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2010年04月17日

●仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー

「インタビュー企画第11弾 仏像修復の道へ 益田芳樹さんインタビュー」




東京芸術大学 保存修復彫刻研究室 非常勤講師 益田 芳樹さん
インタビュアー 吉田 朗  阿部 光成

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」部分




これまでインタビューでは大学合格者や、作家活動をしている方へのインタビューをお伝えいしてきましたが、今回は「彫刻の力を生かした仕事」を実践している先輩にお話を伺ってみようと思います。

受験勉強に打ち込む皆さん、ふと彫刻と関わりながらどのように生きて行けば良いのか?どのような将来が待っているのか、不安になるということはないですか? 彫刻を学ぶ中で培ったデッサン力、素材を扱う技術力、空間に対する意識それらを使った職業、生き方も様々あります。

そこで今回のインタビューは すいどーばた美術学院彫刻科出身で、東京芸大彫刻科に進み、そこから保存修復の道に進んだ益田芳樹さんにお話を聞いてみようと思います。益田さんは仏像の保存修復の仕事をメインにしつつも、自らの作品も制作し、発表しています。また東京芸大で講師として後進の指導にもあたられています。

彫刻を学んだあとの人生の展開や、彫刻と関わる生き方、その広がりとして皆さんの参考になればと思います。今回は益田さんと浪人時代を共に過ごした吉田と阿部がインタビュアーをつとめます。(文中敬称略)




-----益田芳樹さんの経歴-----

すいどーばた美術学院にて4年間の浪人の後、東京芸術大学彫刻科に合格。彫刻科大学院、大学院保存修復、博士課程保存修復課程を経て博士号を取得。現在、保存修復彫刻研究室の非常勤講師をつとめる。

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中央が益田さん 左が阿部 右が吉田




-----修復の仕事とは------

吉田:
仏像の保存修復の仕事とは、どんなお仕事なんでしょうか?
仏像を直すという漠然としたイメージはあるのですが、具体的にどのような感じなのでしょうか?

益田:
簡単に言えば、仏像のお医者さんと言ったところでしょうか。診断を行い、処置を施すのです。具体的には、修復を必要とする仏像があるとき、先ずは事前調査というものを行います。これは、その仏像の形状・品質・構造を調査します。必要によってはX線調査も行います。そして、どのような修復を施すのが最善であるのかを考え、修復方針をたてます。ここまでが診断に当たり、修復を行う上でとても大事なことです。ここで方針を間違えるとかえって悪化させることにもなりかねないからです。そして、修理という処置にはいります。実際の作業は修復物件によって様々ですので、ここで全てを話すことはできないので省きますが、けして派手な仕事ではなくコツコツと進めていく根気のいる仕事です。

吉田:
X線調査など、現代的な機器も活用しているんですね。伝統的技法で行うイメージだったので意外でした。

益田:
非破壊が前提なので、いろいろ使いますよ。X線だけでなく医療用CTスキャンに入れたりもします。一番最新技術が必要な分野だと思っています。古典技法から最新技術まで幅広く使ってやっていますよ。

吉田:
なるほど。そんな保存修復について、どのような考えを持っていますか。

益田:
日本における多くの文化財は、長い年月のあいだに取捨選択、淘汰された結果です。それら、素晴らしい文化と造形に最大限の敬意を持って、「ものとわざとこころ」を継承し後世に伝いきたいと考えています。それには、高度に発達してきた古典の、材料と技法に関する正しい知識と技術を習得が重要と考えています。

吉田:
保存修復の魅力はどの辺になりますか?

益田:
ここまでの話しだけだと、あまり魅力を感じなく思えるでしょうが、とても魅力のある仕事なんです。一番の魅力は何と言っても、修復後の施主さんの喜んだ顔を見れるということですかね。きれいごとを言うつもりは全くないです。本当にその時の気持ちは「やって良かった!頑張って良かった!!」ですね。相手の喜ぶ顔が見たい。どんな仕事でもそれにつきると思いますが。

阿部:
相手がいる仕事ですもんね。その喜びは一人で彫刻作品をつくっていて感じるものとは違って新鮮ですね。修復した仏像を納めるときの心境ってどんなですか?

益田:
半分半分ですね。ここまでやったら大丈夫だろうという部分と、本当に喜んでもらえるかなという部分と。

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益田芳樹 興福寺蔵木造天燈鬼立像現状模刻(博士号取得作品)現芸大美術館所蔵「野村賞受賞」




吉田:
太古の名作と対峙できる喜び、怖さ…などあると思うのですが、その辺りについてお話伺えますか?

益田:
喜びも怖さもありますよ。
喜びは、「直に触れることが出来る」ということです。何百年という時間の中で、淘汰されて来た結果であるわけですから、疑うことの無い教科書です。そんな経験を出来ることはすばらしく幸せなことだと感じています。
怖さもやはり、「直に触れる」ということです。自分の仕事によっては悪くなるということも考えられますから。。。喜びと怖さは紙一重ですね。ですから、先にも話したとおり「材料と技法に関する正しい知識と技術を習得」が重要と考えているわけです。日々勉強ですよ。

吉田:
仏像によっては何度も修復を受けているものもあるんでしょうか?

益田:
もちろん。表面は江戸時代に修復しているけど、中はそれ以前とか。現在は文化財保護という考え方があります。それ以前は 、文化財(美術品)という意識はないため“治す”という考え方が違う訳です。さらに時代によって技法が違うわけで。。。文化財保護法が出来る前は、“治す”は仏様が本来ある姿に戻すという考え方なわけです。ですから、今の時代は難しいですよ。「文化財」という考え方と、「仏様の本来の姿」という考え方がありますから。本当に難しいんです。仏像修復の理念については、自分自身、何が正しいのか日々考えています。まだ答えはでていません。しかしながら、現在まで伝えられてきたのには、それぞれの時代で関わってきた人たちの心があるわけで、その気持ちというのは大事にしたいと思って修復しています。そのようなことも修復しながら見えてきます。

吉田:
すごいですね。修復しながら過去の人たちと対話する感じですね。しかもそれが手を動かしながら仏像と対峙している中で出てくるのが面白いですね。

吉田:
仏師とはどのように違うのでしょうか?

益田:
う〜ん。。。むずかしいですねぇ。
仏師の方がどのような考えで、どのような仕事をしているのかが分からないですからねぇ。
自身の意識の違いなのかなと思います。私も修復家だとは思っていませんから。(笑)
彫刻家です!個人的な意見ですが、造れない人がよい修復を出来るとは思えません。ですので、私は仏像も造り修復もする彫刻家です!!!

吉田:
日常はどんなサイクルで過ごされていますか? 一日、一仕事、一週間と、どんな生活のリズムか教えていただけますか?

益田:
生活リズムについては何の参考にもなりませんよ。(笑)なぜなら夜型だから。自分でも良いとは思っていないんです!そんなわけで、朝起きるのは遅めです。それ以上は言えません(笑)
一週間のうち2〜3日は大学に行っています。大学での仕事は、講師とはいってもあまり教えているという感覚はありませんね。一緒に学んでいますよ。そんな歳も離れていませんから先輩って感じですかね。学生には「先生と呼ぶな」「俺は何も教えない」なんて言ってます(笑)
うちの研究室は大学院からですからね。自分で考えて行動して欲しいんです。その手助けが出来れば良いと思ってます。これって給料泥棒なのかな(笑)
いやいや、実習はちゃんとやってます!それ以外の日は基本的には制作しています。お寺からの制作以来ですと半年〜1年仕事、その他は展覧会に会わせて制作しています。

阿部:
実習は、どんなことをするのでしょうか?

