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2022年04月17日

●現役藝大合格者に聞く! Part3!!

〜 清水 凜(2022年度 東京藝術大学現役合格者 都立総合芸術高校出身)
    × 小野 海(すいどーばた美術学院 彫刻科講師)〜

夜間部から現役で合格された清水 凜さんと彫刻科講師小野 海の対談企画です!
受験中の貴重な体験談を聞かせてもらいました。全国の受験生たちにとって、とても参考になる内容満載です!ぜひ最後まで読んでみてください〜

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小野(以下、小):本日はどうぞ宜しくお願いします!
清水(以下、清):宜しくお願いします

小:まずは彫刻を始める前の話から聞かせて下さい。幼少期はどんな子供だったの?

清:小さい頃は外で走りまわってるタイプの子供でした。中学校では陸上部でした。運動部で鍛えられた忍耐力と負けず嫌い精神はかなり受験で役立ちました。

小:陸上も受験も自分との闘いという側面は共通してるもんね。ちなみに種目は?

清:色々やってました。主には走り幅跳びと4人制リレーです。
どちらも毎年都大会まで行きました。リレーではそこでベスト8に入れば関東大会に行けるんですけど、0.1秒差で逃しました。なかなか悔しい思い出です。

小:4人でバトンを繋いで0.1秒差を競う世界か、メンタル強くなるな。
陸上漬けの毎日が、どこで美術路線になったの?

清:中2の最後までは陸上一筋でした。中3に上がる時に進路指導があって、美術系の選択肢が出たのはその時で、そこから中3の1年間は美術部にも参加してました。

小:それまでは?家でよく絵を描いてたとかはあったの?

清:いえ、全く無かったです。中3になって突然始まりました(笑)
そもそも進路決めの時には進みたい分野とかは特に無くて、色々な高校の見学に行ったんですけどピンとくるとこが無かったんです。それで私が悩んでたら、お父さんに「小さい時、ワミー好きだったんだから美術で立体系進んだら?」って言われたんです。

小:…わみぃ???

清:はい、ワミーです(笑)
ワミーっていうのは子供の玩具なんですけど、カラフルな小さいパーツを組み合わせて色々な立体が作れる玩具なんです。
それで小さい時よく遊んでました。
幼少期のその思い出とお父さんの一言で、美術漬けの日々が始まりました。


小:幼い頃の遊びが東京藝大に繋がってるんだね。ということは進路を美術に決めた時点で彫刻専攻も決まってたってこと?

清:そうですね、やるなら立体だなと思ってました。
それで総芸(都立総合芸術高校)の体験入学でニンニクを粘土で作らせてもらって、それが人生初の塑像になりました。
ニンニクってよく見ると面白い形してて、内側と外側の世界が繋がってるっていうか。

小:まさに内と外。そこから彫刻が始まった訳だ、すいどーばたに初めて来たのは?

清:多分高2の頃にあった公開コンクールですね。総芸の先輩方が行ってるのもあって選びました。あとは、合格実績がダントツなので迷いませんでした。特に現役生は、まず受かるレベルの作品をたくさん見ることが大切だと思って、そのためにはたくさん学生がいて、1番受かってるところで自分も緊張感を肌で感じながら学ぼうと思いましたね。
とにかくすいどーばたには沢山学生がいるというのが最大の魅力でした。

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(すいどーばたで初めて描いたデッサン 高2公開コンクール109位)

小:やっぱりそこはすいどーばたに通う最大のメリットだよね。
どばたに通うか悩んでいる学生によくあるのが、沢山周りに人がいると実力差を感じて凹むんじゃないかっていう心配があるみたいで、それでどばたに通うことを躊躇してる学生もいるんだよね。

清:まあ確かに少人数の中でやっていれば凹むことは少ないかもしれないですけど、受験生全体で見た時の自分の位置が分からないまま過ごす時間が長いのは勿体無いと思うんで、出来るだけレベルの高い環境にいた方がいいとは思います。結局は全員試験受けますし、逃げてても仕方ないです。通うのが難しい人は講習会とかコンクールだけでも参加してみるとかも手です。
あと何より、レベルの高い作品が沢山見れる。色んな講評が聞ける。色んな人の結果を見て、自分と比較することで自分の個性や欠点が見えると思います。


小:その都度の感情じゃなくて、試験を見越して効率的に考えれるようになると受験は楽になるよね。まぁ普通はそれに時間がかかるから、僕も浪人した訳だけど
現役の段階でそこまで自分を客観視できてたのは本当に素晴らしいね。
夜間部には同級生も沢山いたけど、周りの学生のことは意識してた?

清:もちろん友達はいたんですけど、馴れ合いにならないように意識はしてました。一緒に夜間部に通って過ごしていく中で、すいどーばたが居心地良くなっちゃうのが怖かったんです。ここはあくまで出て行くところっていう意識を常に持ってました。

小:その気持ちはすごく分かる。どばたって楽しいんだよね〜(笑)
けどここは目的地では無いし、
楽しむことで得られることは沢山あるけど、やっぱり実技は1人でやる、そこだけは絶対だよね。

清:どばたの人たちみんな良い人ばっかりなので、意識的に距離をとっていた気がします。
もちろん夜間部のメリットはたくさんあって、例えば年度初めの頃は1作品ごとにじっくり時間をかけて制作するんですけど、そのおかげで得られたことは沢山あります。自分が納得いくまで描き込んだ経験とか、これ以上ないとこまで作り込んだ経験から、自分がもっていきたい完成のビジョンが確立されると思うんです。
試験が近づくと短い時間での制作しかできなくなるんで、まだ余裕がある時期には夜間部でじっくり作品に取り組めたおかげで、入直の短時間制作も有意義に過ごせました。
時間をかけれるうちに苦手な位置としっかり見つめ合うのも大切です。自分は後伸ばしにして後悔したので。

小:自分のMAXを知ってるってのは強みだよね。勝負はそこから始まる!

清:模刻は特にそう感じてました。
けっこう周りに模刻が楽しくないって感じてる人も多かったみたいなんですけど、私は12時間作れる時期に納得いくまで作れた経験と、何よりその楽しさを知ってたんで6時間になっても楽しかったです。

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(入直に制作されたアバタの模刻)

小:入試直前期間はどうだった?

清:入直はとっても楽しかったです!昼間部に合流した時は周りの浪人生との差に現実を突きつけられた感じもしたんですけど、負けず嫌いなので、一層燃えた感じもありました。
夜間部期にじっくり自分と向き合って、入直になって周りの浪人生を見て自分の目指すべきレベルが明確になったって感じです。なので浪人生には積極的に話を聞きに行ってました。だから入試直前になって昼間部と合流してからは周りにレベルの高い実技が増えて、すごく刺激になり楽しかったです。参考にしたい浪人生に頼んで、デッサン中すぐ後ろの椅子に座って貼り付いて見させてもらったこともありました(笑)

小:実際入直では浪人生たちもいる中で、コンクールで上位に食い込んでたよね。弥勒菩薩の構成、すごく印象に残ってる。コンクールでの思い出とかある?

清:良い結果が出たこともあったんですけど、その順位が制作中の手応えと一致しないこともありました。自分ではあんまりだと思ったものが意外と評価されたり、逆に良い作品作った!って思ってた作品の順位が悪かったり。2学期末のコンクールはまさにそんな感じでしたね。
デッサンは自分の中では気になるところがまだ残ってて、けど結果見たらaランクで1位。逆にアバタの模刻はすっごい楽しくて手応えもあったのに二位で、受験の醍醐味を味わった感じでした。弥勒菩薩の構成は、やっと自分の手応えに結果が伴ったコンクールでした。

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(2学期末コンクールで1位・aランクを取ったデッサン)

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(入直コンクールで上位に入った構成作品 テーマ・光と影)

小:ちょっと話を戻すけど、すいどーばたに来た時点で東京藝大に行きたいっていう思いがあったの?

清:ありました。高2の秋に色んな美大を調べて、どんな授業やってるのか、どんな教授が教えているのか、とか。卒展とか、体験授業とか行きました。それで東京藝大に行きたい!ってなって、だったら予備校は1番レベルの高いところに行こう、っていう流れです。

小:清水は決断すると早いんだけどね。

清:そうなんです、!決断してからは悩んだり迷ったりしないです。そのかわり決めるまでにすんごい時間がかかります(笑)

小:けどその決断と覚悟が実技の伸びにも繋がるよね。清水は東京藝大しか受けてないけど、他も受けておこうとかは無かった?

清:無かったです。そもそも落ちるかもなんていう想定は無いです。
根拠はないんですけど、来年自分は藝大で制作してるって確信してました。
不合格を想定すると、その結果を自分で引き寄せる気がするんです。落ちるって考えたら落ちる可能性が生まれる。考えてすらなければ落ちたりはしない、みたいな感じです。全て感覚ですけど(笑)

小:いや、すごく分かる。これまで現役合格した学生の多くが同じ事話してた。彼らの多くが藝大一本だけを受けるのも頷ける。受かるかどうかはまず自分が決めないとね。
今日改めて清水から話を聞くとすごい強者論みたいに聞こえるけど、僕が実際見てた清水の印象は、結構考え過ぎて悩んでることもあったと思うんだけど、日々の実技の結果とかはどう受け止めてたの?

清:そうですね、すごく考えすぎて沼にハマっていくタイプです(笑)
その自分の癖を把握していたので感情のコントロールをすごく意識してやってました。基本ポジティブシンキングです!
不甲斐ない作品を作ってしまったり、コンクールで悪い結果だった作品とかは、すぐには振り返らないようにしてました。2日ぐらい寝かせてから見るようにしてました(笑)

小:カレーみたいなことするやん(笑)

清:ハイ、失敗を活かすためには感情を排除して分析しなきゃいけないんですけど、直後はやっぱり冷静に見れないんで、その時反省してもあまり意味ないと思うんです。失敗を正しく分析して今後に活かすためにも少し寝かせたほうがいいと思ってました。

小:それだけ自分のキャラクターを理解してるってことだよね。

清:そうですね。落ち込んで進みを止めないために、都合よく自分の感情を誘導してあげてました。
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小:俯瞰してたんだね。僕は真逆のタイプだったわぁ。描いた直後から反省が始まって、悔しさと楽しさの感情が混ざって次の作品の原動力になってた。2日寝かすなんて絶対無理。買ったおもちゃは帰りの車で開けちゃうタイプだった(笑)

清 : ほんとに人それぞれですよね!

小 : どばたの授業時間以外で受験に活用してたことってある?

清:私は家からどばたまで2時間弱かかるので、夜間の授業に参加して家に帰ってから何かするのは無理でした。
なので電車の時間やお昼休憩を活用してましたね。次の日の構成を考えたり、どばちょうブログ見返したり。自分の作品がブログに上がってたら必ず帰りに見返してましたね。良い結果は寝かしません。(笑)

小:家から2時間…その距離で夜間部に通ってたのが意志の強さを物語ってるな。
試験当日はどうでしたか?

清:本番は激動でした笑
一次試験はただただ楽しかったんですけど、二次試験は更に凄まじかったです。まず二次試験を藝大で受けれることが嬉しすぎて、行き道の電車はずっとニヤニヤしてました。今日はどんな作品作ろうかなってワクワクが顔に出ちゃってましたね。で出題が構成課題だったんですけど、構成のアイデア出しに2時間くらい使いました。

小 : 2時間??焦りは無かったの?

清:どばたでの普段の構成課題もそれくらいのペースで制作してて、本番もお昼前の時点で荒付けまでしか出来てなかったんですけど「普段からそうだからいつも通りやろう、焦って作り始めるより完成のビジョンをちゃんと持つことが大事。」っていう気持ちだったんで焦りは無かったです。
けど制作時間が終了した時は構成はキマッタと思っていたものの、自分の中で詰めの甘さだったり作り込みが納得できる所まで持っていけなく感じて、。大学の門をでた瞬間に号泣してました(笑)
帰りの電車も嗚咽交じりに泣きながら乗ってて、池袋に着く前に一回降りました。

小 : 行きはニヤニヤしてたのに、帰りは泣いてたんや(笑)
あれだけ感情をコントロールしてても、本番は情緒不安定になったんだね。

清 : 最後の最後で今まで制御してたタガが外れたかんじでした笑

小 : 実技中に落ち着くための方法とかあった?

清:冷静になりたい時は他の人の作品を見て回ったり、外に出て散歩してみたりどばた内散策したりしてました。試験本番も同じ部屋の他の受験生の構成を見にぐるぐるしたり、外に出て深呼吸したりしました。あとはどばたでの制作の時はアトリエに貼ってあるはしもとみおさんの彫刻10ヵ条を読んでました!

小 : あれ、本当に大切なこといっぱい書いてあるよね。

清:本当に重要なことしか書いてないです!絶対みんなに読んでほしい。コンクール中にあれがアトリエに貼りっぱなしなのは、答え見ながらテスト受けてるようなもんです(笑)


小:その通りだわ。他に参考にしてたものある?

清:好きな作家さんの、作品だけでなく考え方や彫刻観などよくインプットしてました。あとはドバチョウブログはめちゃくちゃ見ましたね。ブログに上がってる作品でカッコいいって思う作品を見つけたら、次の課題の時にその作者の作品の途中経過を見て、プロセスを参考にしてました。
あとは過去の合格者体験記は全部読みました。
中でも2020年に現役で合格された芦澤さんの体験記はかなり参考にして取り入れてました。
そこに書いてあったことを私も真似して、本番1ヶ月前から自分の日々の実技の波をカレンダーに書き込んでました。グラフ化することで自分の状況を確認してました。一作品ごとに一喜一憂しないように、流れで確認するようにしてました。

小:清水の体験記もいいこといっぱい書いてたよ。中でもお母さんの存在が大きかったと思うんだけど、親御さんにどばたの実技の作品とか見せてた?

清:必ず見せてました!我が家には作品講評のグループLINEがあって、お父さんもお母さんも弟も入ってるんです。毎日帰りの電車でその日の課題をそこにあげて、お父さんに講評してもらうのが日課でした。お父さんに発破かけたり鼓舞してもらったり、作品性について詳しく解説してもらい、お母さんは美術のことはよく分からないんですけど、フラットな意見をくれました。ある意味、予備校の講評ではもらえない貴重な指導でした。

小:素晴らしい家族〜!自分の力だけで受験できる訳ではないから、応援してもらってる以上、日頃自分がどんなことやってるのかはちゃんと報告する、これも受験においてとても大切なことだよね。

清:本当にそうです、!あとは参考作品も活用してました。自分の中に憧れの作品を持ってると強いと思います。特に現役生にはオススメです!私の場合はデッサンの作品だったんですけど、憧れが原動力になりました。

小:大事なことだよね。受験実技以外で何か役立ったものはある?

清:高校での卒業制作も、受験とは別という意味で良い息抜きになってました。あとは去年、弟の部屋の壁に絵を描いてほしいと頼まれて描いたんですけど、それもすごく楽しかったです。弟が好きなバスケットボール選手の顔を壁いっぱいに描いたんです!

小:いやぁ、素晴らしいね。受験中こそ趣味的な制作が大切だと思う。じゃないと苦労して大学入る意味ないもんね。

清:そうなんです、デッサンとか模刻とかするために大学入る訳じゃないんで、だから展示とかもいっぱい行ってました。彫刻に限らず気になった色んなジャンルの作品を休日を利用してインプットしてました。そこで直接作家さんと話したりできると、早く自分も自由に作品を作りたいっていう気持ちが湧いてきて、受験に対する活力になってました。

小:最後に、すいどーばたに来て彫刻科の受験を経験して得られたことは何ですか?

清:描く、作る技術はもちろん身につきました。けどそれ以上に、どんな課題でも楽しむ気持ちが大切だということに気づきました。課題に対して受け身になるのではなく、まず楽しむこと。自分を騙してでもいいからコントロールして楽しむ。それが成長するための一番の近道だと思います。あとは自分を信じれるようになるまで感覚を研ぎ澄ますのも大切です。

小:たくさん素晴らしいお話を聞かせてくれて、本当にありがとうございます!これからの彫刻制作、存分に楽しんでください!

清:ありがとうございました。頑張ります!
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〜あとがき〜
対談して小野が感じたことは、清水さんは偶然受かった訳ではないということです。これは彼女に限った話ではなく、これまで関わってきた東京藝大に合格していく学生の多くに共通していることです。

”合格するということをまず自分で決める。”

こうなればいいなではなく、結果を自分で決断する。
これは受験を越えた先で、彫刻を続けていく上でも重要なことだと感じます。
いやぁそれにしても、高3というキャリアでここまでの境地にたどり着くとは、感嘆します。
今回対談に協力してくれた清水 凜さんの合格者体験記「たくさんの人に支えられて」はこちらから読むことができます!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「たくさんの人に支えられて」


2020年03月17日

●2020合格者体験記特集

「インタビュー企画第38弾」
 2020合格者体験記特集


2020年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
それぞれの作品とともにご紹介します。
また、今年は数名の保護者の方に<見守り体験記>も書いていただきました。






小野陸くん
兵庫・私立神港学園高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「自分になる」

読み飛ばしてくれてかまいません
あなたのことは僕は何にもわからない
あなたのことはあなたしかわからない
理解なんてされなくていいから自分のために自分で決めてください
他人は無責任だから


これが僕の三浪でした。




<見守り体験記>
小野康子さん
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「東京ってとこは…」

兄は2年間、弟は3年間のどばた生活でした。
初めてどばたの門をたたいたのは、兄が17歳の夏でした。
美術界のことを「食っていけない軟弱な世界」とみていた私の目のまえに、
年齢も性別も超えた「志」のかたまりがありました。
講師の人たちは、ちょっと見た目やんちゃで剛腕な男たちと若い女性陣。
今まで、見たこともない光景でした。
美術に身も心も削って、真剣に取り組んでいる人たちがここにいる。
息子たちにとって、なりたい大人がここにいたのです。

地方出身者は、この講師陣に支えられることになります。
実際、弟は高校生のころ、地元の画塾になじめず、苦しんだ経験がありましたから
生活面での乱れや心の状態を気にかけ、言葉かけをしてくださった講師の皆さまには、心より感謝しています。

子どもの様子が知りたいと、日に何度もドバチョウブログを開けるのですが、
探すイニシャルが見つからない日々。
自刻像や友人像を何度も見ているうちに、その人たちと、一方的に勝手に
知り合いになってました。

東京に出したこと?、大正解でしたね。
「親は子の足かせにならない」これ、私の母からの教えです。
二人とも、どんどん遠くへ飛んでいけ!

                        神戸より






飯島羽香さん
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「呑まれない」

物事をシンプルに考える。
確実に合格を掴み取る為に自分が何をするべきなのかどこが弱みでどこが強みなのかを考えて、冷静に当たり前の事を当たり前にこなす。
でも自分が感動したこと表現したいと思った事は絶対に逃さない。
日頃から技術面でも精神面でも自分の中に芯を持って決して人と馴れ合わない流されない。       
頑張り方を考える。汗水垂らして頑張るだけが全てじゃない。自分がやるべき事を自分のペースでやる。 
受験は運任せじゃない。しっかりと基礎を固めて自分のベストを尽くせれば結果は後から付いてくる。
最後まで諦めない。最後までどうすれば良いものにできるかを考える。そういう事を一年間続ければ気付かないうちに高い所に行ける筈。結局信じられるのは自分。その自分が折れない為にも自分が好きだと思える実技を重ねる。時には息を抜いて楽しむ心を思い出す。一年後どんな春を迎えるか、全ては自分次第です。






松本康平くん
千葉・県立成東高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「頑張ったよね。」

朝5時40分、遅くても6時に家を出る。
毎日2時間もかけて通学。
往復4時間。6日で24時間。それが2年間。

何時間電車に乗ってんだ。もう通学だけで疲れます。遅刻してくるやつ頭おかしいです。
2年も実家から通ってる僕のほうがおかしいかもしれません。 


初めてどばたでつくった彫刻1はまさかの卵。
初めてのB°はまさかの丸パクリ。
もう希望が見えませんでした。
孵化する気配?もちろんありません。

3浪の試験前日、15時間作って初めての塑造本撮影。
まさかの本番では同じモチーフのブルータス模刻。
いける!と思いきや落ちてしまいます。
4浪の初めてのコンクール、ブルータスの模刻で1位。なんでやねん。

バレーボール大会、まさかのMVP。
もはや美術関係ありません。


センター試験も必死こいて4割。
サイコロに運命をまかせます。

年下が多く、僕の扱いはおじいちゃんです。 
あだ名は浪害。
幼馴染と1年ぶりにあった最初の一言、
老けたなお前。
傷つきますよね。

最後に、
4浪もしてるのにそれっぽい実技も残せず、
みんなに見せられたのは遅刻しないことと実技への姿勢くらいでした。申し訳ないです。
むしろ刺激をもらってばかりでした、
ありがとう。
先生にも感謝しきれません。
親には1番感謝しています。
もう2時間もかけて通学しません。
毎日作ってくれる弁当、おいしかったです。

そして、僕!4年間よく耐えた、頑張った!
まぁ、大学入っても年長組だからおじいちゃん扱いは変わらない。






一條月さん
埼玉・県立芸術総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「受験美術を楽しむ」

現役で受けた試験は一次落ちで
一浪を許してもらい、春夏、毎日毎日何となく課題をこなしていました。
秋、公開コンの講評の夜、このままだと去年と同じように一次落ちだななんて思って今までのなんとなく課題をこなす自分とは決別して、それからはちゃんと意識を変えて、シャキっと真面目に取り組みました。

デッサンでも粘土でも自分の作品として、責任を持って仕事をするようになりました。
受験生ではなく、芸術家として、表現者として、人を魅せれる実技をする
この意識のおかげで私は変われたんだと思います。

受験美術が楽しくない、苦しいと思う人も沢山いるとおもいます。浪人を楽しく過ごすために、自分が表現者ということを思い出して、自分が好きな絵にするために木炭を変えてみようかな、とか、カッコいい粘土が作れるように粘土付を研究してよう、とか色々やってみるといいかもしれません。
その感性を鍛えるためには参考作品を沢山みることもまた必要なことで、でも、あの人みたいなデッサンが描きたい!とか、こういう粘土付にしよう!とか、そういうのはまたちょっと違くて…
自分の元々持つ感性を大事にしながら成長していくことがやっぱり一番大切だと思います。

私と同じように悩む人は結構多いと思うので、何か参考になれたら嬉しいです。
コツをつかんだ!という感覚が私にはあったので、きっとそういう感覚になったら安定し始めるサインだと思います。
慢心せずに毎日全力でやれば大丈夫です。

一人じゃ何も出来ない私でしたが、家族、講師、友達…色々な人からの支えがあったお陰で、憧れの芸大に一浪で合格することが出来ました。
本当に本当にありがとうございました。




<見守り体験記>
一條一久
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「奇跡の再会」

娘は幼い頃から絵が好きな子でした
中学2年生になる頃には既に本人が希望する学校があり(芸術総合高校)
本人の強い意志が感じられました。

希望の芸術総合高校合格して
本格的に芸術を学び始めると通学時間が長いので大変だと思うのですが弱音も吐かず
頑張る姿には感動しました。

私には芸術の経験も知識も何もないので何か力になれないかと考える事もありました。
そんな時、30年ぶりに中学時代の同窓会がありました。そこで偶然にもイラストレーター兼、美術予備校講師(ドバタ)になっていた親友と再会したのが全てでした。
「これは運命か?」と思ったものでした。
私は早速、娘の相談をすると本当に熱心に色々とご指導頂きました。
そこで予備校の大切さも知ることができました。娘の夢も次のステップに向かう決意ができたようで、次の目標を芸大に定めました。
技術面、精神面のスキルアップをすいどーばた美術学院の指導者のご指導のもと、目標の芸大に無事合格する事が出来ました。多くの人に出会いに支えられ娘は幸せ者です。
次の目標に向け前進する娘をこれからも、ずっと見守りたいと思います。






増田充高くん
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「芯」

すいどーばたには高校受験をするため中学生コースから通い始めました。はじめはデッサンという概念を初めて知り、まわりを見てどう描けばいいか整理することでいっぱいでしたがその後なんとか高校に合格することができました。
高校二年生からまたすいどーばたの基礎科に通いはじめ、冬頃に彫刻と出合いました。はじめは高校と予備校共に油画を専攻していましたが、どう自分のマインドを表現して良いかわからず周りを気にしてばかりで打ち込めずにいた僕は他に何か選択肢はないか、と思い当時気になっていた彫刻を体験しました。
その時とても楽しく制作に打ち込めた記憶がいまでも残っています。
受験科に移り、将来の事や進路など本格的に意識しはじめた頃いつしか自分の中で無意識下に“競争することへの重圧感”が生まれプレッシャーを感じ始めました。
プレッシャーはいつしか周りに対しての羞恥心に変わり、自分を発信するためいつも真の抜けた目立つ行為ばかりしていました。
現役生の時は芸大一本で一次落ちという結果になり悔しさよりも恥ずかしさの方が上回っていました。
一浪の時もいつも羞恥心に苛まれていました。
理想のカッコよくてクールな自分を思い描いてそれを演じようとしていたんだと思います。
自分が現役生の頃に見たキラキラ輝いた浪人生の先輩たちをみて。
自分をみつめることを怖れた自分は表面的なことばかり意識していつまでも“芯”を得られずそのまま入試を迎えました。
一次は通過できたものの、“芯”のない僕は二次試験で大きく崩れ落ち不合格となりました。
心棒のない塑像のような状態だったんだと思います。
同期の多くが合格していく中また羞恥心に苛まれましたが、この頃から本当に悔しいと思える感情が湧き出したと思います。
二浪になってからは、受験科の中でもある程度の立ち位置へと変わり、その立場が僕を成長させました。
羞恥心は悔しさに変わり自分の日々のやる気を掻き立てました。
羞恥心、悔しさと毎日向き合いながら“芯とは何かということを考えつづけ、入試本番直前になってようやく“芯”に少しだけ迫れたかもしれません。
その少しの経験が本番1次2次の両試験で僕の糧になりました。
作品というのは自分の分身だと思います。
人間性が強く出るんだと思います。
作品を通して自分を見つめ直すことが受験では大切なのかもしれないと、今になってではありますが強くそう感じています。
ある先生の「アトリエでは悩まず、外でたくさん悩みなさい。本番ギリギリまで考え悩みなさい。」という言葉に本当に救われました。
これから受験を迎えるみなさんも是非悩んでください。悩んだ末に得たものがきっとみなさんの強みに成るんだと信じています。
受験を迎える全ての受験生の合格を心から祈っています。






芦澤まりやさん
埼玉・県立春日部女子高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「ここから、つづく」

私は人より始めるのが圧倒的に遅かった。
 高校は普通科で、美術を目指し近隣の予備校に通い始めたのは高2の始め頃でした。高2の二学期になった頃、木炭に初めて触れました。その頃、その予備校の教務長に「芦澤は現役で藝大合格行けると思う。」と言われたことがきっかけで、藝大を目指すことを決めました。
 立体作品を作りたかったので、彫刻科を目指せる場所へと、高2の冬季講習で初めてどばたに来ました。周りのレベルがすごく高くて、常に磨かれる環境でした。高3の4月からは部活を辞め、夜間部に通いました。高校からどばたまでの距離が遠く、片道2時間を毎日放課後に通いました。その生活に慣れるまで、最初の3ヶ月が一番辛かったです。距離が遠いので、高校の7限や掃除があるだけでもたくさん遅刻して、ただでさえ美術を始めるのが人より遅かったのでそれがとても悔しくて、しかし言い訳にはしたくなかったので、一つ一つの課題で得るものを大切にして取り組みました。絶対に現役で合格したかったので、夜間部では常に1番を目指していました。上手く出来なかった時も、不調だとは認めず、次回に引き摺らないように根性で持ち直すようにしていました。
 実技は楽しくて好きです。毎回の成長を実感できたことや、講師から褒められたことが嬉しくて、作品を作ることはいつも楽しかったです。
 試験当日は、それまで積み重ねてきたものの延長に過ぎないという心構えで挑みました。とはいえ、やはり少し緊張したので、本番中も冷静に冷静にと言い聞かせていました。中でも彫刻1は、いいものが作れたと思います。
 合格発表の日。卒業式を終えたあとの教室で結果を見ました。自分の受験番号があることを確認して本当に安心しました。とても嬉しかったです。
 一年間一緒に実技を磨いて、本番前や試験が終わってからもたくさん応援したり勇気づけてくれた夜間部の友人たち、成長を助けてくれた講師の方々、学費を払ってくれて、毎日支えてくれた両親、とても感謝しています。ありがとうございました。


芦澤さんのインタビューはこちら→「現役芸大合格者に聞く! Part2!!」
合わせて読んでみてください。






中垣百恵さん
栃木・私立作新学院高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「マジカルミステリーツアー」

無茶苦茶になっていたのであんまり覚えてないけど自分の浪人生活を振り返ってみる。

私はとにかくメンタルがダメな人間だ。

現役の冬に地元の先生に貴方に藝大は無理だと言われ、一浪の冬になっても全く結果の出せなかった私に自信などあるはずも無く、人に言われたことが全てになっていた。作品に自分の意思が無くなっていた。

全く実技が楽しくなくなっていた私は美術に向いてないのではないかと本気で悩んでいた。それでも辞める気は全く無い自分に気づき、遅いことはないもう一度始めからやり直そうと決意した。

元々下手くそでプライドもクソも無かったので、なりふり構わず色んなことを色んな人に聞いた。なんでもいいから活路を拓きたかった。

そしてやっと自分の作品は自分がどうにかしないとどうにもならないと気がづいた。言葉を変えると諦めたのかもしれない。しかし、気づいてしまえばすぐに結果が出るようになってきた。

18年間子供だった私は、この1年でやっと1歩踏み出せた気がする。

最後に、めんどくさくて騒がしい私を支えてくれた周囲の人達にとても感謝をしています。1人では絶対にここまで来れませんでした。
本当にありがとうございました。






谷内めぐみさん
群馬・私立新島学園高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「自分の中にあるもの」

友達と話してて、自分の話を否定されるとすんなり納得するというより、悲しかったり悔しかったりちょっとネガティブになります。
出来れば共感して欲しい。
共感して欲しいから丁寧に言葉を選んだり、決定打となるものを探します。
でも分かって欲しいからと無理矢理論破しても聞いてる側はでも間違って所もあるのでは?と真っ直ぐは受け取ってくれない。
こんなイメージと今までの自分の取り組みを重ねてみました。
共感してもらうためには相手に自分がいいと思ったものが1番よくみえるようにしたい。そのために実技の中にそれに注いだ情熱を残す事と、そこを言い切れるほどの自信を自分の中に持つ事を大事に取り組みました。
相手にみせることは大前提だけど、まずは自分が良いと思えるものを、自分で自信が持てるものを残そうと思っていました。
相手と自分でぐるぐるしながら結局は自分の中にある芯を大切にする。だって共感して欲しい内容は自分から発信しないといけないから。見苦しくならない程度に。
そんな事を受験生生活で学びました。






山田歩くん
東京・都立世田谷総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「気づく」
 自分は流されてここまでやってきました。
ノリとただ楽しいことをして生きてきました。
真剣に取り組んでる人たちを目の前にしていても何も思いませんでした。
自分は何も考えていませんでした。やってれば、このレールに乗っとけば受かると思っていました。
仲良かった友達がどんどん旅立ってやっと焦り始めました。なんで自分だけここにいるのか、なんで落ちてきたのか、自分は何がしたいのか、何者なのか、それを考えただけで何も考えてなかったことに気づくだけでなにかすごいことに気づいたような気がしていました。

「考える」
何も考えてなくてもうまくいく時があるけど、せっかくならなんでうまくいっているのか考えた実感を持った方が次につながると思いました。かといってうまくいったことをなぞるのも良くない、そんな行ったり来たりな曖昧な関係を思考と動作の間を行ったり来たりしていました。ただ行き詰まったら素材に全てを託せばいいんです。素材は嘘をつきません。
ここで大事なのはやはり考えることだと思います。わがままなのは素材だけでいいです。ギャーギャー言ってる素材を飼育してあげるだけでいいです。

 「知る」
 毎課題毎課題失敗してもいいと思います、なんで失敗したのか、なんでこれは成功したのかそれだけを気づいて知って次につなげていけばいいと思います。大失敗してしまった次を大成功を完成なんてさせなくていいです、気づいていればいいです、知って大成功がイメージできてればそれでいいんです。勝手に成功のイメージに近づいていきます。
 何も考えてないで分かってないこと、分かったフリが怖いんです。別に分かってればそれでいいんです、強がりじゃありません、本当に強いです。
自分は意外と弱いってことも分かってください、めちゃくちゃ緊張するってことも分かってください、分かれば強いです。

