは大事だ!何にせよくじけず、地道でも続けて行く事だね。そこが一番難しくもあるけどね。

                 ☆☆☆

氷)今、どのような生活スタイルなの?

根)3人の共同アトリエで〈1人だと怠ける、人目があるのも刺激になって大切だなぁと。〉、制作しながら、それだけでは、金銭的に辛いから、バイトもしてて。

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アトリエ風景

根)あとは、なるべく制作に時間を割けるように必要以上は寝ないとか、ご飯は何があってもしっかり食べる、体壊したら本末転倒だし…

氷)確かに!健康管理は制作をして行く上では大事だよね。根上んは、大学を卒業してからも規則正しく制作できる様に常に考えているし、自分で自分の時間を使う事って難しいなと思うんだけど、本当に尊敬してるよ。そんな規則正しいイメージとは、一風変わって、作品はめっちゃ面白いというか、きわどい作品だったりするんだけど、どういう発想からなの?発想元と言うか。一番気になるかも!
根上さんにとって彫刻って?影響を受けた人や出来事とかある?

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『スーパーカー』

根)色々考えてみたんだけどね。やっぱり、今まで出会ってきた人や友達に、いい意味で影響されてきたのかなぁって。元々スケバン刑事と仮面ノリダーをこ よなく愛するウ○コ好きな小学生だったんだけど、それが中学の時に凄く絵が上手くて剛毛でいつもゲリぎみの友人と出会って。毎日、日が暮れるまでお題を 決めて絵を描きまくったり、3年間腹がよじれるほど笑って過ごして。予備校でも強烈キャラがいてロッカーの中に勝手に祭壇作ってウ○コはベルクでしてて、毎日和田アキ子を聞かされて。小、中、高と出会って来た人たちが、本当におかしくて、地元は変態の宝庫だった。そういう出会いや環境が、作品のうま れる素になってるのかもしれない。だから、人との出会いって大切だなーって心底感じるよ。

氷)なるほどー!きっと根上さんの人柄が、出会うべく、その人たちを呼び寄せたんだろうね!それはもう染み付いてる揺るぎないものが、作品となっている感じだよね!そういう出会ってきた環境から作られた今”なんだね。

根〉そうだね!あとは、表現するジャンルが彫刻だっただけという事で。

氷)何気に初めて聞けた内容だったかな。この企画をきっかけに、質問出来て良かった!まだまだ、未知な部分は沢山あるのだけど、それはそれで想像するの も楽しいもので、また機会があれば、ぜひ紐解いて行けたらと。

                 ☆☆☆

氷)最後に、予備校生やこれからアートに関わって行きたい方に、何かメッセージがあれば是非。

根)作品って自分から生まれてくるものだから、常に自分との向き合うことかな。でもネタはその辺に落ちてたりするものだから自分の殻に閉じこもらずフットワーク軽く色々やってみること、あれ、矛盾かな?自分の中に常に相反する思いが同時に存在しているものだけど、それを認めること、生きることは常に葛藤、でしょうか?

氷)深いなぁ。なるほど!自分と向き合う機会を与え続けてくれる制作活動って素晴らしいね。それには、常にアンテナは張っておかないとだね。
忙しい中、協力してもらってどうもありがとう!これからも作品、楽しみにしているね!

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根上さんのHPはこちら

☆☆☆後記☆☆☆ 
根上さんは.、制作熱心で物事を色々な角度から観察し、吸収されている作家だと思います。日常がアートになり、その根上スタイルは、多くの人を魅了しています。次から次へと繰り出される根上ワールドに、日々感嘆しています。もっともっとたくさんの人たちに根上さんの面白さを知って欲しいと思います!また、機会があればもっと深く、作品の生まれる謎に迫れたらと思います!


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●3人目は、すいどーばた彫刻科出身で作家の、一井 弘和さんにお話を伺うべく協力をお願いしました!(写真左)

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◎一井 弘和さん(29歳)◎     
兵庫県県出身。
すいどーばたで2浪。
東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了した後、芸大の助手経て、去年からフリーで制作活動をスタート。
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氷)一井さんは、美術科がある明石高校のご出身ですよね。いつ頃から彫刻をやって見ようと思われたんですか?

一)そうだね。中学の時から工作の時かな。選択課題っていうのがあって、油絵と彫刻の2種類を選択してさ。その時くらいに、彫刻の方に行ってみよう!と決めたんだ。でもその当時は漠然とだけど彫刻家”を目指すという訳ではなく、美術作家になりたいと思ってたんだよね。

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Tokyo Contemporary Art Fair 2008 展示風景

氷)私も美術科がある高校出身なのですが、彫刻家’’と言う明確なビジョンは、中々想像し辛かったですね。ただ粘土に触るのが楽しかったので、私も彫刻をやってみたいと思いました。360度から物が存在させられる感覚に感動した覚えや、凄く不器用なんですが、体を動かしながら作品が作れるのが気持ちが良かったのを覚えています!才能とかではなく、そう言った感覚が彫刻を続けて行く軸になっている気がします!
  
氷)私は、高校2年生の時に彫刻をやりたいなぁ、それなら芸大を受験してみよう!と決めたのですが、それにはやはり予備校に通った方が良いと思ったんです。彫刻なら、すいどーばたが有名でしたが、地方出身で、東京に行くにも勇気が居るし、一番人数が多い予備校に通うのも、一人で未知なる世界に飛び込んで行く気がしてとても怖かったんですが、一井さんは、すいどーばたに行こうと決める時に、不安などはありましたか?

一)俺の場合は、全然そういった不安は無かった。むしろ、彫刻を専門的に教えてくれる所が地元にはなかったから、地元に残る事の方が不安だったかも。どばたでは、色々な人に出会え、色々な事に触れられとても楽しかったよ!〈当時、中瀬主任に、現役で芸大の1次に受かれば、どばたの奨学生にしてやるから!と言われてさ、それを信じて、何の不安も無く上京し、どばたに行く事を決意したよ笑。2浪目の時に、60%もらったよ。今思えば、恵まれている事が理解できるし、やっぱり遅刻はまずかったなと反省してる(笑)〉

氷)そうだったんですね。色んな意味でさすがだと思います!
どばたは先生方も優しく、生徒も人数が多いだけあって、同じ目標を持って頑張る仲間にも出会えますもんね。私も勇気を出して踏み込んでみると、拍子抜けなくらい怖い所じゃなかったのを覚えてます笑。
奨学生制度もあるので助かりますよね。〈ちなみに私も2浪目の時、奨学生試験を受けて30%学費が安くなりました。〉
 予備校と言う場所は、自分と向き合える機会が多く、精神的にも、とても成長できる場所だと思います。中々、現代において、仲間を見つけたり自分を鍛える場所を見つけるのは、難しいんじゃないかなと私は思います!
 
                 ☆☆☆

氷)予備校では、何か心がけていた事などはありましたか?