益田:
担当は修復担当です。実際に依頼された案件をお寺の許可を得て実際の修復物の素材、技法、などを精査しながら、実際に修復をするという実習です。

阿部:
実際の依頼ということは二度と同じ実習はないのですね。

益田:
そのとおり。おもしろいよ。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)




-----大切なのは人間力------
吉田:
最近の予備校生は、大学を卒業した後に、どうお金を稼いで生活していくか?その辺りに不安を覚えている人も多いようです。益田さんの視点でお話しいただけますか。

益田:
これは持論なのですが、私は技術を学ぶのが大事だと思っています。なぜなら、技術があれば、自分の表現したい物を表現出来るのです。だから“技術”なんです。多く稼げるかは分かりませんが、生活は出来ると思いますよ。自分の表現ではなくともその技術を必要とするところ、人はいますからね。
それから、ありきたりだけど見る目を養うこと。これは本当に重要!それには良いといわれる物を多く見ることだね。ちなみにお薦めは仏像(笑)本気だよ!
それと、一番重要なのは人間力!立派な人間になれなんてことではなく、人として当たり前の立ち居振る舞いが出来るようになった方が良いということ。空気を読める人間になった方が良いということ。個性なんて物は人それぞれにあるものなんだから、そんなものを主張させる必要は無いんだよね。私は決して立派な人間じゃないし、どっちかって言えばアホな感じだし。なんでこんな話しをしているかって言えば、ご縁が最も大事だと感じているからです。私にとっては籔内佐斗司とのご縁はものすごく大きなもので、そのご縁を大切に出来ていることが(自分では出来ていると思っている)今の自分に繋がっていると思っています。ご縁はその先のご縁に繋がり、大きく広がって行くものだから。今は諸先輩方、友達、後輩達、お寺の方々、画廊の方々、その他多くのご縁を大切にして来たことで、今に繋がり、この先に繋がると思っています。
当たり前の対応が出来ること。けっこう大事です!

吉田:
確かに、これ大事ですよね。

益田:
これが無いと、誰も助けてくれないからね。本当に大切だと思うよ。

吉田:
保存修復と作家活動、この二つは益田さんの中でどのような関係でしょうか?

益田:
私にとって保存修復と作家活動は切り離せないですね。保存修復で学ぶことが多いんですよ。古典ってすごいなっていつも思います。契約や見積もり等、正直大変な仕事もありますが、それを作家活動に活かすことが出来ますから。今は生活の面で保存修復が基盤になっているという意味でも、切り離せないのですが、両方で生活が出来れば良いなと思っていますね。両方めっちゃ楽しいんです。

吉田:
それが理想ですよね。修復の仕事をしていて、彫刻の力を使う瞬間ってどんな時でしょうか?

益田:
欠失・亡失箇所の補作です。彫刻の力を存分に発揮するところだと思っています。その時には浪人中や彫刻科でひたすら勉強した、空間やバランスは自分の財産になっていると感じています。時代の背景はもちろんあるんだけど、人体の普遍性はどの時代も同じだから、そこでは彫刻の力が大切ですね。4年間の浪人、大学での6年間の人体の勉強がいま財産になっていると思います。

阿部:
益田さんの浪人4年間は、サボることも、休むことも無く、ひたすら勉強だったよね。

益田:
本当に今の自分があるのは、その4年間のおかげだと思うよ。

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益田さんの浪人時代の作品




-----決意と継続と------

吉田:
一緒に浪人していた時から、「保存修復をやろうと思っている」とおっしゃっていたのが印象的でした。修復をやろうと思った動機は何だったのでしょうか? また、いつ頃からだったのでしょうか?

益田:
父親や親戚が彫刻や陶芸をやっていた影響もあり、小さい頃から木で動物を彫ったり、塑造で造ったものを焼いてもらったりしていたんです。けど、美術大学があるなんて知らなかったんですよ。それまでは趣味の延長線だと思ってて(笑)それを知ったのが高校2年生の春。ですから修復に行こうと思ったのは高校2年生の春ですね。
修復に惹かれたきっかけは、高校1年生の時に行った奈良への修学旅行です。その時は、まだ獣医になりたかったのですが、新薬師寺の十二神将像を観た時は衝撃でしたね!いつかこんなのを造ってみたいって漠然と思っていました。
そんな時の朗報(?)だったんです!彫刻が学べる大学があるって事が。それまでは彫刻って趣味でやるとかしか思い浮かばなかったのが、彫刻を専門的に学べる大学があって、プロとしてやっていく道があるっていうのを知って、もうそこからは、修復(彫刻)に行くには芸大の彫刻科に入るしかないって感じで。

吉田:
獣医とは意外でした。長いおつきあいですが、初めて聞きました。修復も獣医も治すお仕事なんですね。
はじめ彫刻の大学院に進まれましたが、具象をしっかり学んでから保存修復にという考えだったのでしょうか?(東京芸大の保存修復は大学院からなので、一般的に彫刻の学部から進む人が多い)

益田:
彫刻の大学院に行ったのは、テラコッタという素材と裸婦像という奥の深い題材が楽しくなっちゃったからだけです。そのときの自分と一番対峙できるのがテラコッタだったんですよ。父親が陶芸をやっていて、小さい頃から粘土に親しみがあったのかもしれません。

吉田:
益田さんは芸大学部で4年間、大学院で2年間と彫刻をしっかりと学んだ上で保存修復の道へ進まれました。もしも、彫刻をしっかりと学ばずに修復へと進んだらどのように違いが出たと思いますか?

益田:
まったく想像がつかないですね。でも絶対に今のような状況ではなかったと思います。
そこで学んだものが、今の私の基盤だと思っています。予備校での4年を含めての10年間の彫刻の勉強があって、今の自分があるように思います。今していることも、絶対この先に繋がると思っています。

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益田芳樹 興福寺蔵木造竜燈鬼立像想定復元模刻(博士号取得作品)部分




吉田:
芸大での在学期間が、11年と非常に長かったと思うんですが、焦りとかはなかったのでしょうか? 人生の進路をしっかりと決めて、そこにブレがなければ、そのへんは怖くないのですか?

益田:
いやいや、途中何度か大学を辞めようと思った事もありましたよ。年齢的なことで焦りや怖さもありましたし。それでも家族や籔内先生や仲間達に支えられて、博士号取得までたどり着いたって感じです。「学びたい事が大学にあるのなら、とことんやれ!」って家族が背中を押してくれたんです。本当に感謝ですね。
今は、辞めなくて本当に良かったと思っています。人生には遠回りなんてものは無いって実感しています。

吉田:
大学を辞めようと思ったとは意外です。具体的にいつ頃のことだったんですか?

益田:
最初は学部の3年の時。はじめて現実が見えたのがその時じゃないかな。彫刻で好きなことがやりたくて来たけど、好きなことやりたいだけで生きていける世界じゃないと、そのとき強く感じたんだよね。もう一回は博士の1年。こっちは年齢的な焦りだね。




-----作品と修復と------

吉田:
須田悦弘さんのアシスタントを以前されたと聞いたのですが、伝統的な保存修復の仕事と現代美術の世界に接点があるというのが興味深いのですが、そのときのエピソードなどお聞かせ願いますか。

益田:
今から4年程前の博士課程1年生の時でした。修復家で、芸大の古美術研究施設の教員もされている方からの話しでした。急に電話があり「今暇か?須田悦弘という作家のアシスタントが出来そうな人間を地中美術館で探しているから、君を紹介しておいた。すぐに直島に行ってくれないか?3日くらいの着替えと彫刻刀と砥石を持ってけば大丈夫だから」って言われたんです。もちろん須田さんのことは知っていたし、そんなチャンスは無いって思って、2日後には行きました。しかし、アシスタントは朝から晩までみっちり1ヶ月でした(笑)それと、後から人に聞いた話しなんですが、話しをくれた先生は、最初は「そんな技術のあるやつで暇なやつはいない」って断ったらしいのですが、ちょっと考えたら学生にいるって私を思い出してくれたらしいんです。この話しを聞いた時は正直嬉しかったですね。しっかり勉強しておいて良かったと思いましたよ。
その先生と須田さんとの接点は無かったのですが、地中美術館の研修で古美術研究をして、その時に同行したのが、その先生だったというのが話しが来た理由らしいです。
その時の経験も、私の財産ですね。須田さんの作品は私の価値観を変える程のものでしたから。

吉田:
3日くらいの着替えって言うのはそれを洗えば1ヶ月はいけるってことだったんですね…
でもとてもうらやましい経験ですね。大きな出会いの一つですね。

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益田芳樹 炎金魚2010(赤)




益田:
大学のなにが良いって、何かに向かって一所懸命やっている人と出会える事だと思う。自分も何かに真剣に向かっていて、他の人も何かに真剣に向かっている、そういう状況での出会いって貴重だと思う。そういう意味で予備校、大学って大切だと思う。人との出会いは財産だよ。

吉田:
作品も制作して発表されていますが、修復の仕事とどのような違いがありますか、またどんなふうに切り替えているのですか?