 常に気づいて考えてみて何か知れれば必ず自分納得のいく実技ができるようになると思います、そして必ず結果がついてきます。






赤尾智さん
東京・私立女子美術大学付属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「学び」

私はこの二年間の浪人生活の中で、何度も自分の弱さに直面してきました。
上手くいかない日が続くと自分の実技に限界を感じてしまい、自信を無くすこともありました。
だけどそんな時、どんなに苦しくても腐らずになんとかやってこれたのは、彫刻の道を選んだ自分を後悔させたくないという思いがあったからです。
この思いが、二年間、挫けそうになったときの支えとなっていました。
また、実技と向き合うことで出てくる悩みや迷いも、いつか自分の中でプラスに働くときがくると信じて制作し続けました。
自分を強くするには、どんな時でも戦い続けなければいけないと思ったからです。
こうして私は少しづつ弱さを克服していくことができました。

二浪の秋頃になるとだいぶ自分の気持ちをコントロール出来るようになり、常にフラットな心で毎日過ごせました。それが実技にもいい影響を与えていたのだと思います。

どばたで学んだたくさんのことを忘れずに、これからも忍耐強く生きていきます。

そして基礎科 夜間部 昼間部でお世話になった先生方、本当にありがとうごさいました。






相原彩七さん
静岡・県立清水南高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「受験をしてわかったこと」

たくさん挫折をした入直でした。行って挫折することが思い浮かぶから予備校に行きたくないくらいでした。周りは上手くて楽しそうで上手くいかないことばかりの人からしたらコンクールで自分より上の人は悩んでることも伝わってるけどキラキラして見えてました。周りとたくさん自分を比べて疲れてましたし、落ち込みました。だからこそ私は試験日が嬉しくてたまらなかったです。もうこんなつらい思いしなくて済む事が嬉しくて試験本番が楽しみでした。一次は全然予備校で成績が良く無かったので自信はなかったし、まぁ実績で受かる訳ないなと何のプレッシャーも無かったです。もうただ楽しくて自分のことしか考えられない、目に入らない、気にならない、その日の自分のことしか眼中に無い、そんな感じでした。ずっと受かりたい気持ちで前日まで居たけど当日は前日までを振り返って受かんないって確信したからこそのプレッシャーが無い、一切邪念も欲望もないデッサンをしました。ただ見て描くそれだけの時間でした。


予備校に行き始めた時は高校の仲間との差を少しでも作りたかったからだし、むかつく人を負かしたいと思って彫刻をやってた時もあったし、周りと比べて劣って落ち込んで彫刻をやってた時もあって、そんな他人の事を意識し過ぎな制作方法を辞めたからこその結果でしか無いと思いました。周りと比べないでいるだけで気持ちは楽になるし、捨て身になって尽力できるから誰にも左右されない方が良いとわかりました。






谷口笙子さん
京都・市立銅駝美術工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「自信を育てた場所」

私は三浪で合格しました。
京都出身で、浪人から関東に出ました。
二浪から三浪で1度予備校を変えて夏期講習からすいどーばた彫刻に来ました。

合格体験記ということですが、
これを読んで何か引っかかった少数の人の行動するきっかけになる可能性に期待しつつ
当てはまらない人の方が多いだろうけど、
私は前の自分に助言できるとしたら伝えたいことを書いてみます。

あなた自身の感覚を、あなたがたった1人でいる時にあなたが信じられるようになること
それが自信です
それが世界と噛み合うまで、努力でその精度を上げれば、藝大彫刻科には受かります。
自信はあなたそのものだけに依拠してるので、時間は関係ありません。
言いかえれば、
過去のこと、現役とか何浪とか、実績、コンクールの結果とかは、データとして利用する以上の価値は無いのではないかと思います。

私はとにかく自信を育てるのが不得意でした。ずっと自信がなかったです。
特段メンタルが変わらなくてもひたすら上手くなれば受かる人はいます。
つまり最初から自信があるタイプです。
仮に、そういうタイプじゃないと自覚しているなら、受験というシビアで自由な期間に変われたらめっちゃ得だなくらいの気概で少し挑戦してみるとよりいい方向に行けるかもしれません。

彫刻に向いてないとか、自分みたいな人間にはそもそも資格がないように思い込んでいた、すぐ逃げる弱すぎる自分でも、時間を要したけど変わることが出来ました。正直、それが合格以上にとても嬉しかった。
そのためには、さっきと矛盾しているように見えますが、それ以上の価値が無いと言ったデータを得られる環境が必要だったんだと思います。
自分自身の内側の自信の欠片と、外側の世界のデータを擦り合わせて磨いていくことが私の浪人生活そのものだったからです。
そのデータを得る為の場所としては、今の所すいどーばた彫刻科を超えられる所は無いかもしれません。

講師にどんなことを言われてもどんな評価を取ろうとも自分自身が自分のことを1番理解して成長させていってあげてください。 それはあなた一人にしかできない事だからです。
そんなことは最初から知ってる という方には、すみません。私は三浪するまで知らなかった。

自分の感覚を信じられるようになって不断の努力で頑張りましょう。








みなさん体験記ありがとうございました。
これからの受験生の参考になれば幸いです。

2019年03月17日

●2019合格者体験記特集

「インタビュー企画第36弾」
 2019合格者体験記特集


2019年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
それぞれの作品とともにご紹介します。






斎藤晃祥くん
神奈川・県立百合ヶ丘高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「どばたでよかった」

どういう心持ちで浪人生活をしていたか、これから受験を頑張る人たちに少しでも参考になればと思います。これはあくまでも僕個人の考え方です。

「コンクールの結果が悲惨でも受け入れる」
一浪最初のコンクールで粘土の評価がC(最下位のランク)だったのですが、悲観的にならず現実を受け止め次のコンクールまでに結果に対しての問題点をなくすようにしていました。

「とにかく周りから技を盗む」
ドバタには上手い人がかなりいるのでその人たちの実技の姿勢を真似してました。
参考作品も多いのでそれを見ながらテクニックを盗んでいました。

「悩んだら講師と相談する」
自分では解決しにくい問題があると講師の方々に相談していました。客観的に指摘してくださるので、意外と解決法がシンプルだったなんてことがよくありました。

「オンとオフをしっかりつくる」
あまり集中力がない方だったのでその日の実技課題が終わると速攻で帰宅し、次の日の実技に真剣に取り組むためにギターを弾くなど実技以外のことをして気分をリフレッシュしていました。


支えてくださった方々に感謝の気持ちを忘れずにこれからも日々精進していきます。






福井つかささん
京都・私立同志社高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「最高の選択肢」

現役の冬、初めてどばたに来た。それまで地元京都の画塾で2畳ほどのスペースに指導もなく1人黙々と制作していた私にとっては衝撃的だった。彫刻を目指す人間がこんなにもいたのか。ここには制作をする環境がきちっと整っていて、先生方は生徒達を作家として扱っている。生徒たちは自分がやりたいことをこれでもかと作品に曝け出していた。戸惑った。しかし、その集団の中にいると自分から今まで思いもしなかったようなやってみたいことやこうすればどうなるんだろうという探究心が生まれてきた。
現役は2次落ちだった。最終合格発表の後、1人でトボトボとどばたにたどり着くとそこには合格者が集まっていてお祝いムード全開だった。正直落ちた私が居ていいような雰囲気ではないと感じた。悔しかった。こんなにも人を羨んだのは初めてだった。でも同時に納得した。やっぱり今の私の実力じゃこの人たちにはまだまだ及ばないんだ、実力が全てなんだと。
京都から東京に引っ越し、一浪生活が始まった。悔しさをバネにガチンコで頑張るはずだったのだが、振り返ってみるとマイペースに過ごしていて想像以上に楽しく充実した日々だった。同じ目標を持つ気の合う仲間や一緒に頑張れるライバルとも出会えた。好きなことをして毎回講評してもらえるなんてすごく幸せだった。時には全く自分を信じられなくなり、一丁前に悩んだりした時もあった。そんな時はデッサンが上手くいかなかったのなら1回逃げて他の彫刻1に力を入れてみたり…と、幸運なことに試験が3種目もあるのでとにかく実技が嫌いにならないように工夫した。好きが1番の強みになると学んだからだ。
試験本番では1次と彫刻1はこれはコンクールだと自分に言い聞かせて平常心を保った。模刻では去年の悔しさをもう二度と味わいたくないと死ぬ気でシルエットを合わせにいった。その晩、高熱を出し寝込むほどに。。。
思えば1年はあっという間だった。まだまだ学び足りないことが沢山ある。芸大に受かったからと言って苦手だった塑像で生ものを作れるようになったわけでもない。大学生という称号をもらい、これからは今まで以上に精進しなければならないと責任感が芽生えた。
どばたに来たから1年で私は変われた。ここで私にあらゆることを教えてくださった先生方、助手さん、切磋琢磨し合った友人達に心から感謝している。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。






笠木優菜さん
埼玉・県立芸術総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「振り返り」

自分の浪人生活を振り返ってみると、上手くいかなかった事ばかり思い浮かびます。自分の理想は高い所にあるのに、普段の授業やコンクールで思うような結果が出ないことが多く、苦しい思いをしました。
そして、長い間自分の不器用さと甘さにどう向き合えば良いのか分からず、悶々とする日々を過ごしました。

それでも私には、諦めないしぶとさと、真面目さと、体力がありました。正直それしか自信がないのもどうなのかと思いましたが、それがあれば折れることはありませんでした。

そして2浪の冬あたり、ようやく自分の実技をちゃんと判断できるようになった感覚がありました。同時に、自分の弱い所ともちゃんと向き合うことができたような気がしました。

試験前の最後の最後まで、もがきながら、それでも少しずつ成長しながら制作をしていました。
講師の言葉に助けられたこともあり、試験直前の実技は、今までのなかで一番納得できるものになりました。


試験本番はやっぱり緊張してしまって、3つとも自分の一番良い状態で制作をすることはできませんでした。
ですが、今までちゃんと積み上げてきた経験が助けてくれました。自分の中でバッチリではなかったものの、今までの試験のなかでは一番実感をもって制作できたと思います。

夜間部を入れると3年間、沢山の人に助けられながら、なんとかここまでやってこれました。本当にありがとうございました。






丹亮二郎くん
埼玉・県立上尾鷹の台高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
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「感謝」

あっという間の2年間でした。
とっても楽しくてみんなからもよくしてもらえて、すごぐいい人達ばかりでした。本当にみなさんに感謝しています。

講師の方々はとてもノリが良くて楽しい話やふざけた話をたくさんしてくれました。
友達も学校外では美術の話関係なく楽しく話せる人達ばかりで本当に好きでした。

面倒くさいと思ったり嫌だなと思った事もたくさんありましたが僕は本当に浪人して良かったと思います。これからも自分らしく頑張って行こうと思います。

両親には感謝してもしきれませんがこれから少しずつ恩返しができたらいいなと思っています、なので芸大に合格することができて本当に良かったです。

本当にありがとうございました!






寺田博亮くん
熊本・県立第二高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「Imagine」


どんな状況でも結果を出す。自分の気分とか周りの環境とか、そんなものは関係ない。紙の目が潰れ色も質も無くなったって形を描く、残り時間と比較してやらなきゃいけない事の数が不可能な数でも必ずやりとげる。最悪の状況からでも必ず合格を勝ち取るため熱く強引に結果を出していた。

浪人という現実を見ればそうなるのも当然だった。
芸術の世界は自由で、いつまででもやってられる気がするが、そうではない。美術の大学に行ける事はとてもめぐまれた事だ。
多浪すれば上手くなるとは限らない。うまいから受かるとは限らない。去年受かった大学に今年も受かるとは限らない。
もし藝大に落ちて、その後もまだ試験が続くとき、その試験に受からなかったら美術の道から離れなくてはならない時、現実を受け止めて自分の最善を尽くせるかどうか。現実を見て受け止める力がなければこの世界に残ることすらできない。首から下しか使えない労働の人生を送ることになる。

そういうことと向き合って硬く強く熱く夏から秋頃までやってきた。
冬に入った頃、すれ違いざまに西島さんが瞑想を勧めてきた。
季節的にも寒く、今までのように熱を入れようにも入りきらない頃だった。

なんとなく読み始めた手塚治虫の漫画 ブッダ 。
ブッダの後書きに載っていた著名人の文の中で見つけたJohn Lennonの歌 Imagine 。

それらが僕に冷静さ、心の穏やかさ、許しの心、日々の美しさ。を教えてくれた。

Imagineの出だしの和訳はこうだ。

想像して、天国なんてないんだと
ほら、簡単だろう
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像して、みんなが
ただ今を生きている

それから僕は、「その日できることしかできない。その日できることをやろう。」という考え方をするようになった。
「その日できることしかできない」可能性を狭めているわけではなく、その日できる事の可能性は自分の想像を少し超えるぐらいまであって、自分ができる事とその日自分が見るもの感じるものがその日できることを決める。背伸びして届く事は挑戦してもいいが足が離れちゃいけない。

それからは焦ることもなく、無理や無駄や強引なことをすることもなくなり、1日をしっかりと感じられていたと思う。

最終的には僕の熱は抜けていったものだが、その熱が残した痕跡は欠かせない。この先彫刻家として生きていくには日々を感じることばかりでもいけない。遅刻とか欠席とか気分屋な奴らは日々を感じてるようだがそれは浪人生にとって許されないことだと思う。流れに流されるだけならさっさと他へ行ってほしい。僕らは何かを残したい。






大田黒隼平くん
熊本・県立第二高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「敬意と感謝」


僕はデッサンも粘土も下手糞でした。
現役の時なんてビリになるかならないかの死の淵に立ってるような時も数回ありました。実際に今、こうして藝大に合格するまでコンクールで合格ラインに入ったのは、デッサンでわずか3回、粘土ではたったの1回しかありません。下手糞ですね。
そんな僕でも藝大に受かるんです。
これを読んでる受験生の心の支えに少しでもなれれば嬉しいので、僕の考え方や大切にしてきた事を紹介します。

まず、自分を知り、現状を認めましょう。上手く描きにいこうとせず、実直に正直に且つ客観的に捉え、「すべき事・出来る事・したい事」をよく考えて行動すれば、見る側にも伝わり、いつか実を結びます。人と比べるなんて、勘違いも甚だしいです。

次に、受験美術は所詮「器」です。勿論、器はとても大事ですが、その器に入れる「物」も今のうちから沢山考えたり、見つけるとモチベーションの向上にもなるのでいいと思います。

そして、感謝も忘れてはなりません。親や、講師、遠くで応援してくれてる人。或いは制作の際のモデルさんや、動物達も同じです。命に敬意を払いましょう。それらを忘れてしまったら美術をする価値がないです。

最後に、天国にいる母へ。
亡くなる間際、僕の心配ばかりしていましたね。あれから10年、僕も美術などを通して少しは成長し、心配事も減ったんじゃないでしょうか。僕は元気にやっています。安らかに眠って下さい。

これが受験するにあたっての僕の根幹です。


どばたで一年間過ごして、実技は勿論、人として成長出来ました。一生の宝物です。
僕に携わった全ての方、今まで本当にありがとうございました。






西村玖太朗くん
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「次」


僕らがやってきた彫刻の受験で得られるものは、
デッサン力や模刻力だけでは無くて受験を乗り越えたと言う達成感や自信、そして経験と言ったお金では買えない大切な宝ものです。
それはきっと自分を裏切らないし強い芯になると思います。

この一年でとっても実感しました。


ここまで支えてくれた家族に気晴らしに付き合ってくれた友達、
なかなか来ない僕にもしっかりと指導してくれた先生方、ありがとうございました!無事合格を報告できて嬉しいです


そして僕は受験という口実を失ったので次は歯医者…。
め〜〜〜〜〜〜っちゃいやだ〜〜〜〜〜;;






中西凛くん
静岡・県立清水南高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「気持ちで負けない」


結果を出さなきゃいけない。
僕はみんなの期待とプレッシャーに押しつぶされそうだった。

実技に関して、この一年間を振り返ると、一貫して安定したものとは言えなかった。

毎回いい作品を作ろうと取り組んだ。もちろんその姿勢が作品に伝わり、良いペースで進められたり、ウェブアップになったりと、作品にかけた思いがしっかり評価として答えてくれることはあった。

しかし、思い通りにいかず、楽しく制作に取り組めないこともあった。むしろ、その方が多かった。その度に、構造のことや観念的な見方、意識などで悩んだ。理由はわかってるのに「なぜうまくいかないのか」と自分に腹が立った。入直のコンクールでは、どれも思うような結果が出ず、焦り、言い訳ばかりを探していた。そして、この苦悩は受験の最後の最後まで続いた。

入試が近づいてきた頃、高校で先生に言われた「最後は気持ちの戦いだよ」という言葉をふと思い出し、冷静になれた。そして、一年しっかり勉強したことを最後の最後まで信じた。


終わりに、僕は高校の頃とこの一年間の中で、沢山の出会いがありました。その中で、美術のジャンルを超えて色々な経験ができ、その全てが自分の力に繋がっていると思っています。本当に感謝しています。






亀田満紀史くん
愛知・私立東邦高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「そして、僕はマグロになった。」


中学2年のとき、僕は何のために生きているのかわからなくなっていた。数学もできない読書もできない。そんな人間がこの世の中で生きていけるのか。ある時、恩師に美術の道を勧められた。昔から美術にだけは集中できた。勉強机に1時間むかうことができなくても、制作にだけは夢中で何時間も費やせた。

そこから公立の美術系高校を目指すことを決め、地元の美術研究所に通うことになった。あるとき、講師に言われた。
「自分の仕事に命を懸けなさい。」
必死だった。来る日も来る日もデッサンを続けた。でも、公立高校に受かることは無かった。
やむを得ず、私立の美術系高校に通うことになった。美術の成績は悪くはなかった。デッサンを描けば貼り出されるし、いつもいいね!って褒められてた。でも、だんだんそれが怖くなっていた。良いか悪いかで判断される生存競争で、とても美術が楽しめると思える状態ではなかった。「デッサンがたのしい!」「次はあの像が描きないな!」なんてクラスメイトが共感し合ってたけど、僕にはそれが理解できなかった。

やみくもに制作する日々が続き、すいどーばたの夏期講習に来ている時だった。周りはベテランの人たちばかりでうまい作品をどんどん作っていた。僕は必死に食らいついていつまた。そんなときに講師の方に「いいね、熱意がこもってる。これなら試験で十分闘えるよ。」と言われた。
めちゃくちゃ嬉しかった。それまでどうすれば首位に立てるかとか、どうやったらうまく見せれるのかと自分の地位の確立や小手先の技術の習得だけに意識がいっていたが、「試験で大切なのは熱意なんだ、見る人には自分の込めた熱意がわかるんだ」と強く感じた
地元に戻っての制作も、情熱が込めれた。
黙々と制作するうちにふと思った。

「僕はやっぱり美術が好きなんだ。」

そこで、自分がマグロになっていることに気づいた。「自分は美術でしか生きていけない人間なんだ。」「自分は美術に命を懸けているんだ。」ということを再確認できた瞬間だった。強い意志で制作に向かい、自分に陶酔しすぎず、常に新鮮になれた。確かに順風満帆になんていかなかった。うまく行かなくてカルトン投げ飛ばしたこともあったし、目から汗が止まらなくなったこともたくさんあった。でも自分の仕事に責任を持てたから「やらなきゃ」と思って続けることができた。
入試直前講習もホントに辛かったけど、たくさんの講師の人の支えがあって高い壁をどんどん越えていけた。だから試験は自分を信じて自分の仕事に責任持って制作に取り組むことができた。
合格発表の日、高校受験の様子が脳裏に浮かびやっぱりダメかもしれないと思いながら上野公園を歩いて藝大まで行き掲示板を見ると、自分の番号があった。
自分の熱意が教授に伝わったんだ。っとこれまで感じたことのない喜びを味わえた。

これからは芸術家として、人のココロをつかみ、美術と人々をツナぐことのできるよう立派に成長していきたい。

最後に
すいどーばた美術学院の講師、助手の方々、高校の美術科の先生方、支えてくれたクラスメイト、地元の美術研究所の方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。






高橋穣くん
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
日本大学芸術学部 彫刻コース
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「『考えない』を考える」


受験生活をしていく中で、体験記を書くことになったらこの事を書きたいな、と考えたりしてモチベーションを高めたりしていた。だけど、いざ書くとなってパソコンに向かってみると、何も思い浮かばない。だからゆっくりと時間をかけながら本当に大切だと感じた事を書いていこうと思う。


高校での課題、制作に追われながら受験に向き合い迎えた夜間部生としての芸大受験。残念ながら一次試験すら通過することはできなかった。そして、両親との死闘のような浪人交渉。三時間の正座で必死に訴えた芸大受験の重要さ、自身の実技力の未熟さ。
しかしこの体験談で書きたいことはそんなことではない。伝えたいのは僕が浪人生活を送るにあたり決めたたった一つのルールについてです。

『考えない』

どうやったらデッサンが上手くなるのか。かっこいい彫刻Iが作れるようになるのか。生々しい粘土が作れるようになるのか。次のコンクールでB˚(芸大合格レベルのランクのこと)が取れるのか。芸大入試で一次通過できるか。はたまた合格できるか。
考えれば考えるほど不安にかられ何をしていいかわからないのが、浪人生活だと思います。なので僕は何も考えないように、直感的に動くようにしました。といっても何にも考えず淡々と実技をこなしていくだけでは上達はあり得ません。そこで大事なのは直感力を鍛える、日々の生活から良し悪し、気持ちいいか悪いか判断できるようにすることが大切だと思います。毎週美術館やギャラリーに行ったり街中を散歩したり、いろいろな事を目にする事で自然と納得のいく実技ができるようになってくると思います。


毎日朝早くどばたに行き、しっかり準備をして実技をする。真摯に実技に向き合うことも大切ですが、よくデッサン・模刻中離れて見ろと言われるように浪人生という自分自身を客観視して、自分の長所を見極め難所を補う為に、自身の置かれている状況を考えることも大切です。これを読んでいる受験生全員に、東京芸大に入る資格はあるのです。高校を卒業していれば芸大に入る資格はあるのです。全員に入るチャンスはあるのです。ただ20人しか入学できないだけで、全員に資格はあるのです。これを読んでいる受験生は気負いせず受験当日を迎えて欲しいと思います。僕もそうやって自分自身に言い聞かせて自信を持って実技を受けました。
自分自身と向き合い虚勢を張らず、カッコつけずに地に足つけて1年間踏ん張ってきました。そうやってこれからも頑張って行こうと思います。






石綱ちひろさん
栃木・私立宇都宮文星女子高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『感謝』


私だけではここまでこれなかったと思います。
自分の好きなことを思いきりできたのは家族のおかげだし、競い合える喜びを与えてくれたのはどばたにいる友達、そして彫刻を造るにあたって大切な事を教えてくれたのは講師の方々。
そんな周りの人達がいたから本気で頑張ることができたと思います。
今まで支えてくださった方々、本当にありがとうございました。
大学でも精一杯頑張ります。






長田侑粋くん
大阪・市立咲くやこの花高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「合格して思ったこと」


僕は保育園の時から高校生まで何も考えず自由に絵を描いていました。
そんな美術がとても好きで楽しかったです。

けど受験の美術は楽しくない時もありました。
その時は全然うまくいかないです。
でも少しずつ楽しさを見つけることができました。
僕は受験でも楽しくできたので合格したんだと思います。

合格して振り返ってみると夢中になって絵を描いていた頃の気持ちは忘れちゃいけないと感じたし、
それが僕の中での美術だと思いました。

やっぱり美術は楽しいものだなぁ








みなさん体験記ありがとうございました。
これからの受験生の参考になれば幸いです。

2018年03月15日

●2018合格者体験記特集

「インタビュー企画第34弾」
 2018合格者体験記特集


2018年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
それぞれの作品とともにご紹介します。






広瀬里美さん
埼玉・県立伊奈学園総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「わたしなりに」


現役生の時、わたしは自分を他人と比較ばかりして居ました。あのひとより出来てるとか出来てないとか、速いとか遅いとか。受験って競争だからそういうものなのかと思ってました。誰よりも努力しなければ、誰よりもいいものを作れるようにならなければと思ってました。その年の二次試験の自刻像はわたしは自分のペースというものを完全に見失い、お昼から泣いて、終わっても泣いてどばたに帰りました。それは落ちるから悲しいというのではなく、今までやってきたことを出すことが出来なかったことと「自分の作品」を置いてくることが出来なくて悔しかったのだと思います。


浪人して、わたしは自分がどんな調子の時でもどんな気持ちの時でもB°のものを描けるようにというのを意識して実技をしました。粘土でも形を見る力と作る力が徐々についてきて苦手だと思ってた模刻でもB°を取れるようになってきました。安定した力がついてきたのかと思いました。
そして、素描が今年から彫刻Iというものに変わってどんなものが出るかわからない中様々な課題をやっていく中で、わたしの好きなものや形ってなんだろうと考えるようになりました。作品に答えはありません。それでも秋頃わたしは彫刻Iの失敗を恐れてデッサンや模刻みたいに解答のようなものを求めていました。わたしの恐れというのは不安からくるものでした。不安というのは自分の作ったものがこれで本当に良いのか?という疑心と、制作中周りを見渡して面白い作品や良い作品を見た時に感じる劣等感だったと思います。つまりわたしは、この時は現役生の時から成長していなかったのだと今は思います。


しかし、綺麗なデッサンを描く尊敬する先輩の話を聞く機会があり、魅力とは知らないうちに出ているものだと気付きました。魅力とは個性であり、個性とは人それぞれが持っているもので、それはその人が描いている(作っている)時点でどうしようもなく出てくるものなのだと。


わたしは自分がどれだけその作品に対して真剣に取り組めたか、自分がどれだけ頑張れたか、どれだけ自分の納得するものに近づけたかが大切なのだと実感しながら制作出来るようになったと思います。いつからかわたしは他人と比べるということを辞めていました。一位じゃなくてもいいし、aじゃなくてもいい。自分が「良い」と思えるものができるようにただひたすらに制作する。それだけでした。
試験には、わたしはわたしなりに一生懸命の作品をおいてこよう。周りの環境や他人に惑わされずに、わたしに出来ることをやってこようと思って臨みました。


合格発表の前夜、ベストは尽くしましたが結果が出るまではやはり不安でドキドキしていたのですが、尊敬する先輩方と話していて、わたしはこの現役から浪人生活の中で実技のことだけでなくもっと多くの大切なものを学び、出会うことが出来たのだと心の底から思いました。たとえどんな結果になっても、わたしが幸せ者であることには変わりはないと思いました。


わたしの目標を応援し支えてくれた家族、親身に指導してくれた講師の方々、一緒に努力した仲間たち、遠くにいても励ましてくれた先輩と友人に心から感謝します。
ありがとうございました!






岩井りとさん
埼玉・県立大宮光陵高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「己を信じ抜く」


美術はハッキリとした正解や順位はない、何を信じればいいのかわからない世界だと思います。
自分と他人の価値観も違う、観る人によって評価も変わる。
それが恐怖でもあり、面白いところでもあると感じています。
そんな中で何を信じればいいのか、それは自分の経験だとわたしは思っています。
何を見てきたか、何をやってきたか、何を感じてきたか、自分で培った経験は何かの影響で変わることもない自分だけのもの、自分の力になっているはずです。
「自分なんて」そう思わず自分の力を信じる、自分を信じられるほどの経験を積み、実力をつける。
それが大事だと思います。
でも制作中は別です。疑ったほうがいい。


わたしは浪人した1年間ずっと自分を信じていました。
受験のときも、1年間やり遂げた努力を信じていました。きっとなるようになる、だからどうにでもなれ、そんな気持ちで受けていました。
正直に言うと、わたしはデッサンは上位ではなく、粘土もうしろ寄り、彫刻1はまあなんとなく得意、そんな実力でした。最後の最後で何かが起きたのでしょう。
普段、まわりがどんなにうまかろうが、安定した結果を出していようが、まわりのことを気にしませんでした。口を揃えて「マイペース」と言われても。
自分が前回よりも成長しているか、信じられないミスはしていないか、どんな方法が自分の目と手を合わせるのか、何を気をつければうまくいくのかという自分のことと、人の使う技術や表現や道具など、それを気にして考えて過ごしていました。


何も信じられない時期も、うまくいかずに涙したときも、わけもわからず怒り狂った日もありました。
そんなときも、支えて応援してくれ、時には放っといてくれた先生や家族、友達がいる、本当にいい環境で過ごせています。感謝してもしきれません。
手放しに褒めず、違うところをちゃんと違うと手厳しく、良いところを良いと指導してくれた先生方、つらいときに息抜きに付き合ってくれて、応援し、励ましてくれて、合格を知らせたときも自分のことのように喜んでくれた友人たち、いろいろな行事も普段も楽しく遊び、過酷な日常を共に過ごした友人たち、指導してくれて、応援してくれて、とにかく励ましてくれた方々、そして家族にはここでは語り尽くせないほど、本当に感謝しています。地に頭がめり込むくらい。
たくさんの人に支えてもらっています。ありがとうございます。


ここがゴールではないので、気を緩めずに愉快で厳しいこれからを、強い心で進んでいきたいと思います。
ありがとうございました。






許斐真帆さん
千葉・県立船橋高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「こわくてたまらないひとに」


それにしても長居をした。
彫刻科に棲みついた座敷わらしのようだった。
居心地のいい場所がたくさんあった。
本館入り口正面の椅子、ピロティの床のすごろくみたいなモザイクのはじっこ、
自然光の入る5-3アトリエはめったに使えないけれど大好きだったし
昼どきの講師室も迷惑がられても好きだった。


嫌いだったのはコンクール後の講評待ちの、ヒリヒリする本Bアトリエの空気で、
でもそのヒリヒリする感じも、コンクール以外なら刺激的で好きだった。
受験生はもちろんヒリヒリした毎日を過ごしていたけれど
若者たちだけでなく、そこにいる大人も、彼らなりにヒリヒリする
何かを抱えて、美術という世界に身を置いているのを見ているのが好きだった。


予備校が居心地いいなんて言っているから何度も浪人するんじゃ、と
お説教くらいそう。でもね、、、居心地よい場所だったから
自分がここにいる意味を探し続けられたのだと思っている。
目の前のものを見る目がほしくて、私はどばたにきたのだし、
母が死んで、その死んでいくさまを見て、自分の残りの人生を逆算したら
もうそれくらいしかやるべきことが見つからなかったのだ。


それにしても新しい受験生に、何をいってあげられるだろう?


合格体験記だなんて困ってしまう。トシくっていることはさておいても
要領悪くて忘れっぽく、肝心なとこでヘソ曲がり、という人がもし他にいれば
もがくな、自分を受け入れろ、と言ってあげたい気もする。
もがいて、必死にモチーフを見つめて、客観性のなさに苦しんで、
それでも一生懸命モチーフを見ていると、だんだん輪郭がぼやけて
断片的な白黒のかたまりが目の前に平べったく散らばって、
いわゆるナントカ崩壊みたいな(正式名称不明)脳の状態になって
もうどうやって描くのか全部忘れちゃった、という事態になるのだ。
私はこれを何回繰り返しただろう?


