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2011年12月16日

●勝っておごるな 負けてくさるな

 冬季講習の始まりが合図のように寒さが一段と増してきました。朝がつらいですね。二度寝(一度起きたがまた寝てしまうこと)がこわいです。そんな時は目が覚めたら伸びをしてその時にお腹にチカラを入れると脳の覚醒が促進されますよ(本人談)。やってみてください!
 さて、いよいよという時期になり、いやおうなしに緊張感が増してきました。それに伴い結果がついてくる、こないで不安の増減が著しいと思います。「あーうまくいかないなー」「うーんプレシャー」アトリエ内外での心模様が入り乱れますね。
こんなふうに文章が進んでくると何か不安を解消する秘伝の術が伝授されるのでは?おお!今回は乗り切る具体的な方法のご紹介か?にわかに期待が膨らみますね。しかし残念ながら週刊誌ではないのでお手軽な秘伝や方法はありません。(なんだこのヤロー!)と思った方すみません。ここで僕のエピソードを書いてもさほど参考になりませんし、実際それをトレースしても上手くいかないと思います。あの人の上手くいった事を自分もやれれば合格できる!これはあてになりません。危険です。自分のエピソードを作ってください。それだけです。
 不安が募る、プレッシャーを感じる。それは失敗や苦い思い出、浪人年数、その経験の数に比例すると思います。予測できる、イメージできる、これは大人の感覚です。必要ですし、この感覚はあまり欠落しません。ではどうすれば?

達観して下さい。

乱暴に解釈すると変に引っかかっている(または引っ掛けている)事を取り外しアハハーと割り切って下さい。知識と技術を持ったお馬鹿な人は強いですよ。
このブログひどい!なんてインテリジェンスの欠けたすすめなんだ!と思うかもしれませんがこれも一つのエピソードなんです。
 実技が上手くいき、結果が出て、褒められる、そして合格、やったー!!もちろんこんなパーフェクトサクセスストーリー目指したいですね。しかしそうではないといけないのか?それ以外は無いのか?そんな疑問がチラッとよぎり、他の手段を考える。上手くいかない、結果が出ない、褒められない、その境遇には美術をする、モノを造る喜びは無いのか、得られないの?
他と絡むこと競争することで成り立つ評価は、安心感が喜びに繋がるが、自分の中から生まれた喜びは原動力にダイレクトに繋がると思う。評価が根幹の原動力では貧弱である。この二つの喜びの生まれ方と質の違いに注目してもらいたい。達観するとはこんなことの様な気がします。

喜びを大切にしてください。

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勝っておごるな 負けてくさるな

勝ってもおごらなければ、怪我を防げます。負けてもくさらなければ、可能性があります。どちらも前に進めますね。

                         阿部光成

2011年10月05日

●秋から冬へ

しーんと静まりかえるアトリエ、ザラザラと木炭が紙の上を滑る音が聞こえる。バチンと響く音、粘土が張り付いていく。そこには何人もいるはずだが、ざわついてはいない。ただ集中した時でしか聞こえてこない音が耳の奥でぴーと鳴る。緊張した空気。
すこしずつ冬に近づいてきた。

感受性の高い年頃の学生は今アトリエで貴重な時間を費やしている。そんな中、自分は上手くなっているのか?大学に受かるのか?5年後は?将来は?漠然とした不安を抱えながら目の前の実技を精一杯がんばることで、それを払いのけようとしているように感じる。未来の自分はのちに今の自分を肯定してくれるのだろうか?未然にふせけず起こってしまった事を受け止めることも大切、だが、未来の自分にはけっして後悔はしてほしくない。

寒くなってくると自分と対話することが多くなる。感傷的なり、詩的にもなる。恥ずかしくなってしまいときには自分をちゃかす。
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授業後のアトリエ 緊張感の名残りを感じる

ひとつのピークとして重要視していた公開コンクールがひと月後に迫った。時間は十分にある。与えられた空間、まわりにいるライバル、結果を残すために秋を丁寧に使ってもらいたい。
                    阿部光成