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一井さんの予備校時代のガッタメラータ模刻

一)1浪目は、一人暮らしの生活に慣れるのとカリキュラムを、しっかりやり込んでいくのに必死だったけど、2浪目は、予備校生活にも慣れてきて、やればそれなりに実力も付いて来た様に感じてたから、それだけじゃなく、+「とにかく落ち着いた奴が受かる!」と思って、例え遅刻しても、走ったりせず(笑)焦らない事”をモットーに、何を言われようがマイペースを保ち続けたかな。

氷)確かに!遅刻が良いか悪いかは置いといて、何が起こっても動じないタフな精神力は受験に於いて、とてもポイントになると思うので、そういった心がけも重要ですよね。

                 ☆☆☆

氷)現在の予備校生でもバイトをしながら通っている生徒もたくさん居ますが、一井さんは
何か、バイトされていましたか?ちなみに、私は予備校時代には、クリーニング屋さんで、大学時代は、ずっとあんみつ屋さんでバイトしていました。

一)予備校の時は、カリキュラムに集中したかったから、春休みや夏休みを利用して短期でバイトやってたよ。大学時代は、仕送りもあったけど、制作費も必要になってくるし、色々なバイトやったよ。ディズニーのペンキ塗りでしょ、写真の現像、コンビニ、引っ越し、ウェイター、内職とか。その他色々。

氷)そのバイト数は、凄いですね!それぐらいやっても大丈夫なんだ“っていうのは、何だか励みになる気がします!

                 ☆☆☆

氷)大学では、木彫、石彫、塑像、金属、ポリ、ブロンズなど様々に、学ぶ素材がありますが大学院からは主に、木彫で作品を作られていますが、なぜ木を主に使い制作されているのですか?

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『虹色坐像』

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『月見坐像』

一)総合的な理由から言えば簡単なんだけど、やっぱり祖母の影響が大きいかな。小さい時から家にたくさん木彫りの小物があって。実際、彫ってみると自分の感覚とあってるなと思ったし、形にしろ彩色にしろダイレクトな作業工程に魅力を感じるからかな。

                 ☆☆☆
  
氷)大学を出られてからは、幾つかのギャラリーで展示を開催されたり作品をアートフェアに出品されたりしていますが、今はどの様な生活をしていらっしゃいますか?
  
一)埼玉の蓮田にあるアトリエを借りて、毎日制作してる。アトリエ代は月2万円で、色々な大学の学生や大学出身者8人がアトリエを使ってるよ。
  制作だけではやっぱり金銭面で厳しい部分もあるから、今は仕事やバイトと掛け持ちしながら作品を作ってるよ。

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『森』共同アトリエHP

氷)ちなみに私も、この『森』共同アトリエを借りている一人です。芸大に在学しているメンバーと1スペースを半分ずつ借りているので、私のアトリエ代金は1万円です!

                 ☆☆☆

氷)最後に、一井さんにとって彫刻とはどの様なものですか?また影響を受けた人などはいらっしゃいますか?

一)作品を作るという事は、彫刻“という言葉に縛られず、人のためになる様な色々な職業の中の一つだとかんがえてるよ。影響を受けた人は数えきれない程居るけど、美術家にはこだわらず、様々な人から影響を受けてると思ってるかな。

氷)その考えには、私も賛成です!作品を作ることで、社会と関わって行く。とても魅力的で誇れる生き方だと思います。ついつい狭くなりがちなので、私も視野を広げてアンテナを張っておかなければなぁと、常日頃意識するように心がけています。 
  お忙しい中、サクッとですが、お話を聞かせて頂きどうもありがとうございました! 
これからも作品、楽しみにしています!制作、頑張って下さい!
  
☆☆☆後記☆☆☆ 
一井さんは、イメージとは違い気さくな方でした。とても芯があり勉強家で、様々な角度からアートや現状について思索されていて、出てくる言葉には共感があり、まだまだ話たりない位でした。今回は、私の質問に答えて頂く形をとらせてもっらたので、また機会があれば、現代のアートシーンや作品などについても幅広くお話が聞ける事を楽しみにしています!

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以上、今回は3人のメンバーにお話を伺わせていただきました。
普段中々聞けない、彫刻を始めたきっかけや、知っている様で知らなかった経緯を新たに知る事ができ、彫刻に携わる人として、皆さんをさらに身近に感じる事ができました。若い人には敬遠されがちな、彫刻という世界は、とても魅力的で意外にも近くにあるのだと、これからも色々な人たちに浸透していって欲しいと思います。
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●一井 弘和さん
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〈GROUP EXHIBITION〉
2009.08.28-09.01  ART TAIPEI2009 (台湾)
2009.04.03-04.05  アートフェア東京 (有楽町国際フォーラム)
2007 「物語の彫刻」展(東京藝術大学大学美術館陳列館)
2006 「第1回アトリエの末裔あるいは未来」展(上野桜木 旧平櫛田中邸 東京)

〈SOLO EXHIBITION〉
2009.7.18-8.1  「空想旅行」(BUNKYO ART)
2008 東京コンテンポラリーアートフェア2008

〈AWARD〉
2008 国際瀧富士美術賞受賞
2004 サロン・ド・プランタン賞 受賞


●根上 恭美子さん
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〈GROUP EXHIBITION〉
2005 「’82」 東京芸術大学・大学会館
2006 「No.9Jack」 東京芸術大学・第9講義室
    「体験展in東京」 東京芸術大学・大学会館
    「第2回アトリエの末裔あるいは未来」展 旧平櫛田中邸
2007  tsuranari-ART EXHIBITION- MARUIKE HOUSE
     藝大アーツイン丸の内  東京・丸ビル
    「第3回アトリエの末裔あるいは未来」展  旧平櫛田中邸
2008 「New-laid eggs」展  Gallery MoMo
    「100 degrees Fahrenheit vol.0」 CASHI
    「Gallery MoMo Ryogoku Opening Exhibition」 Gallery MoMo

〈SOLO EXHIBITION〉
2009 「スターだらけの」 Gallery MoMo

2008年07月07日

●2008年芸大合格者に聞く

「インタビュー企画第7弾」

2008年芸大合格者に聞く!
                  インタビューアー 西嶋、吉田
今年すいどーばたは9名の芸大合格者を輩出しました。その内訳は現役生から1浪2浪3浪と幅広い経験数の学生が合格しております。

今回はその中から、三人の方に来て頂きました。
まず最初は、すいどーばたに通えない地方在住のため「通信教育」を通じての指導と、さらに春夏冬入試直前の各講習会を受け現役合格を果たした北田君。二人目は名門美術高校出身の実力者ながら2浪することでさらに本格的な力を身に付けて合格した中澤さん。三人目は、一度一般大学を卒業したが、大学で出会った先生の影響を受け彫刻を始めたという増渕君です。将に特徴のある三名に受験や予備校生活を振り返っていただいて、大切にしていたことや意識的に取り組んでいたことなどを伺っていきたいと思います。さらには芸大に通っている現在のこともお聞きしたいと思います。

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まずは各自の紹介をしたいと思います。

昼間部・白ヘビクラス出身:増渕剛志くん
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一般大学卒業後、3浪しての合格。完成された塑造力は目を見張るものがあります。多くは語らないが制作に対する姿勢でクラスをまとめるリーダー的存在でした。
合格大学:東京芸術大学、多摩美術大学

昼間部・黒猫クラス出身:中澤安奈さん
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調子のきれいなデッサンから、描写力を身に付け、最後はそれらを超えた臨場感のある本格派デッサンを描けるようになり、文句なしの圧倒的な存在感でした。
合格大学:東京芸術大学

そして通信教育出身:北田匠くん
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通信教育では出題した課題をはるかに超える量の作品を毎回送ってきた先生泣かせの学生。優等生なだけではなく、底知れぬパワーを秘めた貪欲な現役生でした。
合格大学:東京芸術大学


西嶋:本日はよろしくお願いします。

あらためて芸大合格おめでとうございます。
経験はそれぞれですが、3人ともようやく大学生になったという感じがしますね。
そのあたりからお伺いしたいと思います。
まずは彫刻を志したきっかけを各自にお伺いします。

北田君は現役合格ですが、通信教育を始めたのは高校1年のときでしたっけ?
どういう経緯で彫刻を志したか教えてくれますか?