たかだか絵を描くのに、なぜ怖くて手が震えたりする?と呆れられたりもする。


でも震えるんです。にっちもさっちもいかなくなると。
怖くて木炭持つ手が震えてヨレヨレの線になったり、鉄ベラが持てなくなったり、
わかる人にはわかるはずだがわからない人はわからない。
とりわけ6時間の実技になると、焦りもあるからなおひどい。


これを乗り越えるのは不可能に思えた。
実際、今年も2月に入ると、怖くて間抜け面でアトリエに座る日が続き、
もうそういう自分を受け入れるしかなく、しまいには、
私は石膏描いているのじゃない、階段と壁を描いている、
と言い聞かせるほかなくなった。
ひたすら「階段と壁、階段と壁」と呪文のように繰り返し、見かねた講師に
あのねちょっと動きが、、と小声で指摘されてもまだひたすら
「動く階段と壁、動く階段と壁」と呟きながら円盤を描いたりした。


怖がりで要領悪くても、壁と階段くらいならなんとか描けるものらしく、
結局そうやって入試直前まで石膏を描いた。正直に言えば本番でさえ
最初の1時間は階段と壁を描いていたし、弥勒によく似た階段だなと
思いながら作っていた。
もしも怖くてどうにもならない時は、階段と壁を思い出して、
バカらしくなるまでやってみてほしい。おすすめはしないけれど。
バカみたいなので。




私ほど要領悪く過ごしているわけでもない人がほとんどだろう、だとしたら、
私が伝えてあげられることってなんだろう?
美術は楽しいといったって、結果が出なければ苦しい。本当に苦しい。
これは書けと言われたから書くわけじゃないけれど、私は息苦しくなると、
夏期や冬期に、基礎科の彫刻で講習を取ったりもした。
美術を始めて日の浅い人たちの実技は、本当にのびのびしていてきれいで、
自分の作品がしょぼくてびっくりした。ポケモンのぬいぐるみと幾何形態
の構成、油絵具の匂う基礎科のアトリエの隅っこでのんびり作る日が、
どれほど救いになったことか。油画の1次対策の木炭デッサンに
お邪魔したこともある。あんまりにも自由で楽しくて、ショッキングだった。
ああそう、苦しいときはときどき、美術の原点に帰れるような機会をもつのも
よいかと思う、人によっては。また彫刻を続ける力になります。




でもそれでも、受からない。受かるあてがみつからない。




そういう日々を繰り返した私に、言ってあげられる言葉なんてあるのだろうか。




講師のひとたちからは、ずいぶんいろんな言葉をもらった。
コミュニケーション好きなので。
その点は唯一、私の長所かもしれない。
私には私の、人には人の、それぞれ受かり方がある、と言ってくれた講師が
いたな、とか、最後まで合わせにいけ、という前の日の言葉、そこそこ
描けるしそこそこ作れるんだからもう受かっていい、と言ってくれた人や、
手なんて所詮シルエットの集合体、と言った美人講師、私の実技が
大好きだと言ってくれた講師。
私のこれまで過ごしてきた日々の、いろいろな場面のいろいろな言葉が、
ほぼ同時にあの芸大のアトリエで、私をかわるがわる励まし続けてくれていたので、
怖すぎてテンパっちゃいたが最後の1秒まであきらめずに、モチーフと作品とを
見比べ続けていられたのだった。
私がどばたで過ごした時間は、長かったけれど無駄にはならず、
それらのぜんぶが私を支えてくれた。
これはきっと、だれにとっても同じだろう、決して無駄にはならない、だから
安心して苦しんで、ということくらいかな言ってあげられるとすれば。




とりとめもなく長々と書いてしまった。
文章が長くなるのは高齢者の特徴なので、ここらへんでおしまいにします。
どばたにいる方々とその建物と、あと私の家族と犬に深い感謝をささげます。






菊地寅祐くん
山梨・県立韮崎高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「浪人」


朝は大概七時半に起きる
冷蔵庫にある安い卵と生醤油
七時に炊けていた白米にかける


八時 見もしないテレビを消す
父親から貰った革靴
暇はあっても塗らないミンクオイル
家の鍵はガスコンロの右側
やがて自転車にまたがる


何故か三つも薬局のある駅前
愛想の悪いパン屋を通り過ぎる
ギアは錆びて外れやすい
予備校の電柱に自転車を括り付け
マイバスで烏龍茶、生麦を買う
打刻をして階段を降りる
席取りにサインして仲間と雑談
開始十五分前 用を足す
事務側トイレは使用頻度が高い
木炭紙一枚
レシートは貰わない
縦向きの箱椅子
道具箱は右手 パンは左手に
イーピンにガーゼをかけ
靴紐を縛りモチーフを見上げる。




支えて頂いた沢山の方々に感謝しています。ありがとうございました。






田村領磨さん
東京・女子美術大学付属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「受験を終えて」


私の受験生生活は助けられてばかりだった。








受験を決めたのは高2の冬で高3から塾に通い始めた
好きな人と同じ大学に行きたくなくて
誰にも劣りたくなくて
何か夢中になれるものが欲しくて
不純な動機で受験を決めたわたしには
頑張り続けるには余りにも弱い理由だった
受験は逃げだった


それでも負けず嫌いなりに懸命に逃げることを頑張っていた
学校に教育実習で来ていた卒業生の方に同じ受験経験者としてアドバイスをもらったり
夏休みは朝から晩まで余計なことを考えないように制作に打ち込んでいた
学校内ではある程度の評価もされていて自信があったわたしは塾でも現役生の中では然程悪い評価ではなく
逃げ続けられていることに満足していた


そんな中
夏も終わり受験本番に差し掛かった頃
わたしは失恋をした
わたしは何から逃げているのかすら分からなくなった
失ってから気づくとはこのことかと理解した
ずっと好きで情で付き合ってくれていたことも分かっていたのにそれでも
それから逃げることで自己満足し
相手をほっといた自分に対しては相応の成り行きだと思った


わたしに自信がなくなって心が弱くなったのはこの頃からだったと思う
制作にも集中できず何かと理由をつけては休みがちになった


高3の冬受験本番になった頃
卒業制作をすると言って何日間も塾も学校も休み怠惰な生活を送っていた
年を越した辺りからは制作も右肩下がりで心ここに在らず
周りには表面的な笑いばかりするようになった
全く集中も出来ずに自分が何を何のために頑張っているのかさえ分からなかった。








そしてそのまま一次試験の日を迎えた


どうしても観たい展示があったわたしは試験終わりに急いで展示会場へと向かった
受験の不安な気持ちを抱えたまま着いた展示室で作家さんに声をかけてもらった瞬間に涙が溢れた
同じどばた出身の藝大生の方で他人のわたしとでさえ優しく受験の苦しみを分かち合ってくれた


その会話の中で
教授はちゃんと受かるべきひとを選んでいるんだよきっと頑張ってやり切ったなら大丈夫!
との言葉をいただいて
その言葉とは裏腹に逃げだけでやってきたわたしは落ちてることを悟った
それと同時にわたしはもう失うものがないこと
逃げる必要もないこと
それでも彫刻が好きなこと
色々なことを悟った


一次発表の日
合格者の中に自分の受験番号はなかった
受かるべきひとになれていなかった私は涙を流すことすらなく浪人することをきめた
どばたにかえると、講師の方々と色々と話をした
一浪の1年間を支えてくれたそんな言葉もたくさん与えてくれた。








そして間も無く浪人生活が始まった
浪人中は
受かるべきひと
になることを何よりも掲げて制作をした
上手くなることよりも受験当日にモチベーションを合わせていけるように毎日を過ごした


失恋をしてから脆くなった心は元に戻ることはなく
急に伏せてしまって休んでしまうことも多かった
それでも頑張って塾に向かうと笑顔で
今日は来たな!
それだけ言って受け入れてくれる講師の方々に
何度も心が救われた


だんだんと感情が制作に影響せずある程度のクオリティを上げられるようになった頃にはすでに厚手の上着がないと肌寒い季節になっていた


新しい年を迎えてセンター試験も終わった頃
周りのみんなは朝から晩まで塾で制作をして熱い熱気に包まれていた
そんな中でわたしはまた受かるべき人とは何だろうかと考えていた
わたしの拙い結論は
いつも通りであることだった


きっと上手くなるには誰よりも制作するべきなのは明確だった
けれどもわたしの中で
受かる=上手い
の式はすでに成り立たなかったので
それまでも制作の時間が終わったら誰よりも早く切り上げていたわたしは
入直の時期になっても夜まで頑張っているみんなを尻目にそそくさと帰宅して夜は制作を忘れて自由な時間を過ごすようにした


趣味の料理も明日に疲れが出るからやらない
ではなく
やりたいと思った時に即座にやることにした
それもあって受験直前も気を張らずにモチベーションを上げていくことができたのだと思う。








そして迎えた一次当日
現役の時は木炭も全て芯ぬきをして
真っ赤なワンピースを着て
いつもとは比べものにならない程の気合を入れて挑んでいた
でもそれではダメだと分かっていたので
いつもの履きなれた靴地味な洋服
箱のままの木炭で挑むことを決めた


部屋の中に見えたモチーフは
現役の時は上手く描くことが出来ずにあまり好きでは無かったヘルメスだった
しかしちょうど
ふと何か惹かれるものがあって今までの中で1番熱くかっこよくヘルメスを描いた日が前日の事だった


部屋に入ってすぐに座席抽選をした
私の好きな光の向き
場所の座席を見つけて絶対にそこを引き当てると意気込み抽選をした
見事にその席を引き当てたわたしは
描き始める前に一次合格を確信した


現役の時とは違う冷静かつ平常心で挑むことが出来た一次試験は狂うこともなく
良い描き出しが出来たのだと思う


そして一次の発表を迎えた
案の定一次通過で
嬉しさとともにここで思い上がってはいけないと心を鎮めることに専念をした
それと同時にわたしは言霊や思い込みはわりとそうなると考えている人間なので
一次通ったら二次も通る
今のわたしは受かるべき人間になれている
そうなんども心の中で繰り返した。








そして翌日すぐに二次試験の彫刻1迎えた
講師の方々が試験内容といつもの授業が類似していると安心してしまいあまりよくないかもしれないねと言っていたそんな中で
試験内容はいつも塾でやっていることに程近く
それはいつも通りを心がけていた私にはとてもありがたい課題であったと思う


お昼休憩の時間にはいつものようにクッキーを焼いて持って行った
監視員をしていた方々からは不思議な目で見られていたかもしれないけれど
私がいつも通りに過ごすためには必要不可欠だったと思う。








人物や構成に比べてきっちりと合わせなくてはならない模刻が来る可能性が高いと予想されていた中で
模刻があまり得意で無い私は塑造の試験を何よりも恐れていた
そんな中で出たのは手と菩薩の構成だった
これは受からせてくれる試験だと確信した
午前中誰よりも早く心棒を作り終え
粘土付けも早々と済まし確実に完成に向けて作って行った


しかし午後になって手の心棒がぐらつくことに気がついた
残り時間は2時間程度で焦り動揺した
けれどこれは受からせてくれる試験であって
ここで手を抜いたり諦めてはいけないと
最善を考えた
やりきれずに落ちることだけは絶対にしたくないと一か八かの勝負に出ることにした
一度作った手を半分ほど壊しシュロ縄できつく結んで固定をし安定させることにきめた
そこからはここで諦めたらいけないと出来る限り作り込みをした


この選択はあっていたと思う
形が甘いところが多くなってしまったけれど
今の自分が出来ることは出し切った


最終合格発表まではずっと心がざわついて
一生分の鼓動を打っているのではないかと思うほどだった


そして迎えた最終合格発表
緊張のあまり家を出るのが遅くなり
大学に着いたころにはすでに開示してから30分あまり経過していてすれ違う人達の少しざわついた空気の中自分の番号が掲示されているのを見つけた


一浪で必ず受かると決めていたわたしは
嬉しさと安堵の感情に包まれ
始めてこの一年色々な方々に支えられながら頑張ってきてよかったと思うことが出来た。








思えば不純な動機で受験を決めたわたしがここまでやってこれたのも
学校の先生からの応援を始め
先輩や尊敬する作家さん
講師の方々
何よりも家族が支えてくれたからこそだなと
改めて感謝することができて
それに対しておめでとうと
皆が皆祝って下さって
恵まれた環境の中でやってこられたことに
何よりの幸せを感じることができた




きっと好きだった人から振られなければ
現役であんなに落ち込むこともなかったとは思うけれど
受験をしようと思わせてくれたわたしの人生に居なくてはならない人だったなと
色々な出会いに今だからこそ素直に感謝できていると思う




合格はまだスタート位置に立てただけで
これからの頑張りが大切だと分かってはいるけれども
スタート位置に立つこともきっと1人では出来なかったと思う
それも色々な方の支えがあったからこそ何とか立つことができた
だからこそわたしは何年もかけて作品を通してこの感謝の気持ちを届けていけたらと思っています。






伊藤珠生さん
東京・都立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「彫刻が好きだから」


夜間部だった2年前、彫刻を始めて間もない頃、「私は誰よりも頑張ってやる。」そんな風に思っていた。
学校の課題に追われつつも、頑張ることが楽しくて予備校が楽しかった。冬、地方生も増えて、皆んな熱かった。「頑張っているのは私だけじゃない。私より頑張っている人達がたくさんいる。」そんな当たり前の事に、その時気付いた。頑張れなくなった。私は人から頑張っていると思われたかっただけだった。そんな自分に気づいて頑張ることが恥ずかしくなってしまった。
そのまま私は藝大に落ちて、浪人生になった。浪人に少し憧れていた、楽しそうだと思っていた。私はどこまでも甘かった。
浪人すると、実技や人間関係、上手くいかず泣いてばかり。自分の良いと思っていた作品が講師には評価されなかったり、力はあるけど魅力がない、そんな事を言われて自信がなくなった。評価されない作品は嫌いになって、見たくなくて講評の後、すぐに壊した。


「何で彫刻をやっているのだろうか。何で藝大を目指しているのだろう。」


全てが分からなくなった。受け入れられない自分を人に受け入れてもらおうとした。
9月頃、自暴自棄になった。泣きながら制作したり途中で帰ったりしていた。そんな私にある講師が、面談しようと声をかけてくれた。講師は私に、自分を受け入れる事を教えてくれた。迷いも不安も受け入れる事にした。受け入れると、自分が何をしたいのか考えることが出来た。とりあえず、もう後戻りは出来ないのだからと、不安定な気持ちと戦いながら、実技をする事にした。
コンクールで結果が出るようになった。その結果に救われた。きっと、夜間部の頃、頑張っていた自分のおかげだ。
明日の自分のために今日頑張ろうと思った。
粘土もデッサンも上達し安定していった入試直前、私は、彫刻が大好きになっていた。
藝大に行く理由が見つかった。「彫刻が好きだから」行くのだ。
この一年間、たくさんの事があった。辛い事の方が多かったかもしれない。でも私は全力でぶつかれた。だから、後悔する事は何もない。
この先どんな事があっても、私は全力でぶつかっていきたい。泣いたり笑ったり、全力で生きて、全力で彫刻をしていきたいと思う。


これまで支えてくれた講師の方々、予備校で出会い、かけがえのない一年間を共に過ごした仲間達、応援してくれた家族や友達に、心から感謝します。本当にありがとうございました。






高橋晴久くん
千葉・県立松戸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『楽しかった受験生活』


僕は高2になってから進路を彫刻に決め、それから毎日欠かさずデッサンを描いていました。
制作してないと僕は死んでしまうので朝早く高校へ行き制作し、授業が終わると最終下校時間まで制作し、家に帰っても次の日の制作の事しか考えていませんでした。自由な時間と自由な先生と自由な親と自由な友達。僕が努力できたのはこの自由な環境があってこそだったと思っています。飽きっぽくて移り気な性格だったので、1時間デッサンを描いたら粘土がいじりたくなってきて、それで粘土をいじっていたら今度は陶芸がやりたくなって、それでお皿を作っていたら今度はまたデッサンが気になって気になってしょうがなくなって、結局いろんな教室を転々としてたのを覚えています。


高3になってからドバタの夜間部に入りました。毎日高校が終わるとすぐドバタへ行き、8時半まで制作し、夜遅くに帰宅する。体力的に厳しい毎日でしたが、それでも楽しさは変わらなくて、予備校に行くのが1日の内の一番の楽しみでした。
受験だと思ってデッサンを描いたり粘土を作ったりした事はありませんでした。だからこれだけ楽しめたと思います。実技で泣くこともあったけど受験が怖くて泣いた事はありませんでした。ただデッサンを描くのが楽しかったから妥協せずにやれました。だから上手くいかないと悔しくて泣きたくなってしまう事がありました。遊び心も大事、妥協も必要と言う大人もいますが、子供は遊ぶときほど妥協しないと思います。
試験本番も楽しんで作れました。デッサンも新鮮な環境とピリピリした空気を味わいながら楽しんで描けました。彫刻1は特に楽しんでやれました。彫刻2も苦手な構成粘土だけど、迷いなくやれました。悔いのない作品を作れたので受かった時は本当に嬉しかったです。ここまで来れたのは自分だけの力ではありません。両親や、高校の先生方、ドバタの講師陣が非常に立派な人達だったからです。こんな悪餓鬼でも学費を出してくれた両親、最後まで全力で指導してくれた講師の方々、そして基礎を築いてくれた高校の先生方。本当にありがとうございました。裏で悪いことばっかしたり、友達に心配かけたり、色んな女の人に迷惑掛けたけど反省しています。これからは立派な男になれるように努力します。
あくまでも大学に受かっただけに過ぎないので、浮かれずにこれからも精進していきたいと思います。






関野正祥くん
東京・私立錦城学園高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科


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「楽しまないと!」


自分は勉強が嫌いで本を読むのも嫌いで文章を書くのなんて死んでしまいます。でも物事を考える事はすごく好きで浪人生活の中で考えてた事をいくつかあげて行きます。


僕がここで受験生に向けて関野正祥の浪人生活のどんな事を書こうと他人からしてみればどうでもいい事。合格者から聞くべき事は考え方だと思います。3年間の講評ノートを振り返り好きな自分の考えを紹介します。


「楽しまないと芸術をやっている意味が無い。嫌ならやめるべきだ。芸術は勉強なんかよりはるかに贅沢なものだから。」これは芸術を学ぶひとは絶対に忘れてはいけないことだと思います。


「静かに集中。熱くなってはいけない。座禅をするように実技をすれば全てが研ぎ澄まされ作品は良くなる。そのうち余裕が出来てさらに集中することが出来る。」どんな表現にも集中力は必要で、その力が作品に込められて作品の価値が上がると僕は思います。


「実技は頭を使って自分をコントロールしながら目でやるもの。」目と手を直結させることを前提としてその動作をしているうちに余計なことが、入って来たり、自分の行き着く先が変わったら頭で補正する。


他にもありますがこのくらいにしておきます。でもまあ、なんだかんだ言って自分以外の奴の事を倒す気持ちと気合で大体の事はなんとかなると思います。


青汁のCMみたいに急に宣伝ぽくなっちゃいますが、生徒1人1人の考え方を大切にしてくれるのがドバ彫だと思います。僕は学校も先生も好きじゃないタイプのひねくれ生徒でしたが、どばたはマジで好きです。講師で呼んでくれるのを待っています笑。


最後に学科落ちって言うのは本当にあります。高校生はよく「勉強はしといた方がいいよー」って言われると思いますがマジです。勉強が本業の時に勉強しとくべきです。実技だけうまかったら藝大に入れるなんてそんなに甘くありません。






水巻映くん
埼玉・県立芸術総合高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「上達するために」

 
まず初めに、今まで何も言わず支えてくれた家族。切磋琢磨し合い笑いあった友人。やたらとあごをいじる講師の皆さん。優しく働き者の助手さんたち。今まで応援してくださった皆さんへ。無事、東京芸術大学に合格できました。ありがとうございました。


 さてさて、体験記に移りましょう。僕は実技ではあまり目立つような立ち位置にはいなかったと思いますし、体験記で彫刻論とか精神論とか、そんなかっこいい話は他の人がすでに書いていると思いますから、ちょっと違う話をします。
 デッサンや塑造において大切なのは何でしょう?モチーフへの観察や理解はもちろんです。完成のイメージを持つこともとても大切です。客観性や様々な観点から発想を広げることなど、良い作品を作るためにはこれらのことがとても重要です。ですが、それ以前にもっと大切なことがあります。それはアトリエの環境ですね。環境が悪いといい作品は作れません。
塑造のとき、彫刻科は動き回ります。例えば模刻をしていて、観察する際に死角ができてしまうのは彫刻科にとって致命的です。床に使っていない道具や箱椅子が置きっぱなしになっていることが多くあります。観察したい場所に物があるから観察できない。すごいストレスですね。
使う道具も共同のものが多いです。作るものも場所を取りますね。モチーフも大きいです。少しでも広いほうが伸び伸び制作できます。使ったらすぐに元の所に戻す。とても大切ですね。
とはいってもみんな忙しいです。片づけなきゃと思っても忘れてしまうことが多いです。
制作中は実技に一生懸命な人たちの集まりですから、放置粘土があったり、置きっぱなしの道具があったりするのもわかります。だから授業終わりに気づいた人が片付ける、声をかけて本人に片してもらう。みんなのアトリエですから、みんなでよい環境にしなきゃいけない。当たり前のことです。だから僕は放課後にアトリエの掃除ばっかりしていました。誰のかわからない芯棒を壊したり、粘土を片したり、隅に落ちている縄とか垂木とか拾ったり、頼まれた訳でもなく、褒められたくてやっていた訳でもないです。いい実技がしたいから、ある意味自分のためにやっていました。それに掃除している自分の姿を見て気づいた人は手伝ってくれます。いい人ですね。そういう人が増えれば自然と良い環境になるし、良い作品も増えると思います。
入試が近づいてみんなが自主制作している横で、僕は道具の整理をしたり、片付けしたり、棚作ったりしていたんですが、それが逆に心に余裕を作ってくれて、変に悩んだり自分を追い詰めたりすることなく、落ち着いた心境で本番に臨むことができたと思います。アトリエを使わせてもらったお礼にきれいにする。次使うとき使いやすいようにする。一見関係ないように思えるけど、上達するための近道です。芸大でも自分が制作した範囲はできる限りきれいにしました。
実技以外のところでもしっかりした仕事ができる人が受かるんだと思います。ただうまいから受かるのではないです。僕が言いたいのはそういうことです。
最後に
これからも多くの人が、美術の道を歩むその先駆けとしてすいどーばた美術学院で学んで行くことと思います。2年間でしたがとても成長できた場所でした。その恩返しという訳ではないですが、新しく霧吹きの棚を作りました。「高みを目指してほしい」「上へ上へと上達してほしい」という思いでモチーフを選び作りました。大事に使ってくれると嬉しいです。

2016年03月29日

●2016合格者体験記特集

「インタビュー企画第30弾」
 2016合格者体験記特集

2016年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。
今年はこの一年で制作したそれぞれの塑造作品とともにご紹介します。






アイザック・レオンくん(2016年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「 好きだ!!」

一浪のとき二次試験で模刻が出題され落ちました。形の狂いに気づいていたのにも関わらず、直さないでただそのまま作り込んでしまいました。終わってから、あれしてればこれしてればと悔しい思いをしながらももう1年浪人することにしました。 そこで1年前のこの日、国立西洋美術館にあるロダンの考える人を前に 「藝大生になる!彫刻家になる!」と新たに決心しました。
しかし、その熱意が入試に近づくにつれ受かることだけに意識を向けてしまい 自分との戦いではなく、他人との比較や、これがやりたい作りたい!ではなく、これをやらないといけないという惰性が続き、 意識が偏っていきました。そもそもなぜ自分が2浪までしてここにいるのか悩みに押しつぶされていました。そんなときある講師に、「好きなんだろ、普通にやりな、自然に、強引になる必要はないよ」と言われて、なぜ僕がここにいるのか、確かに藝大に合格するためだが、藝大に行きたいのは自分が彫刻をやりたいから、彫刻が好きだからだ!と新ためて気付きました。
試験前になると肩の力が抜けてきて気楽に無理しない日々を過ごし、受かる受からないではなくただ粘土に触れたい、形を作りたい、彫刻を作りたい その気持ちで試験に向かい、本番では受かる実技ではなくその時作りたかった彫刻作品を作ることが出来ました。それが合格に結び付いたのだと思います。

1年ただやりたい事をやればいいとは思いませんが、悩んで手が動かせない日々が続く人は楽しんでほしいです。何かを作るのが好き!と少しでも思っていれば、それは作品制作をする上でもっとも裏切らない気持ちだと思います。
自分は好きだったから体力的に精神的に辛い日でもどばたに行けた。
好きだったからやめられなかった。
好きだからこれからも頑張って行きたい。と思います。
1年間支えてくださった先生方、友人家族本当にありがとうございました!!






山元 佑介(2016年 彫刻科)
東京・私立明星学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「6年間」

赤茶色の門をくぐると、父は「俺を2回も落とした大学だ」と私に呟いた。それは小学校を卒業した春休みのこと。父に案内されてやって来た東京藝術大学で聞いた「ゲイダイ」という響きは楽園として私の耳を潤し、中学校入学前に早くも遠くまで伸びる1本の確かな道を見出すこととなったのだ。
中学校入学と同時に都内の大手美術予備校に入学し、高校1・2年生と同じ土俵で鉛筆の削り方から学ぶことになり、中2の時には初めて体験した塑造の楽しさに感動し、専攻を彫刻にすることを決意した。中3になって初めて夏季講習会で浪人生たちと絡み、その熱気に自分の腰が引けていたのを今でも覚えている。
高校生になっても中学生の時と同じ2週間に1作品のペースで木炭デッサンと塑像を繰り返し制作する日々を繰り返しながら、私はゆっくり着実に実技のレベルが上がっていくことを実感していた。
しかし、高2の終わりに突然私は今まで通っていた予備校をやめることにした。5年間、同じ場所で与えられた課題をひたすらに制作することにすっかりと慣れてしまったマンネリ感たっぷりの私の体が、果たして1年後に藝大に通用するのか不安だったからである。そこで目に入ってきたのはすいどーばた美術学院だった。それまで他人事のように眺めていたドバチョウブログも見れば見るほど身近な危機感を感じ、いま通っている予備校にはない魅力を放つ作品が作者の意思と共に伝わってきた。そんな私は考え抜いた末にすいどーばたの彫刻科にて最後の1年を過ごすことにした。
しかし、どばたに入学した時点ですでに私には5年間のキャリアがあったにも関わらず、制作における自分の癖や高飛車な姿勢は合格レベルから限りなくかけ離され、2学期に入るまでは頭部がでかくなる癖が直らなかったり、生炭が残ってギラギラなデッサンを描いたり、粘土をまとめすぎて表情が死んだり、ガーゼに頼ってモサモサのデッサンだって描いたりした。もちろん2学期に入っても公開コンクールでは現役生のライバルだった友人に1位を取られ、自分は惨敗し講師には笑われた。以前通っていた予備校に戻って公開コンクールに参加しても、今まで抑えていた癖が全面的に出てしまい、B’をとって「どばたで何やってたの?」と言われて泣いたりもした。このまま来年も予備校に通う自分が想像できてしまったことにとてつもない恐怖と不安を感じ、いわゆるスランプの時期が12月まで続いた。個性と癖の違いが分からなかったり、モチーフを見ることとは何なのか分からなくなったり、紙と手の構成素描で折り紙の鶴を折ったら講師に怒られたりした。年が明けてからは受験に向けての程よい緊張感によるモチーフに対する熱い視線と自分の実技レベルを冷静に客観視する姿勢を両立させることで、自分の作品の魅力と基本的な抑えどころが噛み合っていくように心掛けた結果、入試直前のコンクールにて浪人生をおさえて上位に入ることが出来たりした。そんなこともあって2月頃には絶対に現役で藝大に合格するぞと感じる気合いと自分の作品が比例していき、今まで恐怖の対象だったグングン伸びていく現役生も恐れない気持ちになれ、むしろ一緒に合格していく仲間なんだと感じられた。おかげで試験当日のジョルジョも真面目で冷静にデッサン出来たし、大石膏室の騎馬像も感動で泣きそうになりながらカッコイイ素描が描けたし、6年間で1度しか作ったことのなかったハトも心臓バクバクながらも丁寧に当たり前のことをおさえて作れた。
結論を言うと、1年前にすいどーばたの彫刻科に来たことは最終的に藝大合格へと繋がり、正解となった。テクニックに頼った受け身な作品を制作するようになっていた私にとって、柔軟な考えを持ったすいどーばたの周りの生徒の作品や、大勢の講師の適度で質の高い指導、大量の参考作品などは、私自身の表現の幅を飛躍的に広げてくれ、大学に入ってから自分1人で考えて行動していくための責任感と機動力を身につけることが出来た。いい意味で1年間という短い間だけお世話になったすいどーばたと、5年間じっくりと長い間お世話になった以前通っていた予備校無くして6年前に見出した道は存在し続けることはなかった。
ひとことで合格と言っても、人それぞれ受験勉強を始めた時期もきっかけも、受験勉強が終わる時期もきっかけも多種多様だと思う。勉強の仕方も合格の仕方も、志望大学へ臨む人の数だけドラマがあっていいと思うし、これから受験勉強が始まる人は、是非自分だけの合格の勝ち取り方を作り出してほしいと思う。






川合 香鈴さん(2016年 彫刻科)
東京・私立専修大学附属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「向き合う」

周りに甘えて自分を甘やかした1浪、周りを拒絶してストイックに自分を責めた2浪、今考えると、「何やってんだ!」とあの頃の自分に蹴りをいれたくなる。けれど、反面、「よく頑張った!」とチョコを買ってあげたくもなる。3浪目の今年、こんなにも素敵な1年になったのは、間違いなくあの頃の私がいたからだろう。

1浪目の私はとにかく甘かった。周りの人の助け船にふんぞり返って乗った。このまま合格まで導いてもらえると思った。自分と向き合うことなんて、しなかった。

それではダメだと気付いた2浪は、頑固一徹、周りの力なんて借りないと決めた。毎日怖い顔をしていた。他人の言葉に、ほとんど耳を貸さなかった。全部自分でなんとかした、つもりになっていた。
結局、そんなことはなくて、毎日だれかが助けてくれていたけれど。

3浪もしてしまった。でもたかが3浪。1浪目で周りの力を借りることを知り、2浪目で自分と向き合うことを知り、最後に知ったのは他人と向き合うこと。一緒に頑張る仲間、導いてくれる講師、応援してくれる家族。自分と向き合うことが辛くなっても、その時はかわりにだれかが向き合ってくれる。だから自分も、凝り固まらずに他人と向き合おう。ただ、それだけのことだった。技術がどうとか、才能がどうとか、そんなことではない。私に向き合ってくれる沢山の人の中に私自身もいて、だから私もその人たちと向き合う。受験に向かう心が、これでどんなに軽くなったことか。3浪もしてようやく気づけた。間違いなく意味のある3年だった。周りの人たちには長い3年だったと思う。だから、私に向き合ってくれた全ての人に感謝を捧げて、これを、私の合格体験記の「シメ」とさせて頂きます。






小野 海くん(2016年 彫刻科)
兵庫・県立明石高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「受験という美術」

受験はギャンブルではない。本番でしっかりと実力を発揮し合格をつかむ。そのために自分の中にしっかりとしたプロセスを確立する。過程を結果に結び付ける力を。
これが自分の受験でした。
では「実力」とは何でしょうか?自分の120%の実技のことでしょうか。自分はそうは思いません。
大失敗した、あぁもう全然楽しくない、普通になってしまった…って時でもB°を置ける力こそが「実力」だと思います。
これは技術どうのこうのではなく、精神的なことだと思います。

『有為転変を乗り越えよ、不壊不動の境地に至れ。』
これは、毎日毎日色々あるけど、何があってもブレない強い心を持ちましょう。という意味です。
自分は今年、常にこの言葉を握りしめてました。自分が弱いからです。すぐに人に頼ってしまうからです。けっきょく一人です。自分ができることしかできません。こんなの当たり前のことですが、自分を自分だけにするというのは意外と難しいことでした。
天気が、気温が、木炭が、紙が、家族が、講師が、友達が、恋人が…etc.
自分以外に原因を作るのは簡単なことです。しかしそれは自分でコントロールできません。自分の周りで何があろうと、何を言われようと自分以外に期待しない、影響されない精神。コントロールできるのは自分自身だけだという意識が常に必要だと思います。


ここまでに書いたことは、ぼくが2浪して見つけた、ぼくの弱さを克服するために自分に言い聞かせた考えです。
正直、考えすぎだと思います。(笑)
すぐに甘えてしまうので無理して自分を追い込んだりもしました。
ぼくは本来 そんなにストイックな方じゃありません。本音では、楽しいことが一番だ!!っていうタイプです。でもそれこそがもの作りをする上で何より大切なことだと思います。楽しくなけりゃやる意味ありません。
課題である前に美術であること。受験である前に娯楽であることを忘れないでほしいです。
とはいっても 受験ですから独りよがりになってはいけません。 モチーフや見る側に歩み寄ることも必要です。
でもあんまり考え過ぎてもつまらない作品になるし… あぁ矛盾だらけで苦しい、、
自分の世界観と他人の感覚、主観と客観、情熱と冷静、美術と受験、どれも同じことだし両立させるのは本当に大変なことですが、そのバランスを探り当てることこそ自己表現において最も重要で楽しいことではないでしょうか。

受験というのは自分を見つめること、自分を受け入れることだと思います。どんなに見てくれの良い作品が作れたとしても、自分の中の本当の自分と向き合えていなければ合格はできないんだと思います。
いったいなんの順番で合格するのか?きっと上手い人順ではありません。

最後に、今日ここに書いたことは模範解答でも何でもありません。その名の通りぼくのただの体験記です。

自分にしかできないこと、自分にしか作れないものを作ってください。






堀内 万希子さん(2016年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「自分を見つめて」

はじめに、ここに今から書く体験記はあくまで私が感じたことなので「こういう考え方をしなくちゃいけない」とは思わず、こういう考え方もあるんだな、ぐらいの気持ちで読んで下さい。

受験と戦っていく上でぶつかる壁は沢山ありますが、それぞれの壁には共通点があり、
それは「周りに呑まれないこと」です。

高校3年、どばたに通いはじめた当初私は「彫刻科だからこんなデッサンを描かないといけない、こんな粘土付けをしなきゃいけない」という 染まらなければ という思いにかられ、自分の作品に自信が持てずにいました。
しかし時間が経つにつれて気がついたことは、
良いとされているものを描ける、造れるようになることが重要なのではなく、
自分が持っている周りにない良さを引き出し、誰もが納得するレベルまで磨いていくことが重要なのだということでした。

私の「良さ」は高校1、2年生のときに没頭していた個人の作品制作にありました。
コンセプトを考えることや空間を取り入れることに重点を置いた制作、一つ一つの作品に意図をこめて制作することが受験でも活かされ、今回の結果に繋がっていったのかなと思います。

皆さんもゆっくりとした冷静な気持ちになって自身の作品や、今までに体験したことを見つめ直してみて下さい。
きっと他の人にはない、自分だけの良さがあるはずです。 
今見つけられなくても、それは受験当日に発見できたりするものです。
途中で間違っても構いません、3歩進んで2歩下がる。最後には5歩ぐらい進めます。
焦らず、落ち着いた心で修練を重ねていって下さい!