2011年09月06日

●はるか槍ヶ岳

信仰の為の登山から登る為の登山がメインになって150年ちかく、その後ヨーロッパのアルピニズムが極地法とは対極をなし、日本の多くの登山家にそのイズムが影響を与え今日の日本の登山に対する思想が成ったと考えられる。(個人論)
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今年も彫刻科では有志を募り秋山を敢行した。教員4名学生7名、それぞれがそれぞれの為に参加した。ある者は下界からの逃避、ある者は見失ったモノを探すため、ある者は自分の証明の為に、信仰という対象はもはやぼやけ、自己の模索を遂行すべく一点の頂を見つめる。
目指すは北アルプス、槍ヶ岳(3180m)相手に不足は見当たらない。すいどーばたでは過去20年ほど前に槍ヶ岳に登頂した記録があり、その話を聞くと憧れとジェラシーが混ざった苦い味を覚える。(登ったことのない山の話は正直悔しいのである)そんなこともあり、今回彫刻科登山では実に思い切った山の選択をしてみた。いつもなら学生を「ねーねーいこーヨー」などと必要以上に甘ったるくイザナウのだが、今年にかぎっては、たとえ学生が一人の参加が無くても行くぞ!さびしくなんかない!一人でも行くのだ!!と鼻息を荒げていた。

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実はかえってそういう潔さが学生にも染み渡り初の現役生を含めた先鋭が揃ったのではなかろうか?

西嶋、阿部号で松本入り、自然保護を理由にマイカー規制がしかれている為専用の駐車場で

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明日からの予定の会議をシリアスに行う。緊張感がバリバリ

翌日は晴天 タクシーの運転手にスゴくラッキーなことをつげられた。
一日目はゆるい勾配、ただもくもくと14,5キロキャンプ地まで進む。

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遅めの昼食、そして早めの夕食 なんだか食べてばかり いとおかし

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アタック当日!満天の星空の下、午前3:30に出発 晴れ男たちに思わず手をあわせた

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夜明け 精神と空気の間が距離感を失う

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初めて槍ヶ岳をのぞむ とたんにチカラがみなぎった

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サイコーのカウンター おいしいコーヒー飲みたいけど 眺望で満足!!

山頂直下の山荘に着くと尾根の向こうにいままでとは印象のまったく異なった富山や新潟の山山が猛烈な量感で目の前に迫ってくる。
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まだこんなにあるのか‥‥と まだこんなに登れるのか!!どちらを感じたかは非常に興味深い。

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三点支持が必死のクライマックス!!下界での強気な態度はもはや通用しない。

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祝 登頂!! 360°の眺望 連れてきたい人が目に浮かぶ。

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池に写った裏槍 これを拝むための消費カロリーはかるく4桁だろう。

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無事にキャンプ地へ ヘロへロだけど夕食をつくる おいしかったよ!!

最終日 噛み締めるようにゆっくり出発。

鬼の男 下り区間新記録!?

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温泉とカレー がんばれたぶんだけ、このご褒美はかえがたい

さいごに

メンバーみんなよくがんばったと思う。はめを外し、マナーはよく、若者らしく健康的であった。

印象的だったのはリーダーが解散際に
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「まだみんなと一緒にいたい」
と言った一言だった。そして三日間を振り返り胸があつくなった。みんなで登れてよかった。

おわりに
同行してくださった西嶋主任、上野さんお疲れさまでした。

             阿部光成

2011年08月25日

●中之条ビエンナーレ

主任の西嶋さん、教務の上野さんが参加している中之条ビエンナーレに先日行ってきました。こんな機会はまたと無いということで学生も含め14人の大人数で一泊二日のツアーになりました。

初日は朝7:00に池袋集合!!雨の早朝にもかかわらずほとんどのメンバーが集結!!

関越自動車道にのり一路、群馬県中之条に向かう。
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途中、原ミュージアムアークにてアート鑑賞
そこは美術学院 美術館は外せません。

現地にて前入りしていた上野さん、そして東京から中之条まで(120km以上!)自転車でやってきたタフネス講師と奇遇をよそおい無事合流!!