北田:小さい頃からもの作りが好きで、レゴをやったり、おもちゃ作ったり、陶芸をしたりものを作っている時が自分にとって一番無心になれる時間で、心地よいものでした。初めは当たり前すぎて自分が本当にもの作りが好きなのか分からなかったんですが、親が彫刻家というのもあって、小5くらいの頃には世界一の彫刻家を目指していました。
通信を受け出したのは高2の春からで、他の人に比べたら早い方だったと思うのですが、地方からの受験ということで不利に感じていた部分もあり、喰らいつく気持ちでやってました。でも、結局は地方からの受験というのは自分の土俵を持ちつつ、中央に来て触発されてまた帰って、自分のやり方を改善しながら進めて行くっていうのは利点になっていたように思います。

西嶋:小5ですか・・・。小さな頃からお父様の仕事場を見ていた影響は大きいですね。
中澤さんは美術高校出身ですよね。はじめから彫刻を専攻していたのですか?
彫刻にしたきっかけなどあれば教えてください。

中澤:初めは油絵専攻でした。それが、高1の終わりからスランプで描けなくなり、苦しんで悩んだ結果、高3で彫刻科に転科しました。正直、彫刻って良くわからなかったんですが、1年次の授業で彫刻をしている時がすごく楽しかったんですよね。そのことを身体がおぼえていたんじゃないかと思う。たぶん絵が描けない中でつくる喜びに飢えてたのかな。絵は描けないとずーっとゼロ(白紙)のままなのですが、彫刻はまず形になる、それがとても新鮮でした。あと彫刻の先生がおっしゃった「ジャコメッティーは存在するものと空間の境目を見きわめた人なんだよ」という言葉に感動して興味をもったのも大きいかも。

西嶋:当時高3の中澤さんが体験入学に来たときのデッサンを良く覚えていますよ。調子のきれいなデッサンでしたね。その時も何やら悩んでいましたね(笑)
増渕君は他の2人と違い一度一般大学を卒業してからすいどーばたに来ましたよね。
結構決断のいる事だったと思うのですが、その背景にはどのようなことがあったのですか?

増渕:前の大学ではデザインを専攻していましたが、興味が持てず、自分の可能性を模索していました。木工、金工、窯芸等大学で出来ることは手当たり次第さわってみて、その中の一つに彫刻があったんです。大学の2年の頃から彫刻を志す訳なんですが、僕は2人とは違い全く専門的な美術教育を受けていませんでした。いざ彫刻をつくるとなると、自分の中に判断基準がなく、不自由さを感じていました。自由につくればいいのに不自由なもどかしさ。
1から彫刻を学びたい、という気持ちが強くなり、彫刻とは何なのかという疑問をアカデミックな勉強の中から考えてみようと思い、予備校の門を叩きました。芸大に入るというよりも、1から彫刻を学ぶんだという気持ちの方が強かったです。その先に大学があるという考え。一度型にはまりにいこうと。そこから抜け出すか、はまるかは自分次第なので自分の中に一つの基準をつくりたいと思っていました。

西嶋:なるほど、大きな決断と言うよりは自然な流れだったんですね。マイペースな強みですね。
北田君は優等生と言われていましたが、入試直前はもっと突き抜けた精神状態だったようにみえました。そのあたりの心境を聞かせて頂けますか?

北田:自分としてはそんな認識がなかったんですが、誰よりも努力したいとは思っていました。夏季講習で3位をとった時から、トップをとりたいって意志が強くなっていって、冬も2位をとって自信もついてきてたんですが、入直になったら周りがめっちゃ上手くなっていて、現役合格を前提としてたこととかが急に重しに変わっていった感じがしました。やっぱり悩むと実技も伸びないし、焦ったり、このまま受かってもその先いけるんかなって悩んでた気がします。でもある頃から、自分は結局逃げてるだけやって気付いて、大切なんは受かるかどうかってことより、自分らしく生きることなんやって思って自分の生き方として今やるべきこと、今しか出来ないとことを一生懸命やればいいって思えるようになると、急に楽しくなってきて全てがプラスに思えて、やりたい様にやろうと思っていきました。受験のというより彫刻の勉強がしたいと思いだして、最後の方は参作より、作家の図録ばっか見てた気がします。入試も全然怖くなくなって当日も自然体でいれましたね。

吉田:実技も現役生ばなれしていましたが、考えも、普通の現役生とは違っていたのですね。北田君の実技を見ていて「どんな状況でも確実に仕上げてくる」と感じました。他の人だと形の狂いがあったとりとか、印象が出ないとか、色々な理由で途中になってしまうデッサンが何枚に一枚の割合で入ってくると思います。北田君を見ていて、途中で終わるデッサンがほぼゼロだったように記憶しています。なにか完成に対するこだわりとか、強い思いとかあったのですか?

北田:そうですね。自分は描写タイプなので、ベースやって次何やって・・・とかいうよりかは最初から描いていくし全体的にバランスを取りながら進めていく感じなんですけど、何をもって途中というのかわからないんで、まあ描き込めば完成なのかといえば、そうでもないと思うんですが、自分としては もちゃもちゃしたまま終わらせるのは嫌で形を決めていく感じでした。だからそれがかえって強引と言われる部分になったりもしましたね。でも前提として描ききりたいというのはありました。

吉田:表面的な完成度とは別の次元での戦いだったのですね。話を聞いて実技に納得がいきました。

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北田君の模刻 奴隷首像

吉田:北田君は現役で東京芸大合格を果たしました。一般的に現役生は塑造力で浪人生と差がつきやすいと思いますが、上の奴隷首像模刻のように浪人生をも凌駕するような塑造力を身につけていましたね。高校も普通科で剣道部とかだったと思うのですが、塑造に関して高校2年生の時から意識して取り組んでいた事などありますか?

北田:初めてどばたに来た時に、デッサンはいけても塑造は入直だけでは難しいと聞いていたんで、粘土は多めにやるようにしていました。一番実力につながったと思うのは20分間の粘土クロッキーだったと思います。スパンとしては朝粘土、放課後はデッサンという感じだったんで、行ける時は始発で行って、粘土クロッキーを3セット〜5セット位やったり、土日も学校が開いている限り作ってる感じでしたね。
浪人生は一日中制作していると思うと、焦りがちだったように思いますが、1人黙々とやっていましたね。家族の支えがあってのことだと思います。

吉田:始発、3セット〜5セット、学校が開いている限り・・・あの塑造力は血のにじむような努力のたまものだったのですね。体も心も強かったんですね。

吉田:続いては中澤さんに質問です。現役1浪と2年続けて芸大1次試験を通過しました。1浪目で落ちた時に既にかなりの力があっただけに、二浪目は大変だったんじゃないかと思います。力のない人は基本的にバンバン力をつけて、それがコンクール等の結果にも繋がり、またがんばれるという好循環をつくっていきやすのですが、中澤さんはコンクールでよい成積をおさめても(たとえトップでも)、講師陣からかなりの辛口の講評を受けるという場面が多かったように思います。なかなか思うようにデッサンが変化していかない時期が続きましたが、どんな思いでしたか?また、気持ちのコントロールがうまくいかない時とかってあったりしましたか?