轟木 麻左臣くん(2016年 彫刻科)
東京・都立福生高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「人は人、自分は自分」

周りが羨ましかった
私にないものを持っていた
それがほしくて真似ばかりしていたが
それはあくまでも真似事であって自分のものではなかった

ある時気づかされたのは
自分にしか感じれない作れないものがあるんだということ
自分が持っているものを
腰を据えて地道に磨いていくしかないんだということでした

過程は人それぞれだと思います
私は時間がかかってしまいましたが
早足で通りすぎていたら知らなかったであろう様々な事を学べたと思っています

こんな私を見放さず助言をしてくださった講師の方々、友人達、家族。
成長させてくれた皆さんに
ただただ感謝です

これからも地道に一歩づつ進んでいこうと思います

本当にありがとうございました






山崎 千里くん(2016年 彫刻科)
静岡・県立沼津西高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「自分にあった目標を」

高校生の皆さん大きな夢、目標持っていますか?
僕はもっていました!
芸大への進学はそのための通過点として考えていました。でも漠然と大きな目標をだけを持っていても自分のしなければならない事を見失ってしまうことがあるかもしれません。そこで僕はまずは芸大合格という近い目標を立てそれに向かいまっしぐらに美術に打ち込みました。そしてその中でさらに小さな、前のものよりいいものを描く、造るという目標も立てました。
前の自分に絶対に負けたくない、前の方がよかったと言われたくないという思いがよりいっそうその目標を意識させました。そのおかげか自分でも一枚一枚描くごとに一つ一つ造るごとに自分の実力が上がっている事を実感出来ました。
結局塑造に関しては芸大に受かることは出来ましたが、まだまだの状態です。
ですが芸大に受かったところで終わりではなく、次はまた新たな目標ができ最終的には初めに持った大きな夢、目標を実現出来るようこれからも鍛錬していきます。
皆さんも大きな目標、小さな目標を使い分け無理なく自分モチベーションを保ち美術に打ち込んで下さい。






木村 知史くん(2016年 彫刻科)
京都・市立銅駝美術工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
東京造形大学 彫刻専攻領域
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「すべてを味方に」

知っている人や知っていない人もいるかもしれませんが、彫刻科では粘土で作品を造る時、芯棒というものをつくります。
この時しっかりしておかないと重さで像が倒れたり落っこちたりしてしまいます。
僕はある日芯棒の芯を”心”という字で書いて人から「芯と書かないの?」と言われました。どちらもほぼ同じ意味なのですが、僕は心の方が気に入って使っていました。なぜだろうと考えると作品を造ることと自分の心に大きなつながりを感じたからだと思います。
人の心も彫刻と同じで”心棒”がしっかりしていないと大変だということです。
僕はその心の問題で一浪の時に大きく悩み、そのまま二浪をむかえました。
技術だったりおさえるべきポイント、人から見てどう思われるか、そんなことばかり考えながら制作していました。
ですが結局は見抜かれてしまいます。
自分のやりたいこと、主張、そして心がぐらついていたのです。
視点が無い、強さが無い、それは目に見えない形で自分の作品に反映されていました。
ではいったい何がそうさせているのだろうと考える、、、
そもそもなぜ東京芸大に受かりたいのか
自分の彫刻を見る態度はどうだろう
彫刻がなぜ好きなのか
どこで彫刻を知ったのか
自分はどこで生まれどこで育ち今に至るのか
そういう生い立ちみたいなものまで視野を広げて感じてみる。
そしてそこから生まれるネガティブやポジティブな感情、、、
肝心なのはそこから自分が何をくみ取って強い心(芯)をつくりあげるか、
それは人ひとりによって違います。
でもそれを考え始めたら最後、制作に対しての劣等感や不安、ネガティブな考えは吹き飛んでいました。
自分の過去に対する感情は簡単に変えられるものでは無い、それならいっそすべて自分の味方にしてしまえばいいと思ったのです。
そう思えたのは先生や仲間が集まる空間としてのすいどーばたがあったおかげです。純粋にやりたいことを探求できる時間、外に出て作品を鑑賞する時間、たわいも無い話をする時間、悔しい時間、感動する時間そういった時間たちがこの学校には流れている、そしてそこで磨かれた感覚は自分は大切にしなければならないと思っています。
改めてすいどーばたにありがとう!
そして地方からもし来るか来ないか迷っている人は、ぜひ見に来てください。
きっと発見があると思いますよ!






葛城 龍哉くん(2016年 彫刻科)
埼玉・私立浦和実業学園高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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「道のり」


自分は小さい頃にものを作るのが好きな子供でアーティストになるという漠然とした夢をもっていました。
小学校のときは特に絵画が好きで、父親にダリの画集を買ってもらったのを覚えています。
しかし、中学校に入ると美術の授業は週に1時限となり、美術に触れる機会は減ってしまいました。(このときの夢は宇宙飛行士でした。)
自分は美術系の高校に入ろうと考えていたのですが担任や親は普通の高校に行けと言い、自分は普通の高校に行きました。ですが、そこには美術の授業はありませんでした。
自分は理系の道に進み普通に勉強して普通の理系の大学に入り普通の企業に就職するつもりでいました。
しかし、大学の試験中にこのままこの大学に入って4年間過ごしてそこそこの企業で働くことを本当に自分が望んでいるのかと疑問に思い本当に自分が小さいときからやりたい事が美術であったことを思い出し数学の答案を白紙で出しました。

ここから自分の「どばた」での浪人が始まりました。

親は自分のことを理解してくれて浪人することを許してくれました。本当に感謝しています。

どばたにとりあえず体験入学に行きました。
自分はそこそこ絵を描くことに自信を持っていましたが、どばたの体験入学で衝撃を受けました。ブルータスの首像を鉛筆でデッサンしました。何時間で描いたかは覚えてないのですが最後に講評があり体験で来ていた人のデッサンが並べられたときに自分より上手な人がたくさんいてこれまで感じたことのないほどに劣等感を物凄く感じました。
どばたの帰り道に自分はあんなやつらに勝てるわけないと思いました。
その後右も左もわからない世界だったのでどばたの基礎科から入ることにしました。木炭で描くということにカルチャーショックを受けました。基礎科に入って1ヶ月もせずに自分はすぐに受験のために昼間部に行きました。

昼間部の人たちは体験入学で見た人たちや基礎科の人たちを遥かに上回る実力でもう少し基礎科で基礎を身につけるべきだったなと後悔した反面かなり刺激になりました。
0の状態からスタートした浪人生活の中で日が経つにつれてデッサンも粘土も経験を積めば変わっていくことを知り、同年代の人たちと実技で張り合えるようになることが最初のどばたでの自分の目標でした。
デッサンや粘土はうまくいかなくてもいままで疎遠だった美術の世界に触れていることが自分はとても楽しく嬉しく思いました。
始めたばかりのときは自分の日々の成長が手に取るように実感できて本当に楽しかったです。
入試直前にはそこそこ力がついてきたのですが最初の受験は失敗しました。一次落ちでした。
当たり前の結果だったのでショックは感じませんでしたが個人的には1年だけ勉強して入れたらかっけーなとか思ってました。

そして、二浪が始まります。

春季講習、円盤投げのトルソーを模刻したのですがもはや模刻になっておらず春季講習の中盤からもう苦痛でした。
しかし、大きなものを作ったおかげで粘土のみせかたが変わりました。いままで小さな凹凸ばかり気にしていて全体性を欠いていたのを解決させてくれました。失敗したとはいえ春季講習で大きなものをやっといてよかったなと思います。
春季講習が終わり普通に昼間部が始まると二浪としてのプライドみたいなものを感じました。同年代の人たちはみんな上手でいつも尊敬していました。
そんな同年代の人たちや先輩たち、後輩たちと仲良くなりいろんな人の実技をみてたくさん刺激を受けられたので本当にすいどーばたでよかったと思いました。
二浪の模擬試験でデッサンがあまりうまくいかずぎりぎりの一次突破でしたが粘土で高く評価してもらい結果は学科落ちでしたが3位でした。とても嬉しかったです。今まで以上に努力が実ったのを実感しました。
そのときに模試の結果を見に来ていた基礎科の時の講師の方に学科落ちを爆笑されたのですが一次受かれば受かるってことじゃんと言われかなり励みになりました。
それ以降はなんの根拠もなく一次突破したら自分は合格すると信じてやっていました。
二浪の入試直前の時は一浪のときよりも緊張してデッサンコンクールでクソみたいな結果を連発しました。

そして受験が始まったのですが、二浪の受験はいろいろと事故がたくさんありました。
まずはじめに受験票がなかなか届かず受験票を再発行して送ってもらいました。
つぎに、一次試験の3日前でした。朝から気持ち悪かったのですがコンクールの素描がある日で3時間だけなら耐えられると思ったので電車で池袋に向かいました。電車ですでに胃がむかむかしていて吐けば良くなりそうな気がして池袋に着いてすぐコンビニのトイレで吐き少し楽になりました。どばたについて素描の課題が出て自分の指定された席につくと尋常ではない頭痛がし、鉛筆を持つ手が動きませんでした。これは描けないと思い中断し、家に帰り、病院に行き、ウイルス性胃腸炎と診断され、38度の熱を出し、嘔吐+下痢の猛攻を受けました。
結局、2日後熱も下がりほぼ良くなったのでおぼつかない足取りでふらふらしながらどばたに向かい試験前最後のデッサンを描きました。
そして試験当日、再発行の受験票を握りしめ一次試験に臨みました。
デッサンは大分序盤で紙の目が潰れてしまい焦っていました。
そんな時にふと三浪することが頭をよぎりました。またセンター試験を受けなければならない。ふざけるな!と思い必死になって描きました。
結果、可もなく不可もなくというようなレベルのものを置いてきてしまい帰り際は本当に死んだ魚のような目をしていたと思います。

一次の発表が自分の中ではほぼすべてだったので発表があるまで本当に緊張が続きました。

発表当日は会場で自分の番号をみつけて本当に安堵しました。と同時に本当に喜びました。

もう後は肩の力を抜いて二次試験に挑むだけだ

そう思ってました。
いざ2次試験が始まるとほぼ伝説のように言われていた大石膏室での素描で緊張と興奮で手が震えました。
3時間本当に楽しかったです。こんな経験二度とないと思うので本当にいい経験ができました。デッサンであまりいいものを描けなかった分素描と粘土で巻き返さないとと思ったのですが素描もあまり満足のいくものは描けませんでした。
粘土は模刻だったらある程度は出来たので模刻が出ることを願っていたのですが
、鳩でした。
ナマモノがあまり得意ではなかったので泣きそうでした。
しかし、講師の方が何が出てもガッツポーズしろと言っていたのを思い出したので、とりあえずガッツポーズしておきました。
自分は鳩は軽く足回りの空間が重要な鳥だと思っていたのでまず小割りを縦に4等分して建てた芯棒をつくりました。
モチーフの鳩は痩せていてとてもカッコよかったのですがあまり鳩らしくないと自分は感じました。
昼休みに昼飯を忘れていたことに気づいたのですが胃腸炎の影響かあまりお腹が空いてませんでした。しかし、何か食べないとだめだと思い友達にサンドウィッチを分けてもらいました。
午後、アトリエに入るとモチーフの鳩が太っていました。自分の中では衝撃的なことでした。鳩はこんなスピードで太るのかと。
ですが、午後の鳩のほうが鳩らしいと思ったのでプランチェンジしました。
大幅なプランチェンジのせいで鳩の全体像がおかしくなり結局残りの30分くらいに安定し始めました。
最後まで粘土を動かしていた記憶があります。

最終合格発表の日
1人で音楽を聴きながら電車に揺られて上野に到着。
正直ダメだと思っていたので変な気持ちで会場に向かいました。
上野公園を歩いていると合格の袋を持った人、何も持たずに泣いている人。日曜日で人が多かったのですが受験生たちは一目でわかりました。今まで味わったことのない緊張感を感じました。会場に着くまで吐き気がすごかったです。
会場についてから自分の番号があり信じられずに七度見くらいしました。
イヤホンを外すときに手が震えていました。嬉しいと同時に複雑な気持ちになりました。一緒に頑張ってきた仲間全員が入れる訳ではないという現実を見ました。
書類を貰いに中央棟にこそこそ向かっていたら講師に見つかり飛びつかれました。嬉しくて嬉しくて言葉にできませんでした。
これまで応援してくれた家族とすいどーばたに本当に感謝しています。

ここまでが自分の合格までの道のりです。

長くなりましたが
何を言いたいかと言うと
夢のために努力すれば夢に限りなく近づくことが出来るということです。

何ごとも諦めずにやれば必ず人は上達する。

自分は2年間すいどーばたで過ごしてそう思いました。
あと、
実技をする上で自分が大事にしていたことは
「見えたものを見えた様に表現する」ということでした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

2015年06月10日

●現役芸大合格者に聞く!

「インタビュー企画第28弾」

〜 榎田進之介(東京藝術大学大学院1年)×冨田佳菜子(すいどーばた講師)〜

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冨田(以下:冨)どうもこんにちは。前回に引き続き、インタビュアーは夜間部の講師の冨田がやっていきたいと思います。今回のゲストはすいどーばたの夜間部に通い、現役で芸大に合格した榎田くんです。ちなみにわたくし冨田の同級生でもあります。それではさっそくインタビューを始めたいと思います。

榎田(以下:榎)こんにちは〜

冨:さっそくですが榎田くんに受験についてや色々な話を聞いていきたいと思います。先日講演会という形で夜間部でもお話ししてもらったので話が重複するところもあると思いますが、もう一度伺いたいと思います。
まず、彫刻を目指そうと思ったきっかけはなんですか?これは聞いてなかったですね。

榎:高校の先生が彫刻専攻だったということもあって、そこの誘導的なところもあるけど、
彫刻家になりたかったというよりは、高校2年の頃にダミアンハーストにめちゃくちゃ憧れてる時期があって。
こういうアーティストになりたいって思ってたら、「これも立体(彫刻)だからね。」と高校の先生に。
まぁ最近の現代アートって、絵も描くし立体も作るし、、マルチプレーヤーが好まれてるから、まぁ一番アーティストになるために勉強するべきなのは立体を作る能力だったり、空間を作ってく力だと思って。彫刻に入って、彫刻を作りながら絵を描く、というのと、絵画に入って絵画をしながら彫刻を作るのだったら、彫刻に入って絵画を描くって方が、できるような気がしたの。

冨:たしかに立体感覚とか空間把握能力は大切だよね。今は何とも思わずに立体を把握できるけど、高校生の時とか立体感覚ってまったくわからなかった!見え方が全然違うよね。本当にそう思う。

榎:その時は本格的に彫刻って決めたわけじゃなかったけど、とりあえず予備校の彫刻科に通ってみて、石膏デッサンとか自分に合ってると思ったからこれだったらこの勉強を続けていって合格できるんじゃないかなと思って。

冨:受験を意識し始めたのはいつ頃ですか?

榎:高校二年生の時にタチビの夏期講習に行ったなぁ。受験のコースだったからかなりピリピリだった。その時のタチビはとにかく放置するような指導方針で全然何も教えてもらえなくて。心棒の作り方とかシュロ縄こととか。まぁ優しい浪人生に教えてもらいつつやったなぁ。

冨:タチビの後は学校?

榎:うんそう、学校が美術系だったからね。学校で描いてた。あと担任の先生がかなり厳しかったし。予備校より全然厳しかったから。

冨:そんなに?(びっくり)

榎:すごいよ、めっちゃ怒られる。描ける描けないじゃなくて、本当に精神的な面でめちゃくちゃ怒られる。なんでそんな怒られなきゃいけないんだよって思ってた。

冨:おおそうなんだ!そういう気持ちが大切なんじゃない?なんでこんなにって思わせるような。

榎:まあね、結構本気でこっちと接してくれるから、こっちも応えなきゃいけないと思ってたし。
ある日突然学食でお昼を食べ終わって同級生と話してたら突然その先生が来て、いきなりめちゃくちゃキレだして。

冨:え?!急に?なんで?

榎:お前ら気合が足りない、こんなんで芸大受かろうなんて思ってんじゃねえぞって
お昼ご飯食べて、時間を一分一秒無駄にできないと思ってないようじゃ受かるわけない
昼ごはんを食べる時間も惜しんで、お腹空きすぎて食パン食べながらデッサンするってくらいの気合がないと受からねぇって言われた。

冨:すごい!スパルタですね〜。でも私もそんな感じだったよ!普通科だったし地方だし、自分でやるしかなくて。朝早く起きて学校行く前に家でデッサンして、学校開いたら学校の美術室で描いて、自主勉の時間も教室を抜けて美術室で描いて、お昼休みもちょっと描いて、部活時間も描いて、家に帰ってご飯を食べたらまた少し家で描いてから、寝る、みたいな。そしてまた朝早く起きる!

榎:俺は家では描いてなかったけどね、まぁ学校の門の前で朝は待機する感じだったね。
じゃないと先生に怒られる〜って言って。俺も5時くらいに起きてやってた。

冨:良い先生。そうやって怒ってくれる人がいるっていいよね。一人では出来ないこととか気づけないこととかあるし。
やっぱ言う時は言って、思ったこと言わないと結局学生のためにならないよね。

榎:まぁね、ずっともうほとんど常に怒られてたけど。
受かってからはやっぱりすごい感謝してるから、いいんじゃない。
予備校初めて行った時、甘くてびっくりした。

冨:では学校でやりつつ、高校三年生になました、それから?

榎:高3の春季はシンビに言って、今の同級生と出会った(笑)
シンビも優しくてびっくりしたね。講評も優しいし、心棒の作り方からあら付けの仕方まで丁寧に教えて貰った。
その時に初めて色々教わったかな。まぁもともと高校が主体で、いろんな予備校に通ってるやつを倒しに行くって意識で行ってたけど。
まぁそのあと夏期講習でどばた行ったね。やっぱ人数も一番多いって聞いてたし。
コンクールとかできっちり順位つくってのとかもやっぱ人数多くていいし、常に現役一位でいようと思ってたから。
現役の中で一番だったら受かるだろうなって。

冨:私は現役生の時、浪人生以上にやらないとって思ってた。

榎:まぁでも感覚が違うと思うんだよね、浪人生とは。
あんまりこう一緒に合わせて戦うってのも、もはや成り立たないんじゃないかなって思ってた。

冨:確かに!私も良くわかんなかった。現役生の時冬期講習のコンクールで良い順位が取れたんだけど、1位から10位くらいまでの割と評価されているデッサンの何が良いのかわからなかった。とりあえず見て描いただけで結果だけ良くて、嬉しいな〜みたいな。

榎:現役の人は自分と土俵が一緒なわけだから、同じゲージで戦えるからね。いつから始めようが、みんな受験したことないわけだし。
とにかく、自分なんかじゃ無理だって思わないで欲しいかな。自分とまったく同じ立場の人たちなんだから、その中で一番を目指せばいいことなんだし。

冨:では、受験当日や入試直前の話を聞いていきましょう。
入試直前は現役生ってすごく伸びますからね。

榎:いや、ほんと伸びるね。ほんと1日1日変わってくよね。

冨:前日はどうだった?
ちなみに私は前日にカツカレーを食べました!ゲン担ぎ。

榎:前日は円盤投げ描いたな。円盤投げ好きだったし、円盤投げでも描いて気合だすかぁーって。
まぁでもその一枚でもいろんなことわかった。
本番は全然緊張してなかったの覚えてるなぁ?。もともと緊張しないタイプだからなぁ。
そういえば私大も受けた!芸大を受かる為に、肩ならしというかリズムを作る為に、私大受けよっかなって。
それが成功してたのかわかんないけど。
別に多摩美武蔵美落ちようがね、関係ないよ。
武蔵美補欠30番台だったけど、まぁ武蔵美の試験向いてないなぁって思ってたし。
あくまでウォーミングアップだったから結果は気にしてないな。

冨:さすがですね〜。わたしは一本だったけど、結果が出たら気にしちゃうかも。

榎:まぁ本気で自分のこと考えられてて、芸大より私大が自分にベストだと思ったらそっち行けばいいと思うけどね。
俺はアーティストになりたいって気持ちがあったし、その為には芸大が一番いいって思ってたし。
自分の将来のことを考えて大学を選ぶってことが本当に大事だと思う。
自分の将来についてしっかり考えたほうがいいと思うよ。
まぁ作ることが好きでとりあえず何か作ってたいって人にも芸大はいいと思うね。大学入ってからの課題とか少ないし。
就職するにしても、肩書きはあるしね、いいと思うよ。

冨:なるほど、確かにそうですね。
しっかり将来を意識して計画的に考えてて、すごいなって思います。同級生ながら感心、、、。

では最後にみんなに何かアドバイスがあればお願いします。

榎:まぁほんとに自分で考えることかな。
伸びるのが遅い人は頑固な人が多いと思う。固定概念を変えられないっていうのがね。
だから今まで自分が信じてる何かがあったとして、それで自分が伸び悩んでるとしたら、なるべく早く変えなきゃいけないわけだから。
うまくいってないなら、いままで思ってたこと全部勘違いかもしれないと思って柔軟に対応できないと。やっぱ常に柔軟に考えることが大事。
自分に今これが必要なのか、冷静に判断して、違うんだったらすぐにやめれないと。
だから固定概念が強い人って間違ってることを変えられないし、間違いを間違いと認めたがらないんだよね。
冷静になって考えを整理しないとね。

冨:それ大事!

榎:自分が間違っていることっていっぱいあるって思ってないと。

冨:そうだよね。

榎:先生の言うことを全部鵜呑みにするんじゃなくて、知識として保管するって感じかな。
まぁとにかく自分にとって何が必要かを考えるってことが重要なんじゃないかな。
で、それが合ってたら、受かる。

冨:受かる為に、どうするかってことですね。
あとは、楽しく描くこと。意識してましたね。

榎:それ大事だね。気持ち大切だよね。

冨:うんうん。
現役生にしろ、浪人生にしろ、その場で感じた気持ちや感動を大切にいつも新鮮な作品を作っていってもらいたいですね。
というわけで、たくさんお話しを聞かせてもらいました!榎田くんありがとうございました!

とても色んなお話が聞けました。学生のみんなも、すこしは参考になったのではないでしょうか?
もうすぐ夏季講習も始まります。今の自分には何が必要なのか、しっかり考えて取り組んでいこう!


榎田くんの試験前日のデッサン
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2015年04月22日

●歴代現役生の芸大合格体験記

「インタビュー企画第26弾」
 歴代の現役合格者体験記特集

2007年度からこのdobachou.netを始めましたが、当時の合格体験記まで遡りそこから今年までの中で現役で東京芸大に合格した人たちの体験記をピックアップしました。

基礎科から始めた人や、通信教育の人、短期間で合格した人など、それぞれの過ごし方や考え方がありますね。
現役生、高校1.2年生、是非読んでみてください。






2007年
大石雪野(2007年彫刻科)
神奈川・県立神奈川総合高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
東京造形大学 造形学部美術学科 彫刻専攻
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『前進』


  私がすいどーばたで過ごした2年間の中で、最も意義があったのは、自分を高めるための行動を惜しまなかったことだと思っています。
 彫刻が強いのは「どばた」と聞いて、矢も盾もたまらず以前通っていた予備校をやめ、すいどーばたの門を叩いたのは、高校2年の春でした。私はまだ受験生ではありませんでしたが、できるだけ早く、多くの経験を積みたいと思い、その頃から夜間部に通わせていただきました。それからはただひたすらに彫刻と向き合う毎日でした。自分の課題をひとつひとつ駆逐していき、着実に上手くなっていく手応えを感じられ、とても楽しい日々を過ごしましたが、その一方で、自分の作品がだんだんと技術に凝り固まり、色褪せていっているという事実に苦しまされることになりました。そんな中助けられたのが、友人や教師の存在です。彼らに、時には力を抜き、素直に感動することの大切さを教えられ、最後には克服することができました。「どばた」で得た人とのつながりは、何にも代え難い宝になったと思います。
 私は常に危機感を抱えていました。いくら実力をつけても、満足できたことは1度もありませんでした。自分はもっと成長できる、と信じる事が、私を支える力となりました。これからも自分の可能性を信じ、生涯邁進し続けたいと思っています。






2008年
北田匠(2008年彫刻科)通信教育生
岩手・県立不来方高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『冷静と情熱の間を』


「冷静と情熱の間」入直の間、その言葉ばかりとなえていた気がする。地方ということもあって2年の始めから通信と講習会を受講してきた。3年の冬季頃には安定した実力もついてきて自信もあったが、センターを終えて入直にくると周囲がかわっていた。浪人生は今まで見たことのない馬力できてるし、現役もノーマークの奴らがやたらと上手くなっていて急に焦った。がんがん伸びる周囲の中で、安定はしていても伸び悩む自分。いつその伸びが自分に訪れるのか不安だった。目も利くようになってこのまま入ってもいいのだろうかと迷っていたとき、自分が逃げていることに気付いた。そんなことを言ったって仕方ない。今ここで受からなきゃ後悔する。勉強は一生していくもので、今を生き抜くことが大切なんだって気付いた。それから本当の受験が始まった。自分のために描こう、作ろうと思った。誰かに勝つためでもなく、誰かを喜ばすためでもなく、自分が納得するために。そうするうちに、色んなものが見えて、何もかも楽しくて、誰よりも自由に駆け回りたくなった。作品を作る上で大切なこと、それがこの言葉「冷静と情熱の間」だった。冷静にならなきゃ見えるものも見えないし、本当に伝えたいことも伝えられなくなる。かといって冷静になり過ぎてもつまらないものになってしまう。情熱的にただうちこめば良い訳でもない。その2つのバランスが絶妙に調和した時初めて、本当に自分の伝えたかった言葉が相手に伝わってくれる。よく感じ、よく観察し、思ったことを丁寧に、大胆な方法で伝える。そう出来るようやってきました。
 受験は人が決めること、そこで悩むより、貪欲に学びにいく方が実は重要だったり。
 芸大合格は自分にとってのスタート地点。どばたの存在が自分に有意義な時間を与えてくれた気がします。世界一の彫刻家になれるよう頑張ります。






2009年
相澤亮(2009年彫刻科)
埼玉・県立大宮高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科


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『悩んでる暇があったら手を動かせ!』


 僕がどばたでの生活を通して常に意識していたことは、自分を慰めないということです。夏季講習会を終えたとき、僕はそれまで自分が思っていたよりも、自分の実力はかなり低いというキツい現実を受け止めなくてはいけませんでした。このままだと、浪人してから「そう言えばあの頃は現役合格なんて夢見てたなぁ」なんて思い出すことになりかねない。かなりガックリきて落ち込みながらも、ここで自分を慰めたらだめだと思いました。ここで安心したって何の解決にもならないし、むしろ問題から目を背けることになる。実力が低いという問題が見えて落ち込んでるんだったらやるしかないじゃん!実技の悩みは手を動かして解決するしかないんだ!と半ばやけくそな気持ちになって2学期を頑張りました。やけくそになって頑張る熱い気持ちと自分を突き放して見る冷たい気持ち。この2つの気持ちをバランス良くコントロールすることが大事。ただ冷たすぎてもつまらないし、ただ熱すぎてもいいものはできない。2学期を頑張るうちにそういうことにも気がつきました。
 実力を上げなくてはいけないという問題の他に「波」をなんとかしなくてはいけないという問題がありました。僕は気分屋なところがあり、いい時と悪い時の差が激しかったのです。いくら実力をつけたところで本番で実力を出せなければ何の意味もなくなってしまう。そう思ってかなり焦っていたんですが、ここでも自分を慰めないということが解決の鍵だったと思います。上手くいった日には上手くいったところは素直に喜びつつも過度に調子に乗らないように気を付け、上手くいかなかった日には、上手くいかなかった原因を分析してみることで感情的に落ち込まないようにしてできるだけ毎日落ち着いて生活するように心掛けました。
 結局、どばたでの生活は自分を知ろうという模索の連続だったと思います。自分の能力を最大限引き出すには自分という人間を客観的に把握していないとできないはずです。僕はどばたでそういうことに気付いて少しは大人になれたかなと思います。






2010年
村田 勇気さん(2010年彫刻科)
富山・県立高岡高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『限られた時間の中で』


私のスタートはかなり遅く、実技に本腰を入れるようになったのは高校3年生の秋。塑造に取り組み始めたのもこの時期からでした。
 それまでは普通の進学校に通いラグビー部に所属し活動する傍ら、空いた時間にデッサンを重ねていたのですが、力試しに当校の公開コンクールに出てみたところ、当然の如く揮わぬ成績に終わり、大変悔しい思いをしました。それを契機として本格的に志望先へと焦点を当て始め、当校の冬季及び入試直前講座を受講するに至りました。
 受験までのごく短い時間と、圧倒的な経験不足という致命的とも言えるハンデの中、いかに他の受講生たちと比肩し得るレベルまで自分の実力を高めていくか。それが私にとっての最重要課題だったのですが、その際に実践したのが以下の4点でした。1.1日あたりの実技の絶対量を増やす。2.講師陣の指導を徹底的に実践する。3.周りの生徒のテクニックを接収する。4.参考作品を徹底して分析する。
 一見すると当たり前かつ簡単すぎる内容なのですが、、これらが絶大な効果を発揮するに充分な要素がすいどーばたには凝集されているのです。1〜4におけるそれぞれの具体例を挙げるならば、以下の通りになります。1.早朝も夜間もアトリエを使用できる。2.優秀な講師陣が熱心に指導して下さり、力をつける上での具体的なアプローチを提示して下さる。3.全国から実力者が集っている。4.膨大な資料がジャンル別に整理されている。
 このように優れた環境に囲まれていたおかげで、2ヶ月弱という短い時間の中でど素人からそこそこのレベルにまで力をつけることができました。
 こんな環境を利用しない手はありません。あなたも今スグすいどーばたへGO!!






2011年
榎田 進之介 さん(2011年 彫刻科)
東京・広尾学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
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『出会い』


 ボクの体験記は芸大の1次合格発表の日からはじまります。その日ほど芸大に合格したいと思った日はないし、今まで芸大を目指してきたくせに、その日ほど芸大の厳しさを知った日はないからです。1次発表の当日、ボクは少しドキドキはしていたもののわりと楽な気持ちでその日を向かえていました。芸大の勝負は2次、1次は突破して当たり前と思っていたからです。甘く考えていたわけではありません。すいどーばた美術学院に通い、参考作品もたくさん見て、これが芸大に受かるデッサンなんだと理解してたつもりでした。その上で、1次試験前のすいどーばたのデッサンは現役、浪人ともにいままで見たことのないような素晴らしいものが並び、あまりの迫力にボクは本気でこれはほとんど全員1次合格しても全然おかしくない、自分も絶対その中にいなくてはと思いました。
 あっという間に1次が終わり発表の日、予備校の仲間たち数人と発表を見に行きました。その中で1次合格はボクだけでした。えっなぜ?みんなあんなに頑張ってたのに、すごい上手いのに、仲間たちは自分のくやしい気持ちをおさえボクに頑張れと言ってくれました。芸大の厳しさが改めてボクに重くのしかかります。みんな粘土もとても上手いのに、当然2次試験で競いあうことになると思っていたし、誰が芸大に入ってもおかしくないと思っていたのに、こんなにも厳しいなんて、ずうずうしかったかもしれませんが、みんなのくやしい思いの分もボクが合格してはらすしかないと本気で思いました。
 2次試験当日、手が出たらあの人、首像はあの人、構成はあの人、と仲間を一人一人思い浮かべます。予備校の先生、高校の先生、学校のみんな、家族を思い浮かべます。そうして挑んだ2次試験は今までとはくらべものにならない作品をボクに残さしてくれました。この結果に導いてくれたすべての出会いに深く感謝します。ありがとうございました。






2013年
室井 颯輝くん(2013年 彫刻科)通信教育生
香川・県立高松工芸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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(入直のコンクールで浪人生を押さえ2位に食い込んだデッサン。上手いというより素直なデッサンですね!)