その後 元酒蔵、材木屋、廃校とさまざまなシチュレーションに多様な作家たちが自作を展開、それらを見て回る。

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多様な鑑賞法


元や廃となって現役を退いた場には、そこを行きかったであろう人々の念がしみついているようにも感じました。
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主を失った空間はアートの施しにどう反応するのか?不意に光を当てられ人の目に映る永眠中の家具などに終わることは一切考えてなかった新品当時の姿をただただ想像してしまう。

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作品そのものがメインのモノや作品によって空間の見え方が変わる場の変化がコンセプトのモノだったり、または作品を通して営みが栄え、衰退しそしてこれからどう消滅するのか?そんな事を感じてしまう作品などなど、多くの展示場所、多くの作品に触れられ、感覚の揺さぶりが充実感となった中之条ビエンナーレでした。

参加した学生もそれぞれ色々感じられたのではないでしょうか?

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集合写真
(ナゼか二人いない!?気づかずゴメンね)

西嶋さん、上野さん お疲れ様でした。

そして楽しい時間をありがとうございました!

                     阿部光成

2011年08月20日

●夏季講習会終了!お疲れさまでした!

今日で、長い夏の講習会が終わりました。
それぞれいろいろな試みや体験があり充実した時間を過ごせた人が多かったのではないでしょうか。
いやいや、まだまだでした。と反省する人もそれはそれで重要なことであります。
どちらにしてもこの夏の時間をどう生かすかは今後の過ごし方にかかっていると思います。
全力で取り組み、全力で楽しみ、全力で悔しがり、全力で遊び、全力で日々を過ごしてください。
学院生はまた9月に。講習会生はまた冬に。元気な姿を見せてください。
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↑個人賞で氷室賞を獲得した学生。「次は1番取ります!」に期待します!(持っているのはぶどうジュースです。念のため笑)
お疲れさまでした〜!
                       西嶋雄志

2011年05月26日

●自由制作によせて

6月のどばた彫刻科は恒例の自由制作ウィークとなります。学生が通常カリキュラムの枠を超えて熱心に作品制作をします。もともとは実材実習というタイトルで普段の受験勉強で粘土を使ったモデリング(盛る、プラス要素)の実技に対し、木や人工大理石を使ってカービング(削る、マイナス要素)をすることで立体感覚に逆のアプローチで刺激を与え、さらに造形力を高めることが目的でした。やがて、それだけではという事で、コンセプトをそれぞれ学生が立ち上げながら多種な素材を使い作品として成立させるまでに移り変わってきました。近年では学院内の様々な場所に特性を見出し、意味合いを持たせながらその場でしか成り立たない作品も出現するようになりました。
※実材実習から自由制作への詳しい経緯は過去の講師ブログで参照できます。
過去の講師ブログ
毎回僕が面白いなあと思うのは、作品そのものの造形の魅力もさることながら、講評時に各学生が自身の作品をプレゼンテーションする内容です。なかには誇大妄想のあれもあるけれど、それは当たり前であって、「うんうん!なるほどねー」と思わずうなずいてしまう時もあり素直に拍手してしまいます。そういった素晴しいパチパチ作品に出会えるのがなんとも面白いのです。逆に厳しい?見かたをする時もあり「語らずに作品だけで感じさせろー!!」と思ったりもします。
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                        過去の講評風景

さて、今年は例年よりもさらに基礎に絞ったカリキュラムを用意しました。地味だけど奥深い課題たちです。現在は(通称昭和カリキュラム)自然光メインのラボルトのデッサンや握りこぶしを造りなさいといったクラシカルでプリミティブなものです。さら自宅課題でティッシュ箱と缶を素描をする(浪人生には屈辱的ですが下地が大切)宿題を出しました。「あーカリキュラムは禅問答みたいだし、バイトがあって宿題は進まないし、提出してもハードル高いし、もー!!」っとバタバタしているかと思います。そんな時は覚悟を決めて下さい。腹をくくって一つ一つ丁寧に仕事していくしかありません。キッパリ!はたまたは自由制作の作品のことなど考えると少し落ち着くのでは?と思います。
ー原点を改めて考えてみることー
なぜ彫刻をえらんだのか?作りたい彫刻とは?自分にとって彫刻とは?彫刻とは?自分とは?大学に入った後にもずっと付き合っていく頭の中の作業です。僕はモヤモヤしたり空回りを感じて不健康な時はこの作業をして一度スッキリさせます。仕切りなおしですね。
今、自分が選んでここにいることを自覚して、漠然とした不安を抱えつつも、日常の一つ一つに意味合いを持たせられればと思います。そんな中で日々成長するみんなの実技、自由制作に今年も拍手したいです。


                               阿部光成

●ソフトボール大会お疲れさま〜!