中澤:あー、すごくしんどかったです。実は私はほめられてのびるタイプの人間なんですよ(笑)。何をやってもダメな人間なんだーって、いつも落ち込んでました。得意としていた描写型のデッサンを描いても、お前がやるべきことはこれじゃないだろ!って言われるし、よくわかんないから、とりあえず描写を捨ててみたら、何も残らなかった。何をやるべきなのかわかっていなかったんですね。ただ自信がなかった。
それが夏季講習のコンクールのあと、先生が「中澤にはこういう能力があるんだ!」というのを1時間くらい言い続けてくれて、初めて客観的に自分を認めることができました。そしたら、自分は何を捨てるべきで、何を構成すべきなのかが明確に見えてきたんです。求められているのは、元々自分にない彫刻的、量的見方なんだと。別に先生方に嫌われている訳じゃないんだって(笑)。
あの時「お前のやっていることは一浪の延長だ」と言ってもらえて感謝でした。私の本当の二浪のスタートはここから、とも言えます。
でも現実は大変でしたね・・・。新しい見方がなかなかものにならなくて。直前の一週間までもがいていました。でも新しいことを学ぶ喜びがあったので充実していました。
それに経験したことは、必ず絵に出ますね。大切なのは見ることですね。

吉田:自分との戦いの1年だったんですね。

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中澤さんの石膏デッサン 円盤投げ全身像

吉田:中澤さんは、描写力などのテクニックはこの三人の中でも一番優れていたように思うのですが、受験においてのテクニック(技術)とメンタル(精神力)はどんな関係でしたか?支え合うもの、反発するもの、いろいろな考えがあると思うのですが、中澤さんにおいてはいかがだったでしょうか。

中澤:テクニックが邪魔している!と思う事が何度もありました。本当はわかっていない部分もうまさでカバーできてしまうから、まず自分がそれにだまされてるという危険な一面もありました。モチベーションが低い時は、テクニックが先行して、表面的でつまらない絵になるし、不器用な人の味のあるデッサンに憧れていましたねぇ。私の場合は「キレイだなぁ」とか「スゲーなぁ」と感じることからデッサンに入ると、調子が良かったです。テクニックそれ自体では力を成さない。自分のイメージを形にする道具ですから。私はイメージがないとダメでした。うまさを見せるためというよりも、他の人に何が描きたかったのかわかってもらうためのテクニックであることが大切だなと思います。

吉田:うまさでカバーできる というラインを超えた対象とのやりとりのレベルに向かっていたんですね。やはり2浪めは高いレベルで戦っていたんですね。

西嶋:じゃあ次は増渕君に聞きます。
増渕君は塑造力がしっかりしていて、かなり自分でコントロールできるようになっていたと思います。どんな点に気をつけて制作していましたか?

増渕:予備校では彫刻をつくるとなると、受験ということもあり、必然的に粘土での表現になってしまいます。それを受動的な素材の選択ではなく、数ある素材の中から粘土での表現を選んでいるんだと捉え直してみました。数ある素材の一つとして粘土の可能性を考えてみようと思ったんです。3浪して自分では押さえどころは理解していた、と思っていたのであとは自由にやろうと思いました。やることやったらあとは遊ばせてくださいな、という感覚で粘土の表現として面白いかどうかや、素材としての魅力を引き出せているかに重点を置いていました。

西嶋:なあるほどね。そうした意識が塑造に対する取り組みに出ていたんですね。
逆にデッサンはなかなか調子っぽい状態から抜け出せず苦労したように思いますが、そのあたりも聞かせてください。

増渕:デッサンでは一つのきっかけ、意識的な変化はありました。
ある人に何も見ずに卵を描いてみろと言われたんです。描けなかった・・・。それが自分の実力なんだと痛感させられましたね。自分は画面の中に卵一つ存在させる事が出来ない。平面的な見方しか出来ていないんだと。石膏デッサンを描いていると何となく立体っぽくなるけど、今までのはただの色塗りだったんだと。真っ白な画面の前に立つと平面的な輪郭的な見方になっている自分がいる。それを自覚した上でデッサンは平面という制限のある中で立体をより立体として捉えるための確認と訓練なんだと。平面だけども立体の仕事をするんだと思ってからデッサンが変わっていったように思います。

吉田:西嶋先生の言われていた調子っぽい感のあったデッサンですが、試験直前の二月終盤、最後ある種の吹っ切れた感じというか、悟りというのか(笑)ごちゃごちゃ気にせずこう描くんじゃい!と言わんばかりに、どんどん力強く、活きたデッサンになってったように思います。そのあたり、何か心境の変化でもあったのでしょうか?

増渕:講評の時、皆のデッサンと一緒に並べてみると、自分のデッサンが絵として見た時に全くつまらない、面白くないものに見えたんです。狂っていても感覚的な魅力のある絵に引きつけられる自分がいました。正確に描くよりも、表現として見た時に大事なものが他にあると。いくら構造だ動きだと考えても話にならない。受験直前は頭がいっぱいいっぱいで何も考えられないし、何も入ってこなくなりました。3年間考えて来たんだからもう体が覚えている。だったら最後は自分がカッコイイと思ったものを画面にたたきつけるだけだと思いました。自分の見えているもの、感じたものはこんなもんじゃない、俺にはこんなにもかっこよく見えているんだと。それだけをずっと追い求めていました。昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日と、前向きな気持ちがエネルギーになっていたように思います。

吉田:構造、動きといった彫刻的要素を3年かけて体得しきった上での達観だったんですね。

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増渕君の 石膏自刻像

吉田:増渕くんが首の塑造で色々なタイプの表現を取り込んで制作していたのを良く憶えています。荒々しいマチエールの作品や、量感の強さを追い求めた作品など、塑造表現としての探求みたいなものが、はじまっていたように思います。どのようなスタンスで塑造制作に取り組んでいましたか?試験でも手という作品性を入れやすい課題でしたが、予備校での取り組みと実際の芸大の試験での実技にスタンスの違いなどはありましたか?

増渕:首と手にはこだわりがありました。大学に入ってからも作り続けたいという思いはあったし、こういうものを作りたいという欲求があったので、じゃあ予備校の授業の中では何が出来るのかなと試していました。自分の可能性を広げるという意味でも他の人の粘土を参考にしたり、好きな作家の真似をしたり、こんなことも出来るんじゃないかという遊び感覚です。粘土をカピカピに固くして磨いたり、グチョグチョの粘土でベチョベチョ等いろいろやってみて自分はどういうものに反応するのか、快感を覚えるのかを探っていました。芸大の試験ではシンプルでチョー地味な作品を作りました。派手さのかけらもないですね。よく見てくれたなと思います。僕が教授なら見向きもしませんけど。ただ、アイデアはなくても他の要素で見せる自信はあったので、元気が良いのは周りに任せてガツンと真っ向勝負という感じでした。予備校での手の構成課題では物語性を持たせたり、構成として面白くしたり、いろいろ考えて楽しんでいましたけど。そうじゃなきゃやってられなかったですし(笑)。ただ、いざ試験となると、びびるしいつも通りいく訳ない。自分が緊張しいてたのは分かってたし、手はブルブル震えるし、心棒は材料の関係でヒョロイのしか作れないし、無難にいくかと。
普段の授業の中で色々な表現をする事で、6時間という短い時間の中で適した作り方はどれか、受験に確実に勝っていく仕事のやり方を1つ自分の中で作れたので、粘土に関しては余裕がありました。受験用の塑造と割り切って作っていました。