『見ること』


 私は、高校2年の夏季講習会で初めてすいどーばたに行きました。それまで地元の高校でしか作品を作っていなかった私にとってすいどーばたの空気はとても新鮮に感じられたことを覚えています。そしてその中で私は、自分には明らかに力が足りないことに気がつきました。その後、高校に通いながら通信教育を受け、講習会の度にすいどーばたに通い、できる限りの努力をしました。コンクールの結果もある程度ついてきたこともあり、実力はかなり付いてきたと思っていました。
 しかし、冬季講習の中頃、私はかつて無いほどの不調に陥りました。
デッサンが納得いかないまま時間が過ぎ、途中で終わる。そんなことを何度も繰り返しました。原因はおおよそ分かっていました。テクニックに頼りすぎたデッサンに限界がきて、崩壊していたのです。ある先生に、「今お前のデッサンが途中で終わるのは自分でどこか引っかかってる部分があるからだ。そこで自分の手を頼るんじゃなく、目でしっかりモチーフを見て描いて欲しい。途中で終わるのはお前の目が正しい証拠だ。」と言われ、この時から意味も分からず「モチーフを見る」ということを常に課題にして作品を作りました。
初めは上手く行かず、見るってなんだ?としか思いませんでした。
しかし、少しずつモチーフを見ることができるようになってきて自分の作品がよくなっていきました。自分が納得できる「作品」を作りたい。そんなことも考えながら作品を作っていると、気づいたら、今私が作品を作る上で一番大切にしたいと思う、「モチーフを見てその感動を写し込む」ということが出来るようになっていました。
しかし、1人じゃ絶対にここまで来ることは出来ませんでした。こんなに素晴らしい事を気づかせてくれたのはやはり、今までに出会ってきた先生であり、ライバルであり、支えてくれた人々です。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!







2014年
笹野井 もも さん(2014年 彫刻科)通信教育生
静岡・県立清水南高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『今できることを』


私は地方の美術科のある高校に通う高校生でした。高校の先生に勧められて高校2年の夏から、何度かすいどーばたの講習会に行くようになりました。
そして高校3年の秋からは高校に通いながらすいどーばたの通信教育を受け始めました。朝早く高校に行って誰もいないアトリエでこそこそデッサンを描きました。
私は高校とすいどーばたでは指導内容や雰囲気が大きく異なるように感じていました。
自分の作品に対して多様な意見が聞ける良さと、何を吸収し次の制作に活かすべきか自分で選択しなければならない難しさがあり、2つの場所で彫刻を学ぶ上で考え悩むことがたくさんありました。
しかし入試でどんな結果が出ようと後悔や言い訳をしたくないし、良い作品を制作するために出来ることはなんでもやりたいと思って通信教育をつづけました。
入直に入ってからは、すいどーばたで一日中制作する毎日で、
通信教育では添削してもらう機会の少ない塑造が著しく良くなっていくのを感じました。
しかしこれまでがんばってきたデッサンはなかなか伸びず、
結局入直最後のコンクールまで、納得するものが描けませんでした。
先生に「自分に不足しているものに気をとられ過ぎている」と言われ、
自分がビビっていることに気づきました。
先のことはなるようにしかならないし、
いま出来ることをやるしかないじゃないかと
開き直ったら、とても気が楽になりました。
そして一次試験の3日前になって、
ようやく自分がいいなと思うデッサンが描けるようになりました。
これからも自分が納得できる作品を、
楽しみながらつくっていきたいです。
これまで私に様々な影響をくださったすべての方に感謝します。






2015年
中村 那由多さん(2015年 彫刻科)
東京・都立荻窪高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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『合格体験記』


・受験前
 私のどばた体験は中学2年の夏季講習が最初です。高2からは油画科(基礎)に在籍していました。小学4年で油絵を習い始めて以来、ずっと油画指向。彫刻とはまったく縁がなく、紙粘土すらろくに扱ったことがなかったのです。それが、高2の春季講習で彫刻基礎を体験し、高3を彫刻科夜間部生としてスタートしました。転科して1年で合格するまでは、様々なエピソードがあったのです。
 それをすべて書くとキリがないので、受験直前からの出来事を実況風に綴ることにします。
 冬季と入試直前講座では、昼間部・夜間部・ときどき残業(自主クロッキー部)をこなしていたのですが、私にとって一番難しかったのは「彫刻的な」デッサンを描くことでした。そして、ついに3月に突入。
 夜間部で、石膏デッサンをしていた時のことです。ある先生が突然、
「キミ、背景付けなよ」
「……(えっ、いやいや、このデッサンあと2時間しかないんですが。それに一次まであと3日なのに今さら描き方を変えろと!?)」
「付けなよ」
「………………」
 と、言うわけで、石膏像に背景を付けるという油画時代の描き方に戻してみました。が、やはり(彫刻では背景を付けたら受からないのでは)と不安でした。
 でもそんな時、また別の先生が、「描き方なんて考えなくて良い。感じたままに描くんだ」と教えてくれました。おかげでその翌日、つまり一次試験の前日には、スッキリした気持ちで、私本来の描き方が出来た気がします。

・受験中
 私はトルソーが苦手で、一次試験の前日の夜、「神様、円盤とアムールだけは出さないでください」とお祈りしました。しかし、一次の課題はまさかのアムール。あんなに祈ったのに! すでに描く前から涙目になっていた私ですが、どばたの先輩に「ま、難しいほうに考えるな」と励まされ、どうにか冷静に画面に向かうことが出来ました。
 幸運なことに、試験場の重厚な空気感は私を落ち着かせてくれました。この空間を感じながら背景を付け、最後まであきらめずに描こう! と思った矢先。消しゴムペンの調節をしていたら、壊れちゃったのです。……正直、あきらめかけました。しかしその時。近くにいたどばたの仲間が、余分に持っていた消しゴムペンを1本貸してくれたのです。
 これで落ちたらカッコ悪すぎる! と描きまくり、一次を突破することが出来たのでした。助けてくれた仲間たちには足を向けて寝られません。
 二次試験の素描課題は、与えられた素材で立体をつくり、描くというものでした。私は気合いを入れて立体をつくり、それを遠くから眺めて(うーんカッコいい)と悦に入りました。その時点で30分経過していることに気づき、あわてて描き始めるというボケをやらかしましたが、一次に比べると落ち着いて作業出来たように思います。
 その夜、急な喉の痛みと発熱で救急病院に駆け込み、迷惑がられたのが唯一のトラブルと言えるでしょう。
 そして翌日、いよいよ、二次の塑造です。課題はアムール。(またお前か! 出たがりか! もしかして、私が出るなと言ったから怒ってるのか!?)と、軽くツッコみたくなりましたが、一次の時と違って、この出題を楽しんで受け入れることが出来ました。一次の時に励ましてくれた先輩に、謎のテンションで話しかけてしまったほどです。
「先輩、アムールですよ!」
「……う、うん、そやな」
と、微妙に引かれましたが、そのくらい落ち着いていたのです。
作業中は、彫刻的な仕事がどうこうよりも、アムールの美しさや、佇まいの上品さを、拙いなりに表現することしか考えませんでした。このときの私は、「感じたままに描く」という先生のアドバイスを、無意識に実行していたのかも知れません。

・発表
 そして発表日。13日の金曜日、うららかな上野公園内を通って、母と一緒に(どうせないんだろうな)と重い足取りで会場に向かいました。門を入り、掲示板に目を凝らすと、……あった。いやまさか、いやいやいや、と受験票を確認すると、やっぱりある。それでも信じられず門まで戻って、守衛所の係の人に訊ねました。
「番号あったらどうしたらいいんですかっ?」
「中央棟に行って手続きをしてくださいね」
と、落ち着いて道案内をしていただき、中央棟へ猛ダッシュ。書類を渡してくれるお姉さんに、
「本当に私の番号ありますか?」
「ありますよ、大丈夫ですよ(ニッコリ)」
と、ここでもまた慣れた対応をしていただき、桜色の袋を受け取って呆然とどばたに向かい、先生がたに背中をバンバンされ、ひとまず激動の受験生活が終わったのです。

・あとがき
 ダラダラと書いてきましたが、受験、楽しかったです。二次試験の昼休みに木彫室の木屑だらけの床に直に座ってお弁当を食べたのも、なんだか遠足気分でした。でも、そう思えるのも、私の受験生活を支えてくれた人たちがいたからです。
デッサンに背景を付ける楽しさを(半ば強引に)思い出させてくれた夜間の先生。
私の不安を取り除いてくれた先生。
指導してくれたすべての人たち。
励ましてくれた仲間、助けてくれた仲間、夜間部の後で一緒にクロッキーをした皆。

 受験日の朝立ち寄ったカフェで気持ちをほぐしてくれたスタッフさん、沿道でカイロを配りながら「頑張ってください」と声をかけてくれた業者さんたち、そして、発表日に一緒に猛ダッシュしてくれた母に、心よりの感謝を捧げます。

2015年04月03日

●2015合格者体験記特集

「インタビュー企画第25弾」
 2015合格者体験記特集

2015年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






津田 直樹くん(2015年 彫刻科)
熊本・県立第二高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『保つ』

僕が受験を目前に控え、いくつか意識していた事があります。
一つは、「平常心」を保つ事でした。
具体的に自分が心掛けていた事は、「いつも通りを保つ」という事です。それは、実技の面でも、生活の面でも共通して心掛けました。入試直前だからといって、実技だけに注意を注がず、生活(特に家事など)をおろそかにしないということです。
それが本番で、自分のペースの乱れを抑制してくれたのではないかと思います。
もう一つは、「モチベーションを保つ」という事です。
自分が大学に入って何を学び、何を作りたいのか、ほんの少しでも具体的なビジョンを持つ事は自分を支えてくれます。「大学に合格する」という漠然とした目的に少しでも具体性を持たせる事は、自分にとって強みになると思います。それは、現役の時の僕に欠落していた事でもあります。
ビジョンは強ければ強いほど、自分を一歩前に進ませる原動力となります。
3つめは、「感謝を忘れない」という事です。家族からの支援や応援。先生や先輩や友達などから受けた言葉のおかげで、自分は成長出来たと確信しています。他者からの言葉は、どんなものでも捉え方次第で励みになります。
この3つは自分の中で大きな主軸です。皆さんの参考になれば幸いです。

一年間様々な方に支えられてきました。本当にありがとうございました!!!






田中 綾子さん(2015年 彫刻科)
大阪・市立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『信じる』

すいどーばたで過ごした3年間で、私が受験において大切だと感じたことは、自分の目を信じるということです。
自分の目を信じるためには、たくさんの経験を積むこと、いつでもフラットな気持ちであること、自分が何を大切にして制作をしているのかという考えを持っていることが必要だと思います。
知識も技術もなかった私は、がむしゃらに色々なことを試しました。
失敗が続くと、何も描けない作れないという気持ちになるし、周りを見て劣等感を感じて、どんどん自信はなくなって、あーもうあかん…やってられへん…と何度も心が折れて。
そうなると、何かにすがりたくなるもので、観念的になったり保守的になったりしてしまいました。
そんなとき、ある先生の「モチーフに頼れ」という言葉に救われました。
自分の見えているもの感じているものを信じて、落ち着いて制作することができるようになりました。
長い時間はかかりましたが、やっと結果が出せたのは周りで支えてくださった方々のおかげです。
本当にありがとうございました。






田中 地平くん(2015年 彫刻科)
宮崎・県立宮崎西高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
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『試行錯誤』

一浪のころは実技に劣等感がありました。夜間部からどばたに通っていた人の実技を見ると、いかに自分が何も考えずに制作していたかを思い知らされました。そんな時は自分の強みはどこか、どういうモチベーションだといい実技になるか、など自分と向き合いながら必死にもがいていました。
しかし一浪で落ち二浪が決まった時、この一年やりたいことをやって悔いのないものにしよう!と決心し、一学期から大きな作品をいくつか作りました。カリキュラム外の制作をすると、自分の作る作品への要求度があがり、いい作品を残すことが出来ました。すると自分に自信を持てるようになりました。
しかし、12月頃から自分の実力と最終的にあがってくるものにギャップが出てきて、なんでうまくいかないだぁ!!とかなり悩みました。そこで入直を受験へ向けた調整に使うことにしてみました。
コンクールを試験に見立て、どういうモチベーションと課題の解釈をしたときに結果がいいか、普段も毎課題微調整をして、入試の2日前にようやくこれだ!と思えるところに行き着けました。そして試験では今までつけた力が支えてくれたように思います。
合格して報告をしたい人がたくさんいたときに、いろんな人に支えられてきたんだなぁと実感しました。いままで応援し支えて下さった皆さま本当にありがとうございました。






篠塚 未来さん(2015年 彫刻科)
神奈川・神奈川大学付属高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
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『努力』

こんなにも色々な想いで過ごした2年間は、今まで生きてきた中で1番だったように思います。

たくさんの不安や葛藤に何度も押し潰されそうになり、眠れない夜も何度もありました。でも、そんな不安を自信に変えてくれたのは、これまで作ってきた作品達です。
自分には今何ができて何ができないのか、これを常に考え行動するようにしていました。自分に足りないと思う実技があれば夜残り、自分が納得できるまで制作しました。私は、誰がなんと言おうと自分が納得できないと不安だったので、それはとても大切なことだったと思います。
自分の納得いく作品が一つまた一つと増えていくにつれ、それらが大きな自信となりました。そして、胸を張って試験に望むことができました。

これからも、努力を惜しまず頑張っていきます。
今まで私を支えてくれたすいどーばた美術学院のみなさんに感謝します。ありがとうございました。






齊藤 澄果さん(2015年 彫刻科)
東京・都立工芸高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『私が一番信じてあげなくちゃ!』


浪人生活をしていく中で、苦手意識のあった塑造が少しずつではあるけど、着実に伸びていくのを感じた。
しかし、その一方で満足のいくデッサンが描けない状態が続いた。

そして秋の初めのコンクールで、最悪な結果を出してしまった。すごくショックだった。
それから2ヶ月ほど、「自分はできない、できない」と狂いまくりのデッサンを描いたり、真っ黒なデッサンを描いたりした。
周りの同い年の子たちがどんどん伸びていって焦った、悔しかった。
ずっと自惚れていた。
あるはずの自分の力を信じられなくなった。

冬が近づき、「できる」とか「できない」とか考えるのも面倒になって、余計なことは何も考えず、ただモチーフを見つめ、そこに見えるものだけ、自分の目を信じて描いた。そしたら今まで何を悶々としてたのかというほど描けた。
この小さな波を大波にしてやろうと思った。


自分を信じろ、とかよく言うけど、それはフィルターのかかった自惚れとかじゃなく、自分の今まで感じたこと、やってきたこと、見てきたこと、自分しか知り得ない自分を信じて向き合うことだと思う。
今まで積み重ねてきた記憶や経験があるのにそれを否定して「できない」「ダメだ」なんて、そんなの自分が可哀想じゃん!


1年という長い期間で弱気にならないわけがないと思います。
ふとネガティブなことがよぎることもあるでしょう。
別に口に出さなくったていい、内側で思ってるだけでいいんです 。
それで良い結果が出る保証なんてないけど、きっと何かがあるはずです。






白谷 琢磨くん(2015年 彫刻科)
佐賀・佐賀北高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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『自分のペースで』

 現役の時に受験した大学は全て一次で落とされました。浪人して初めてのコンクールで最下位に近い評価を付けられました。人にからかわれ、無力な自分に腹が立ちました。自分の全てを否定された気持ちになり、周りとのレベルの差感じざるを得ませんでした。
 それでも途中でめげることがなかったのは藝大に合格している自分を明確にイメージできていたからだと思います。根拠のない自信などではなく
「自分はどのくらい勉強すれば追いつけるのか」
「どのくらい時間が必要か」
冷静に自分自信と相談しました。一年では時間が足りないと思ったので二浪目の受験に焦点を合わせました。

 すいどーばたで様々な方からアドバイスやヒントを貰い、実践して自分なりに解釈を深め、答えをだしていく。感覚だけを磨くのでなく、何をしたらどうなるのか実践しノートにとったり、上手い奴は何故上手いのか分析してみたり、有意義な時間を過ごせたと思います。
 そして気づいたのはどんな状況だろうと自分は自分であることが大事だということです。積み上げたものは確実に自分の力になっています。個性はそれまで生きてきた全てです。自分に素直になればそれだけで見えてくるものがたくさんありました。試験本番でもそういう自分の言葉を会場に置いてこれたと思います。

 悔しい思いをして、泣いてあがいて、やっと一つの結果をだすことができました。どばたで経験し積み上げたものはこの先様々な場面で僕を支えてくれると思います。何も言わずに協力してくれた両親、彫刻の道を指し示してくれた先生方、常に自分の前を走ってくれた仲間達、本当に感謝しています。






中村 那由多さん(2015年 彫刻科)
東京・都立荻窪高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『合格体験記』


・受験前
 私のどばた体験は中学2年の夏季講習が最初です。高2からは油画科(基礎)に在籍していました。小学4年で油絵を習い始めて以来、ずっと油画指向。彫刻とはまったく縁がなく、紙粘土すらろくに扱ったことがなかったのです。それが、高2の春季講習で彫刻基礎を体験し、高3を彫刻科夜間部生としてスタートしました。転科して1年で合格するまでは、様々なエピソードがあったのです。
 それをすべて書くとキリがないので、受験直前からの出来事を実況風に綴ることにします。
 冬季と入試直前講座では、昼間部・夜間部・ときどき残業(自主クロッキー部)をこなしていたのですが、私にとって一番難しかったのは「彫刻的な」デッサンを描くことでした。そして、ついに3月に突入。
 夜間部で、石膏デッサンをしていた時のことです。ある先生が突然、
「キミ、背景付けなよ」
「……(えっ、いやいや、このデッサンあと2時間しかないんですが。それに一次まであと3日なのに今さら描き方を変えろと!?)」
「付けなよ」
「………………」
 と、言うわけで、石膏像に背景を付けるという油画時代の描き方に戻してみました。が、やはり(彫刻では背景を付けたら受からないのでは)と不安でした。
 でもそんな時、また別の先生が、「描き方なんて考えなくて良い。感じたままに描くんだ」と教えてくれました。おかげでその翌日、つまり一次試験の前日には、スッキリした気持ちで、私本来の描き方が出来た気がします。

・受験中
 私はトルソーが苦手で、一次試験の前日の夜、「神様、円盤とアムールだけは出さないでください」とお祈りしました。しかし、一次の課題はまさかのアムール。あんなに祈ったのに! すでに描く前から涙目になっていた私ですが、どばたの先輩に「ま、難しいほうに考えるな」と励まされ、どうにか冷静に画面に向かうことが出来ました。
 幸運なことに、試験場の重厚な空気感は私を落ち着かせてくれました。この空間を感じながら背景を付け、最後まであきらめずに描こう! と思った矢先。消しゴムペンの調節をしていたら、壊れちゃったのです。……正直、あきらめかけました。しかしその時。近くにいたどばたの仲間が、余分に持っていた消しゴムペンを1本貸してくれたのです。
 これで落ちたらカッコ悪すぎる! と描きまくり、一次を突破することが出来たのでした。助けてくれた仲間たちには足を向けて寝られません。
 二次試験の素描課題は、与えられた素材で立体をつくり、描くというものでした。私は気合いを入れて立体をつくり、それを遠くから眺めて(うーんカッコいい)と悦に入りました。その時点で30分経過していることに気づき、あわてて描き始めるというボケをやらかしましたが、一次に比べると落ち着いて作業出来たように思います。
 その夜、急な喉の痛みと発熱で救急病院に駆け込み、迷惑がられたのが唯一のトラブルと言えるでしょう。
 そして翌日、いよいよ、二次の塑造です。課題はアムール。(またお前か! 出たがりか! もしかして、私が出るなと言ったから怒ってるのか!?)と、軽くツッコみたくなりましたが、一次の時と違って、この出題を楽しんで受け入れることが出来ました。一次の時に励ましてくれた先輩に、謎のテンションで話しかけてしまったほどです。
「先輩、アムールですよ!」
「……う、うん、そやな」
と、微妙に引かれましたが、そのくらい落ち着いていたのです。
作業中は、彫刻的な仕事がどうこうよりも、アムールの美しさや、佇まいの上品さを、拙いなりに表現することしか考えませんでした。このときの私は、「感じたままに描く」という先生のアドバイスを、無意識に実行していたのかも知れません。

・発表
 そして発表日。13日の金曜日、うららかな上野公園内を通って、母と一緒に(どうせないんだろうな)と重い足取りで会場に向かいました。門を入り、掲示板に目を凝らすと、……あった。いやまさか、いやいやいや、と受験票を確認すると、やっぱりある。それでも信じられず門まで戻って、守衛所の係の人に訊ねました。
「番号あったらどうしたらいいんですかっ?」
「中央棟に行って手続きをしてくださいね」
と、落ち着いて道案内をしていただき、中央棟へ猛ダッシュ。書類を渡してくれるお姉さんに、
「本当に私の番号ありますか?」
「ありますよ、大丈夫ですよ(ニッコリ)」
と、ここでもまた慣れた対応をしていただき、桜色の袋を受け取って呆然とどばたに向かい、先生がたに背中をバンバンされ、ひとまず激動の受験生活が終わったのです。

・あとがき
 ダラダラと書いてきましたが、受験、楽しかったです。二次試験の昼休みに木彫室の木屑だらけの床に直に座ってお弁当を食べたのも、なんだか遠足気分でした。でも、そう思えるのも、私の受験生活を支えてくれた人たちがいたからです。
デッサンに背景を付ける楽しさを(半ば強引に)思い出させてくれた夜間の先生。
私の不安を取り除いてくれた先生。
指導してくれたすべての人たち。
励ましてくれた仲間、助けてくれた仲間、夜間部の後で一緒にクロッキーをした皆。

 受験日の朝立ち寄ったカフェで気持ちをほぐしてくれたスタッフさん、沿道でカイロを配りながら「頑張ってください」と声をかけてくれた業者さんたち、そして、発表日に一緒に猛ダッシュしてくれた母に、心よりの感謝を捧げます。






林 岳くん(2015年 彫刻科)
東京・都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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『受験、美術』


美術とはいえ、受験は所詮受験です。
受験には「評価をする人間」という明確な相手がいます。おさえるべきポイントがあり、大部分がその減点の数できまる評価があります。より良い評価を得るために必要なのはそのポイントをおさえようとすることではなく、「評価をする人間」におさえていると思われることだと思います。自分の表現やこだわりに陶酔するのではなく、常に「評価する人間」がいるということを基準に、すべきことを考えることが出来れば一過性のものではない安定した制作ができると思います。

2014年03月23日

●2014合格者体験記特集

「インタビュー企画第23弾」
 2014合格者体験記特集

2014年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






『美大を志す人達へ』
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高橋 銑くん(2014年 彫刻科)
東京 都立三鷹高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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はじめに、あくまで一つの考え方として読んで下さい。
自分がこの一年で感じた事を書きました。


誰よりもまっさらな目で対象に向かう事。
それが全ての始まりなのだと思います。

所謂、技法や決まりごとは、先人が全身全霊で対象と向かい合い、それによって残された作品達の中から、ある共通性を見出す事で生まれているはずです。
そして、それを外面だけ真似するのではなく、追体験する事こそが「勉強」なのではないでしょうか。

劣等感、主観と客観のギャップ、過去の辛い思い出、この先色々な苦しみがみんなの目を曇らせていくだろうとは思います。
そうなってしまったら、まずは自分自身を見つめて下さい。
受け止められる所から、少しずつでいいので、自分を知っていって下さい。
そしたらきっと、前よりも少しだけ、対象と向き合えるようになった事に気付くと思います。

ゆっくりで大丈夫。かっこ悪くてもいいんです。後悔があってもいいんです。肩の力が自然に抜けるまで、じっくり格闘してみて下さい。






『今できることを』
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笹野井 もも さん(2014年 彫刻科)通信教育生
静岡 県立清水南高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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私は地方の美術科のある高校に通う高校生でした。高校の先生に勧められて高校2年の夏から、何度かすいどーばたの講習会に行くようになりました。
そして高校3年の秋からは高校に通いながらすいどーばたの通信教育を受け始めました。朝早く高校に行って誰もいないアトリエでこそこそデッサンを描きました。
私は高校とすいどーばたでは指導内容や雰囲気が大きく異なるように感じていました。
自分の作品に対して多様な意見が聞ける良さと、何を吸収し次の制作に活かすべきか自分で選択しなければならない難しさがあり、2つの場所で彫刻を学ぶ上で考え悩むことがたくさんありました。
しかし入試でどんな結果が出ようと後悔や言い訳をしたくないし、良い作品を制作するために出来ることはなんでもやりたいと思って通信教育をつづけました。
入直に入ってからは、すいどーばたで一日中制作する毎日で、
通信教育では添削してもらう機会の少ない塑造が著しく良くなっていくのを感じました。
しかしこれまでがんばってきたデッサンはなかなか伸びず、
結局入直最後のコンクールまで、納得するものが描けませんでした。
先生に「自分に不足しているものに気をとられ過ぎている」と言われ、
自分がビビっていることに気づきました。
先のことはなるようにしかならないし、
いま出来ることをやるしかないじゃないかと
開き直ったら、とても気が楽になりました。
そして一次試験の3日前になって、
ようやく自分がいいなと思うデッサンが描けるようになりました。
これからも自分が納得できる作品を、
楽しみながらつくっていきたいです。
これまで私に様々な影響をくださったすべての方に感謝します。






『どばたでよかった!!!』
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岡野 貴之くん(2014年 彫刻科)
三重 県立暁高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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一浪の夏、どばたに来て「こんなにも上手い人がいるのか」と歓喜かつ劣等感を感じたのを凄く覚えている。「這い上がってやる」って必死こいて結果芸大一次落ち。劣等感を持ちながら二浪になった。もっと強気なモチベーションで死に物狂いする気でいたがそれだけじゃ上手く事が運べなかった。自分に足らなかったのは友達の重要さだった。それに気づいただけで気が楽になり視野が広くなりモチベーションを高く持ち続けれた。時には語って嘆いて時にはすごく泣いて時には爆笑してほんと楽しい生活がおくれた。先生たちも親身になって指導してくれたり、檄を飛ばしてくれたり、なんだかんだ自分の支えになっていて、その分うまくいかない時には勝手に責任感じて泣く事も多々あったがめげずに頑張れた。だからこそ合格する自分をイメージ出来た。そのイメージが自分を合格に導いたと自分は思ってます。高め合えながらも優しい仲間、見捨てる事なく見届けてくれた先生方、画材あーるの店員さんや地元で応援してくれてた人、そして家族、みんないなければここまで充実して受験に励めなかったです。どばたに来てほんとによかったです。みんな大好きです!ありがとうございます!!!






『自分』
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古谷 由布くん(2014年 彫刻科)
東京 都立総合芸術高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部 彫刻科
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「制作は一人でするもの」浪人中自分の中でそれを常に意識していました。その理由は二つあります。
一つは、一人で作ったものを他人に見てもらって何と言われるか、言われたことを自分なりに考えてまた一人で作る、他人に見てもらう。これを繰り返すことが最も力がつくと考えたからです。
二つめに、実際の入試は一人です。アドバイスをくれる先生はいません。誰も助けてくれません。自分以外はみんな敵。頼れるのは自分だけだからです。
もちろん、助け合う仲間や競い合うライバル、先生方の助けは必要だと思います。でも、結局は自分です。結果が良くても悪くても、それは自分のせい。合格するための最良の道を自分で判断し、芸大合格を勝ち取ってください。

2013年03月25日

●2013合格者体験記特集

「インタビュー企画第21弾」
 2013合格者体験記特集

2013年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






「浪人生活と僕」

吉野 俊太郎くん(2013年 彫刻科)
埼玉県 県立大宮光陵高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(2月の寒空の下、外で描いた自然光デッサン。スケール感が凄い良いデッサンですね!)


 尊敬する先輩ができた。大切な仲間ができた。この二年間、沢山沢山目標ができました。

 美大受験を志してすいどーばたの夜間部に入学した時から、自分の照準は自分の先を行く人達でした。その人達に負け続けたくない、偉そうな顔なんかされなくない。生意気な自尊心を武器に勝負しにいって、ボロボロに負けた時に助けてくれたのは、自分が仇にしていた先生や先輩達でした。優しかったし、暖かかった。突き放すことなく、僕にヒントを与え続けてくれました。

 受験勉強をしていく中で、美大受験は人間として成長すること、いわゆる自分との戦いなんだと知りました。今まで受験における敵だと思っていた奴らはみんな僕の先輩や先生に変わりました。自分にできないことをやってのける素敵な仲間でした。もちろん、悔しさも感じましたが、何より学ぶことが多すぎた。それからどんどん時間がすぎて、とうとう二度目の受験が近づいた時、充実していた二年間を振り返って、正直すごく寂しく感じました。二年間がとても早かった。楽しかったなあ。そんな二年間を仲間と共に送れたからこそ、今の自分はあると思います。

 僕は先輩は最高のヒントだと思います。先生の指導は最高の薬だと思います。仲間は最高の武器です。この二年間で学んだこと、これからの最高の糧になります。

 自分を応援してくれた家族と仲間と先生方に感謝しています。ありがとうございました。






「見ること」
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室井 颯輝くん(2013年 彫刻科)
香川県 県立高松工芸高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(入直のコンクールで浪人生を押さえ2位に食い込んだデッサン。上手いというより素直なデッサンですね!)


 私は、高校2年の夏季講習会で初めてすいどーばたに行きました。それまで地元の高校でしか作品を作っていなかった私にとってすいどーばたの空気はとても新鮮に感じられたことを覚えています。そしてその中で私は、自分には明らかに力が足りないことに気がつきました。その後、高校に通いながら通信教育を受け、講習会の度にすいどーばたに通い、できる限りの努力をしました。コンクールの結果もある程度ついてきたこともあり、実力はかなり付いてきたと思っていました。
 しかし、冬季講習の中頃、私はかつて無いほどの不調に陥りました。
デッサンが納得いかないまま時間が過ぎ、途中で終わる。そんなことを何度も繰り返しました。原因はおおよそ分かっていました。テクニックに頼りすぎたデッサンに限界がきて、崩壊していたのです。ある先生に、「今お前のデッサンが途中で終わるのは自分でどこか引っかかってる部分があるからだ。そこで自分の手を頼るんじゃなく、目でしっかりモチーフを見て描いて欲しい。途中で終わるのはお前の目が正しい証拠だ。」と言われ、この時から意味も分からず「モチーフを見る」ということを常に課題にして作品を作りました。
初めは上手く行かず、見るってなんだ?としか思いませんでした。
しかし、少しずつモチーフを見ることができるようになってきて自分の作品がよくなっていきました。自分が納得できる「作品」を作りたい。そんなことも考えながら作品を作っていると、気づいたら、今私が作品を作る上で一番大切にしたいと思う、「モチーフを見てその感動を写し込む」ということが出来るようになっていました。
しかし、1人じゃ絶対にここまで来ることは出来ませんでした。こんなに素晴らしい事を気づかせてくれたのはやはり、今までに出会ってきた先生であり、ライバルであり、支えてくれた人々です。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!






「作品として作る」
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小林 かおる さん(2013年 彫刻科)
群馬県 白鷗大学足利高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(私立美大からの再受験なので昨年の作品です。コンクール1位でした。光と空気感のきれいなデッサンですね!)


 無我夢中で駆け抜けた現役一浪、どばたに来て自分が明らかに技術と知識が足りないことを思い知った二浪。粘土に問題のあった私はいつも講師に作品として作りきることを言われていた。コンプレックスの塊でいつも塑像をするときは怖かった。完成させられない、みんなのようにうまく作れないと馬鹿なことばかり考えていた。そんなのだから二浪目も芸大に落ちた。もう精神的に浪人はできないと考え私大に進んだ。
 大学に行って、今度は私の立体に対する姿勢の甘さに気付かされた。ただ作るだけではない。足すことも引くこともあって、そしてなによりも自分が感じたこと、それを他人にわかりやすく伝えること。デッサンのときにはできていたのに頭でわかったつもりになっていただけで理解してなかった。
 入直に再受験するためまたどばたに戻って来てしまった。相変わらず作るのは遅いし焦るし、講師には背中を叩かれた。それでも今まで見て見ぬ振りをしていた自分の弱さを受け止めて、表現したいことを率直に粘土に出そう、そう思えるようになった。それが私にとっての作品として作りきることだった。本番も吹っ切れていたのだろう。
 私は二浪で一回私立大学に行ってしまったし、お金も時間もたくさんの人に迷惑もかけてしまった。けれども受験生活で学んだことは何一つも無駄ではない。私のように実技が硬直していた人にとって大事なことは視野と価値観を広げ、自分自身が変わることだと思う。受験にとって最大の敵は自分で一番の味方も自分。努力してください、気付いてください、そしてなによりも周りの人と多く関わってください。それが受験生にとっての特効薬です。






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日吉 智子さん(2013年 彫刻科)
長崎県 長崎日本大学高等学校 デザイン美術科 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(入直で制作した友人像。思い切って腰上の像にチャレンジし、見事に造り切りましたね!)