益田:
違いは感じています。ただ瞬間というよりは、向かう対象への気持ちの切り替えだと思います。修復は、尊重しなければならない対象があるということで、自分だけを出してはいけないということです。文化と造形への最大限の畏怖と敬意を持つことです。自身の制作では、誰かの喜ぶ姿を想像しながら制作しています。そこには造っていて楽しいというのが前提です。
しかし、作業に関してはそれほど違いを感じないですね。 
修復する時にも自分の感覚は大事にしていますし、彫刻する時に資料も集めますからね。そういった感覚を養うためにも良いものを沢山見るのは大切かな。世間一般に良いといわれているもので良いと思うし、はじめはどこが良いのかわからなくても良いと思う。そのうちどこが良いとかわかるようになってくるから。それが経験だと思います。
つくれない人間は修復も出来ないし、感じれない人は作ることも出来ないし、修復することも出来ないからね。

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益田芳樹 炎金魚(黒)




------彫刻を勉強している学生に向けて------

吉田:
益田さんは、すいどーばたで長く浪人されていましたが、今の受験生、特に多浪生に向けてアドバイスをいただけますか?

益田:
何度も言っていると思いますが、今の自分になるには無駄なことは1つも無かったと思っています。4浪したから今の自分があるのです。もちろん、浪人生を楽しんでしまったがために4浪もしたんでしょうが、まじめにやっていたとしても4浪していたでしょう。私にはその時間が必要だったのです。人生には遠回りなんてものは無いのですから。
ですので、くさらず真っ正面に向き合ってください。
最後に、受験に関するアドバイスとしては、受験には“答え”があります。その答えを導きだしてください。そしてその答えは先生からは導き出せません。僕は現役から5年かかりましたが、皆さん、自らの手で導き出してください。

吉田:
これから彫刻を勉強する学生、保存修復を学ぼうとする学生に大変ためになる貴重なお話を伺えました。本日は本当にありがとうございました。

今回インタビューをさせていただいた、益田さんの所属する東京芸術大学大学院 美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室では、多くのすいどーばた美術学院出身者も日々研究にいそしんでいるそうです。そのなかから3名、作品画像のみとはなりますが、紹介させていただきたいと思います。(敬称略)

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小沼祥子(教育研究助手)
興福寺蔵脱活乾漆造八部衆のうち乾闥婆立像(修了作品)「お仏壇のはせがわ賞」




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鈴木篤(博士課程3年)
東京国立博物館所蔵天王立像模刻(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




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中村志野(博士課程1年)
雪蹊寺蔵木造吉祥天立像(修了作品)「大学美術館買い上げ賞」




また、保存修復彫刻研究室で昨年度手がけた修復、模刻研究の研究成果展示発表会があります。保存修復の仕事に興味のあるみなさんはぜひ足を運んでみてください。

研究報告発表展
場所:シンワアートミュージアム(銀座7-4-12 ぎょうせいビル1F)
期間:2010年4月25日(日)〜29日(木・祭)
時間:10:00〜17:00


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東京藝術大学 大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室 ホームページ
にて研究室での活動、最新情報などを見ることが出来ます。


2009年12月29日

●多和圭三氏(多摩美術大学教授)に聞く

「インタビュー企画第10弾」
多摩美術大学教授 
多和圭三氏に聞く     インタビュアー/中瀬康志

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(多和氏金属研究室にて)

今年度から多摩美術大学教授となりました多和圭三氏に、多摩美のアトリエに訪ね、大学のこと、指導に関して、そして今の美術に対しての思いを伺ってきました。
高台にある多摩美キャンパスは天空都市のように新しく、各アトリエは機能的に整備され、当日の天気も手伝ってとても爽やか。少々、肉体の衰えた者にはぜ〜ぜ〜の斜面ではありましたが、各アトリエやすいどーばた出身の学生にも沢山出会え、とても楽しく有意義な時間となりました。
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中瀬:
多和さんとは昔、野外展で一緒だったり、美術系高校の非常勤講師もされていましたから、そこへお伺いしたりと、それなりに旧知の関係なのですが、今日は多摩美美術大学の新規の教授、という立場からの感想や思いをいろいろとお伺いしたいと思いますのでどうぞ、宜しくお願い致します。
 
青木野枝さんからのバトンタッチ、というかたちで金属担当の教授としての要請、着任ですが、今年度を振り返っていかがでしょうか?

多和:
そうですね、振り返ると余裕などなく、今は一年の途中なので何も分からないと言うところです。私は、金属担当ですが、担当学生が決まっている訳ではなくて、塑造、石彫、木彫、諸材料といった他の素材のアトリエにも行きますよ。つまり全教員で全学生を見て行くと言うことなんです。今の多摩美の彫刻学科はこんなふうに変わりましたね。


中瀬:
一貫して金属、鉄を使った作家なので、基本的に金属についての指導や質問に対しての対応はする、ということですね?

多和:
非常勤の先生は担当が決まっている人もいるけれど、専任は全体にわたって見るということなんです。1年から4年、そして大学院もですね。

中瀬:
どうでしょうか、実際、現場に来て大変だったこととかありますか?
普通に作家をされている方よりも、大学での指導現場に長くいられた訳ですから、かなりスムーズに入られたとは思うのですが。

多和:
そうですね、大変なのは大変なのでしょうが、何が大変なのか、さえ、分かっていないのが現実です(笑)。
私は日芸出身で、日芸で講師も随分長い間やらせてもらいました。そして、武蔵美が14〜5年くらいやらせてもらっています。今まで多摩美とは、何の関係もありませんでしたから何の情報も、持っていませんでした。同じ彫刻科でやることなんだから、何とかなるのでは、と深く考え過ぎないでやっています。
自分も学生も仕事がしやすい場をつくること、それが出来ればと考えています。

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中瀬:
今までは非常勤で一種のサポート的役割でしたが、今度は主体的に変えて行く立場ですよね。

多和:
実を言えば、私は、まだアルバイト気分が抜け切れていません。でも学校にくると、学生がいるんです。これは当たり前のことですが、大変なことでもあります。


中瀬:
多和さんは、なんと言うか学生がいないところで孤独にというか孤高にというか仕事をする作家というイメージがあるんですが・・・?

多和:
そんな格好良いものではありません。ただ学生に負けないように制作していければと思っています。私もそうでしたが、学生の時は、制作していても、世の中との繋がりが分からなく「こんなことをやっていて本当に大丈夫なのか・・・?」と不安に成ることもあるでしょう。そういう時に、いい大人が血相変えて訳のわからないことをやっているのを見れば、「あんなものでいいんだ〜」と気安めになればいいかなと思います。

中瀬:
ここでは自分の制作の姿を見せるということも指導のひとつだとということ?

多和:
指導には、成りませんが、何か刺激には成ると思います。お互いに物をつくると言う立場から刺激しあえればいいと思いますし、若いとか、年寄りとか関係なく同等だと思います。

中瀬:
今までは自分のアトリエあっての制作、今度は大学の現場(アトリエ)での制作と、何か生活や制作の違いみたいなものはありますか?