先週、順延になっていたソフトボール大会が無事行われました。
絶好の晴天の中、日頃の鬱憤をはらすかのごとく皆生き生きとプレーしていました。
今年は学生4チーム+教員チームの5チームで総当り戦。
各チーム接戦でさよならゲームもあり盛り上がったようです。
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2011年04月28日

●初コンクール後、GWの過ごし方

新学期が始まって早くも3週間が過ぎ去り、4月が終わりました。
昼間部生諸君、何か掴めましたか?
先日の第一回目のコンクールでは一月前の芸大入試の課題そのままの出題でした。
4月は、浪人生にとって受験での反省点や不合格の原因を探る大切な時間となります。
目を背けず正面から受け止めてほしいものです。
切り替えの早い人は、すでに春季講習前には反省点を見つけ、4月のスタート時からすぐに問題解決に向け取り組んでいます。
まだモヤモヤしている諸君は、客観的、現実的な分析のもと自分の状態を俯瞰してほしいです。
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5月からは具体的な力を付けるための課題が始まります。
明確に問題が見えているかいないかで身に付く力にかなりの差が出ます。
自分自身をコントロールし気持ちよく制作できる状態を保つことは、制作そのものよりも重要だと思います。
GWは、浪人生にとって再考するチャンスを与えてくれる絶妙なタイミングでやって来てくれます。
この期間中に必ず何かを掴むようにしてください。
                   西嶋雄志

2011年03月25日

●それぞれの道へ

3月11日に発生した震災で被災された皆様に対しまして心よりお悔やみし、またお見舞い申し上げます。一日も早く復興することを願うばかりです。

すいどーばたの彫刻科は、昨日3/24で2010年度の全ての行事が終了しました。
芸大をはじめ大学に進学する人、惜しくも悔しい思いをしもう一年受験生を続ける人。毎年何人合格しても納得すること無く次の課題を探る教員たち。
そんな複雑な想いが詰まった人たちが入り交じる最終打ち上げはそれぞれにとって
とても重要なイベントです。
一年間、力の限り走り続けて来た結果をそれぞれが持ち寄り、お互いに認め合ったりいたわったり勇気づけたり、、、。多くの言葉を必要とせず、共に過ごして来たもの同士だから分かり合えることがあり、このメンバーでの最後の瞬間を味わう。

その交わり合った想いを胸に、そろぞれの道に進んでいく。
その想いは、自分自身を見つめる良き材料となり、この先につながっていく。
この最高の財産を大切に。
今後の皆さんの活躍を期待します。ガンガンいきましょう!

来年が楽しみです。           西嶋雄志

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2011年03月05日

●信頼

今年は、今日の段階でもまだ緊張が押し寄せて来ない。
例年だとドキドキしてきて気持ちも昂ってきているんだけど。
不謹慎かもしれないが、なんだかラクチンである。

私の仕事は、モチーフ・空間など学生がしっかりと学べる環境を整えることがまず一つ。
もう一つは講師陣と価値観・合格基準などの指導面においての意思疎通をしっかりやること。
さらに経営として成り立つように需要と供給のバランスをとること。
そしてもう一つが学生管理である。
どれも重要な要素でどれか欠ける訳にはいかず、そのバランスをとることが大変である。

その中の、学生管理は特に大変だ。だけど一番おもしろい。
皆個性的だし、本気だし、頑固だし、素直だし、捻くれてたりもする。
そんな人たちを管理しようなどと思うこと自体無理があるくらいである。
実際、学生管理と言葉ではいうものの、管理などしていない。
ではどうしているかというと、わたしは「信頼」をしている。
何百万人といる同世代のなかから彫刻を志した時点ですごい確立である。その志しをまず信頼している。
信頼から始めると、明るい未来が見える。こちらがそういう気持ちでいると学生も大抵それに応えておもしろさを発揮してくれる。そういう学生が多くなると学生同士の関係もおもしろくなり、良い関係がどんどん出来上がる。私はそれを勝手に学生管理とうことにしている。
毎年学生は大体半数以上入れ替わるけど、毎年毎年違ったおもしろさがあり、それぞれの年の特徴がある。今年の学生は若い。浪人生のうち半数くらい1浪である。
春先は未知数だった可能性を信じた私は間違ってはいなかった。
そして若さを支えながら成長した少数精鋭の2浪以上の学生たちの存在に尊敬。
最後に絡んで来た若く勢いのある現役生の新鮮さも後押ししてくれた。
予想を上回るおもしろさにニヤニヤしてしまうほどだ。
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皆よいリズムで制作している。やるだけやったらまた先が見える。万が一合格出来なくてもちゃんと先が見える仕事を皆はやっている。まぁ今はそんなことは考えず合格した先のことを考えれば良い。どちらにしても私が心配するに及ばないということである。