 なんのためにデッサンを描くのか。描かされてると気がついたのは二浪が終わった頃だった。作品に責任も取れず、良いものを生み出すことが正義だと不安の中、やみくもに出された課題をこなしていた。分かっていたはずのものがわからなくなった。
 三浪のはじめ、私はなぜ芸大を目指してるのか、そこには胸を張って言える答えが無く、彫刻の力が欲しくて最高峰ばかりを意識しているだけではないか、どこでも作りたいものは作れる。盲目的に彫刻=芸大になっている自分を再認識したのを覚えている。暖かい春の陽気を感じながら、三浪を最後に受験を辞めよう、そして意味のある一年にしようと心に決めた。
 とにかく自分を知ることから始まった。自分の制作のリズムや思考、体力、実践……。そこにはただ毎日実技をしていた自分とは違うものとなっていた。芸大にピークを合わせるために調子も合わせ、計画も立てた。あと、校内試験での落ち着き、その中での結果、それがいかに大切かと知った。どんな時も自分の作品を客観視し、試験当日その瞬間に感じたことをそこに表現しようと。自分を殺すのも生かすのも自分しかいない。
 実技が自分自身を強くし日々のコンクールでも合格圏内をキープ出来るようになったころ、見えない壁に当たった。なかなか実技でトップを取れず、二番三番が続いた頃、先生に「だからお前は二番手なんだよ」と言われた。その時は「なんでそういうことを言うの」としか思えなかったが、それは最後の自分の弱さだった。認めたくないから変われた。悔しかったから上達もしていった。辛い言葉だったが、それが私を強くしたのかもしれない。
 私にはまだな部分が多いけれど、ようやくスタート地点に立てました。自分で学費を払うのは大変だったし、口下手で不器用で、悩みも多かったけれど、すいどーばたで浪人できた日々は本当に大切で、多くを学べた三年間でした。最後にずっと応援してくれた家族に「合格したよ!」と伝えられて本当に嬉しいです。






「走らされるな」
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安井 鷹之介くん(2013年 彫刻科)
愛知県 東邦高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(試験直前の課題。自刻像と手の構成。言い切りがあり説得力があります!)


 自分は負けず嫌いなのもあるし、ただただ験を担いでるのもあるが、信号一つ渡るにしても赤になるまでに渡れるか?いや渡れる!・・みたいに日常のアホらしい些細なとこからの干渉を自然とやってきた。
 入直である講師にご飯に連れてってもらい「お前らは勝負しかける気がないだろ」と言われ、自分は実技に関しては置きにいってたのか?と疑った。高校の時はぶいぶい言わせていて、でも芸大落ちて、どばたに来てどんどん抜かされて結局は根拠のないエゴな自信みたいなのだけにしがみついていた。
そこからはとにかく作品に自分をブチ込もうと思った。それをやることを通し決断を自分の意思で意識してするということを目的とした。すると一歩引いたニュートラルで紳士的な違視点も組み合わさっていった。
 結果、どばたで得たのは実技上だけのことでなく、成り行きや流れに任せない"自分の意志で動く"こと、こうしたいと思った事に対して前向きである事、これからの生き方の考えるキッカケでもあった。






「答え(仮)」
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島田 佳樹くん(2013年 彫刻科)
埼玉県 獨協高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 美術学部彫刻科
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(どばたで描いた最後のデッサンです。柔らかく奇麗な炭で繊細かつゆったりとデッサンしていますね。)


ただただ、答えを探す一年でした。
 この一年は、自分は本当に彫刻をやっていて良かったのか、美術をやっていて良かったのか。それを何度も何度も自分に問いかける日々でした。
 芸大に受かったことで、やっと答えが出たような気がします。
 ここまで自分を成長させてくれた、どば彫講師の方々、大事な仲間。
 本当に今までありがとうございました。

2012年10月10日

●2012合格者体験記特集

「インタビュー企画第19弾」
 2012合格者体験記特集

2012年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。


『楽しむ』
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荒木 秀造くん(2012年 彫刻科)
兵庫・明石高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 実技を学ぶ上で人それぞれいろんな価値観を持っていると思います。 僕は何よりも楽しむことを大切にこの一年を過ごしました。 でもその楽しみはただ待っていても決して得られるものではありません。自分が自分のために自分でつくりださなければならないものだと思います。 どんな課題が出されても、常にどこをどう楽しむかをまず考えます。石膏デッサンでも、この石膏のかっこよさってどこだろう?そのかっこよさってどうやったら出せるだろうか?そんなことを考えながら手を動かせば自然と作品はイキイキとしてくると思います。でも当然上手くいかなくて、しんどくなったりイライラしたり、凹んだりすることも沢山出てきます。そんな時に必要不可欠なのが友達です。 実技の話をするのも勿論ですが、一緒にカラオケに行ってばか騒ぎしたり、下らない話で盛り上がったり、そういった時間にどれだけ救われたでしょうか。本当に楽しかった。友達だけじゃなく、無条件に応援してくれる家族や真剣に指導してくださった先生方、影で支えてくれた教務の皆さんにも本当に感謝しています。 自分が合格できた一番の理由は、浪人生であることを何よりも楽しめたからだと思います。今だから胸を張って言えます!「この予備校で浪人できて本当によかった!!ありがとう!!!」


「粘った」
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中本 那由子さん(2012年 彫刻科)
東京・東京大学教育学部附属中等教育学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科/武蔵野美術大学 彫刻学科
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 二浪の三月、私は芸大受験に一次で敗れました。それまでに膨らみすぎたちっぽけなプライドはズタズタのグチャグチャになり、好きだったデッサンが大嫌いになりました。 三浪の春は、本当に何をしたらいいのかわからないところからスタートしました。 それでももう一度やることにしたので、一年かけて確実に成長しよう、絶対に無駄にはしないと決めました。 しばらくはまともに課題と向き合うことができませんでした。 前と同じことをしてしまったり、逃げ腰になって空回りしたりを繰り返しました。 膠着状態が続きました。 もう嫌だと思った秋に、先生に相談して無理を言ってじっくり時間をかけてやらせて貰った個人課題が転機でした。 それ自体の出来はともかく、見て作って考えることが楽しいという、ただ工作が好きだった子供の頃のような感覚に戻り、これだ!と思いました。 それからは実技が「ちゃんとやる」から「表現したいことを見つけてがんばる」にシフトしていきました。 そうすると自分に心地良いプレッシャーがかかり、一時期嫌で嫌で仕方なかった描くこと・作ることがまた楽しくなり、見えることも増えて、自然と自分の状態が整っていきました。 毎回、初心者になった気分でした。 最後は第一印象の感動を再現したところがゴールだとひたすら思い込んで、モチーフとの会話を徹底しました。 変に高いプライドは適度な自信に変わりました。 四月の苦しさは消え去り、自分の感覚の奴隷になることがとても楽しかったです。 本当に好きなことは嫌いになってからが本番だ、というのを誰かが言っていたのですが、まさにそんな一年でした。 こんなことはまたあるんだと思います。 しっかりとやりきれたのは、色々な気付きを与えてくれた先生方、一緒にいてくれた友人、ずっと支えていてくれた家族のおかげです。ありがとうございます。

「転」
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新井 健くん(2012年 彫刻科)
千葉・安房高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科/武蔵野美術大学 彫刻学科
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 色んな人に出会い寝て色んな人に支えられ寝て良きライバルを持ち寝て良き講師に恵まれ寝て色んな人と寝て後悔して寝て覚悟を決め寝てだめだ、このままだとただ予備校に糞尿をはこんで食物を摂取し家に持って帰る生命体だ!と気づいた辺りから作品制作において自分に何が足りないのかを自覚しました。僕の場合おそらく誰の参考にもなりませんが、東京を練り歩いて映像作品を撮ったりギターとソフトで音源を制作してみたりそれ等をパソコンで編集してみたりと、受験彫刻以外のことを同時進行で取り組みました。 とにかく面白くて得たものは沢山あり、それ等を通してより彫刻も作品性が増したように感じます。 一見バラバラにあるものでも何でも主体は自分であり、自分のフィールドを広げその中から得たものを選別して自分を高めていく。そういった制作スタイルを自分はこの一年間やってきました。 とにかく周りと一緒にされることが御免なひとは何でも体当たりでダイナミックに失敗しまくれば良いと思います。失敗の質をどんどん高くしていけば良いのだから。そのエネルギーをどんどん活用してください。 これから受験という環境で自分に何が足りないのか悩むことが沢山あると思いますが、気づくタイミングは人それぞれ他人に合わせる必要はないです。そして何より、今もこれからも自分の成長を止めないことが一番肝心なことだと思います。そぉいった意味で沢山の生徒さんがいるすいどーばた美術学院をお勧めします。

「決意」
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村岡 佑樹くん(2012年 彫刻科)
広島・修道高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科/武蔵野美術大学 彫刻学科
日本大学芸術学部 彫刻コース
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 僕は現役のとき自分は今年芸大に受かると思っていました。けれども、一次で落ちました。落ちてからも、たまたまとか、運が悪かったとか、そんな理由を考えて逃げていました。  一浪を始めてもやはり、色々理由をつけては逃げていました。先生に「お前は作品の完成像を考えてない」と言われるようになっても、完成像ってなんや?と悩むばかりで秋頃まで中途半端な作品ばかりつくっていました。そうするうちに、親のお金を使ってわざわざ東京へ出て来て何をしているんだろうと、申し訳ない気持ちが大きくなっていき、実技を真面目に考えるようになりました。なんのためにデッサンや塑造をしているのか、他の人が当たり前のように考えていることをやっと悩み始めました。間に合わないかもしれないという考えはあり、親にも相談しましたが、お前がベストをつくすんならそれでええと言われ前向きになれました。  センター試験が終わったあと、考え始めたのが遅かった僕は追いこまれ、すべての帳尻を合わせるには受かるしかない、そのためには見せかけじゃなく本当の努力をするしかないと決意しました。 決意をしてから、デッサンでは、先生に言われた回り込みや空間を必死に描いていき、粘土では自分の粘土付け、模刻だと石膏像の印象を必ず合わせることに努めました。  そして試験の日、一次試験のデッサンは描き出しをゆっくり時間をかけて確かなものに、二次試験の素描はキレイに見えるように、そして、模刻は量のバランスと顔が似るようにしました。それらの結果が合格でした。  入試直前期頃に思ったんですが、僕みたいな人は追いこまれないと事態の重大さに気づけないんだと思います。ですが、それは気づいてからちゃんと行動できれば、そんなに悪いことではありません。毎回自分のベストを尽くして悔しい思いをしながら歯をくいしばっていけば必ずいい方向へ向かうと僕は信じています。  また、僕には慰めではなく自分の問題点を気付かせてくれる友人がいたからよかったです。  最後に一年間支えてくださった全ての人に感謝しております。 本当にありがとうございました。


「得たもの」
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戸張 花さん(2012年 彫刻科)
東京・都立武蔵丘高校 現役
合格大学:
多摩美術大学 彫刻学科/東京造形大学 彫刻専攻


 私が彫刻に興味を持ちはじめたのは高2の頃です。私は、予備校を探してすいどーばたの彫刻基礎科に入りました。 最初は何も分からず、先輩たちの実力に圧倒されるばかりでした。でも、好きな事を学べるすいどーばたの時間がとても楽しかった事を覚えています。 そして高3で夜間部に入り、沢山の人に出会いました。同じ目標に向かって頑張る夜間部の皆は私にとって負けられないライバルであり、かけがえのない仲間でした。ずっと付き合っていきたい仲間です。 また、熱心に指導してくださった先生たちには実技の力だけではなく、実技に向かう姿勢や態度、自分の作品に対する心構えを教わりました。 先生たちは、私たちをただの受験生ではなく一人の彫刻家を育てるように正面から向き合ってくれました。それがとても嬉しかったです。 私が合格できたのは、先生や夜間部の皆、陰で支えてくれた教務の方々、入直生の皆や先輩方、そしてなにより家族のおかげです。 これからも大変な事があるかもしれません。でもそんな時は、すいどーばたで学んだ事を思い出し、立派な彫刻家になれるよう、これからも頑張っていきます。私を支えてくれた全ての人に感謝します。ありがとう

2011年07月19日

●2011合格者体験記特集

「インタビュー企画第17弾」
 2011合格者体験記特集

2011年度の合格体験記をまとめました。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






「自分」
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諸岡 亜侑未 さん(2011年 彫刻科)
大阪・市立工芸高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 背中を丸めてトボトボ歩きながら発表を見に行き、やはり同じ姿勢でトボトボと上野を去った現役の3月。私は浪人することになりました。
 どばたにやってきて。それはそれはいろんな人がいました。たくさんの人がいたというより、色んな人がいました。特に入試直前の人の多さといったら…アトリエぎゅうぎゅうです。でも、それだけいろんな人がいたからこそ、いろんなものが発見できました。アトリエぎゅうぎゅう、中味もぎゅうぎゅうの1年でした。
 受験は一見、周りとの戦いのように見えますが、結局は自分との戦いです。
自分と向き合うこと。でも、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、自分と向き合うことというのは、自分1人ではできないことなのです。いろんな人がいて、やっと自分が客観的に見えてくる。いろんな人のなかの1人である自分。
 デッサンについて、粘土について、作品について、彫刻について、受験について、全然関係ない、音楽について、本について、もっとくだらないことについて、いろんな話を、いろんな人としました。お互いの作品を、ほめることもあれば、けなすことも多くありました。それぞれの視点、それぞれの考え方、それぞれの価値観を持って、そして、みんな正直でした。お世辞も嘘もなくて、ただみんないつも本気の本音でぶつかっていました。講師も、学生も。
 色んな人を知ることで、自分が見えてくる。人数の多いどばただからこそ、見えてくるものが多いと思います。
 そんな中で、入直に入ると、毎日の課題が「受験」としてではなく「作品」として捉えられるようになって、「作品を作っているんだ」という意識が強くなり、制作が楽しくなり、塑造の質も上がっていきました。
 そして今年の3月。1年前の背中を丸めて上野を歩いていた私はどこへやら、まだ結果もわからないのに私は胸を張って歩いていました。受かるという自信があった訳じゃない、やりきった、という自信があったのです。作品と向き合うこと、それはつまり自分と向き合うこと。
本音でぶつかり合うこと。きっと大学に行ってその先もずっとずっと大切なこと。
 それを教えてくれたのは、どばたのたくさんの講師と、同じ学年のみんな、教務の方々、私を取り巻く全ての人達です。本当にありがとうございました。






「出会い」
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榎田 進之介 さん(2011年 彫刻科)
東京・広尾学園高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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 ボクの体験記は芸大の1次合格発表の日からはじまります。その日ほど芸大に合格したいと思った日はないし、今まで芸大を目指してきたくせに、その日ほど芸大の厳しさを知った日はないからです。1次発表の当日、ボクは少しドキドキはしていたもののわりと楽な気持ちでその日を向かえていました。芸大の勝負は2次、1次は突破して当たり前と思っていたからです。甘く考えていたわけではありません。すいどーばた美術学院に通い、参考作品もたくさん見て、これが芸大に受かるデッサンなんだと理解してたつもりでした。その上で、1次試験前のすいどーばたのデッサンは現役、浪人ともにいままで見たことのないような素晴らしいものが並び、あまりの迫力にボクは本気でこれはほとんど全員1次合格しても全然おかしくない、自分も絶対その中にいなくてはと思いました。
 あっという間に1次が終わり発表の日、予備校の仲間たち数人と発表を見に行きました。その中で1次合格はボクだけでした。えっなぜ?みんなあんなに頑張ってたのに、すごい上手いのに、仲間たちは自分のくやしい気持ちをおさえボクに頑張れと言ってくれました。芸大の厳しさが改めてボクに重くのしかかります。みんな粘土もとても上手いのに、当然2次試験で競いあうことになると思っていたし、誰が芸大に入ってもおかしくないと思っていたのに、こんなにも厳しいなんて、ずうずうしかったかもしれませんが、みんなのくやしい思いの分もボクが合格してはらすしかないと本気で思いました。
 2次試験当日、手が出たらあの人、首像はあの人、構成はあの人、と仲間を一人一人思い浮かべます。予備校の先生、高校の先生、学校のみんな、家族を思い浮かべます。そうして挑んだ2次試験は今までとはくらべものにならない作品をボクに残さしてくれました。この結果に導いてくれたすべての出会いに深く感謝します。ありがとうございました。






「一年間で得たもの」
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冨田 佳菜子 さん(2011年 彫刻科)
京都・府立宮津高校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 高校二年生の頃から彫刻というものに興味を持ち、私は何も分からないまますいどーばた美術学院へやってきました。何もかもが新鮮で、先生方から教わる技術や 知識などが流れるように脳や身体に入ってくる。講習会に行く度、そんな感覚に喜びや楽しみを覚え、気づけばあっという間に高校三年生の冬、まさに入試直前になっていました。
 塑像力においては弱いところがあったものの、合格する可能性は無くもないといわれ、結果は不合格。そして私はその瞬間、「見破られた」と思いました。私は、完全な受身となって受験をしていたのです。不合格という結果を目にして、自分の描ける力だけに頼り、周りに流されてきたことに気づかされました。だから、この与えられた1年間は、自分を見直し、どうして大学へ行きたいのか、自分の気持ちを確かめ、何事も自発的な年にしようと思いました。
 そうして始まった浪人生活では、生徒それぞれの個性を活かして力を伸ばしていく、という先生方の方針に存分に甘え、1枚1枚描いたり創ったりするたびに、どんなことが伝えたいのか、それはどうすれば伝わるのか・・・。
 たくさんの表現に挑戦することができ、ただ実技を上手くこなすのではなく、その先の『絵』としてどのように描くか、『自分の作品』としてどのように創るのか、たくさん学ぶことができました。きっと、現役生の私がそのまま大学へ行っていたら、このように自分のしたい表現がすぐにできるようになるところまで辿り着くことはできなかったと思います。
 また、定期的に実施される実技コンクールなども、そのような実技の成果を試すことのできる良い刺激になりました。 そして1浪目の冬、2度目の入試直前、私は楽しくて仕方がありませんでした。なぜなら、すいどーばたで1年間ひたすら実技に時間を費やすことによって、描きたいものを描きたいように描き創りたいものを創りたいように創れる、しっかりとした力がついていたから。受身ではなく、自分から受験に向かっていたから。私はそう思います。
 そう思えるところまでこれたのは、互いに高めあえる良きライバル達、ユニークで楽しい先生方、そんな人たちがたくさんいる充実した環境のおかげです。こんな素敵な環境を共に作り上げてくれた皆さんに感謝です。本当にありがとうございました(*^^*)






「恵まれた環境」
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大野 陽生 さん(2011年 彫刻科)
埼玉・浦和実業学園 現役
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻学科/ 東京造形大学 彫刻専攻領域
日本大学芸術学部 彫刻コース
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 僕がどばたに始めて訪れたのは高2の終わりに受講した春季講習会で、それからすぐ学年が上がると同時に夜間部生としてどばたに通うようになりました。
 講習会は体力勝負で、集中力を持続させるのがとても難しかったですが、その分長く自分を見つめ直す事ができる期間でもありました。
 ある日、僕の兄が何気なく愚痴をこぼしました。「今やってることが勉強の為の勉強になっている」それからだいぶ時間が経ち芸大1次の1週間くらい前にこの言葉を何気なく思い出したとき、はっとしました。兄の言葉が自分の中で置き換わり、「大切なことは受験の中で得た技術とか知識をどんなふうにに生かしていくかで、受験の為だけの、受験用のデッサンや塑像になったらダメなんじゃない?」と言っている様に思ったからです。
 それからは受験というよりも1つの作品を作るような感覚で実技に取り組みました。私大に合格出来たのは試験当日、無意識にそれを実行していたからではないかと今では思います。芸大合格の夢は叶いませんでしたがそれ以上にどばたで得たものの素晴らしさを実感しています。
  どばたの人々は友人や先輩方、先生方に関わらず、皆彫刻というもの、美術というものに対してとても純粋でまっすぐです。参考作品からもその志というか欲求の様なものがもの凄く伝わってきます。この様な恵まれた環境で人生の分岐点を迎えられたことや仲間や先生方と巡り会えたことはとても幸せなことです。一緒に実技を高めあった夜間部の皆を思うと感謝仕切れない思いがあり涙が出ます。一生忘れません。入学後は彫刻に限らず様々な分野から知識や表現を吸収して広い視野を持った人間になれるよう努力し、そして将来的には、どばたの仲間たちと共に現代美術を担っていきたいです。少しでも多くの人に感動を与えられるよう頑張ります!






「フランス野郎!」
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ホノラ ルイジ さん(2011年 彫刻科)
フランス
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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 私はコンピュターグラフィックス(CG)を勉強して、その分野から来ました。
 元々美術にも興味を持っていて、技術的CGに近い伝統の芸術は彫刻であるので、彫刻を学んでみたいと思えてきました。それで美術専門学の彫刻学科に入って、1年間彫刻の基本を学びました。美大に進学したいことを決めて、すいどーばたを通うようになったのは去年の夏後でした。比較的に短い期間を通いましたが、学んだことがとても多かったです。
 大人数、レベルが高いクラスの授業は、自分の意識を強めて、集中力を高めたと思います。初めて日本の予備校のシステムを経験した私には、非常に良い勉強になりました。今まで自分のペースでものを学んだが、わりと早く予備校になれました。その理由はクラスの雰囲気が集中しやすくて先生の丁寧で解りやすいアドバイスであると思います。5人の先生のそれぞれの意見と教え方がとても良い授業でした。
 最初はデッサンより彫刻を多めに勉強したいと思っていましたが、どうしてデッサン力が大事なのか初めて理解ができたかもしれません。ものの見え方はデッサンをたくさん描くと変わってきてものの「立体」が見えるようになりました。
 そして上手な人の作品を見たり、講評を聞いたりするのも勉強になりました。日本語はまだ上手じゃないだけど、日本人の学生と同じレベルを目指し、だんだん自分の上達を見ることは力になったと思います。彫刻の面白さをさらに解ってきて、彫刻をこれから深く勉強したい気持ちが強くなりました。だから大学入る前にとてもいい準備が出来たと思います。
 友達もできて、とても楽しい時間を過ごしました。予備校で出会った友達のこれからの作品を楽しみにしています!みんな頑張って下さい!

2011年02月10日

●2010合格者体験記特集

「インタビュー企画第16弾」
 2010合格者体験記特集

2010年度の合格体験記をまとめました。
wabや入学案内に載っていますが、こちらにご紹介しようと思います。
それぞれにリアリティーがあります。
参考にしてください。






「自信を持つということ」
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佐野 藍 さん(彫刻科) /東京・桐朋女子高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科
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 1浪の最後、東京芸術大学の合格発表。自分の番号がなかった。その時に自分は「来年は確実に合格する」と決心した。今まで自分が残してきた作品に対してひとかけらの自信もなく、それがこの結果を呼んだということがわかったからだ。
 2浪始めの面談で、「絶対に合格します」と宣言して2浪目がスタートした。たくさん実技をこなしたけれど自信がついてこなかった1浪の時とは違う毎日にしたいと思い、その頃を振り返ってみた。いろいろな事にチャレンジして、苦手を克服して、穴を埋めて… とても充実した1年だった。できることも増えて、成長したとも思う。 けれど「じゃあ何が得意なの?」ともし訊かれたら、答えられなかっただろう。もっと自分が満足できる実技がしたい。自分が生み出したものを、愛したい。振り返ってみて、そう強く思った。
 なので、2浪目は、もっと自分が「かっこいい」「美しい」と思う作品を作れるようになるために、自分なりに考えて過ごした。粘土の質感だったり、見せ方や動きの事、そのような「勉強」をしてきたことを、自分の作品をかっこ良くするために使いたいと思うようになった。はじめのうちはあまりうまくいかなかったけれど、すこしずつ自分が納得する作品も出てきて、自信もついてきた。
 自信がない時というのは人に何を言われても、良い成績をとれても、それでも自信を持てない。そんな時に、一番勇気をもらえたものは、こだわり抜いてできあがった、自分の作品だった。
 試験の時は、本当に自分の目しか信用できない。そんな時に、自分が1年やってきたことに確かな実感が持てたら、それだけでもかなり強いと思う。本当に今思えば、どんな時でも、どんな状況でも、かっこいい作品が作れるようになれればと思って、それが合格への確かな道だと信じてやれたのが良かったのだ。
 今まで自分を支えてくれた全ての人に、感謝します。






「限られた時間の中で」
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村田 勇気さん(彫刻科) / 富山・県立高岡高等学校 現役
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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私のスタートはかなり遅く、実技に本腰を入れるようになったのは高校3年生の秋。塑造に取り組み始めたのもこの時期からでした。
 それまでは普通の進学校に通いラグビー部に所属し活動する傍ら、空いた時間にデッサンを重ねていたのですが、力試しに当校の公開コンクールに出てみたところ、当然の如く揮わぬ成績に終わり、大変悔しい思いをしました。それを契機として本格的に志望先へと焦点を当て始め、当校の冬季及び入試直前講座を受講するに至りました。
 受験までのごく短い時間と、圧倒的な経験不足という致命的とも言えるハンデの中、いかに他の受講生たちと比肩し得るレベルまで自分の実力を高めていくか。それが私にとっての最重要課題だったのですが、その際に実践したのが以下の4点でした。1.1日あたりの実技の絶対量を増やす。2.講師陣の指導を徹底的に実践する。3.周りの生徒のテクニックを接収する。4.参考作品を徹底して分析する。
 一見すると当たり前かつ簡単すぎる内容なのですが、、これらが絶大な効果を発揮するに充分な要素がすいどーばたには凝集されているのです。1〜4におけるそれぞれの具体例を挙げるならば、以下の通りになります。1.早朝も夜間もアトリエを使用できる。2.優秀な講師陣が熱心に指導して下さり、力をつける上での具体的なアプローチを提示して下さる。3.全国から実力者が集っている。4.膨大な資料がジャンル別に整理されている。
 このように優れた環境に囲まれていたおかげで、2ヶ月弱という短い時間の中でど素人からそこそこのレベルにまで力をつけることができました。
 こんな環境を利用しない手はありません。あなたも今スグすいどーばたへGO!!






「1人では出来なかった」
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山田 亜紀さん(彫刻科) / 長野・県立諏訪二葉高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
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 地方から東京に出て来て周りにビクビクしていた1浪、彫刻の面白さに気付き技術面での上達に没頭した2浪、自分の価値観を疑い続けた3浪。
 1番自分のペースで出来たのはなんだかんだ1番辛いと思った3浪だった気がします。
 精神が上下左右に振れに振れ〔同時に実技も(笑)〕、もう止まらないんじゃないかと思う日もあったけど、そこは先生方や友達やどばたならではの先輩方に止めてもらっていました。
 自分が1人で戦っていると思ってしまうことが多かった私は、浪人を終えて気付けたことがあります。それは、本当に沢山の人に支えられていたことです。自分が何かコツを掴んで先に進めた時には、必ず誰かがきっかけをくれていたこと。それはどばたの先生であったり友達であったり親であったり「画材あ〜る」の皆さんやバイト先に来てくれたお客さんであったり。そして、刺激しあえるどばたの友人達がどれ程私の精神面の支えになっていたか。
 どばたで出会えた友人達は、歳の差なんて関係なくて。個々の持つ課題に日々向き合う姿勢が脇にそれようとする私を何回も進むべき道に戻してくれました。
3年間どばたに通い「得られることは全て得たのだ!」と思いたいと思っています。今の私の精神面での成長も技術面での成長もどばたに通わないと得られなかったと思いますから。
 それともう1つだけ大切なことがあるんですが。
『上達は螺旋階段』という言葉を昔教わったことがあります。上から見ると同じ所を回っている様でも横からみると少しずつ上に登っているということなんです。実技は嫌でもやればやっただけ気がつかない程少しずつ積み重なっています、それにいつ気が付くかは個々のペースで。気が付いた時の上達っぷりは先生達を驚かすことができちゃうくらいです。あとは、気が付けるまで自分をどうコントロールするかということだけで。それを、学べたおかげで私は、3年間最後までやり通すことが出来たのだと思います。
 支えてくれた先生方、味のある友人達、本当にありがとう!






「要は意識の仕方」
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宮内 素さん(彫刻科) / 私立・城西大学附属川越高等学校 卒
合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
武蔵野美術大学 造形学部彫刻科
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 僕は高3の夏まで油画科に在籍していましたが、夏季講習会から転科して彫刻科で制作するようになりました。今考えれば本当に無謀なことをしたなと思いますが、時間的に追いつめられたぶん、
がむしゃらになってがんばることができたと思います。その年は私大は結果を出せたものの東京芸大は不合格、それでも次は必ず受かってみせるということで浪人が決まりました。
 この1年を振り返ってみると、現役の年に比べて実技に費やすことのできる時間が増えたために「1歩引いて客観的に見直す」余裕があったように思えます。
 どうして自分はここで浪人してるのか、どうして自分は芸大を目指すのか、どうして自分は美術をやっているのかなど、根本的なところを改めて考えることができ、それをふまえて今自分のするべきことや目標を立てることができました。
 この1年は経験不足を補うためにただひたすら手を動かしていましたが、時には一息ついて原点に立ち返ることで大きくぶれることなく目標に向かって進むことができたと思います。
 また、僕はどばたで浪人して大切な仲間と出会うことができました。夜間一緒に残って自主課題をし、コンクールではライバルとして競い合い、課題以外では仲の良い友達としてみんなで過ごして充実した浪人生活を送ることができたと思います。美術は自分と向き合うことも大切ですが、そういった周囲との結びつきもまた重要だということを教わりました。
 納得のいくものができなくて行き詰まったり、本番が近付くにつれて焦りや緊張を感じてしまうこともあったけれど、そういう時こそ原点に立ち返って見つめ直し、仲間とともに意識を高め合って前進していくことが大切だと思います。それはきっと受験だけではなく今後制作するうえでも重要なことで、これから先も忘れてはいけないことだと思います。






「疑う」
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村田 亜里紗さん(彫刻科) / 東京・私立跡見学園 卒
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻科
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 私が実技をやって行く上で一番意識した事は、疑問を持ち続けることでした。デッサンや粘土はもちろん、考え方や言葉にも気をつけていました。色々な考え方を知り自分が固まらないように、「うまく形がとれた」「いい感じだ」と思っても口に出す前に本当にそうなのか?と自分に問いかけるように、言葉に出すとそうだと思い込んでしまうので、思い込まないように自分を戒めていました。
 疑いを持つためにまず大事なのは知識でした。色々な事、考え方を知っていなくては考えることもできないので知ることから始めました。私は実技が上手くなく、経験も浅かったので人一倍努力していこうと思っていました。努力したら報われるとは思っていませんでした。ただ、努力する事で少しでも自分に自信をつけようと思っていました。
 知識をつければつけるほど自分の駄目さがどんどん見えてきました。自分を褒める事が出来なくて何を描いても何を作っても欠点が見えて不安で仕方ありませんでした。
 自分の作品を素直に褒められる人が羨ましくて、毎日悩んでいました。でも、悩み続けながら課題を続けているうちに吹っ切れてきました。自分はこのやり方で良いのかわからないけれど、おばあちゃんになるまで、満足できる作品が出来なくても新しい課題を見つけ続けられたら本望だなと思うようになりました。そう思うと前向きに取り組めるようになっていきました。
 芸大も多摩美も武蔵美も満足のいく作品は出来ませんでしたが、反省しつつ描くこと、創ることを楽しめたので、半歩前進したと思います。






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結城 実菜子 さん(彫刻科) / 埼玉・私立大妻嵐山高等学校 現役
合格大学:
武蔵野美術大学 彫刻学科
多摩美術大学 彫刻学科
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私は、高2の夏頃からどばたに通っていたのですが、本当にこの1年半、あっという間に終わってしまいました!でもこの1年半という時間は、実技の成長と共に、人間的にも成長できた、とても充実した時間になったと思います。
どばたに入りたての頃はただ美術に携わっていたいと漠然と思っていただけだったのですが、デッサン基礎での体験から、高2の冬、進路をはっきりと彫刻に決めることができました。
私は、後悔だけはしたくなかったのです。たくさんの選択肢、岐路の中から常に最善の…とまでは言えませんが、自分の選択に後悔しないよう、意志を強く持っていたと思います。
だから私は進路を彫刻にしたことを全く後悔していません。むしろ本当に彫刻科にきて良かったと思っています。そのおかげで、わたしはたくさんの良い友人、先生たちに出会えました。一時、酷いスランプに陥りデッサンが本当に描けなくなってしまいました。自分でどうしたら良いのかわからなくてパニックになり、もう自分はずっとこの調子なのかもしれない、という不安に押し潰されそうになったときも、私のことをよく理解してくれていた人々の厳しくも優しい言葉や、指導のおかげで何とかスランプを抜け出すことができました。
実技のことを考えていると、どうしても気持ちが落ち込んで暗くなってしまいがちな私は、そういう時は友人や先輩、先生たちと話してみるようにしていました。言葉にすることで、自分の作品についての考え方が整理されてはっきりとわかることがある、と私は思います。そういう思案の繰り返しによって、精神面でも鍛えられ、実技にも考えていることを反映させてみたり、新しいことに挑戦することができました。その結果、自分の良い部分と悪い部分が明確になり、自分は自然な感じと、色味が持ち味だからそれを前に押し出して、苦手な形を徹底的に最初にあわせる!!という気持ちで、モチベーションを上げていったことで自信がつき、試験では気持ちよく実技をこなすことができました。
そして、私が身をもって実感したことは、現役生はとにかく本っ当に入直で伸びる!!
周りの現役生の伸び具合には本当にびっくりしました。実際私も、入直前までのコンクールでは上位になんて雲のまた上〜みたいな感じだったのに、入直最後のコンクールではなんと現役3位!!
これには本当にびっくりしたし、何より嬉しかったです。
やっぱり、実技はこなした数だけ力になるし、あとはとにかく根性です。誰にも負けないって気持ちと、自信を持つこともまた大事だと思います。そうして試験でも新鮮な気持ちで楽しく実技をこなすことができれば、きっと合格できます!あと学科は大事です!やっておいて損する事なんかないと思います。
本当に、1年間夜間部で面倒を見てくださった彫刻科の先生には感謝しきれません。ありがとうございました!