多和:
私は今まで、大学で作品を作ってきました。大学のある場所を間借りするような形ですね。偉そうな間借り人ですが。最初の内は、日芸でやらさせてもらっていましたが、日芸より武蔵美で制作していました。これからは、多摩美で制作する事に成ると思います。

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(多和氏 制作中作品)


中瀬:
鉄とハンマー抱えていつも旅人のように?(笑)

多和:
どこでもできる仕事ですから。
どこでなきゃダメだと言うような仕事では、ありません。またある意味、自由と言えば言えるでしょう。でも、そんな格好の良い仕事ではありません。要は、いろいろな意味で何もないと言うことだと思っています。

中瀬:
学生のほうは、ここにいずっぱりじゃなくて、自由にどこかに出て行って、先生は出した課題や作った作品に対して指導に出かけていく、という感じもあるわけですね。

多和:
そうですね。今もちょうど、午前中に、35人の1年生全員が金属実習をやっています。基本的に学生は一年間で4課題をやることになっています。
1年生のうちにそれぞれ諸材料であったり、木彫、塑造、金属実習それぞれをやります。石彫だけは2年になってからということになります。

中瀬:
ちなみに多和さんが出される、金属の課題はどんな事をやられるんですか?

多和:
今年はね、自分が作ってみたいとか興味ある「鉢植え」を各自に買ってこさせて、それを観察してつくる。それから植木鉢の中の見えない部分は、自分の想像で作りなさい。見えないところは、好きに作ればいい。しかし、上と下は何だかの関係付けがなされていること。それが課題です。
金属のひとつの特徴である、かなり無理な形でも作れる、という所から植物がでてきました。一つのものを作る、ということを通して、様々な経験が出来ると思います。
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(金属工房)

中瀬:
学生数もかなりたくさんいますよね?

多和:
はい、ひと学年 35名です。1年生用の実習室が2部屋あって、そこで色々な実習を行います。

中瀬:
当然、学生からはいろんなバリエーションが出てくるでしょうから、それに対しての技術指導もされるわけですね?

多和:
そうです。「こうしたいのですが」と学生に言われると、それに対して非常勤の先生と協力しながら指導していきます。ガス溶接は技能講習を受けてきて貰って、免許がないと出来ませんので、学外で免許を取って来てもらいます。
今、学生は、1週間半くらいで、19mmの板で直角の「ゲージ」を作っています。溶断した面を摺り合わせをして、きちんと平面を出し、溶接して仕上げます。何かを作ることより、金属という素材になれ、物の厚味を意識してくれるようになればいいかなと思います。言葉でなく直角とか、平面をつくることによって感じてもらうこと。このことが大切だと思います。
「鉢植え」の課題で使う鉄は厚さ3.2mmで、3×6(90cm×180cm)の半分を与えています。他の材料も使いたい場合には個人が発注して購入して使う。アーク溶接も使いますが、基本的にはガス溶接で作ります。鉄と熱の関係を感じてもらえればと思います。

中瀬:
ところで、大学の設備はどうですかね?他の大学との比較になるかもしれませんが。

多和:
多摩美の金属の場合は、すごく沢山機械がある訳ではありません。切って、付けて、削ると言う最低限のものが揃っていればいいのではと思っています。 
あとは「炙る」とかね。
 大袈裟な機械よりも、サンダーが人数分あるほうが大切と考えています。
そう、来年には集塵機が入りますね。学生の安全と健康のために、集塵機が入ります。私達の頃はマスクもしないで仕事をしていましたが。
今は女の子が多くなったという訳ではないですが、健康や安全、環境には気を使っています。
話は、変って女の子が多くなったと言うことで言えば、今の女の子はバリバリ仕事しますよね!
男だ、女だ、って考えなくていい時代になってきてるかもしれないね。
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(多和氏 歩く...)
中瀬:
ご承知のようにどこの美術系高校も9割9分女子学生。その中で彫刻をやろうとするわけですから、それなりに気合い入って強いでしょうね。
「女子学生が増えた」、「男が弱い」(笑)とか..その他に何か特徴的なことってありますか?

多和:
そうですね。今の子は知らず知らずの内に相当量の情報を得てしまっている状態だと思います。ややもすると、そうした情報で自分を見失ってしまうところもあると思います。自分が何をどうしたいのかってことが逆に分からなくなる。
意識しなくても入って来てしまう情報にどう対処していくのか、それが難しいでしょうね。

中瀬:
日本のど真ん中、東京にいて、最先端の情報というのは何かって問われても、以外と「どこそこのギャラリーで、何が売れているとか、メジャーだとかっていう、そういう関係の情報の強さがかえって学生を不自由にさせているとうこともあるんですかね。

多和:
あると思います。自分がしたい事を強く持っていないと、情報に流されてしまう。まず、何より大切なことは、生きることだと思います。自分がやりたいことをやると、なかなかお金にはつながらないと言う日本の現状の中で、やりたい事と生活、この両立はとても悩ましい問題です。


中瀬:
それを言葉でどうのこうの言うわけにはいかないし、先ほど言われた自分の生き方で見せていく、と。

多和:
自分の作ったものを見た次の世代の何人かに、「こんなことやってた奴がいたなぁ〜」と思ってもらえたらいいなぁ〜と、何と言うこともなく思っています。

中瀬:
さて、質問は少し変わるのですが、最近は大学院の学生が少ないと聞いているのですが?

多和:
今の二年生は少なくて、4人ですかね。一年生は、定員12名の所、11名です。

中瀬:
予備校から見ると、大学院へ進む学生が少ないということは作家として育つ可能性が低いのでは?と思うのですが。

多和:
学部生も大学院も基本的には同じで、作家になるならかないは本人が本人の意志で決める事だと思います。もちろん、私もものを作る人間ですから、ものを作るという同じ志の若い仲間が増えるのは嬉しい事です。だから、なりたい人は作家を志してほしいと思います。けれど、そのために学校があるというようには考えたくありません。立体の勉強には、時間がかかります。4年間では、足りない人もいるでしょう、もう少し時間をかけてやってみようと思う人がいてもいいと思います。その結果、作家に成りたいと言う人が出て来てもこれもまたいいと思いますね。

中瀬:
予備校で「作家になりたい人〜!!」って聞くと、「し〜ん・・」としてる。作家というものがよく分かっていないみたいだし、中には雑貨屋さんになりたい、って人もいたりして今は多様ですね。

多和:
高校生で美術を選択して、大学に進学して美術の道に入って行くわけだけど、中には、その選択を変更したい人も出てくるし、作家に成る人が居てもいいと思うし、又、作家に成らない人がいてもいいと思います。
美術大学で学んだことは、その後の人生の中で、何らかの形で生かされるものだと私は信じています。
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(多和氏 話す)
中瀬:
最後の質問になるのですが、自分自身がこんな質問受けたらどうしよ〜なんて質問なんですが(笑)、
「今の美術について、どう思われますか?」
かなりグローバルな質問ですが。

多和:
今の美術はどうのこうのと言うことは、私には出来ません。
とんちんかんな事をいいますが、売れることが目的と成ってしまっている動きに対しては注意をしたいと思います。
俺だって売れるものなら、売れたいと強く思います。

中瀬:
多和さんのモノが?多和さん自身が?芸能人じゃないんだから。(笑)

多和:
私は売れないでしょう。(笑)私自身はずっと前に賞味期限が過ぎていますよ。(笑)
美術の「状況」とよく言われますが、美術がなくて「状況」を見て、「美術、美術」と言っているような気がします。「今、美術はどうなっていますか」と聞かれれば、一人一人の作家が今やっている事、それが今の美術だと思いますと私はそんな事しか言えません。
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(研究室入り口のオブジェの巨大木魚にびっくり)

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インタビュー後記
微動だにしない意志、そして雄大な時間を超えてきたかのような存在感。人も作品も違わずイコールとなる、そんなものを漂わせていました。飾ることなく作業着に身を包んだ姿は、おおよそ「教授」という職とは無縁のようにも見えますが、こうした姿も学生にはとても身近な存在として多くの学生とのコミュニケーションを可能にしていくのかもしれません。
 当日は学内の隅々まで案内頂き、多くの旧知の学生に会うこともできました。
お忙しい中、わざわざ時間を割いてインタビューに答えて頂きました事、心より感謝申し上げます。
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2008年03月05日