なるほどこのように考えてみると、私が緊張する必要はないのである。
「信頼」している学生たちに私は「自信」があるのである。
明日は芸大一次の発表だが、胸を張って臨んで欲しい。
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西嶋雄志

2011年02月23日

●講評会 2/23

今日の彫刻科は全クラス合同でブルータスのデッサンでした。

入試さながらの空気感、緊張感がアトリエに感じられるいい雰囲気でしたね。

その本番のような環境で自分で冷静に、普段以上の力を発揮しながらいい観察をして、その時にしかできない、描く楽しさを感じてほしいです。

きっとなにか美しい空間や形をリアルに発見出来ることでしょう。
現役生もどんどんのびてきて、この時期の成長は驚くほどです。本当に楽しみですね。

デッサン、塑造と実技でこの時期に注意したいところは、形をがんばって描くこと、造ることで、部分に入り込みすぎてしまうことがあり、全体の印象を確認出来なくなることがあります。

ゆっくり離れて自分のデッサンを眺めてみてください。調子がいい場合も、狂いがある場合も客観的に見ることがデッサンでは大切です。何か発見できたら、その後にどう反応するかが重要ですし、勇気を出して修正したり、より描き込んだりと自分を信じて行動出来るようにしたいですね。^^:

今日の講評会風景をアップ!!
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入試まであと少しです。

冷静に、楽しさも見つけてがんばりましょう!   竹花 哲

2011年02月15日

●デッサン

この時期になってデッサンとは何か?ということを書くのもなんですが、この時期だからこそ今一度考えてみたい。

デッサンは受験に出題されるから皆必死に描いている。当然のように毎日受験生はデッサンを描く。
では、なぜ描くのか?
受かるためか?現実にはそうなんだが、目的は受かる為ではないはずだ。
では何だ?なんで毎日のように同じようなモチーフを繰り返しデッサンするのか?
よくよく考えてみるとそこを自分なりに理解出来ている人はどのくらいいるだろうか。
皆さんももう一度考えて欲しい。

私が考える所のデッサンとは、
「目の前に繰り広げられている事柄、状況、現象を、自分なりに理解し感じ取った感覚を全身全霊で手を通して表現すること」だ。
モチーフとなる事象だけでは成り立たず、また自分の感覚だけでも成り立たない。
モチーフと自分と描き出されたデッサンとの距離を保ちつつそれぞれの在り方を変化させていくこと。そこでは様々な思考が働き、視覚的に見えていることに変化が起き、理解が進む。それをまた視覚的に見えている状況に置き換える。ほとんど全ての状況は必然的に起きていて、働きかければ働きかけるほど状況は変化していく。
そういうやり取りの中でデッサンは描いては消され、消されては描かれる。モチーフと対話された一つ一つの事柄の積み重ねの結果がデッサンなのである。
だから、デッサンはキャリアによっていつでも成立する。初心者であろうが一浪生であろうが40歳であろうが、その時々の思考の状態に合わせて表現される。
だから面白い。その時の思考やその人の人柄までもデッサンには表現される。当然昔のようには戻れないのである。「今」自分がどういった状況で、どういった問題を抱えていて、どういったことに興味があるのかが表現されるのである。だから怖い。
デッサンは「嘘をつかない」のである。

このように考えると、なぜデッサンするかが見えて来るのではないだろうか。
それはそれぞれの人によって違うのだ。精神的な問題に向き合う必要がある人もいれば、技術的な訓練が必要な人もいるし、知識量を増やすことが必要なひともいる。
デッサンすることでそういったそれぞれの問題を解消していくことが出来る。
デッサンは人を「成長させる」のだと思う。