2010年04月17日

●仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー

「インタビュー企画第11弾 仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー」




東京芸術大学 保存修復彫刻研究室 非常勤講師 益田 芳樹さん
インタビュアー 吉田 朗  阿部 光成

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」部分




これまでインタビューでは大学合格者や、作家活動をしている方へのインタビューをお伝えいしてきましたが、今回は「彫刻の力を生かした仕事」を実践している先輩にお話を伺ってみようと思います。

受験勉強に打ち込む皆さん、ふと彫刻と関わりながらどのように生きて行けば良いのか?どのような将来が待っているのか、不安になるということはないですか? 彫刻を学ぶ中で培ったデッサン力、素材を扱う技術力、空間に対する意識それらを使った職業、生き方も様々あります。

そこで今回のインタビューは すいどーばた美術学院彫刻科出身で、東京芸大彫刻科に進み、そこから保存修復の道に進んだ益田芳樹さんにお話を聞いてみようと思います。益田さんは仏像の保存修復の仕事をメインにしつつも、自らの作品も制作し、発表しています。また東京芸大で講師として後進の指導にもあたられています。

彫刻を学んだあとの人生の展開や、彫刻と関わる生き方、その広がりとして皆さんの参考になればと思います。今回は益田さんと浪人時代を共に過ごした吉田と阿部がインタビュアーをつとめます。(文中敬称略)




-----益田芳樹さんの経歴-----

すいどーばた美術学院にて4年間の浪人の後、東京芸術大学彫刻科に合格。彫刻科大学院、大学院保存修復、博士課程保存修復課程を経て博士号を取得。現在、保存修復彫刻研究室の非常勤講師をつとめる。

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中央が益田さん 左が阿部 右が吉田




-----修復の仕事とは------

吉田:
仏像の保存修復の仕事とは、どんなお仕事なんでしょうか?
仏像を直すという漠然としたイメージはあるのですが、具体的にどのような感じなのでしょうか?

益田:
簡単に言えば、仏像のお医者さんと言ったところでしょうか。診断を行い、処置を施すのです。具体的には、修復を必要とする仏像があるとき、先ずは事前調査というものを行います。これは、その仏像の形状・品質・構造を調査します。必要によってはX線調査も行います。そして、どのような修復を施すのが最善であるのかを考え、修復方針をたてます。ここまでが診断に当たり、修復を行う上でとても大事なことです。ここで方針を間違えるとかえって悪化させることにもなりかねないからです。そして、修理という処置にはいります。実際の作業は修復物件によって様々ですので、ここで全てを話すことはできないので省きますが、けして派手な仕事ではなくコツコツと進めていく根気のいる仕事です。

吉田:
X線調査など、現代的な機器も活用しているんですね。伝統的技法で行うイメージだったので意外でした。

益田:
非破壊が前提なので、いろいろ使いますよ。X線だけでなく医療用CTスキャンに入れたりもします。一番最新技術が必要な分野だと思っています。古典技法から最新技術まで幅広く使ってやっていますよ。

吉田:
なるほど。そんな保存修復について、どのような考えを持っていますか。

益田:
日本における多くの文化財は、長い年月のあいだに取捨選択、淘汰された結果です。それら、素晴らしい文化と造形に最大限の敬意を持って、「ものとわざとこころ」を継承し後世に伝いきたいと考えています。それには、高度に発達してきた古典の、材料と技法に関する正しい知識と技術を習得が重要と考えています。

吉田:
保存修復の魅力はどの辺になりますか?

益田:
ここまでの話しだけだと、あまり魅力を感じなく思えるでしょうが、とても魅力のある仕事なんです。一番の魅力は何と言っても、修復後の施主さんの喜んだ顔を見れるということですかね。きれいごとを言うつもりは全くないです。本当にその時の気持ちは「やって良かった!頑張って良かった!!」ですね。相手の喜ぶ顔が見たい。どんな仕事でもそれにつきると思いますが。

阿部:
相手がいる仕事ですもんね。その喜びは一人で彫刻作品をつくっていて感じるものとは違って新鮮ですね。修復した仏像を納めるときの心境ってどんなですか?

益田:
半分半分ですね。ここまでやったら大丈夫だろうという部分と、本当に喜んでもらえるかなという部分と。

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」




吉田:
太古の名作と対峙できる喜び、怖さ…などあると思うのですが、その辺りについてお話伺えますか?

益田:
喜びも怖さもありますよ。
喜びは、「直に触れることが出来る」ということです。何百年という時間の中で、淘汰されて来た結果であるわけですから、疑うことの無い教科書です。そんな経験を出来ることはすばらしく幸せなことだと感じています。
怖さもやはり、「直に触れる」ということです。自分の仕事によっては悪くなるということも考えられますから。。。喜びと怖さは紙一重ですね。ですから、先にも話したとおり「材料と技法に関する正しい知識と技術を習得」が重要と考えているわけです。日々勉強ですよ。

吉田:
仏像によっては何度も修復を受けているものもあるんでしょうか?

益田:
もちろん。表面は江戸時代に修復しているけど、中はそれ以前とか。現在は文化財保護という考え方があります。それ以前は 、文化財(美術品)という意識はないため“治す”という考え方が違う訳です。さらに時代によって技法が違うわけで。。。文化財保護法が出来る前は、“治す”は仏様が本来ある姿に戻すという考え方なわけです。ですから、今の時代は難しいですよ。「文化財」という考え方と、「仏様の本来の姿」という考え方がありますから。本当に難しいんです。仏像修復の理念については、自分自身、何が正しいのか日々考えています。まだ答えはでていません。しかしながら、現在まで伝えられてきたのには、それぞれの時代で関わってきた人たちの心があるわけで、その気持ちというのは大事にしたいと思って修復しています。そのようなことも修復しながら見えてきます。

吉田:
すごいですね。修復しながら過去の人たちと対話する感じですね。しかもそれが手を動かしながら仏像と対峙している中で出てくるのが面白いですね。

吉田:
仏師とはどのように違うのでしょうか?

益田:
う〜ん。。。むずかしいですねぇ。
仏師の方がどのような考えで、どのような仕事をしているのかが分からないですからねぇ。
自身の意識の違いなのかなと思います。私も修復家だとは思っていませんから。(笑)
彫刻家です!個人的な意見ですが、造れない人がよい修復を出来るとは思えません。ですので、私は仏像も造り修復もする彫刻家です!!!

吉田:
日常はどんなサイクルで過ごされていますか? 一日、一仕事、一週間と、どんな生活のリズムか教えていただけますか?

益田:
生活リズムについては何の参考にもなりませんよ。(笑)なぜなら夜型だから。自分でも良いとは思っていないんです!そんなわけで、朝起きるのは遅めです。それ以上は言えません(笑)
一週間のうち2〜3日は大学に行っています。大学での仕事は、講師とはいってもあまり教えているという感覚はありませんね。一緒に学んでいますよ。そんな歳も離れていませんから先輩って感じですかね。学生には「先生と呼ぶな」「俺は何も教えない」なんて言ってます(笑)
うちの研究室は大学院からですからね。自分で考えて行動して欲しいんです。その手助けが出来れば良いと思ってます。これって給料泥棒なのかな(笑)
いやいや、実習はちゃんとやってます!それ以外の日は基本的には制作しています。お寺からの制作以来ですと半年〜1年仕事、その他は展覧会に会わせて制作しています。

阿部:
実習は、どんなことをするのでしょうか?

益田:
担当は修復担当です。実際に依頼された案件をお寺の許可を得て実際の修復物の素材、技法、などを精査しながら、実際に修復をするという実習です。

阿部:
実際の依頼ということは二度と同じ実習はないのですね。

益田:
そのとおり。おもしろいよ。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)




-----大切なのは人間力------
吉田:
最近の予備校生は、大学を卒業した後に、どうお金を稼いで生活していくか?その辺りに不安を覚えている人も多いようです。益田さんの視点でお話しいただけますか。

益田:
これは持論なのですが、私は技術を学ぶのが大事だと思っています。なぜなら、技術があれば、自分の表現したい物を表現出来るのです。だから“技術”なんです。多く稼げるかは分かりませんが、生活は出来ると思いますよ。自分の表現ではなくともその技術を必要とするところ、人はいますからね。
それから、ありきたりだけど見る目を養うこと。これは本当に重要!それには良いといわれる物を多く見ることだね。ちなみにお薦めは仏像(笑)本気だよ!
それと、一番重要なのは人間力!立派な人間になれなんてことではなく、人として当たり前の立ち居振る舞いが出来るようになった方が良いということ。空気を読める人間になった方が良いということ。個性なんて物は人それぞれにあるものなんだから、そんなものを主張させる必要は無いんだよね。私は決して立派な人間じゃないし、どっちかって言えばアホな感じだし。なんでこんな話しをしているかって言えば、ご縁が最も大事だと感じているからです。私にとっては籔内佐斗司とのご縁はものすごく大きなもので、そのご縁を大切に出来ていることが(自分では出来ていると思っている)今の自分に繋がっていると思っています。ご縁はその先のご縁に繋がり、大きく広がって行くものだから。今は諸先輩方、友達、後輩達、お寺の方々、画廊の方々、その他多くのご縁を大切にして来たことで、今に繋がり、この先に繋がると思っています。
当たり前の対応が出来ること。けっこう大事です!

吉田:
確かに、これ大事ですよね。

益田:
これが無いと、誰も助けてくれないからね。本当に大切だと思うよ。

吉田:
保存修復と作家活動、この二つは益田さんの中でどのような関係でしょうか?

益田:
私にとって保存修復と作家活動は切り離せないですね。保存修復で学ぶことが多いんですよ。古典ってすごいなっていつも思います。契約や見積もり等、正直大変な仕事もありますが、それを作家活動に活かすことが出来ますから。今は生活の面で保存修復が基盤になっているという意味でも、切り離せないのですが、両方で生活が出来れば良いなと思っていますね。両方めっちゃ楽しいんです。

吉田:
それが理想ですよね。修復の仕事をしていて、彫刻の力を使う瞬間ってどんな時でしょうか?

益田:
欠失・亡失箇所の補作です。彫刻の力を存分に発揮するところだと思っています。その時には浪人中や彫刻科でひたすら勉強した、空間やバランスは自分の財産になっていると感じています。時代の背景はもちろんあるんだけど、人体の普遍性はどの時代も同じだから、そこでは彫刻の力が大切ですね。4年間の浪人、大学での6年間の人体の勉強がいま財産になっていると思います。

阿部:
益田さんの浪人4年間は、サボることも、休むことも無く、ひたすら勉強だったよね。

益田:
本当に今の自分があるのは、その4年間のおかげだと思うよ。

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益田さんの浪人時代の作品




-----決意と継続と------

吉田:
一緒に浪人していた時から、「保存修復をやろうと思っている」とおっしゃっていたのが印象的でした。修復をやろうと思った動機は何だったのでしょうか? また、いつ頃からだったのでしょうか?

益田:
父親や親戚が彫刻や陶芸をやっていた影響もあり、小さい頃から木で動物を彫ったり、塑造で造ったものを焼いてもらったりしていたんです。けど、美術大学があるなんて知らなかったんですよ。それまでは趣味の延長線だと思ってて(笑)それを知ったのが高校2年生の春。ですから修復に行こうと思ったのは高校2年生の春ですね。
修復に惹かれたきっかけは、高校1年生の時に行った奈良への修学旅行です。その時は、まだ獣医になりたかったのですが、新薬師寺の十二神将像を観た時は衝撃でしたね!いつかこんなのを造ってみたいって漠然と思っていました。
そんな時の朗報(?)だったんです!彫刻が学べる大学があるって事が。それまでは彫刻って趣味でやるとかしか思い浮かばなかったのが、彫刻を専門的に学べる大学があって、プロとしてやっていく道があるっていうのを知って、もうそこからは、修復(彫刻)に行くには芸大の彫刻科に入るしかないって感じで。

吉田:
獣医とは意外でした。長いおつきあいですが、初めて聞きました。修復も獣医も治すお仕事なんですね。
はじめ彫刻の大学院に進まれましたが、具象をしっかり学んでから保存修復にという考えだったのでしょうか?(東京芸大の保存修復は大学院からなので、一般的に彫刻の学部から進む人が多い)

益田:
彫刻の大学院に行ったのは、テラコッタという素材と裸婦像という奥の深い題材が楽しくなっちゃったからだけです。そのときの自分と一番対峙できるのがテラコッタだったんですよ。父親が陶芸をやっていて、小さい頃から粘土に親しみがあったのかもしれません。

吉田:
益田さんは芸大学部で4年間、大学院で2年間と彫刻をしっかりと学んだ上で保存修復の道へ進まれました。もしも、彫刻をしっかりと学ばずに修復へと進んだらどのように違いが出たと思いますか?

益田:
まったく想像がつかないですね。でも絶対に今のような状況ではなかったと思います。
そこで学んだものが、今の私の基盤だと思っています。予備校での4年を含めての10年間の彫刻の勉強があって、今の自分があるように思います。今していることも、絶対この先に繋がると思っています。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)部分




吉田:
芸大での在学期間が、11年と非常に長かったと思うんですが、焦りとかはなかったのでしょうか? 人生の進路をしっかりと決めて、そこにブレがなければ、そのへんは怖くないのですか?

益田:
いやいや、途中何度か大学を辞めようと思った事もありましたよ。年齢的なことで焦りや怖さもありましたし。それでも家族や籔内先生や仲間達に支えられて、博士号取得までたどり着いたって感じです。「学びたい事が大学にあるのなら、とことんやれ!」って家族が背中を押してくれたんです。本当に感謝ですね。
今は、辞めなくて本当に良かったと思っています。人生には遠回りなんてものは無いって実感しています。

吉田:
大学を辞めようと思ったとは意外です。具体的にいつ頃のことだったんですか?

益田:
最初は学部の3年の時。はじめて現実が見えたのがその時じゃないかな。彫刻で好きなことがやりたくて来たけど、好きなことやりたいだけで生きていける世界じゃないと、そのとき強く感じたんだよね。もう一回は博士の1年。こっちは年齢的な焦りだね。




-----作品と修復と------

吉田:
須田悦弘さんのアシスタントを以前されたと聞いたのですが、伝統的な保存修復の仕事と現代美術の世界に接点があるというのが興味深いのですが、そのときのエピソードなどお聞かせ願いますか。

益田:
今から4年程前の博士課程1年生の時でした。修復家で、芸大の古美術研究施設の教員もされている方からの話しでした。急に電話があり「今暇か?須田悦弘という作家のアシスタントが出来そうな人間を地中美術館で探しているから、君を紹介しておいた。すぐに直島に行ってくれないか?3日くらいの着替えと彫刻刀と砥石を持ってけば大丈夫だから」って言われたんです。もちろん須田さんのことは知っていたし、そんなチャンスは無いって思って、2日後には行きました。しかし、アシスタントは朝から晩までみっちり1ヶ月でした(笑)それと、後から人に聞いた話しなんですが、話しをくれた先生は、最初は「そんな技術のあるやつで暇なやつはいない」って断ったらしいのですが、ちょっと考えたら学生にいるって私を思い出してくれたらしいんです。この話しを聞いた時は正直嬉しかったですね。しっかり勉強しておいて良かったと思いましたよ。
その先生と須田さんとの接点は無かったのですが、地中美術館の研修で古美術研究をして、その時に同行したのが、その先生だったというのが話しが来た理由らしいです。
その時の経験も、私の財産ですね。須田さんの作品は私の価値観を変える程のものでしたから。

吉田:
3日くらいの着替えって言うのはそれを洗えば1ヶ月はいけるってことだったんですね…
でもとてもうらやましい経験ですね。大きな出会いの一つですね。

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益田芳樹 炎金魚2010(赤)




益田:
大学のなにが良いって、何かに向かって一所懸命やっている人と出会える事だと思う。自分も何かに真剣に向かっていて、他の人も何かに真剣に向かっている、そういう状況での出会いって貴重だと思う。そういう意味で予備校、大学って大切だと思う。人との出会いは財産だよ。

吉田:
作品も制作して発表されていますが、修復の仕事とどのような違いがありますか、またどんなふうに切り替えているのですか?

益田:
違いは感じています。ただ瞬間というよりは、向かう対象への気持ちの切り替えだと思います。修復は、尊重しなければならない対象があるということで、自分だけを出してはいけないということです。文化と造形への最大限の畏怖と敬意を持つことです。自身の制作では、誰かの喜ぶ姿を想像しながら制作しています。そこには造っていて楽しいというのが前提です。
しかし、作業に関してはそれほど違いを感じないですね。 
修復する時にも自分の感覚は大事にしていますし、彫刻する時に資料も集めますからね。そういった感覚を養うためにも良いものを沢山見るのは大切かな。世間一般に良いといわれているもので良いと思うし、はじめはどこが良いのかわからなくても良いと思う。そのうちどこが良いとかわかるようになってくるから。それが経験だと思います。
つくれない人間は修復も出来ないし、感じれない人は作ることも出来ないし、修復することも出来ないからね。

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益田芳樹 炎金魚(黒)




------彫刻を勉強している学生に向けて------

吉田:
益田さんは、すいどーばたで長く浪人されていましたが、今の受験生、特に多浪生に向けてアドバイスをいただけますか?

益田:
何度も言っていると思いますが、今の自分になるには無駄なことは1つも無かったと思っています。4浪したから今の自分があるのです。もちろん、浪人生を楽しんでしまったがために4浪もしたんでしょうが、まじめにやっていたとしても4浪していたでしょう。私にはその時間が必要だったのです。人生には遠回りなんてものは無いのですから。
ですので、くさらず真っ正面に向き合ってください。
最後に、受験に関するアドバイスとしては、受験には“答え”があります。その答えを導きだしてください。そしてその答えは先生からは導き出せません。僕は現役から5年かかりましたが、皆さん、自らの手で導き出してください。

吉田:
これから彫刻を勉強する学生、保存修復を学ぼうとする学生に大変ためになる貴重なお話を伺えました。本日は本当にありがとうございました。

今回インタビューをさせていただいた、益田さんの所属する東京芸術大学大学院 美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室では、多くのすいどーばた美術学院出身者も日々研究にいそしんでいるそうです。そのなかから3名、作品画像のみとはなりますが、紹介させていただきたいと思います。(敬称略)

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小沼祥子(教育研究助手)
興福寺蔵脱活乾漆造八部衆のうち乾闥婆立像(修了作品)「お仏壇のはせがわ賞」




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鈴木篤(博士課程3年)
東京国立博物館所蔵天王立像模刻(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




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中村志野(博士課程1年)
雪蹊寺蔵木造吉祥天立像(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




また、保存修復彫刻研究室で昨年度手がけた修復、模刻研究の研究成果展示発表会があります。保存修復の仕事に興味のあるみなさんはぜひ足を運んでみてください。

研究報告発表展
場所:シンワアートミュージアム(銀座7-4-12 ぎょうせいビル1F)
期間:2010年4月25日(日)〜29日(木・祭)
時間:10:00〜17:00


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東京藝術大学 大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室 ホームページ
にて研究室での活動、最新情報などを見ることが出来ます。


2008年07月07日

●2008年芸大合格者に聞く

「インタビュー企画第7弾」

2008年芸大合格者に聞く!
                  インタビューアー 西嶋、吉田
今年すいどーばたは9名の芸大合格者を輩出しました。その内訳は現役生から1浪2浪3浪と幅広い経験数の学生が合格しております。

今回はその中から、三人の方に来て頂きました。
まず最初は、すいどーばたに通えない地方在住のため「通信教育」を通じての指導と、さらに春夏冬入試直前の各講習会を受け現役合格を果たした北田君。二人目は名門美術高校出身の実力者ながら2浪することでさらに本格的な力を身に付けて合格した中澤さん。三人目は、一度一般大学を卒業したが、大学で出会った先生の影響を受け彫刻を始めたという増渕君です。将に特徴のある三名に受験や予備校生活を振り返っていただいて、大切にしていたことや意識的に取り組んでいたことなどを伺っていきたいと思います。さらには芸大に通っている現在のこともお聞きしたいと思います。

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まずは各自の紹介をしたいと思います。

昼間部・白ヘビクラス出身:増渕剛志くん
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一般大学卒業後、3浪しての合格。完成された塑造力は目を見張るものがあります。多くは語らないが制作に対する姿勢でクラスをまとめるリーダー的存在でした。
合格大学:東京芸術大学、多摩美術大学

昼間部・黒猫クラス出身:中澤安奈さん
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調子のきれいなデッサンから、描写力を身に付け、最後はそれらを超えた臨場感のある本格派デッサンを描けるようになり、文句なしの圧倒的な存在感でした。
合格大学:東京芸術大学

そして通信教育出身:北田匠くん
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通信教育では出題した課題をはるかに超える量の作品を毎回送ってきた先生泣かせの学生。優等生なだけではなく、底知れぬパワーを秘めた貪欲な現役生でした。
合格大学:東京芸術大学


西嶋:本日はよろしくお願いします。

あらためて芸大合格おめでとうございます。
経験はそれぞれですが、3人ともようやく大学生になったという感じがしますね。
そのあたりからお伺いしたいと思います。
まずは彫刻を志したきっかけを各自にお伺いします。

北田君は現役合格ですが、通信教育を始めたのは高校1年のときでしたっけ?
どういう経緯で彫刻を志したか教えてくれますか?

北田:小さい頃からもの作りが好きで、レゴをやったり、おもちゃ作ったり、陶芸をしたりものを作っている時が自分にとって一番無心になれる時間で、心地よいものでした。初めは当たり前すぎて自分が本当にもの作りが好きなのか分からなかったんですが、親が彫刻家というのもあって、小5くらいの頃には世界一の彫刻家を目指していました。
通信を受け出したのは高2の春からで、他の人に比べたら早い方だったと思うのですが、地方からの受験ということで不利に感じていた部分もあり、喰らいつく気持ちでやってました。でも、結局は地方からの受験というのは自分の土俵を持ちつつ、中央に来て触発されてまた帰って、自分のやり方を改善しながら進めて行くっていうのは利点になっていたように思います。

西嶋:小5ですか・・・。小さな頃からお父様の仕事場を見ていた影響は大きいですね。
中澤さんは美術高校出身ですよね。はじめから彫刻を専攻していたのですか?
彫刻にしたきっかけなどあれば教えてください。

中澤:初めは油絵専攻でした。それが、高1の終わりからスランプで描けなくなり、苦しんで悩んだ結果、高3で彫刻科に転科しました。正直、彫刻って良くわからなかったんですが、1年次の授業で彫刻をしている時がすごく楽しかったんですよね。そのことを身体がおぼえていたんじゃないかと思う。たぶん絵が描けない中でつくる喜びに飢えてたのかな。絵は描けないとずーっとゼロ(白紙)のままなのですが、彫刻はまず形になる、それがとても新鮮でした。あと彫刻の先生がおっしゃった「ジャコメッティーは存在するものと空間の境目を見きわめた人なんだよ」という言葉に感動して興味をもったのも大きいかも。

西嶋:当時高3の中澤さんが体験入学に来たときのデッサンを良く覚えていますよ。調子のきれいなデッサンでしたね。その時も何やら悩んでいましたね(笑)
増渕君は他の2人と違い一度一般大学を卒業してからすいどーばたに来ましたよね。
結構決断のいる事だったと思うのですが、その背景にはどのようなことがあったのですか?

増渕:前の大学ではデザインを専攻していましたが、興味が持てず、自分の可能性を模索していました。木工、金工、窯芸等大学で出来ることは手当たり次第さわってみて、その中の一つに彫刻があったんです。大学の2年の頃から彫刻を志す訳なんですが、僕は2人とは違い全く専門的な美術教育を受けていませんでした。いざ彫刻をつくるとなると、自分の中に判断基準がなく、不自由さを感じていました。自由につくればいいのに不自由なもどかしさ。
1から彫刻を学びたい、という気持ちが強くなり、彫刻とは何なのかという疑問をアカデミックな勉強の中から考えてみようと思い、予備校の門を叩きました。芸大に入るというよりも、1から彫刻を学ぶんだという気持ちの方が強かったです。その先に大学があるという考え。一度型にはまりにいこうと。そこから抜け出すか、はまるかは自分次第なので自分の中に一つの基準をつくりたいと思っていました。

西嶋:なるほど、大きな決断と言うよりは自然な流れだったんですね。マイペースな強みですね。
北田君は優等生と言われていましたが、入試直前はもっと突き抜けた精神状態だったようにみえました。そのあたりの心境を聞かせて頂けますか?

北田:自分としてはそんな認識がなかったんですが、誰よりも努力したいとは思っていました。夏季講習で3位をとった時から、トップをとりたいって意志が強くなっていって、冬も2位をとって自信もついてきてたんですが、入直になったら周りがめっちゃ上手くなっていて、現役合格を前提としてたこととかが急に重しに変わっていった感じがしました。やっぱり悩むと実技も伸びないし、焦ったり、このまま受かってもその先いけるんかなって悩んでた気がします。でもある頃から、自分は結局逃げてるだけやって気付いて、大切なんは受かるかどうかってことより、自分らしく生きることなんやって思って自分の生き方として今やるべきこと、今しか出来ないとことを一生懸命やればいいって思えるようになると、急に楽しくなってきて全てがプラスに思えて、やりたい様にやろうと思っていきました。受験のというより彫刻の勉強がしたいと思いだして、最後の方は参作より、作家の図録ばっか見てた気がします。入試も全然怖くなくなって当日も自然体でいれましたね。

吉田:実技も現役生ばなれしていましたが、考えも、普通の現役生とは違っていたのですね。北田君の実技を見ていて「どんな状況でも確実に仕上げてくる」と感じました。他の人だと形の狂いがあったとりとか、印象が出ないとか、色々な理由で途中になってしまうデッサンが何枚に一枚の割合で入ってくると思います。北田君を見ていて、途中で終わるデッサンがほぼゼロだったように記憶しています。なにか完成に対するこだわりとか、強い思いとかあったのですか?

北田:そうですね。自分は描写タイプなので、ベースやって次何やって・・・とかいうよりかは最初から描いていくし全体的にバランスを取りながら進めていく感じなんですけど、何をもって途中というのかわからないんで、まあ描き込めば完成なのかといえば、そうでもないと思うんですが、自分としては もちゃもちゃしたまま終わらせるのは嫌で形を決めていく感じでした。だからそれがかえって強引と言われる部分になったりもしましたね。でも前提として描ききりたいというのはありました。

吉田:表面的な完成度とは別の次元での戦いだったのですね。話を聞いて実技に納得がいきました。

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北田君の模刻 奴隷首像

吉田:北田君は現役で東京芸大合格を果たしました。一般的に現役生は塑造力で浪人生と差がつきやすいと思いますが、上の奴隷首像模刻のように浪人生をも凌駕するような塑造力を身につけていましたね。高校も普通科で剣道部とかだったと思うのですが、塑造に関して高校2年生の時から意識して取り組んでいた事などありますか?

北田:初めてどばたに来た時に、デッサンはいけても塑造は入直だけでは難しいと聞いていたんで、粘土は多めにやるようにしていました。一番実力につながったと思うのは20分間の粘土クロッキーだったと思います。スパンとしては朝粘土、放課後はデッサンという感じだったんで、行ける時は始発で行って、粘土クロッキーを3セット〜5セット位やったり、土日も学校が開いている限り作ってる感じでしたね。
浪人生は一日中制作していると思うと、焦りがちだったように思いますが、1人黙々とやっていましたね。家族の支えがあってのことだと思います。

吉田:始発、3セット〜5セット、学校が開いている限り・・・あの塑造力は血のにじむような努力のたまものだったのですね。体も心も強かったんですね。

吉田:続いては中澤さんに質問です。現役1浪と2年続けて芸大1次試験を通過しました。1浪目で落ちた時に既にかなりの力があっただけに、二浪目は大変だったんじゃないかと思います。力のない人は基本的にバンバン力をつけて、それがコンクール等の結果にも繋がり、またがんばれるという好循環をつくっていきやすのですが、中澤さんはコンクールでよい成積をおさめても(たとえトップでも)、講師陣からかなりの辛口の講評を受けるという場面が多かったように思います。なかなか思うようにデッサンが変化していかない時期が続きましたが、どんな思いでしたか?また、気持ちのコントロールがうまくいかない時とかってあったりしましたか?

中澤:あー、すごくしんどかったです。実は私はほめられてのびるタイプの人間なんですよ(笑)。何をやってもダメな人間なんだーって、いつも落ち込んでました。得意としていた描写型のデッサンを描いても、お前がやるべきことはこれじゃないだろ!って言われるし、よくわかんないから、とりあえず描写を捨ててみたら、何も残らなかった。何をやるべきなのかわかっていなかったんですね。ただ自信がなかった。
それが夏季講習のコンクールのあと、先生が「中澤にはこういう能力があるんだ!」というのを1時間くらい言い続けてくれて、初めて客観的に自分を認めることができました。そしたら、自分は何を捨てるべきで、何を構成すべきなのかが明確に見えてきたんです。求められているのは、元々自分にない彫刻的、量的見方なんだと。別に先生方に嫌われている訳じゃないんだって(笑)。
あの時「お前のやっていることは一浪の延長だ」と言ってもらえて感謝でした。私の本当の二浪のスタートはここから、とも言えます。
でも現実は大変でしたね・・・。新しい見方がなかなかものにならなくて。直前の一週間までもがいていました。でも新しいことを学ぶ喜びがあったので充実していました。
それに経験したことは、必ず絵に出ますね。大切なのは見ることですね。

吉田:自分との戦いの1年だったんですね。

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中澤さんの石膏デッサン 円盤投げ全身像

吉田:中澤さんは、描写力などのテクニックはこの三人の中でも一番優れていたように思うのですが、受験においてのテクニック(技術)とメンタル(精神力)はどんな関係でしたか?支え合うもの、反発するもの、いろいろな考えがあると思うのですが、中澤さんにおいてはいかがだったでしょうか。

中澤:テクニックが邪魔している!と思う事が何度もありました。本当はわかっていない部分もうまさでカバーできてしまうから、まず自分がそれにだまされてるという危険な一面もありました。モチベーションが低い時は、テクニックが先行して、表面的でつまらない絵になるし、不器用な人の味のあるデッサンに憧れていましたねぇ。私の場合は「キレイだなぁ」とか「スゲーなぁ」と感じることからデッサンに入ると、調子が良かったです。テクニックそれ自体では力を成さない。自分のイメージを形にする道具ですから。私はイメージがないとダメでした。うまさを見せるためというよりも、他の人に何が描きたかったのかわかってもらうためのテクニックであることが大切だなと思います。

吉田:うまさでカバーできる というラインを超えた対象とのやりとりのレベルに向かっていたんですね。やはり2浪めは高いレベルで戦っていたんですね。

西嶋:じゃあ次は増渕君に聞きます。
増渕君は塑造力がしっかりしていて、かなり自分でコントロールできるようになっていたと思います。どんな点に気をつけて制作していましたか?

増渕:予備校では彫刻をつくるとなると、受験ということもあり、必然的に粘土での表現になってしまいます。それを受動的な素材の選択ではなく、数ある素材の中から粘土での表現を選んでいるんだと捉え直してみました。数ある素材の一つとして粘土の可能性を考えてみようと思ったんです。3浪して自分では押さえどころは理解していた、と思っていたのであとは自由にやろうと思いました。やることやったらあとは遊ばせてくださいな、という感覚で粘土の表現として面白いかどうかや、素材としての魅力を引き出せているかに重点を置いていました。

西嶋:なあるほどね。そうした意識が塑造に対する取り組みに出ていたんですね。
逆にデッサンはなかなか調子っぽい状態から抜け出せず苦労したように思いますが、そのあたりも聞かせてください。

増渕:デッサンでは一つのきっかけ、意識的な変化はありました。
ある人に何も見ずに卵を描いてみろと言われたんです。描けなかった・・・。それが自分の実力なんだと痛感させられましたね。自分は画面の中に卵一つ存在させる事が出来ない。平面的な見方しか出来ていないんだと。石膏デッサンを描いていると何となく立体っぽくなるけど、今までのはただの色塗りだったんだと。真っ白な画面の前に立つと平面的な輪郭的な見方になっている自分がいる。それを自覚した上でデッサンは平面という制限のある中で立体をより立体として捉えるための確認と訓練なんだと。平面だけども立体の仕事をするんだと思ってからデッサンが変わっていったように思います。

吉田:西嶋先生の言われていた調子っぽい感のあったデッサンですが、試験直前の二月終盤、最後ある種の吹っ切れた感じというか、悟りというのか(笑)ごちゃごちゃ気にせずこう描くんじゃい!と言わんばかりに、どんどん力強く、活きたデッサンになってったように思います。そのあたり、何か心境の変化でもあったのでしょうか?