●すいどーばた卒業生に聞く大学生活

「インタビュー企画第6弾」
インタビュー第六弾はドバタから巣立っていった学生のみなさんがその後、大学などでどのような活動をしているのかに迫ります。大学での生活や作品制作、カリキュラム以外での自主的な活動など、大学に入るとどのような日常が待ち受けているのかを聞いてみました。皆さんに近い等身大の大学生の生活、自主的な活動など参考になるお話が聞けると思います。

今回は、広島市立大学に進学し、この春卒業を迎えた黒田君と丸橋君に話を聞いてみました。クラス担当した西嶋と広島の展覧会に参加した吉田がインタビュアーを務めます。

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黒田大祐君と現在の作品

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丸橋光生君と現在の作品

吉田(以下Y):今回はすいどーばた出身者が大学に進んでどんな活動をしているのか?紹介して、すいどーばたで勉強している皆さんにアフタードバタのイメージを持ってもらおうという企画です。まずはお二人とすいどーばたとの関わりから聞きいていきたいと思います。
二人は結構浪人が長かったように思うけど何浪してたんだっけ?ちなみに僕は3浪なんだけど・・・
丸橋(以下M): 僕は3浪しました。
黒田(以下K): 僕も3浪しました。長いですね。

西嶋(以下N): 二人は京都から出てきて下宿生活をしていたけど、暮らしとか変化しました?二人とも バイトしながらじゃなかったっけ?
M: そうですね。浪人中バイトはずっとしていました。 でもあまり大変だとかっていう気持ちは無かった気がします。バイトをしている人は他にもたくさんいましたし。僕は田舎から出てきてたんで、特に始めのころは美術館やライブハウスなんかによく出かけ、刺激的なものを沢山目にしながら、東京での生活を楽しんでいたような気がします。2浪、3浪となるにつれて、精神的に徐々にしんどくなっていった気がします。

K:僕はかなりバイトしましたね。1浪の頃は正直、両立が難しくて病んでいました。でも2浪3浪としていくうちに、当然ですけど生活力とかついていった感じはしますね。なんというのか慣れかもしれませんけど健康になっていきました。

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黒田大祐君 すいどーばた時代の塑造作品


N:精神的には重くなり、肉体的には軽くなる・・・重い言葉ですね。考え方なんかは変化しましたか?
M:僕の場合考え方は3年間変わらなかったかなあ・・・、それは良くない事だったと思いますが・・・。一つ変化があったとしたら2浪目までは芸大一本だったんですが、3浪目の春に今年で浪人は最後にしようという決心みたいなのがあって、他の大学も受けることにしたことでしょうか。黒田は1浪から3浪にかけて考え方に変化はあったりしたのかな?
K:どうかな〜。う〜ん、浪人に金を使う事は勿体ないと思うようになって、自己投資もいい加減おんなじ事ばかりは無駄とは言わんけど、アホらしくなって。ちょっと考えて、喫茶店でコーヒー飲んで考えてるうちに、芸大じゃなくてもいいと思えてきたんやな。

N:二人とも塑造力中心にかなり力をつけて、浪人でやる勉強をしっかりやれたから、そのような境地に行けたのかな?「学び尽くした!」みたいな感じってあったのかな?
M:そうですね。実力がついてきて、でも同時にマンネリ化してくるのもあって、もう次のステップに進んだ方がいいなと自然になりました。学びつくしたかどうかは解りませんが。
K:嫌いな石膏像がまあそこそこ描けるようになって、そうしたら、逆にこの先はもう本当に長いと思ったし、デッサンや塑造は上手くなり続けるかもしれませんけど、ただそれだけで、試験の日に緊張しない自信は全然いつまでも持てそうになかったんです。試験は陸上競技やスポーツに似たところがあって結果を出さないとダメで、ジワーと何とかなるようなことは一つもないですから、そういう勝負は肌に合わないし、もっと違う基準で勝負したいと思ってきたんですね。3回も負けて学び尽くしたというよりは、そういうことを思い知らされた感じです。

M:そうやな、結局その日(試験の日)が大事なのが解ってくる。ほんならその他の日は何なんやとなるしな。そこで遊んでしまう人もいるけど、遊んでも勉強しても試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かってもねえ、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。遊ぶ事も大事やと思いますけど、勉強も大事なんです。
K:器用にできたら一番いいんですけどね、結局試験は受かった方がいいです。

M:でも3年も居たから友人も沢山できたし、今でもその頃の友人とは交流がありますがとても刺激になります。だから3年間あの時は苦しさもあったけど、今思うと3年位いて丁度良かったかもしれないと思うし、事実、今その頃に助けられてると思います。
K:そうやね。

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丸橋光生君 すいどーばた時代の塑造作品


N: つらく長い浪人生活だった訳だけど、実技以外に培われたものとか、何かあったのかな?
M:そうですね、自主性というのか、良くも悪くも自分で判断して行動することでしょうか、考えているだけでは何にも成らないのでやってみる姿勢かな。ドバタで言えば朝早く来てやるとか、自主課題とか、まあ遅刻しないみたいな事を含めて自分にはね返ってくるんだぞっていう。
K:ああなるほど。

N: 「自分に跳ね返ってくる」っていうのは、人生の教訓だね。黒田君はどう?
K:先生の批評を鵜呑みにし過ぎないとかね。やっぱり自分で判断しないとね。素直に聞くにしても、試験でもそうだし、浪人が終わってもそうだしね。僕は自分では素直に聞き過ぎる感じだったと思ってんだけど、これは講評じゃなかったと思うけど、中瀬さんが「報われる努力をしろ」と言ったのをよく覚えてるなあ。その時は全くその通りだなあと思った。浪人生は特にそうだと思う。
M:へえー。



広島時代

N:そういった浪人生活を経ていよいよ広島での生活がはじまる訳だけど、大学ではどんな作品を作るの?人体とかがやっぱり多い?
M:そうですね。カリキュラムは人体中心です。広島市立大学の彫刻科では、学部の間はどの学年も半分は人体の塑像に時間が当てられています。残りの半分で、石、木、金属、テラコッタなどの実習を行います。それらの実習も基本的には人体の制作になっていますね。
卒業制作あたりから、自分なりの展開を加えて作品の制作をはじめる人が出て来る感じです。
大学院以降は人体の制作だけを続ける人もいますが、大きな構造物の様な作品やモニュメント的な作品を作る人も多いように思います。広島は東京のようにギャラリーがいっぱいあるわけではないので野外での展示やプロジェクトでの展示が多く、そのため大きな作品やサイトスペシフィックな作品を制作される方が多いです。

K:学校も新しくて広いですし、設備が充実してるから大きいのが作りやすいかもなあ。でも今のカリキュラムは人体が中心だね。
M:うん。まあでも、大学の課題と自分のしたい事が一致するとは限らないけど、
強制的にせよ自分だけでは得られない知識や経験があるから、両立させるしんどさも含めて楽しいですね。
K:うんうん
N:課題やカリキュラムの制約をそういう形でポジティブに受け入れてやっていけるのはいいことだね。

Y:大学でのカリキュラム以外の活動をなにやら二人はやっているように見えるんだけ ど、少し詳しく聞かせもらって良いかな?
M:僕は昨年、柳幸典さん(現在広島市立大学の准教授をされています。)がプロデュースし、広島で開催された「旧中工場アートプロジェクト」に参加させて頂きました。この展覧会は旧ゴミ処理工場、吉島という住宅街、日本銀行の旧広島支店の三つの会場からなっていて、それぞれの会場にコンセプトが与えられて、そのコンセプトに沿った作品が各会場で展示されているというもので、総勢60名を超えるアーティストが参加しました。
僕はこのプロジェクトの少し前に、あるビルの前に作品を設置させていただく事があって、それがキッカケで声を掛けて頂きました。著名なアーティストが多く参加されているプロジェクトだったので、かなりやりがいはありましたね。この展覧会の時はプラスチックの作品を短期間で約50個作ったんですが、大学の課題と違いやりたい事をやっているという楽しさはありました。でも完成が間に合わなかったら色んな人に迷惑をかけるし、緊張感はとてもありましたね。(笑)友人に手伝ってもらったりして何とか間に合わせることができましたが。
Y:他の科とも連携して企画に携わるのは貴重な体験ですね。