吉田:塑造表現の広がり限界まで追った先で、6時間の試験との折り合いを見極めたんですね。かなり深い戦いだと思います。増渕君はどちらかというと器用なタイプではないと思うのです。もちろん良い意味でもね。じっくりと力をつけ、積み上げ続ける、それを支える強い信念があった学生だ という感想を僕は持っているのですが、全国で芸大目指して彫刻の勉強をしている器用ではないタイプの人たちに何かアドバイスをお願いします。

増渕:確かに、恐ろしいほど不器用ですね。不器用だからこんな回りくどい生き方をしているんでしょうし。人一倍時間はかかるは、上手くいかないはで大変ですけど、人一倍悩み考えた分、出来た頃には確実に自分のものになっているはず!! 不器用な人、人に教わるのが苦手な人にはそのぶん癖のある、こだわりのある人が多いと思う。下手に器用で上手くこなす人よりも見ていて面白いし、うまくはまった時にはその人にしか出来ないものが生まれるんじゃないかな。人生長いんだし、先に行きたいやつは行かせて何十年か後に抜かせばいいじゃないか。ゆっくりと自分の足で歩いたぶん、走り抜けただけでは気付かない、自分だけの探し物がきっとみつかると思います。 彫刻は時間かかるんだし、のんびりいきましょうよ。
ナイフではなく棍棒で振り回すようなかっこよさ、生臭さがあっていいと思いますよ。不器用なものはしょうがないじゃん、そんな自分を受け止めてあげましょうよ。

西嶋:では次の質問です。これまで合格してきた人は大抵自分独自のプロセスをつくりあげていると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか?自分を支えた何かがありましたら教えてください。
先ほどの質問と被ることがあるかもしれませんが、これは!というものがあれば教えてください。

北田: 常に自分を見失わないで、客観的にみつつ、主観も通すという事を意識していました。入直において大切なのは体と気持ちのコンディション。入試は長丁場なんで、無理しすぎない生活を送る事が大事だと思います。どばたではガンガンやってホテルに帰ったら何もしないとか、集中にメリハリをつけてリラックスするのが大切だったと思います。自分にとっては牛乳がリラックスの必需品だったんで、そう言うアイテムを見つけるのも大切だと思います。

西嶋:牛乳ですか(笑)。確かに気持ちの切り替えは大事ですよね。
他はありますか?

中澤:参考にならないかもしれませんが、私は中1から芸大を目指してきたので、当然根強いこだわりがありました。でも2浪して、芸大ってどういうところなんだろうというのを世界の基準から見るようになって。そしたら今まで芸大に対して持っていた憧れや強い思いとは別に、そこには日本の役割を荷なう教育機関が見えました。そしたら、大学4年間という時間の中で何ができてどういう可能性があるか、というのが見えてきたんです。そして不思議なことに、2浪してダメだったら、芸大よりも最善な道があるってことなんだ、と思うようになったんです。実際落ちたら、スケッチブックをもって世界を放浪するつもりでした(笑)。落ちたら落ちたで私にとって芸大に行くよりも益になるかもしれない、と。
2浪して初めて落ちてもいいやと思えたんです。それはあきらめではなく、新しい希望でした。自分の道を神様に全部ゆだねる気持ちになったというか。そのための2浪だったんだな、と今思います。試験が終わってから、父が「受かるといいね。でも落ちても、それもいいよね」と言ってくれたことも大きかったです。家族の支えに感謝しています。

西嶋:そうですね。自分にできる事はやりきったからこそ、そう思えたんでしょうね。
どちらにしても次の道が見えてきたということですね。
ではさらにお聞きします。受験において一番重要だと思うこと、あるいは自分が大切にしていたことがあれば教えてください。

北田:受験は合格するためのものだけど、受験のため(だけ)の勉強というのは良くないと思います。その先を見据えた、作品制作に繋がるよう学んでいくことが大切だと思います。
実際は体力とか、精神力がものをいうし、プラス思考でいかなきゃ絶対に潰される。弱いところを直すというよりかは、良いところを伸ばすことが大切だと思います。自分のスタイルって考えた時に、弱点を直したからといって、自分らしさになる訳じゃない。自分の強みを生かしていくとおのずと問題も見えてくるからそれを直していく方が、自分のスタイルを築けると思います。常にプラスへで、自分を動きやすくすることが大切だと思います。現役生って不安や迷いも多いけど、そこで勇気を出して一歩踏み出さなきゃダメ。自分を信じられるところまでやるのが一番です。

西嶋:北田君は強いね。だけどその裏には先ほど出てきた話にもありましたが、自分の弱さを経験し、乗り越えた上にこそあるのでしょうね。
中澤さんはどうですか?

中澤:芸術の仕事というのは、答えのない問いかけだったりするものなんじゃないかと思うのですが、受験ではまず問いがあって答えがあるんだ というのに気づいて、楽になったこともありました。ちゃんと相手の問いかけに的確に答えられているか?ということはしっかりおさえていないと、受験は成立しないんだなと。自分だけが理解出来るような作品を作っても意味をなさない。そういう意味で相手をよく知ること、自分をよく知ること、その上で戦いができると思います。浪人で気をつけていたことは、波を最低限におさえること。体調が悪くても、精神的にふにゃふにゃでも、合格ラインを保つこと。普段どんなにうまく描けても試験当日にそれが出せないと意味がないと思っていました。

西嶋:受験に於いて重要なポイントですね。言葉ではわかっていても実際に明確にそのことを理解し、実践出来る人は少ないと思います。精神的に強くなりましたね。
増渕君はどう?

増渕:客観性の一言に尽きます。客観性の意識とその獲得こそが予備校で得た一番大きなものだった様に思えます。講師から何度も同じ事を指摘され、そのたびに自分に苛立ち、わかっているけど出来ないもどかしさ。ただ、自分の作品を見て感じることと講師から言われることは同じだったので、自分が客観的に見さえすればいいんだと、今、自分はどういう状態で何が必要で何を捉えにいくのかを見極める。自分で自分を育てる力を身につければ良いのではないかと思います。すいどーばたには幸いにも大勢の人がいて比較できる対象が多いので周りに流されやすいという危険性はあるけど、客観的になれる材料は揃っていると思います。一人ひとり必ずいいものを持っているので、それをどう活かすかも実力だし、そこを補うのが客観的な視点だと思います。それさえ出来れば誰でも受かりますよ。

西嶋:他の二人の話の中にも「客観性」というキーワードが出てきましたね。
そのことを本当の意味で実感できた事は今後の人生において非常に有益になると思います。
では、今度は芸大に合格した後のことを伺っていきたいと思います。
芸大に通ってみて感じる予備校と大学の時間の流れの違いや、予備校と大学の先生との距離、仲間との過ごし方など受験時代とはだいぶ変化があると思いますが、その辺りをお話し頂けますか?

北田:大学は自由と聞いていたけど、思ったより制作時間が限られていて残念でした。授業内容は1年ということもあって道具作りなど基礎的なことが多い印象を受けました。だけど、その中で自主的に制作をすることもできるので、その辺りは居心地が良いです。課題の期間も長いので、自分のペースで制作ができるところは大きな違いです。

西嶋:今は石彫実習をやっているのかな?

中澤:はい。正直、身体はかなりツライです〜。毎朝手が固くて開かない(笑)。

西嶋:6面出しですよね。

北田:はい。僕はもう6面出しましたよ。

西嶋:おお、すごいねー!先生との関わりなどは何か変化ありました?