彫刻は物理と深く関係する。「モノ」を直接空間に表現するからだ。
だから彫刻家は空間のことと物質的なことの関係を知らなくてはならない。
そういったモノの成り立ちのことを研究することにおいてもデッサンは必須である。

受験生の皆さん。受験までは残り僅かですが、デッサンすることはこの先もずっと続いていきます。
付け焼き刃で無理矢理なんとかするのではなく、じっくり取り組んでください。
「上手く描く」というのは間違いで、ちゃんと取り組めば「いいもの」が描けますよ。

今の時期は集中力が増して、自然と「いいもの」が出ます。
でも力んで空回りすると逃してしまいます。じっくり行きましょう!

デッサンは嘘をつきませんから。
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                     西嶋雄志

2011年02月12日

●基礎科合同コンクール!

すいどーばた美術学院の恒例行事である、基礎科合同コンクールがありました。

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高校生から社会人まで、100名弱の参加がありました。
主に、高校2年生が多いのですが、受験できるぐらいのレベルの高さに毎年、驚かされます。

油、日本画、彫刻、デザイン、工芸、など各科の特徴あるデッサンが並んで、いろいろな面での価値観の違いがとっても勉強になります。

形を重視しているもの、絵心や色味、量感や触覚感、空間や奥行き、リアリティーや印象、など、たくさんありますが、どれも、基本となる重要な要素です。

どれをピックアップするかは作者本人の「ねらい」によって大きく変わります。


何を大切にあなたはデッサンをしますか?(^0^)/

デッサンはいろいろな見方の違いがあるからおもしろいし、あー言う見方もあるんだー。と、良い意味で気づかされることや発見がたくさんあって素晴しい基礎科合同コンクールでした。

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彫刻科、基礎コースの学生も銀賞に輝くなど、検討していてうれしい限りでした。^^ 

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彫刻基礎コースのデッサンコンクールはヘルメスの胸像でした。(写真は全身像)


参加した学生の皆さん、これから受験する皆さん、基本を大切に、そして自分の感性「ねらい」を信じて楽しく頑張っていってください。
                竹花 哲

2011年01月01日

●新年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
まだまだこれからが本番です。
気を引き締めていきましょう。
皆さんにとって良い年でありますように。。。
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(画像は秋山登山より)
                        彫刻科一同

2010年11月26日

●中間色の話

今年のどばた彫刻科は一浪生が多くフレッシュで活気に満ちている。勢いがありとてもよい。しかしその反面がある。多浪生が少ないのである。しかも生え抜きが。
僕が浪人していた頃は一浪も多いが多浪生も沢山いた。時代的にはバブルは崩壊していたがその名残りはまだあったように思われる。垂木、シュロ縄といった材料が使い捨てに近い状況だった。しかし数人の多浪生から「落ちた粘土も作品の粘土も一緒、直ぐ拾え」解体の時には「エレガントではないからシュロ縄はのこぎりで野蛮に切るな」など直接は実技で関係ないところで口伝えのように聞かされたのをおぼえている。
十年ぶりにどばたに戻るとそのリサイクルはもっとしっかりしていた。垂木、シュロ縄はもとより針金や釘までも再利用されていた。不況が自然とそういった体制を作らせたのか?いやいやそうではなく、根底に漂う意識、足元を確かめながら何か大切なことを見失わない心がけのように思われた。そのスピリッツは財産に感じる。

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繰り返すが今年は多浪生が少ない。その分制作態度や口伝えからそれが伝わる頻度は確実に減っていることだろう。その影響か?最近講評の前はアトリエが異常にホコリっぽい。理由は至極単純で、落ちた粘土をその場で拾わないないからだ。拾える学生の数が減っている事実からだろう。
少ない多浪生にアトリエの規範を負わせるのは酷なように思う。彼らは年々自分の事で手一杯なのだ。ではどうしたらよいのか?
理屈ではないこういった話は現実味に乏しく、実技の内容に対しても残念ながらダイレクトさに欠ける。が、他人ごとではない自分たちのアトリエの環境は、浪人年数に関係なくみんなに気に留めてもらいたい。

作品の面白み=人間味は白黒(理屈)だけでは決められない中間色にあると思うから。

                               阿部光成

2010年11月11日

●いよいよ週末!公開コンクール!