増渕:講評の時、皆のデッサンと一緒に並べてみると、自分のデッサンが絵として見た時に全くつまらない、面白くないものに見えたんです。狂っていても感覚的な魅力のある絵に引きつけられる自分がいました。正確に描くよりも、表現として見た時に大事なものが他にあると。いくら構造だ動きだと考えても話にならない。受験直前は頭がいっぱいいっぱいで何も考えられないし、何も入ってこなくなりました。3年間考えて来たんだからもう体が覚えている。だったら最後は自分がカッコイイと思ったものを画面にたたきつけるだけだと思いました。自分の見えているもの、感じたものはこんなもんじゃない、俺にはこんなにもかっこよく見えているんだと。それだけをずっと追い求めていました。昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日と、前向きな気持ちがエネルギーになっていたように思います。

吉田:構造、動きといった彫刻的要素を3年かけて体得しきった上での達観だったんですね。

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増渕君の 石膏自刻像

吉田:増渕くんが首の塑造で色々なタイプの表現を取り込んで制作していたのを良く憶えています。荒々しいマチエールの作品や、量感の強さを追い求めた作品など、塑造表現としての探求みたいなものが、はじまっていたように思います。どのようなスタンスで塑造制作に取り組んでいましたか?試験でも手という作品性を入れやすい課題でしたが、予備校での取り組みと実際の芸大の試験での実技にスタンスの違いなどはありましたか?

増渕:首と手にはこだわりがありました。大学に入ってからも作り続けたいという思いはあったし、こういうものを作りたいという欲求があったので、じゃあ予備校の授業の中では何が出来るのかなと試していました。自分の可能性を広げるという意味でも他の人の粘土を参考にしたり、好きな作家の真似をしたり、こんなことも出来るんじゃないかという遊び感覚です。粘土をカピカピに固くして磨いたり、グチョグチョの粘土でベチョベチョ等いろいろやってみて自分はどういうものに反応するのか、快感を覚えるのかを探っていました。芸大の試験ではシンプルでチョー地味な作品を作りました。派手さのかけらもないですね。よく見てくれたなと思います。僕が教授なら見向きもしませんけど。ただ、アイデアはなくても他の要素で見せる自信はあったので、元気が良いのは周りに任せてガツンと真っ向勝負という感じでした。予備校での手の構成課題では物語性を持たせたり、構成として面白くしたり、いろいろ考えて楽しんでいましたけど。そうじゃなきゃやってられなかったですし(笑)。ただ、いざ試験となると、びびるしいつも通りいく訳ない。自分が緊張しいてたのは分かってたし、手はブルブル震えるし、心棒は材料の関係でヒョロイのしか作れないし、無難にいくかと。
普段の授業の中で色々な表現をする事で、6時間という短い時間の中で適した作り方はどれか、受験に確実に勝っていく仕事のやり方を1つ自分の中で作れたので、粘土に関しては余裕がありました。受験用の塑造と割り切って作っていました。

吉田:塑造表現の広がり限界まで追った先で、6時間の試験との折り合いを見極めたんですね。かなり深い戦いだと思います。増渕君はどちらかというと器用なタイプではないと思うのです。もちろん良い意味でもね。じっくりと力をつけ、積み上げ続ける、それを支える強い信念があった学生だ という感想を僕は持っているのですが、全国で芸大目指して彫刻の勉強をしている器用ではないタイプの人たちに何かアドバイスをお願いします。

増渕:確かに、恐ろしいほど不器用ですね。不器用だからこんな回りくどい生き方をしているんでしょうし。人一倍時間はかかるは、上手くいかないはで大変ですけど、人一倍悩み考えた分、出来た頃には確実に自分のものになっているはず!! 不器用な人、人に教わるのが苦手な人にはそのぶん癖のある、こだわりのある人が多いと思う。下手に器用で上手くこなす人よりも見ていて面白いし、うまくはまった時にはその人にしか出来ないものが生まれるんじゃないかな。人生長いんだし、先に行きたいやつは行かせて何十年か後に抜かせばいいじゃないか。ゆっくりと自分の足で歩いたぶん、走り抜けただけでは気付かない、自分だけの探し物がきっとみつかると思います。 彫刻は時間かかるんだし、のんびりいきましょうよ。
ナイフではなく棍棒で振り回すようなかっこよさ、生臭さがあっていいと思いますよ。不器用なものはしょうがないじゃん、そんな自分を受け止めてあげましょうよ。

西嶋:では次の質問です。これまで合格してきた人は大抵自分独自のプロセスをつくりあげていると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか?自分を支えた何かがありましたら教えてください。
先ほどの質問と被ることがあるかもしれませんが、これは!というものがあれば教えてください。

北田: 常に自分を見失わないで、客観的にみつつ、主観も通すという事を意識していました。入直において大切なのは体と気持ちのコンディション。入試は長丁場なんで、無理しすぎない生活を送る事が大事だと思います。どばたではガンガンやってホテルに帰ったら何もしないとか、集中にメリハリをつけてリラックスするのが大切だったと思います。自分にとっては牛乳がリラックスの必需品だったんで、そう言うアイテムを見つけるのも大切だと思います。

西嶋:牛乳ですか(笑)。確かに気持ちの切り替えは大事ですよね。
他はありますか?

中澤:参考にならないかもしれませんが、私は中1から芸大を目指してきたので、当然根強いこだわりがありました。でも2浪して、芸大ってどういうところなんだろうというのを世界の基準から見るようになって。そしたら今まで芸大に対して持っていた憧れや強い思いとは別に、そこには日本の役割を荷なう教育機関が見えました。そしたら、大学4年間という時間の中で何ができてどういう可能性があるか、というのが見えてきたんです。そして不思議なことに、2浪してダメだったら、芸大よりも最善な道があるってことなんだ、と思うようになったんです。実際落ちたら、スケッチブックをもって世界を放浪するつもりでした(笑)。落ちたら落ちたで私にとって芸大に行くよりも益になるかもしれない、と。
2浪して初めて落ちてもいいやと思えたんです。それはあきらめではなく、新しい希望でした。自分の道を神様に全部ゆだねる気持ちになったというか。そのための2浪だったんだな、と今思います。試験が終わってから、父が「受かるといいね。でも落ちても、それもいいよね」と言ってくれたことも大きかったです。家族の支えに感謝しています。

西嶋:そうですね。自分にできる事はやりきったからこそ、そう思えたんでしょうね。
どちらにしても次の道が見えてきたということですね。
ではさらにお聞きします。受験において一番重要だと思うこと、あるいは自分が大切にしていたことがあれば教えてください。

北田:受験は合格するためのものだけど、受験のため(だけ)の勉強というのは良くないと思います。その先を見据えた、作品制作に繋がるよう学んでいくことが大切だと思います。
実際は体力とか、精神力がものをいうし、プラス思考でいかなきゃ絶対に潰される。弱いところを直すというよりかは、良いところを伸ばすことが大切だと思います。自分のスタイルって考えた時に、弱点を直したからといって、自分らしさになる訳じゃない。自分の強みを生かしていくとおのずと問題も見えてくるからそれを直していく方が、自分のスタイルを築けると思います。常にプラスへで、自分を動きやすくすることが大切だと思います。現役生って不安や迷いも多いけど、そこで勇気を出して一歩踏み出さなきゃダメ。自分を信じられるところまでやるのが一番です。

西嶋:北田君は強いね。だけどその裏には先ほど出てきた話にもありましたが、自分の弱さを経験し、乗り越えた上にこそあるのでしょうね。
中澤さんはどうですか?

中澤:芸術の仕事というのは、答えのない問いかけだったりするものなんじゃないかと思うのですが、受験ではまず問いがあって答えがあるんだ というのに気づいて、楽になったこともありました。ちゃんと相手の問いかけに的確に答えられているか?ということはしっかりおさえていないと、受験は成立しないんだなと。自分だけが理解出来るような作品を作っても意味をなさない。そういう意味で相手をよく知ること、自分をよく知ること、その上で戦いができると思います。浪人で気をつけていたことは、波を最低限におさえること。体調が悪くても、精神的にふにゃふにゃでも、合格ラインを保つこと。普段どんなにうまく描けても試験当日にそれが出せないと意味がないと思っていました。

西嶋:受験に於いて重要なポイントですね。言葉ではわかっていても実際に明確にそのことを理解し、実践出来る人は少ないと思います。精神的に強くなりましたね。
増渕君はどう?

増渕:客観性の一言に尽きます。客観性の意識とその獲得こそが予備校で得た一番大きなものだった様に思えます。講師から何度も同じ事を指摘され、そのたびに自分に苛立ち、わかっているけど出来ないもどかしさ。ただ、自分の作品を見て感じることと講師から言われることは同じだったので、自分が客観的に見さえすればいいんだと、今、自分はどういう状態で何が必要で何を捉えにいくのかを見極める。自分で自分を育てる力を身につければ良いのではないかと思います。すいどーばたには幸いにも大勢の人がいて比較できる対象が多いので周りに流されやすいという危険性はあるけど、客観的になれる材料は揃っていると思います。一人ひとり必ずいいものを持っているので、それをどう活かすかも実力だし、そこを補うのが客観的な視点だと思います。それさえ出来れば誰でも受かりますよ。

西嶋:他の二人の話の中にも「客観性」というキーワードが出てきましたね。
そのことを本当の意味で実感できた事は今後の人生において非常に有益になると思います。
では、今度は芸大に合格した後のことを伺っていきたいと思います。
芸大に通ってみて感じる予備校と大学の時間の流れの違いや、予備校と大学の先生との距離、仲間との過ごし方など受験時代とはだいぶ変化があると思いますが、その辺りをお話し頂けますか?

北田:大学は自由と聞いていたけど、思ったより制作時間が限られていて残念でした。授業内容は1年ということもあって道具作りなど基礎的なことが多い印象を受けました。だけど、その中で自主的に制作をすることもできるので、その辺りは居心地が良いです。課題の期間も長いので、自分のペースで制作ができるところは大きな違いです。

西嶋:今は石彫実習をやっているのかな?

中澤:はい。正直、身体はかなりツライです〜。毎朝手が固くて開かない(笑)。

西嶋:6面出しですよね。

北田:はい。僕はもう6面出しましたよ。

西嶋:おお、すごいねー!先生との関わりなどは何か変化ありました?

中澤:入学前に先輩の話を聞いた限りでは、先生との距離や同級生との関わりも薄いと思っていたのですが、実際は割と親密な感じですよ。研修旅行では教授や助手の方々と一緒に山登りしたりして、意外な一面を見ることができたり。関わりを持つチャンスはあるし、要は自分次第ですね。

増渕:予備校では受験ということもあり教えられるという感じでしたが、大学では先輩の作家としてアドバイスしてもらうという印象です。

北田:石彫場を含め大学では先生の制作している姿を見ることができるので、刺激になります。

増渕:助手の方からも研究室に気軽に来ても良いとおっしゃっていただき、フレンドリーな感じを受けます。

西嶋:ほう、結構親密にやっているんですね。

北田:クラスメートともみんなで鍋やったりパーティーしたり、楽しいですよ。今年の学年は仲が良いようです。

増渕:そうですね。肩苦しい感じはないですね。受験生の時は、どうしても一人で戦っていた感じがあったけど、大学ではもう少し周りと密接に関係を持てていて、一人一人が見えやすい感じがしますね。

西嶋:時間の感覚もやっぱり違うよね。

増渕:時間はゆっくりしています。予備校とは真逆ですね。受験という特殊な状況から意識を変えるのにはこういったゆっくりとした時間の流れが必要なのだと思います。


西嶋:では最後に受験生に向けてメッセージがありましたらお願いします。

北田:受験において、合否というものは、自分の許容範囲にあるものではないと思います。やりきって合格する人もいれば、それなりにやって合格する人もいる。逆にやりきっても合格できなかったりということもある。自分の手の及ばないところで悩む必要はないと思います。自分に出来ることを自分が納得するまでやりきることは、自分次第でどうにでもなること。それをやるだけ、それだけでいいと思います。

中澤:いろいろな問題や課題を一人一人が抱えているのだと思いますが、問題の以前にまずしっかりとした土台において、自分が自分らしく存在すること、これが最も大切な事だと思います。それと体あっての制作だし、必要なだけ食べ、寝て、時には心よりも体の方が正直な事もあるのでそれに素直に従う事も大事だと思います。周りの人、アトリエの空間も大切にすることが、心の在り方、作品の在り方につながってくると思います。来年みんなが芸大の門をくぐって来ることを楽しみにしています。

増渕:とくにないですけど、多浪の楽しみ方の一つとしては、大学に入ってからの事を考えるとおもしろいかも。授業なんて出なくて良いから、予備校に縛られず、色んな作品見たりして常に新鮮な気持ちでいることが大事になる。おもしろい作品のアイデアが浮かんだらニヤニヤしながらメモして授業の中で出来そうなら学校に来てやってみる。意外と予備校のカリキュラムの中でも考え方次第で、自由に楽しく自分の作品作りが出来ますよ。あと、どばたにいると1日とか多くても3日課題だけど、先生にお願いして、1,2ヶ月ぐらいかけてじっくりと納得いくまでやってみてもいいのでは?一度人生踏み外しているんだし、周りに合わせる必要はないと思います。一浪生、現役は知りません(笑)。ただ突っ走れば良いんじゃないですか。だめだったら浪人すればいいじゃん。いいことあるから。

西嶋 吉田:増渕くん、中澤さん、北田くん、本日はありがとうございました。3人とは予備校を通して長く接していましたが、今日初めて聞くエピソードに、驚きや納得が多々ありました。やはり3人ともかなりディープな戦いを経て合格を勝ち取っていたんですね。全国の芸大、美大を目指す多くの方々にも多くのヒントや励ましに富んだインタビューだったと思います。
今日は本当にありがとうございました。

2008年03月05日

●すいどーばた卒業生に聞く大学生活

「インタビュー企画第6弾」
インタビュー第六弾はドバタから巣立っていった学生のみなさんがその後、大学などでどのような活動をしているのかに迫ります。大学での生活や作品制作、カリキュラム以外での自主的な活動など、大学に入るとどのような日常が待ち受けているのかを聞いてみました。皆さんに近い等身大の大学生の生活、自主的な活動など参考になるお話が聞けると思います。

今回は、広島市立大学に進学し、この春卒業を迎えた黒田君と丸橋君に話を聞いてみました。クラス担当した西嶋と広島の展覧会に参加した吉田がインタビュアーを務めます。

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黒田大祐君と現在の作品

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丸橋光生君と現在の作品

吉田(以下Y):今回はすいどーばた出身者が大学に進んでどんな活動をしているのか?紹介して、すいどーばたで勉強している皆さんにアフタードバタのイメージを持ってもらおうという企画です。まずはお二人とすいどーばたとの関わりから聞きいていきたいと思います。
二人は結構浪人が長かったように思うけど何浪してたんだっけ?ちなみに僕は3浪なんだけど・・・
丸橋(以下M): 僕は3浪しました。
黒田(以下K): 僕も3浪しました。長いですね。

西嶋(以下N): 二人は京都から出てきて下宿生活をしていたけど、暮らしとか変化しました?二人とも バイトしながらじゃなかったっけ?
M: そうですね。浪人中バイトはずっとしていました。 でもあまり大変だとかっていう気持ちは無かった気がします。バイトをしている人は他にもたくさんいましたし。僕は田舎から出てきてたんで、特に始めのころは美術館やライブハウスなんかによく出かけ、刺激的なものを沢山目にしながら、東京での生活を楽しんでいたような気がします。2浪、3浪となるにつれて、精神的に徐々にしんどくなっていった気がします。

K:僕はかなりバイトしましたね。1浪の頃は正直、両立が難しくて病んでいました。でも2浪3浪としていくうちに、当然ですけど生活力とかついていった感じはしますね。なんというのか慣れかもしれませんけど健康になっていきました。

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黒田大祐君 すいどーばた時代の塑造作品


N:精神的には重くなり、肉体的には軽くなる・・・重い言葉ですね。考え方なんかは変化しましたか?
M:僕の場合考え方は3年間変わらなかったかなあ・・・、それは良くない事だったと思いますが・・・。一つ変化があったとしたら2浪目までは芸大一本だったんですが、3浪目の春に今年で浪人は最後にしようという決心みたいなのがあって、他の大学も受けることにしたことでしょうか。黒田は1浪から3浪にかけて考え方に変化はあったりしたのかな?
K:どうかな〜。う〜ん、浪人に金を使う事は勿体ないと思うようになって、自己投資もいい加減おんなじ事ばかりは無駄とは言わんけど、アホらしくなって。ちょっと考えて、喫茶店でコーヒー飲んで考えてるうちに、芸大じゃなくてもいいと思えてきたんやな。

N:二人とも塑造力中心にかなり力をつけて、浪人でやる勉強をしっかりやれたから、そのような境地に行けたのかな?「学び尽くした!」みたいな感じってあったのかな?
M:そうですね。実力がついてきて、でも同時にマンネリ化してくるのもあって、もう次のステップに進んだ方がいいなと自然になりました。学びつくしたかどうかは解りませんが。
K:嫌いな石膏像がまあそこそこ描けるようになって、そうしたら、逆にこの先はもう本当に長いと思ったし、デッサンや塑造は上手くなり続けるかもしれませんけど、ただそれだけで、試験の日に緊張しない自信は全然いつまでも持てそうになかったんです。試験は陸上競技やスポーツに似たところがあって結果を出さないとダメで、ジワーと何とかなるようなことは一つもないですから、そういう勝負は肌に合わないし、もっと違う基準で勝負したいと思ってきたんですね。3回も負けて学び尽くしたというよりは、そういうことを思い知らされた感じです。

M:そうやな、結局その日(試験の日)が大事なのが解ってくる。ほんならその他の日は何なんやとなるしな。そこで遊んでしまう人もいるけど、遊んでも勉強しても試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かってもねえ、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。遊ぶ事も大事やと思いますけど、勉強も大事なんです。
K:器用にできたら一番いいんですけどね、結局試験は受かった方がいいです。

M:でも3年も居たから友人も沢山できたし、今でもその頃の友人とは交流がありますがとても刺激になります。だから3年間あの時は苦しさもあったけど、今思うと3年位いて丁度良かったかもしれないと思うし、事実、今その頃に助けられてると思います。
K:そうやね。

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丸橋光生君 すいどーばた時代の塑造作品


N: つらく長い浪人生活だった訳だけど、実技以外に培われたものとか、何かあったのかな?
M:そうですね、自主性というのか、良くも悪くも自分で判断して行動することでしょうか、考えているだけでは何にも成らないのでやってみる姿勢かな。ドバタで言えば朝早く来てやるとか、自主課題とか、まあ遅刻しないみたいな事を含めて自分にはね返ってくるんだぞっていう。
K:ああなるほど。

N: 「自分に跳ね返ってくる」っていうのは、人生の教訓だね。黒田君はどう?
K:先生の批評を鵜呑みにし過ぎないとかね。やっぱり自分で判断しないとね。素直に聞くにしても、試験でもそうだし、浪人が終わってもそうだしね。僕は自分では素直に聞き過ぎる感じだったと思ってんだけど、これは講評じゃなかったと思うけど、中瀬さんが「報われる努力をしろ」と言ったのをよく覚えてるなあ。その時は全くその通りだなあと思った。浪人生は特にそうだと思う。
M:へえー。



広島時代

N:そういった浪人生活を経ていよいよ広島での生活がはじまる訳だけど、大学ではどんな作品を作るの?人体とかがやっぱり多い?
M:そうですね。カリキュラムは人体中心です。広島市立大学の彫刻科では、学部の間はどの学年も半分は人体の塑像に時間が当てられています。残りの半分で、石、木、金属、テラコッタなどの実習を行います。それらの実習も基本的には人体の制作になっていますね。
卒業制作あたりから、自分なりの展開を加えて作品の制作をはじめる人が出て来る感じです。
大学院以降は人体の制作だけを続ける人もいますが、大きな構造物の様な作品やモニュメント的な作品を作る人も多いように思います。広島は東京のようにギャラリーがいっぱいあるわけではないので野外での展示やプロジェクトでの展示が多く、そのため大きな作品やサイトスペシフィックな作品を制作される方が多いです。

K:学校も新しくて広いですし、設備が充実してるから大きいのが作りやすいかもなあ。でも今のカリキュラムは人体が中心だね。
M:うん。まあでも、大学の課題と自分のしたい事が一致するとは限らないけど、
強制的にせよ自分だけでは得られない知識や経験があるから、両立させるしんどさも含めて楽しいですね。
K:うんうん
N:課題やカリキュラムの制約をそういう形でポジティブに受け入れてやっていけるのはいいことだね。

Y:大学でのカリキュラム以外の活動をなにやら二人はやっているように見えるんだけ ど、少し詳しく聞かせもらって良いかな?
M:僕は昨年、柳幸典さん(現在広島市立大学の准教授をされています。)がプロデュースし、広島で開催された「旧中工場アートプロジェクト」に参加させて頂きました。この展覧会は旧ゴミ処理工場、吉島という住宅街、日本銀行の旧広島支店の三つの会場からなっていて、それぞれの会場にコンセプトが与えられて、そのコンセプトに沿った作品が各会場で展示されているというもので、総勢60名を超えるアーティストが参加しました。
僕はこのプロジェクトの少し前に、あるビルの前に作品を設置させていただく事があって、それがキッカケで声を掛けて頂きました。著名なアーティストが多く参加されているプロジェクトだったので、かなりやりがいはありましたね。この展覧会の時はプラスチックの作品を短期間で約50個作ったんですが、大学の課題と違いやりたい事をやっているという楽しさはありました。でも完成が間に合わなかったら色んな人に迷惑をかけるし、緊張感はとてもありましたね。(笑)友人に手伝ってもらったりして何とか間に合わせることができましたが。
Y:他の科とも連携して企画に携わるのは貴重な体験ですね。

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丸橋光生君の現在の作品

Y:黒田君はどうですか?
K:僕は浪人の頃から続けていた劇団のようなものを引きずっていて、今もパフォーマンスと言うか、変なダンスのような事をする集団を率いています。広島ではビルの屋上などでお金もらって公演したり、広島のお祭りに出たりしてます。ダンスの人とも交流ができて、とあるダンスサークルのお手伝いで国際展に参加したりと意外な展開がありますね。あくまで彫刻が本業と思ってるんですが、昔から彫刻以外で褒められる事の方が多いので何ともいえない気持ちになります。勿論カリキュラムにはダンスはありません。
M:ビルの上でやったパフォーマンスには僕もでていました。(笑)
K:丸橋はなんでもやるね〜。

Y:その辺の課題以外の制作は大学を使っているの?
M:僕は大学で作品を作ることが多いですね。大学にはプラスチックと塗装専用の工房もあるのでプラスチックをやるときはそこを使わせてもらってます。他にもいろんな工房があります。うちの大学は設備が充実しているので使わない手はないです。人脈などは、大学内、大学外問わずに広がっていきますね。僕の場合は作品を本格的に創り出してから広がりました。作品をみてもらう事があって、それがキッカケで興味をもって頂いたり、展覧会に誘って頂いたりといった感じです。
黒田は?

K: 僕の場合は家でも学校でも制作しますね。僕の家は普通のマンションで7畳くらいの広さなんですが、一度家で7mくらいの大きさの作品を家で作ったことがあって、その時はもうホントに隙間で生活するかんじで、しゃがんでるか丸くなって寝てるしか出来ませんでした。「家に帰りたくない!」とか「雨でも出かけたい!」みたいな凄まじい狭さでした。そんなこともありました。
M: へ〜
K: 学校に居場所が無い訳ではないので、今は大きなものは学校でつくります。

Y:学部在籍中からそこまで活発に活動するのは珍しいと思うんだけど、どういった考えからそういう活動をしているの?
M: 確かに周りにそういう人はいませんね。
K: うん。性格もあると思いますけど、
M:大学での課題に興味がもてないわけではないですが、これだけ(課題だけ)やっててほんとにいいのかな?というようなことは思っていたと思います。いずれは社会にでて美術を続けていくわけですし、大学の中でじっとしているのは逆に不安だったりします。何かしないとと思いながらなにもできずにいたところに、タイミングよくビルの前に設置する彫刻の制作の依頼や、プロジェクトのお誘いがあったりしました。実際それらの仕事をさせてもらって、少しはやれるかなという自信はつきました。

Y:やっぱり危機感みたいのはあるんだね。その危機感を活動のエネルギーに換えて活動していくのがすごいね。黒田君はどう?
K:大学が地方なんでこのままでいいのか!みたいな危機感はすごくあって、なにかやらねばと足掻いているだけで、クールやれたらいいと思います。でも浪人生が大学に落ちたときの悔しさで、上野から歩いて池袋まで帰るとか、終電まで山手線ぐるぐる乗ってるとか、そういうよく聞く異常行動を起すエネルギーに比べたら、大学での足掻きはまだ省エネですね。もっとなんとかしなければと思います。でも異常行動は避けたい。
M:異常行動は避けたいね。

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黒田大祐君の現在の作品




ヒロシマ・オーについて

N:ヒロシマオーについて、概要というか、簡単に教えてください。
M:ヒロシマ・オーは若手美術作家による展覧会です。黒田を中心に広島の若手美術作家が運営を行い開催しています。広島では先程も言いましたがギャラリーの数が少ないせいもあり、若手美術作家の作品を観る機会というのが、東京などに比べると格段に少ない状況にあります。そこで関東や関西で活躍されている若手作家の方と広島の若手作家とが合同で大規模な作品の発表を広島で行って、そのエネルギッシュな表現を広島の方達に見て頂こうというものです。作品の発表と、若手作家の交流から広島の芸術や文化がより活気づくことを目的としています。
K:これまで二回開催しどちらも20名前後の活躍中の若手作家の方が参加されました。朗さん(吉田)には二回とも参加していただいています。

Y:ヒロシマオーをやろうと思った動機ってなんなのかな?そもそも二人で思いついたの?それともどちらかが誘ったのかな?
M:もともとは黒田のアイディアでした。ね?
K: そういうことになってるんですけど、何でこんなことしてるのかとアホらしくなるときもあって、誰が考えたんだっけ?と丸橋に聞くこともあります。
M:聞かれてもこまるわ。

K:でもそんな感じで誰かという個人が強く出ないから、皆でうまくやってるということなんでしょうね。東京に比べたらギャラリーも少ないし、学生も少ない。そんななかで東京に行くという発想では限界があって、みんながそういう風にするととても窮屈で一方通行だと思うんです。もうすこしやりようがあるんじゃないかと、無いものは自分で作ってしまえ!というような少々乱暴な、でもそういうことです。
自分達で展覧会をつくるという事はグループ展としてはよくありますよね。ああいう感じをただデカくしたらいいんじゃないかと、こういう単純な事なんですけど、それを必要としている場もあって、それが広島では物理的な面でのハードルが低くて出来やすかったんです。もし続いていけば何となく何かボヤ〜とジワ〜といい事になる気がします。


Y:建物について 広いし味わいのある建物なんだけど、これも少し教えてください。


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旧日本銀行広島支店外観

M: 広島市の中心部にあるこの建物、旧日本銀行広島支店は1936年(昭和11年)に日本銀行広島支店として建てられました。第二次世界大戦時に被爆していますが、爆心地からわずか380mという近さにありながらもその堅牢なつくりから建築当時の外観をとどめています。戦後も日銀支店として使われ続けていたそうです。日銀支店が1992年に移転した後、広島市の市指定重文に指定され、同時に日本銀行より広島市に無償貸与されました。そして現在は広島市の管理のもと、市民も利用が可能となっています。原爆ドームと並ぶ広島の歴史を象徴する建築物です。
K:結構頻繁に平和関連の展示や美術展などが行われています。

N:こういった建物で美術展示が出来るってことは、広島という街にこういった活動を受け入れる、そういう環境があるのかな?
K: そうですね?。確かにそういう風にしていこうというような行政などの動きはあるように思いますが、環境が整っているとはまだいえないかもしれません。
M: そうだね。

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吉田朗ヒロシマオー展示作品

N:朗(吉田)は展覧会に参加してみて、 どう感じたの?

Y:去年は黒田君と丸橋君で仕切っている感じがしたんだけど、今年はなんか組織が厚くなっている感じがしました。二人の下級生にあたる世代の人も参加していたよね。
M:そうですね伝えていくというより、参考にしてもらえればいいとおもいます。
K: そうやな

N:ヒロシマオーをやることは、市立大学の人たちにどう認知されているのかな?どんな目で見られているの?
M:どうなんでしょうか?でも今年二回目でしたが、やはり前回よりは認知されてきてるなあとは思いました。見に行くよ、と声を掛けてくれる人は増えた気がします。他の専攻の先生からヒロシマ・オーについて話しかけられることもありました。
K:良くも悪くもやってることがジワ〜と浸透してるといいですね。

Y:大学サイドは学外での展覧会に積極的に見えるけど、そういうサポート体制みたいなものはあるの?
M:学生の自主的な活動に対する金銭面の若干のサポートはありますね。

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広島市立大学

Y:ヒロシマオーの搬入の日に作業していていたら、二人は卒業制作の搬入をしているって聞いて、卒業制作と時期をかぶらせるなんて大変というか、この人達は異常だ!(良い意味で)と思ったんだけど、すごいバイタリティーだよね。なんか突き動かされるものがあるのかな?
M:なんでしょうか・・・。やっぱりあっという間に時間は過ぎていきますし、やれることはやっておこういうのはあります。少々無理するぐらいでいいんじゃないかと。
K: 僕は「しまった!俺は馬鹿だ!」と後悔しました。事の重大さに気がつくのが遅いと言うか、すぐ忘れるんですかね。
でも展覧会の準備のどこかのタイミングでは気がついて考えて「大丈夫や」という結論を出しているんでしょう。事実過ぎさってみれば、かぶってた事自体忘れかけています。

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Y: 卒業後は二人はどうされるのですか?
K: 僕も丸橋も大学院に進学します。

Y: そうですか、これからより活動を発展させていくのが楽しみですね。最後の質問になるのですが、ふたりの現在にドバタ時代はどんな影響を与えましたか?
M: やっぱり自分のものづくりの原点のようなものがあるように思います。僕はデッサンより塑像が好きでしたが、ただの粘土のかたまりが試行錯誤していろいろ手を入れていくうちに、ある瞬間から粘土ではなく全く別の質感が現れてくる、そしてそこにある世界が生まれる。そういう感動をドバタでたくさん味わったと思います。作る喜びでしょうか。今でもやはり感動や喜びを求めて作品を制作していますし、そういう感覚はドバタの頃と変わってないと思います。ドバタ時代の思い入れの強い作品に関しては、制作当時の気分や、考え、情景、感動をはっきり思い出す事ができますね。

K: つらくて、しんどくて、我慢して、ともかく自分の程度を思い知らされて、反省して勉強しましたから、少しは反省的思考を身につけられました。デッサンや彫刻は上手くなったとも下手になったとも何ともいえない感じですが、ともかく一生懸命やりました。今は、やはりそれでこれからもそうしていかないといけないという気持ちになります。

Y: 浪人時代の話の「試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かっても、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。」という言葉が、私にはとても印象的でした。作り続けるということは日々の積み重ねであり、それは浪人時代も大学を出ても変わらず続いていくことですしね。危機感をもちながら、それを自らの活動やバイタリティーで克服していく姿に「強さ」を感じました。お二人の話、皆さんはどのように感じましたか?予備校生だけでなく、大学に進学した学生にも参考になる貴重なお話を聞けたと思います。ありがとうございました。


黒田大祐
個展
2007   「自然のめぐみ」         広島 新地ギャラリー
主なグループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2007   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
     「大塚かぐや姫プロジェクト」  広島  安佐南区大塚


丸橋光生
個展
2007    art space HAP  広島
2007    新地ギャラリー  広島
グループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2006   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
2007   「小野画廊小作品展」      東京  銀座小野画廊
     「旧中工場アートプロジェクト」 広島  吉島地区
     「kwon-ki」           広島  ギャラリーG
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
その他
野外彫刻「今日のためのうた(1)(2)」が広島パークビル・ストリート・ギャラ
リー(広島市中区大手町)に現在設置中。(2008年9月まで)