中澤:入学前に先輩の話を聞いた限りでは、先生との距離や同級生との関わりも薄いと思っていたのですが、実際は割と親密な感じですよ。研修旅行では教授や助手の方々と一緒に山登りしたりして、意外な一面を見ることができたり。関わりを持つチャンスはあるし、要は自分次第ですね。

増渕:予備校では受験ということもあり教えられるという感じでしたが、大学では先輩の作家としてアドバイスしてもらうという印象です。

北田:石彫場を含め大学では先生の制作している姿を見ることができるので、刺激になります。

増渕:助手の方からも研究室に気軽に来ても良いとおっしゃっていただき、フレンドリーな感じを受けます。

西嶋:ほう、結構親密にやっているんですね。

北田:クラスメートともみんなで鍋やったりパーティーしたり、楽しいですよ。今年の学年は仲が良いようです。

増渕:そうですね。肩苦しい感じはないですね。受験生の時は、どうしても一人で戦っていた感じがあったけど、大学ではもう少し周りと密接に関係を持てていて、一人一人が見えやすい感じがしますね。

西嶋:時間の感覚もやっぱり違うよね。

増渕:時間はゆっくりしています。予備校とは真逆ですね。受験という特殊な状況から意識を変えるのにはこういったゆっくりとした時間の流れが必要なのだと思います。


西嶋:では最後に受験生に向けてメッセージがありましたらお願いします。

北田:受験において、合否というものは、自分の許容範囲にあるものではないと思います。やりきって合格する人もいれば、それなりにやって合格する人もいる。逆にやりきっても合格できなかったりということもある。自分の手の及ばないところで悩む必要はないと思います。自分に出来ることを自分が納得するまでやりきることは、自分次第でどうにでもなること。それをやるだけ、それだけでいいと思います。

中澤:いろいろな問題や課題を一人一人が抱えているのだと思いますが、問題の以前にまずしっかりとした土台において、自分が自分らしく存在すること、これが最も大切な事だと思います。それと体あっての制作だし、必要なだけ食べ、寝て、時には心よりも体の方が正直な事もあるのでそれに素直に従う事も大事だと思います。周りの人、アトリエの空間も大切にすることが、心の在り方、作品の在り方につながってくると思います。来年みんなが芸大の門をくぐって来ることを楽しみにしています。

増渕:とくにないですけど、多浪の楽しみ方の一つとしては、大学に入ってからの事を考えるとおもしろいかも。授業なんて出なくて良いから、予備校に縛られず、色んな作品見たりして常に新鮮な気持ちでいることが大事になる。おもしろい作品のアイデアが浮かんだらニヤニヤしながらメモして授業の中で出来そうなら学校に来てやってみる。意外と予備校のカリキュラムの中でも考え方次第で、自由に楽しく自分の作品作りが出来ますよ。あと、どばたにいると1日とか多くても3日課題だけど、先生にお願いして、1,2ヶ月ぐらいかけてじっくりと納得いくまでやってみてもいいのでは?一度人生踏み外しているんだし、周りに合わせる必要はないと思います。一浪生、現役は知りません(笑)。ただ突っ走れば良いんじゃないですか。だめだったら浪人すればいいじゃん。いいことあるから。

西嶋 吉田:増渕くん、中澤さん、北田くん、本日はありがとうございました。3人とは予備校を通して長く接していましたが、今日初めて聞くエピソードに、驚きや納得が多々ありました。やはり3人ともかなりディープな戦いを経て合格を勝ち取っていたんですね。全国の芸大、美大を目指す多くの方々にも多くのヒントや励ましに富んだインタビューだったと思います。
今日は本当にありがとうございました。

2008年03月05日

●すいどーばた卒業生に聞く大学生活

「インタビュー企画第6弾」
インタビュー第六弾はドバタから巣立っていった学生のみなさんがその後、大学などでどのような活動をしているのかに迫ります。大学での生活や作品制作、カリキュラム以外での自主的な活動など、大学に入るとどのような日常が待ち受けているのかを聞いてみました。皆さんに近い等身大の大学生の生活、自主的な活動など参考になるお話が聞けると思います。

今回は、広島市立大学に進学し、この春卒業を迎えた黒田君と丸橋君に話を聞いてみました。クラス担当した西嶋と広島の展覧会に参加した吉田がインタビュアーを務めます。

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黒田大祐君と現在の作品

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丸橋光生君と現在の作品

吉田(以下Y):今回はすいどーばた出身者が大学に進んでどんな活動をしているのか?紹介して、すいどーばたで勉強している皆さんにアフタードバタのイメージを持ってもらおうという企画です。まずはお二人とすいどーばたとの関わりから聞きいていきたいと思います。
二人は結構浪人が長かったように思うけど何浪してたんだっけ?ちなみに僕は3浪なんだけど・・・
丸橋(以下M): 僕は3浪しました。
黒田(以下K): 僕も3浪しました。長いですね。

西嶋(以下N): 二人は京都から出てきて下宿生活をしていたけど、暮らしとか変化しました?二人とも バイトしながらじゃなかったっけ?
M: そうですね。浪人中バイトはずっとしていました。 でもあまり大変だとかっていう気持ちは無かった気がします。バイトをしている人は他にもたくさんいましたし。僕は田舎から出てきてたんで、特に始めのころは美術館やライブハウスなんかによく出かけ、刺激的なものを沢山目にしながら、東京での生活を楽しんでいたような気がします。2浪、3浪となるにつれて、精神的に徐々にしんどくなっていった気がします。

K:僕はかなりバイトしましたね。1浪の頃は正直、両立が難しくて病んでいました。でも2浪3浪としていくうちに、当然ですけど生活力とかついていった感じはしますね。なんというのか慣れかもしれませんけど健康になっていきました。

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黒田大祐君 すいどーばた時代の塑造作品


N:精神的には重くなり、肉体的には軽くなる・・・重い言葉ですね。考え方なんかは変化しましたか?
M:僕の場合考え方は3年間変わらなかったかなあ・・・、それは良くない事だったと思いますが・・・。一つ変化があったとしたら2浪目までは芸大一本だったんですが、3浪目の春に今年で浪人は最後にしようという決心みたいなのがあって、他の大学も受けることにしたことでしょうか。黒田は1浪から3浪にかけて考え方に変化はあったりしたのかな?
K:どうかな〜。う〜ん、浪人に金を使う事は勿体ないと思うようになって、自己投資もいい加減おんなじ事ばかりは無駄とは言わんけど、アホらしくなって。ちょっと考えて、喫茶店でコーヒー飲んで考えてるうちに、芸大じゃなくてもいいと思えてきたんやな。

N:二人とも塑造力中心にかなり力をつけて、浪人でやる勉強をしっかりやれたから、そのような境地に行けたのかな?「学び尽くした!」みたいな感じってあったのかな?
M:そうですね。実力がついてきて、でも同時にマンネリ化してくるのもあって、もう次のステップに進んだ方がいいなと自然になりました。学びつくしたかどうかは解りませんが。
K:嫌いな石膏像がまあそこそこ描けるようになって、そうしたら、逆にこの先はもう本当に長いと思ったし、デッサンや塑造は上手くなり続けるかもしれませんけど、ただそれだけで、試験の日に緊張しない自信は全然いつまでも持てそうになかったんです。試験は陸上競技やスポーツに似たところがあって結果を出さないとダメで、ジワーと何とかなるようなことは一つもないですから、そういう勝負は肌に合わないし、もっと違う基準で勝負したいと思ってきたんですね。3回も負けて学び尽くしたというよりは、そういうことを思い知らされた感じです。