公開コンクールが週末に迫り、このところのんびりに見えていた昼間部生も少し緊張感が感じられました。
今日の課題であるSt.ジョセフのデッサン、奴隷の模刻とも惜しい内容の作品が多く、それなりに公開コンクール前であることを意識しているのかなぁ・・・と勝手に思っています。

私の考えでは「秋にひと山・ピーク」を持っていきたいと思っています。
この時期に何か一つ大きな結果を出しておくと、受験までに「もうひと探り」出来るからです。
大きな結果というのはすごく良いデッサンを描け!塑造を作れ!というのではなく(それが出来ればそれもいいが)、自分の中で何か一つ課題にしっかりと向き合った結果が欲しいということです。「やりきること」で成功しても失敗しても次の課題が必ず見えるからです。
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当然、キャリアや現在の状態によりそれぞれ課題は違います。
何がしたくて、何をすべきで、何をしてきたか。それらを制作を通して答えを導き出すこと。
そんなチャンスが公開コンクールなのだと思います。

時間は短いが焦らず、ビビらず、自分の課題に向き合って何かしらの「結果」を出すために、ただ前向きに、取り組んでほしいと思います。

みなさんの健闘を祈ります。
                  西嶋雄志

2010年11月09日

●彫刻科も国際化!(^^)/

すいどーばたの彫刻科も、いよいよ国際化の波が...(^^)/

留学生のご紹介です。
今、昼間部、夜間部には留学生が彫刻を学びに来ています。
もちろん、日本の藝大、美大を受験します。とっても熱心にやっている3人です。
(韓国からkくん、マレーシアからtくん、フランスからlくん)
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日本語を学びながら、彫刻も学ぶ!すごいですよね。^^

きっと自分が外国に行ったら、、、。と想像するだけで、ドキドキしますね。

だから、彼らを応援したくなります。

学生同士のコミュニケーションも広がって、世界中に友達がいる!、なんて考えると、

素敵なことですよね。

戦争なんてありえない、、、。

浪人時代の友達は、一生の友達になるとよく言われます。

ライバルでもある真の親友を大切に、切磋琢磨しましょうね。^^

                竹花 哲

2010年11月05日

●いつもスッキリと!

いつも部屋は四角く使う。
スッキリとピリッと引き締まった空間を作る。
彫刻はいつも空間と共存しています。
空間と時間と作品の関係は密接です。
20世紀を代表するスペインの彫刻家 エドゥアルド チリーダ も言っています。
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ひとりひとりが空間作りを意識しましょう。
                  西嶋雄志

2010年10月23日

●素描道場

やっぱり最後は素描力がモノを言うでしょう!!ということで、秋のこの時期に素描道場なるものを開いてみました。一週間に一枚、空き時間を利用し、原則途中指導ナシで学生に挑んでもらいました。中には自信満々でスマッシュヒットをイメージし講評に参戦した学生もいましたが、そこは絶対的自主的参加(能動的)のためにその講評は普段に増してシビアに厳しい内容でした。各講師からキツイコメントが飛び交う中、学生達には悔しく、つらかったとは思いますが、素描力と一緒に副産物として、へこたれずタフであり向上心の芽生えとモチベーションの持続力の獲得をしてくれればと思います。

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素描力とは何か?この問いをうやむやにし枚数を重ねても闇雲なだけでしょう。自らの経験を基に思考し考え(答え)を導き出すのが妥当ですが、一つ言えるとすれば、モチーフの印象を決定する数多くの要素から観察を通して「素」選び出し、それを羅列ナシに順序(リズム)を大切に描き起こす力ではないでしょうか。また気になる石膏デッサンと素描の関係をいえば、素描の体系の中の一つの極に石膏デッサンは含まれ、この考えをベースとすれば石膏を描かずとも素描力があれば石膏デッサンに対応でき、各種目(石膏デッサン、素描、塑像など)のリンクが稼動していれば、またその逆も然りなのです、ということも言えます。
秋から冬へ向かうこの季節、目の前の断片的な結果に躍起にならず、ドッシリと腰を落ち着け観察を通した素描力をしっかりトレーニングしてください。格好つけるなら人には見せない影の鍛錬です。また途方もない反復の果てで培った描き起こす力(素描的インナーマッスル)は頭を通り越し、モチーフからの感受を目から手にそして画面にダイレクトに直結させる能力になるでしょう。それの獲得は相当心強いです。自分に不利な局面に陥っても自動的に機能しはじめ、局地脱出の突破に大きく貢献します。まさに武装です。そしてそれの獲得に費やした時間は自分の根拠ある自信となり、ぶれない努力からの経験は裏切らない証明でもあるのです。
                               阿部光成