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丸橋光生君の現在の作品

Y:黒田君はどうですか?
K:僕は浪人の頃から続けていた劇団のようなものを引きずっていて、今もパフォーマンスと言うか、変なダンスのような事をする集団を率いています。広島ではビルの屋上などでお金もらって公演したり、広島のお祭りに出たりしてます。ダンスの人とも交流ができて、とあるダンスサークルのお手伝いで国際展に参加したりと意外な展開がありますね。あくまで彫刻が本業と思ってるんですが、昔から彫刻以外で褒められる事の方が多いので何ともいえない気持ちになります。勿論カリキュラムにはダンスはありません。
M:ビルの上でやったパフォーマンスには僕もでていました。(笑)
K:丸橋はなんでもやるね〜。

Y:その辺の課題以外の制作は大学を使っているの?
M:僕は大学で作品を作ることが多いですね。大学にはプラスチックと塗装専用の工房もあるのでプラスチックをやるときはそこを使わせてもらってます。他にもいろんな工房があります。うちの大学は設備が充実しているので使わない手はないです。人脈などは、大学内、大学外問わずに広がっていきますね。僕の場合は作品を本格的に創り出してから広がりました。作品をみてもらう事があって、それがキッカケで興味をもって頂いたり、展覧会に誘って頂いたりといった感じです。
黒田は?

K: 僕の場合は家でも学校でも制作しますね。僕の家は普通のマンションで7畳くらいの広さなんですが、一度家で7mくらいの大きさの作品を家で作ったことがあって、その時はもうホントに隙間で生活するかんじで、しゃがんでるか丸くなって寝てるしか出来ませんでした。「家に帰りたくない!」とか「雨でも出かけたい!」みたいな凄まじい狭さでした。そんなこともありました。
M: へ〜
K: 学校に居場所が無い訳ではないので、今は大きなものは学校でつくります。

Y:学部在籍中からそこまで活発に活動するのは珍しいと思うんだけど、どういった考えからそういう活動をしているの?
M: 確かに周りにそういう人はいませんね。
K: うん。性格もあると思いますけど、
M:大学での課題に興味がもてないわけではないですが、これだけ(課題だけ)やっててほんとにいいのかな?というようなことは思っていたと思います。いずれは社会にでて美術を続けていくわけですし、大学の中でじっとしているのは逆に不安だったりします。何かしないとと思いながらなにもできずにいたところに、タイミングよくビルの前に設置する彫刻の制作の依頼や、プロジェクトのお誘いがあったりしました。実際それらの仕事をさせてもらって、少しはやれるかなという自信はつきました。

Y:やっぱり危機感みたいのはあるんだね。その危機感を活動のエネルギーに換えて活動していくのがすごいね。黒田君はどう?
K:大学が地方なんでこのままでいいのか!みたいな危機感はすごくあって、なにかやらねばと足掻いているだけで、クールやれたらいいと思います。でも浪人生が大学に落ちたときの悔しさで、上野から歩いて池袋まで帰るとか、終電まで山手線ぐるぐる乗ってるとか、そういうよく聞く異常行動を起すエネルギーに比べたら、大学での足掻きはまだ省エネですね。もっとなんとかしなければと思います。でも異常行動は避けたい。
M:異常行動は避けたいね。

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黒田大祐君の現在の作品




ヒロシマ・オーについて

N:ヒロシマオーについて、概要というか、簡単に教えてください。
M:ヒロシマ・オーは若手美術作家による展覧会です。黒田を中心に広島の若手美術作家が運営を行い開催しています。広島では先程も言いましたがギャラリーの数が少ないせいもあり、若手美術作家の作品を観る機会というのが、東京などに比べると格段に少ない状況にあります。そこで関東や関西で活躍されている若手作家の方と広島の若手作家とが合同で大規模な作品の発表を広島で行って、そのエネルギッシュな表現を広島の方達に見て頂こうというものです。作品の発表と、若手作家の交流から広島の芸術や文化がより活気づくことを目的としています。
K:これまで二回開催しどちらも20名前後の活躍中の若手作家の方が参加されました。朗さん(吉田)には二回とも参加していただいています。

Y:ヒロシマオーをやろうと思った動機ってなんなのかな?そもそも二人で思いついたの?それともどちらかが誘ったのかな?
M:もともとは黒田のアイディアでした。ね?
K: そういうことになってるんですけど、何でこんなことしてるのかとアホらしくなるときもあって、誰が考えたんだっけ?と丸橋に聞くこともあります。
M:聞かれてもこまるわ。

K:でもそんな感じで誰かという個人が強く出ないから、皆でうまくやってるということなんでしょうね。東京に比べたらギャラリーも少ないし、学生も少ない。そんななかで東京に行くという発想では限界があって、みんながそういう風にするととても窮屈で一方通行だと思うんです。もうすこしやりようがあるんじゃないかと、無いものは自分で作ってしまえ!というような少々乱暴な、でもそういうことです。
自分達で展覧会をつくるという事はグループ展としてはよくありますよね。ああいう感じをただデカくしたらいいんじゃないかと、こういう単純な事なんですけど、それを必要としている場もあって、それが広島では物理的な面でのハードルが低くて出来やすかったんです。もし続いていけば何となく何かボヤ〜とジワ〜といい事になる気がします。


Y:建物について 広いし味わいのある建物なんだけど、これも少し教えてください。


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旧日本銀行広島支店外観

M: 広島市の中心部にあるこの建物、旧日本銀行広島支店は1936年(昭和11年)に日本銀行広島支店として建てられました。第二次世界大戦時に被爆していますが、爆心地からわずか380mという近さにありながらもその堅牢なつくりから建築当時の外観をとどめています。戦後も日銀支店として使われ続けていたそうです。日銀支店が1992年に移転した後、広島市の市指定重文に指定され、同時に日本銀行より広島市に無償貸与されました。そして現在は広島市の管理のもと、市民も利用が可能となっています。原爆ドームと並ぶ広島の歴史を象徴する建築物です。
K:結構頻繁に平和関連の展示や美術展などが行われています。

N:こういった建物で美術展示が出来るってことは、広島という街にこういった活動を受け入れる、そういう環境があるのかな?
K: そうですね?。確かにそういう風にしていこうというような行政などの動きはあるように思いますが、環境が整っているとはまだいえないかもしれません。
M: そうだね。

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吉田朗ヒロシマオー展示作品

N:朗(吉田)は展覧会に参加してみて、 どう感じたの?

Y:去年は黒田君と丸橋君で仕切っている感じがしたんだけど、今年はなんか組織が厚くなっている感じがしました。二人の下級生にあたる世代の人も参加していたよね。
M:そうですね伝えていくというより、参考にしてもらえればいいとおもいます。
K: そうやな

N:ヒロシマオーをやることは、市立大学の人たちにどう認知されているのかな?どんな目で見られているの?
M:どうなんでしょうか?でも今年二回目でしたが、やはり前回よりは認知されてきてるなあとは思いました。見に行くよ、と声を掛けてくれる人は増えた気がします。他の専攻の先生からヒロシマ・オーについて話しかけられることもありました。
K:良くも悪くもやってることがジワ〜と浸透してるといいですね。

Y:大学サイドは学外での展覧会に積極的に見えるけど、そういうサポート体制みたいなものはあるの?
M:学生の自主的な活動に対する金銭面の若干のサポートはありますね。