M:そうやな、結局その日(試験の日)が大事なのが解ってくる。ほんならその他の日は何なんやとなるしな。そこで遊んでしまう人もいるけど、遊んでも勉強しても試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かってもねえ、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。遊ぶ事も大事やと思いますけど、勉強も大事なんです。
K:器用にできたら一番いいんですけどね、結局試験は受かった方がいいです。

M:でも3年も居たから友人も沢山できたし、今でもその頃の友人とは交流がありますがとても刺激になります。だから3年間あの時は苦しさもあったけど、今思うと3年位いて丁度良かったかもしれないと思うし、事実、今その頃に助けられてると思います。
K:そうやね。

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丸橋光生君 すいどーばた時代の塑造作品


N: つらく長い浪人生活だった訳だけど、実技以外に培われたものとか、何かあったのかな?
M:そうですね、自主性というのか、良くも悪くも自分で判断して行動することでしょうか、考えているだけでは何にも成らないのでやってみる姿勢かな。ドバタで言えば朝早く来てやるとか、自主課題とか、まあ遅刻しないみたいな事を含めて自分にはね返ってくるんだぞっていう。
K:ああなるほど。

N: 「自分に跳ね返ってくる」っていうのは、人生の教訓だね。黒田君はどう?
K:先生の批評を鵜呑みにし過ぎないとかね。やっぱり自分で判断しないとね。素直に聞くにしても、試験でもそうだし、浪人が終わってもそうだしね。僕は自分では素直に聞き過ぎる感じだったと思ってんだけど、これは講評じゃなかったと思うけど、中瀬さんが「報われる努力をしろ」と言ったのをよく覚えてるなあ。その時は全くその通りだなあと思った。浪人生は特にそうだと思う。
M:へえー。



広島時代

N:そういった浪人生活を経ていよいよ広島での生活がはじまる訳だけど、大学ではどんな作品を作るの?人体とかがやっぱり多い?
M:そうですね。カリキュラムは人体中心です。広島市立大学の彫刻科では、学部の間はどの学年も半分は人体の塑像に時間が当てられています。残りの半分で、石、木、金属、テラコッタなどの実習を行います。それらの実習も基本的には人体の制作になっていますね。
卒業制作あたりから、自分なりの展開を加えて作品の制作をはじめる人が出て来る感じです。
大学院以降は人体の制作だけを続ける人もいますが、大きな構造物の様な作品やモニュメント的な作品を作る人も多いように思います。広島は東京のようにギャラリーがいっぱいあるわけではないので野外での展示やプロジェクトでの展示が多く、そのため大きな作品やサイトスペシフィックな作品を制作される方が多いです。

K:学校も新しくて広いですし、設備が充実してるから大きいのが作りやすいかもなあ。でも今のカリキュラムは人体が中心だね。
M:うん。まあでも、大学の課題と自分のしたい事が一致するとは限らないけど、
強制的にせよ自分だけでは得られない知識や経験があるから、両立させるしんどさも含めて楽しいですね。
K:うんうん
N:課題やカリキュラムの制約をそういう形でポジティブに受け入れてやっていけるのはいいことだね。

Y:大学でのカリキュラム以外の活動をなにやら二人はやっているように見えるんだけ ど、少し詳しく聞かせもらって良いかな?
M:僕は昨年、柳幸典さん(現在広島市立大学の准教授をされています。)がプロデュースし、広島で開催された「旧中工場アートプロジェクト」に参加させて頂きました。この展覧会は旧ゴミ処理工場、吉島という住宅街、日本銀行の旧広島支店の三つの会場からなっていて、それぞれの会場にコンセプトが与えられて、そのコンセプトに沿った作品が各会場で展示されているというもので、総勢60名を超えるアーティストが参加しました。
僕はこのプロジェクトの少し前に、あるビルの前に作品を設置させていただく事があって、それがキッカケで声を掛けて頂きました。著名なアーティストが多く参加されているプロジェクトだったので、かなりやりがいはありましたね。この展覧会の時はプラスチックの作品を短期間で約50個作ったんですが、大学の課題と違いやりたい事をやっているという楽しさはありました。でも完成が間に合わなかったら色んな人に迷惑をかけるし、緊張感はとてもありましたね。(笑)友人に手伝ってもらったりして何とか間に合わせることができましたが。
Y:他の科とも連携して企画に携わるのは貴重な体験ですね。

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丸橋光生君の現在の作品

Y:黒田君はどうですか?
K:僕は浪人の頃から続けていた劇団のようなものを引きずっていて、今もパフォーマンスと言うか、変なダンスのような事をする集団を率いています。広島ではビルの屋上などでお金もらって公演したり、広島のお祭りに出たりしてます。ダンスの人とも交流ができて、とあるダンスサークルのお手伝いで国際展に参加したりと意外な展開がありますね。あくまで彫刻が本業と思ってるんですが、昔から彫刻以外で褒められる事の方が多いので何ともいえない気持ちになります。勿論カリキュラムにはダンスはありません。
M:ビルの上でやったパフォーマンスには僕もでていました。(笑)
K:丸橋はなんでもやるね〜。

Y:その辺の課題以外の制作は大学を使っているの?
M:僕は大学で作品を作ることが多いですね。大学にはプラスチックと塗装専用の工房もあるのでプラスチックをやるときはそこを使わせてもらってます。他にもいろんな工房があります。うちの大学は設備が充実しているので使わない手はないです。人脈などは、大学内、大学外問わずに広がっていきますね。僕の場合は作品を本格的に創り出してから広がりました。作品をみてもらう事があって、それがキッカケで興味をもって頂いたり、展覧会に誘って頂いたりといった感じです。
黒田は?

K: 僕の場合は家でも学校でも制作しますね。僕の家は普通のマンションで7畳くらいの広さなんですが、一度家で7mくらいの大きさの作品を家で作ったことがあって、その時はもうホントに隙間で生活するかんじで、しゃがんでるか丸くなって寝てるしか出来ませんでした。「家に帰りたくない!」とか「雨でも出かけたい!」みたいな凄まじい狭さでした。そんなこともありました。
M: へ〜
K: 学校に居場所が無い訳ではないので、今は大きなものは学校でつくります。

Y:学部在籍中からそこまで活発に活動するのは珍しいと思うんだけど、どういった考えからそういう活動をしているの?
M: 確かに周りにそういう人はいませんね。
K: うん。性格もあると思いますけど、
M:大学での課題に興味がもてないわけではないですが、これだけ(課題だけ)やっててほんとにいいのかな?というようなことは思っていたと思います。いずれは社会にでて美術を続けていくわけですし、大学の中でじっとしているのは逆に不安だったりします。何かしないとと思いながらなにもできずにいたところに、タイミングよくビルの前に設置する彫刻の制作の依頼や、プロジェクトのお誘いがあったりしました。実際それらの仕事をさせてもらって、少しはやれるかなという自信はつきました。

Y:やっぱり危機感みたいのはあるんだね。その危機感を活動のエネルギーに換えて活動していくのがすごいね。黒田君はどう?
K:大学が地方なんでこのままでいいのか!みたいな危機感はすごくあって、なにかやらねばと足掻いているだけで、クールやれたらいいと思います。でも浪人生が大学に落ちたときの悔しさで、上野から歩いて池袋まで帰るとか、終電まで山手線ぐるぐる乗ってるとか、そういうよく聞く異常行動を起すエネルギーに比べたら、大学での足掻きはまだ省エネですね。もっとなんとかしなければと思います。でも異常行動は避けたい。
M:異常行動は避けたいね。