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広島市立大学

Y:ヒロシマオーの搬入の日に作業していていたら、二人は卒業制作の搬入をしているって聞いて、卒業制作と時期をかぶらせるなんて大変というか、この人達は異常だ!(良い意味で)と思ったんだけど、すごいバイタリティーだよね。なんか突き動かされるものがあるのかな?
M:なんでしょうか・・・。やっぱりあっという間に時間は過ぎていきますし、やれることはやっておこういうのはあります。少々無理するぐらいでいいんじゃないかと。
K: 僕は「しまった!俺は馬鹿だ!」と後悔しました。事の重大さに気がつくのが遅いと言うか、すぐ忘れるんですかね。
でも展覧会の準備のどこかのタイミングでは気がついて考えて「大丈夫や」という結論を出しているんでしょう。事実過ぎさってみれば、かぶってた事自体忘れかけています。

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Y: 卒業後は二人はどうされるのですか?
K: 僕も丸橋も大学院に進学します。

Y: そうですか、これからより活動を発展させていくのが楽しみですね。最後の質問になるのですが、ふたりの現在にドバタ時代はどんな影響を与えましたか?
M: やっぱり自分のものづくりの原点のようなものがあるように思います。僕はデッサンより塑像が好きでしたが、ただの粘土のかたまりが試行錯誤していろいろ手を入れていくうちに、ある瞬間から粘土ではなく全く別の質感が現れてくる、そしてそこにある世界が生まれる。そういう感動をドバタでたくさん味わったと思います。作る喜びでしょうか。今でもやはり感動や喜びを求めて作品を制作していますし、そういう感覚はドバタの頃と変わってないと思います。ドバタ時代の思い入れの強い作品に関しては、制作当時の気分や、考え、情景、感動をはっきり思い出す事ができますね。

K: つらくて、しんどくて、我慢して、ともかく自分の程度を思い知らされて、反省して勉強しましたから、少しは反省的思考を身につけられました。デッサンや彫刻は上手くなったとも下手になったとも何ともいえない感じですが、ともかく一生懸命やりました。今は、やはりそれでこれからもそうしていかないといけないという気持ちになります。

Y: 浪人時代の話の「試験のその日だけ良ければ良いということで遊んで多浪して、それで受かっても、人生はそこで終わる訳やないから、ずっと続いていくと思うと結局困る事になるよね。」という言葉が、私にはとても印象的でした。作り続けるということは日々の積み重ねであり、それは浪人時代も大学を出ても変わらず続いていくことですしね。危機感をもちながら、それを自らの活動やバイタリティーで克服していく姿に「強さ」を感じました。お二人の話、皆さんはどのように感じましたか?予備校生だけでなく、大学に進学した学生にも参考になる貴重なお話を聞けたと思います。ありがとうございました。


黒田大祐
個展
2007   「自然のめぐみ」         広島 新地ギャラリー
主なグループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2007   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
     「大塚かぐや姫プロジェクト」  広島  安佐南区大塚


丸橋光生
個展
2007    art space HAP  広島
2007    新地ギャラリー  広島
グループ展
2005   「gobbledygook」  東京  銀座小野画廊2
2006   「ヒロシマ・オー」       広島  旧日本銀行広島支店
2007   「小野画廊小作品展」      東京  銀座小野画廊
     「旧中工場アートプロジェクト」 広島  吉島地区
     「kwon-ki」           広島  ギャラリーG
     「日本文化と造形芸術」展    広島  広島大学内
その他
野外彫刻「今日のためのうた(1)(2)」が広島パークビル・ストリート・ギャラ
リー(広島市中区大手町)に現在設置中。(2008年9月まで)

2007年07月25日

●彫刻家 藤原彩人に聞く!

「インタビュー企画第3弾」
 彫刻家 藤原彩人に聞く!


インタビュー第三弾は、彫刻家の藤原彩人さんです。すいどーばた美術学院 彫刻科を出て約十年、9月からの渡英を控え、まさに世界に羽ばたこうとしている藤原さんにお話を伺います。現在予備校生の皆さんは、十年後の自分の姿を想像しながら読んでいただければと思います。
今回は藤原彩人さんと浪人時代を過ごした、吉田朗がインタビュアーを務めます。

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藤原彩人 Ayato Fujiwara
75年京都府生まれ、すいどーばたには基礎科から通う。すいどーばた 彫刻科での三浪を経て東京芸術大学彫刻科に入学、同大学院を経て同大助手勤務、07年8月末よりギャラリー21+葉にて個展開催、
07年9月より文化庁海外派遣研修員としてイギリス、ロンドンに滞在(ビクトリア・アルパート美術館)


すいどーばた時代


吉田(以下Y):まず、すいどーばた時代のお話から聞かせていただきます。すいどーばたにはいつ頃から通われましたか?
藤原(以下F):高校二年の春の基礎科の講習会が初めてです。

Y:そのときのドバタはどうでしたか?
F: モノを作るのが好きな人間がこんなにいるのかと驚きましたよ。

Y:彫刻科にいこうと思ったきっかけは何ですか?
F:初めは絵画に興味があったけど、彫刻家の描く絵がすきでしたし、彫刻家という生き様に漠然とあこがれて、高校三年の春期講習を受講しました。その後、家が遠かったので夜間部には通えず、土日コースを受講していました。

Y:えーっと、ご実家は栃木の益子ですよね。結構、大変じゃなかったですか?
F:片道四時間・・・

Y:それって往復八時間ですよね・・・ガッツありますね。
F:その頃は単純に東京に行くことに優越感があったからね。田舎の高校生でしたからね(笑)

Y:その後、大変残念なことに、3浪されましたよね。僕もですけど(笑)。3年間の浪人生活いかがでしたか?
F:今改めて僕は「3浪すべくしてした」と思っています。

Y:どういう事ですかね?
F:1浪2浪と、受験という感覚はなくて、ドバタの生活もアフタードバタも満喫してましたね。ただ感覚的に、デッサンをしていたのかなー。参作とか見て「神がいる!」とか思っていたしねー。

Y:それは、客観的で冷静では無かったってことですよね。
F:そうそう、浮き足立ってたというか純粋だったナーと思うよ。
けど、二浪で落ちた時に、初めて客観的になれたのかな。それまでは、本当に感覚だけで描いていた。だけど、三浪目の時に「これは受験だ。だから答えがあるんだ。」と思い、今までの自分の実技を見直しました。実際にデッサンも引っ張り出したし。受験というものを自分なりに整理できたのかもね。

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Y:このデッサン覚えてますか? 合格する前、最後のデッサンです。
F:おーー 懐かしい。今描く絵と、変わらないねー。

Y:どういうことですか?
F:10年経ってみると、自分の興味がある箇所がわかるね。単純に炭のタッチとか色合いとか、今興味があることと かぶるところがあるよ。

Y:それは意外なお言葉。つまり、受験のデッサンでも、自分の好きなことが描けてたってことですよね?
F:受験で学ぶことは学びきった気がしたし、もうココで学ぶことはないと思えたからこそ、自分の好きな事が出せたし、楽しく自然に描けたんだと思うよ。

Y:落ちて客観的になり、自分に足りないものを見つけて、それを学びきって、その上で好きなことが出せた感じですか。そう言われると、このヘルメスのあたりの何枚か、それまでのデッサンと変わりましたよね。がっちり押さえるだけじゃない何かを入れてきてるなー、行っちゃうなー って密かに思ってました。

Y:芸大受験の時って憶えてますか?
F:最後の芸大受験の時は私大も受かってたし、浪人が終わるっていう安堵感が強かったなぁ。プレッシャーから解放されて、とにかく一生懸命描いた記憶があるよ。

Y:マルスとミミズクでしたよね。それで、二次試験はラボルトの模刻。
F:ラボルトも、ただただ、よく見て一生懸命つくった、それだけ!

Y:まさに学びきって初心に帰る感じですね。
F:そうですね。受験の勉強は答えがあるものだから学びきれるものだと思うよ。
大切なのは学んだ事を、自分でどう整理してどう使うかということだね。

Y:他に、どばた時代の思い出とかありますか?
F:偉大な彫刻家的飲み会!

Y:偉大な彫刻家的飲み会?
F:つまり自分たちが偉大な彫刻家になっているかのように思いこんでいるだけの集会。宇宙に彫刻を置くとか、地球をまっぷたつにしたらどうなるとか?机の角には全ての力があるとか・・・そんな話を吉田とかと語ったよね。

Y:あー・・・ 相当、酔ってましたね
F:まぁ平たく言えばただの飲み会だけどね。とにかくいろんな友達と他愛のない事をたくさん話したね。今考えれば、その時の自分達は純粋に作家という生き方に、あこがれを抱いていたんだなー。

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芸大で・・


Y:このサイトを見てくれるのが、主に予備校生になると思います。それで、僕は予備校時代、大学生活ってどんな感じで時間が流れていくか、漠然としていて想像しづらかったんですが、藤原さんからみて、大学時代ってどうでしたか?
F:とりあえず、校舎が取手だった。
花の芸大生になったと思ったら、上野の桜は入学式だけ、次の日からは取手の一本桜・・・まず取手の一年、いろんな科の人がいて、上級生がいないから、のびのびやれたかな。

Y:取手も、案外良いものですね
F:とにかくまじめにやったよ。周りに何もないし、勉強するしかなかった。作ることに関して情報が少ないし、そのときの美術をなかなか見る機会がなかった。だから、作品づくりに関して保守的だったよね。コレをしちゃいけないんだっていうのがあった。

Y:二年生になってどうですか?
F:二年になって上野に戻って、また一年生の感覚。
今度は上級生もいるし。良い意味でも悪い意味でも。上野の授業はまた新鮮にやれたのは良かったな。
彫刻の授業は二年生の前期まで実材実習で、後半から選択実習になる。そこでぼくはテラコッタを専攻した。

Y:専攻に入ってみてどうでしたか?
F:自分の作品を作ってみて、「やりたいこと」と「素材」ってのが、なかなか思い通りに行かないもどかしさを感じたよ。彫刻や美術を知らなすぎたんだね。
いままでは美術を勉強することを、そんなに重要と思っていなくて、自分の感覚が大事と思っていた。けど、自分の感覚的なモノを具体化するには、比べるものが必要だった。周りを知ることで、自分自身が出てきた気がするかな。
影響されることを恐れるよりもそれ以上に理解することがより大切だと思った。

Y:なんか予備校時代と似てますね。
F:そうそう。それって、浪人の時と同じなのよ。感覚的な判断が優先されることから、知識(他人からの情報)から「自分を知る」ことのきっかけが得られる事に気づいた。
そこから、がむしゃらに情報を入れたなー。具体的にはギャラリーを回ったり、美術本を読んだり、海外に旅行にいったり、・・・とにかくミーハーに動いた。
そして見たこと感じたことを人にしゃべってた。それに対しての人の意見も、ガンガン聞いてた。

Y:それをやればやるほど、自分も見えてくるって事ですよね
F:そう 彫刻に限らず、ニュースでも、音楽でも自分の感覚に従ってがむしゃらに飛びついてた。

Y: 専攻に入り自分の作品を作るようになって、その辺の変化が、一番大きかったですか?
F:そうだね。なかなかうまくいかないもどかしさの裏返しかなぁ。


作品について


Y:1999年ごろから、本格的に大きな作品を作くられていますが、最初はどのようなテーマで作品を作られたんですか?
F: もともと具象をつくれば自分のやりたいことができると思っていたんだけど、大学に入って作った人体彫刻に自分が感動しなくて・・・それは彫刻として致命的だとおもったんだよね。
そこで自分の好きなことをキーワード的に整理しました。そのとき出てきたのが「集積」。人体ではなく人間と言うことを深く考え、そこに居るということを、全ての集積から導こうと、試みました。これを一つの答えとして作品を作っていこうと思ったんだよね
その中でフォルムとしては人間の顔を用いた作品と、人に例えられる擬人化出来るモノ・・植物などを使いながら自分のスタイルを模索してた。

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Y:その後、制作スタンスの転換があったようにおもうのですが、具体的にはセラミックによる人体表現、シーン性に重きをおいた彫刻表現に絞り込んできたとおもうのですが・・
F:そうそう、
大学院修了後、芸大の助手を三年ほど勤めたんだ。環境こそ変わらないけど立場が変わった。がむしゃらにやっている学生のエネルギーに感動する部分と、自分がこのまま、このテーマのまま作っていていいのか?学生のときのテーマのまま行って良いのか・・って考えてたんだ。
そこで、まず、今までやってきた集積というテーマでの制作の集大成を試みた。

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展覧会は成功に終わり達成感充実感に満たされたけど、空虚なモノが残った。
挫折感のようなモノがあった。

Y:それは何なんですかね?
F:何なのだろうね。ただ、その後いろいろなシリーズ展開をしようとプランは練ったけどどれ一つとして自分にとって新鮮さが無くなって、じぶんが彫刻家としてやっていくことさえ問うようになった。
そのときに二浪のときにやったことと同じなんだけど自分の作品を一つ一つ見直した。その結果、僕は今まで作った作品の世界観をもった人間が作りたいと思ったんだよね。つまり集積された長い時間を孕んだ、現実世界を浮遊しているような人間像を。

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Y:大学2年の時に作った人体から、一回りしたわけですね。それで現在のスタイル移行する訳ですか。
F:そういうことになるね。

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今、大切にしていること


Y: 藤原さんにとって、彫刻を作る上で大切なこと、意識していることはなんですか?
F: 常にリセットし続けること。
表現者として「疑いなくエネルギーをぶつけている」ってことは、絶対に自信を持って、やってないといけないと思う。ただ、作り続けていると保守的になってしまう部分も当然出てくる。そういう自分に、違和感を覚えた時、それに対して動けるかどうか?ちゃんとリセット出来てるかどうか、そこを大事にしてます。それには客観性だよね。おそらく集中力とは意識せずに自然と生まれてくるものだと思う。けど客観性は意識しないと、ただボケーとしていることになるからね。常に努力すべき事は自分を客観的に俯瞰して見ることだよね。

Y: 自分で気付くのって、難しかったりしませんか?
F: まぁね。ただ環境が変わる時や、日常が変わる瞬間って、今まで自分のやってきたことに違和感を感じる、その時っていい機会になると思うんだよね。「自分も変わらないといけない」と思えるし。
だから自分でそういう状況を作って、常にリセットし続けないといけないと思うんだよね。新鮮さこそが、疑いなくエネルギーをぶつけられる、必要条件だと思う。常にリセットし、新鮮な俯瞰力を保つことが、輝き続けるために必要なことだと思う。

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現在
Y:今年は海外での発表が続いていますね。5月にフランス、7月に韓国とどうでしたか?
F:ものつくりって幸せだと実感しました。フランスでは展示とワークショップをやったんだけど、それで感じたのは、思想は世界共通ってこと。美術を通じて、思想としてのコミュニケーションが出来るんだよね。喜んでくれたり意見を言ってくれたり。日本以外でも、自分がやっていることを、理解してくれる。

Y:作品がその場にあれば、もう瞬間的に通じ合えるってことですか?
F:そうだね。本当に実感したね。ただ、言葉はより話せるに越したことはないなと(笑)。

Y:今度は個展、一年間の渡英と続くわけですが、それについては?
F:展覧会は作品をもっとも客観的に見られる場所だよね。いろんな意見も聞くことができるしイメージが初めて具現化するわけだからね。そういった意味でも新たなリセットですかね。

Y:どうリセットされるか楽しみですね。


Y:最後に、これを読んでいる予備校生のみなさん一言いただけますか?
F:「なにか真剣に続けられること」があることは、すばらしいことだと思います。それが、僕にとっては彫刻を作り続けること。
そして、彫刻を作り続けることは、社会の一員として立派な職業だと思っていますし、自分の感じたことを表現という形で残し、世界の中で一つの言葉として存在していくすばらしい職業だと思っています。みなさんも、真剣に続けられることを持っていること、そして彫刻家になろうとしていることに、誇りをもってがんばってください。

Y:どうもありがとうございました。
最後に。8/27-9/8に藤原彩人展が銀座のギャラリー21+葉で開催されます。渡英前最後の個展となります。どうぞみなさんお見逃し無く!