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黒田大祐君の現在の作品




ヒロシマ・オーについて

N:ヒロシマオーについて、概要というか、簡単に教えてください。
M:ヒロシマ・オーは若手美術作家による展覧会です。黒田を中心に広島の若手美術作家が運営を行い開催しています。広島では先程も言いましたがギャラリーの数が少ないせいもあり、若手美術作家の作品を観る機会というのが、東京などに比べると格段に少ない状況にあります。そこで関東や関西で活躍されている若手作家の方と広島の若手作家とが合同で大規模な作品の発表を広島で行って、そのエネルギッシュな表現を広島の方達に見て頂こうというものです。作品の発表と、若手作家の交流から広島の芸術や文化がより活気づくことを目的としています。
K:これまで二回開催しどちらも20名前後の活躍中の若手作家の方が参加されました。朗さん(吉田)には二回とも参加していただいています。

Y:ヒロシマオーをやろうと思った動機ってなんなのかな?そもそも二人で思いついたの?それともどちらかが誘ったのかな?
M:もともとは黒田のアイディアでした。ね?
K: そういうことになってるんですけど、何でこんなことしてるのかとアホらしくなるときもあって、誰が考えたんだっけ?と丸橋に聞くこともあります。
M:聞かれてもこまるわ。

K:でもそんな感じで誰かという個人が強く出ないから、皆でうまくやってるということなんでしょうね。東京に比べたらギャラリーも少ないし、学生も少ない。そんななかで東京に行くという発想では限界があって、みんながそういう風にするととても窮屈で一方通行だと思うんです。もうすこしやりようがあるんじゃないかと、無いものは自分で作ってしまえ!というような少々乱暴な、でもそういうことです。
自分達で展覧会をつくるという事はグループ展としてはよくありますよね。ああいう感じをただデカくしたらいいんじゃないかと、こういう単純な事なんですけど、それを必要としている場もあって、それが広島では物理的な面でのハードルが低くて出来やすかったんです。もし続いていけば何となく何かボヤ〜とジワ〜といい事になる気がします。


Y:建物について 広いし味わいのある建物なんだけど、これも少し教えてください。


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旧日本銀行広島支店外観

M: 広島市の中心部にあるこの建物、旧日本銀行広島支店は1936年(昭和11年)に日本銀行広島支店として建てられました。第二次世界大戦時に被爆していますが、爆心地からわずか380mという近さにありながらもその堅牢なつくりから建築当時の外観をとどめています。戦後も日銀支店として使われ続けていたそうです。日銀支店が1992年に移転した後、広島市の市指定重文に指定され、同時に日本銀行より広島市に無償貸与されました。そして現在は広島市の管理のもと、市民も利用が可能となっています。原爆ドームと並ぶ広島の歴史を象徴する建築物です。
K:結構頻繁に平和関連の展示や美術展などが行われています。

N:こういった建物で美術展示が出来るってことは、広島という街にこういった活動を受け入れる、そういう環境があるのかな?
K: そうですね?。確かにそういう風にしていこうというような行政などの動きはあるように思いますが、環境が整っているとはまだいえないかもしれません。
M: そうだね。

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吉田朗ヒロシマオー展示作品

N:朗(吉田)は展覧会に参加してみて、 どう感じたの?

Y:去年は黒田君と丸橋君で仕切っている感じがしたんだけど、今年はなんか組織が厚くなっている感じがしました。二人の下級生にあたる世代の人も参加していたよね。
M:そうですね伝えていくというより、参考にしてもらえればいいとおもいます。
K: そうやな

N:ヒロシマオーをやることは、市立大学の人たちにどう認知されているのかな?どんな目で見られているの?
M:どうなんでしょうか?でも今年二回目でしたが、やはり前回よりは認知されてきてるなあとは思いました。見に行くよ、と声を掛けてくれる人は増えた気がします。他の専攻の先生からヒロシマ・オーについて話しかけられることもありました。
K:良くも悪くもやってることがジワ〜と浸透してるといいですね。

Y:大学サイドは学外での展覧会に積極的に見えるけど、そういうサポート体制みたいなものはあるの?
M:学生の自主的な活動に対する金銭面の若干のサポートはありますね。

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広島市立大学

Y:ヒロシマオーの搬入の日に作業していていたら、二人は卒業制作の搬入をしているって聞いて、卒業制作と時期をかぶらせるなんて大変というか、この人達は異常だ!(良い意味で)と思ったんだけど、すごいバイタリティーだよね。なんか突き動かされるものがあるのかな?
M:なんでしょうか・・・。やっぱりあっという間に時間は過ぎていきますし、やれることはやっておこういうのはあります。少々無理するぐらいでいいんじゃないかと。
K: 僕は「しまった!俺は馬鹿だ!」と後悔しました。事の重大さに気がつくのが遅いと言うか、すぐ忘れるんですかね。
でも展覧会の準備のどこかのタイミングでは気がついて考えて「大丈夫や」という結論を出しているんでしょう。事実過ぎさってみれば、かぶってた事自体忘れかけています。

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Y: 卒業後は二人はどうされるのですか?
K: 僕も丸橋も大学院に進学します。

Y: そうですか、これからより活動を発展させていくのが楽しみですね。最後の質問になるのですが、ふたりの現在にドバタ時代はどんな影響を与えましたか?
M: やっぱり自分のものづくりの原点のようなものがあるように思います。僕はデッサンより塑像が好きでしたが、ただの粘土のかたまりが試行錯誤していろいろ手を入れていくうちに、ある瞬間から粘土ではなく全く別の質感が現れてくる、そしてそこにある世界が生まれる。そういう感動をドバタでたくさん味わったと思います。作る喜びでしょうか。今でもやはり感動や喜びを求めて作品を制作していますし、そういう感覚はドバタの頃と変わってないと思います。ドバタ時代の思い入れの強い作品に関しては、制作当時の気分や、考え、情景、感動をはっきり思い出す事ができますね。

K: つらくて、しんどくて、我慢して、ともかく自分の程度を思い知らされて、反省して勉強しましたから、少しは反省的思考を身につけられました。デッサンや彫刻は上手くなったとも下手になったとも何ともいえない感じですが、ともかく一生懸命やりました。今は、やはりそれでこれからもそうしていかないといけないという気持ちになります。

Y: 浪人時代の話の「試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かっても、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。」という言葉が、私にはとても印象的でした。作り続けるということは日々の積み重ねであり、それは浪人時代も大学を出ても変わらず続いていくことですしね。危機感をもちながら、それを自らの活動やバイタリティーで克服していく姿に「強さ」を感じました。お二人の話、皆さんはどのように感じましたか?予備校生だけでなく、大学に進学した学生にも参考になる貴重なお話を聞けたと思います。ありがとうございました。


黒田大祐
個展
2007   「自然のめぐみ」         広島 新地ギャラリー
主なグループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2007   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
     「大塚かぐや姫プロジェクト」  広島  安佐南区大塚


丸橋光生
個展
2007    art space HAP  広島
2007    新地ギャラリー  広島
グループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2006   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
2007   「小野画廊小作品展」      東京  銀座小野画廊
     「旧中工場アートプロジェクト」 広島  吉島地区
     「kwon-ki」           広島  ギャラリーG
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
その他
野外彫刻「今日のためのうた(1)(2)」が広島パークビル・ストリート・ギャラ
リー(広島市中区大手町)に現在設置中。(2008年9月まで)