2010年10月16日

●バランス

彫刻家の仕事は、常にバランスをとることを求められます。
骨格やプロポーションのように視覚的なこともそうですが、空間のあり方や重量など三次元的なことに関わる部分でもそれは求められます。
バランスはいくつかの要素があるときに生まれ、それらを中和させたり反発させたりしながら関係性を作り上げていきます。
しかし、彫刻家はそうやって作り上げたバランスをあえて崩していくことも求められます。
人間はバランスをとって二本足で立っています。しかし動こうと思えば、一歩足を前に出します。そう、バランスを崩しにいくわけです。と同時にその動きに対して瞬時にバランスをとります。そのようにして人間は倒れずに動くのです。
彫刻はそのように動く人間と同じように動きを追いかけています。彫刻は動きに対して敏感です。それは制作の中で具象・抽象関係なくいつも行き来する感覚です。常にバランスをとり、崩してはまたバランスをとりながらギリギリのところで存在しています。
物質的なことだけではなく、制作に対する姿勢や考え方も同じです。
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水のようにいつも動いていること。留まっては腐る。
ある地点に到達したら、またそれを崩し新たな地点を目指し動き続けることが彫刻家の仕事なのだと私は思います。
                    西嶋雄志

2010年08月18日

●夏の風物詩

毎年恒例となりました風景ですね。
「メェ〜」という鳴き声が響きます。
すいどーばたの彫刻科では、夏の夜間塑造で大型動物を制作します。
時間は講評も含め12時間と短いのですが、毎年力作が出揃います。
今年は山羊2頭、羊2頭の計4頭で賑やかですね。
動物レンタル屋さんが8頭連れてきてくれた中から選ばれた
立派な型の山羊たちです。
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臭いはちょっとキツいですが、皆さんかわいがってあげてください。
(紙は絶対食べさせないでね!)
講習会最終日まで本B前のピロティーに日中はいるので、他の科の人もお昼休みなどにクロッキーなどしてもいいですよ〜。
                 西嶋雄志

2010年07月23日

●登山に向けて

先日、南アルプスへ行ってきました。
まぁ下見のようなものです。ウソです。好きで登ってきました。
今年は例年より早めに秋山に行きます。
登るのは下の画像のすぐ近くの山の予定です。
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キレイな日の出でしたよ〜!
何度みても最高です!
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今年の秋山も楽しみです。晴れますように!!!
                   西嶋雄志

2010年07月04日

●春の成果

学生の皆さんは今、学期末コンクールの最中ですね。
この春からの成果をみる大事なコンクールです。
それぞれが一学期中に見つけた課題や問題、自分の良さをどう育て発展したか。
すべてがうまくいく訳ではないと思うが、何かしらの結果は出るといいですね。

ちょうど今朝、我が家で春に植え替えた睡蓮が花を咲かせました。
目の前で開いていく花の美しさと強さに感動。
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こちらは昨年咲かなかった姫睡蓮。メダカとともに丈夫に育ちました。
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今朝は二つの花が時間を少しずらして同時に咲くとは。
皆さんはどんな結果を出してくれるだろうか。
楽しみです。
                    西嶋雄志

2010年06月29日

●夏季講習会のおすすめ! と テラコッタコース!

●夏季講習会のおすすめは?
先週末、学生のリクエストに応えて、夜間部でdemonstrationをしました。この課題は、「自分で自由に断片化をイメージしてモチーフを描く」というちょっと変わった課題です。自分で形を立体として、しっかりイメージしておく。という勉強になります。(木炭デッサン)

始めに、構図を決めるときから、スケッチブック上で断片化を考えておくことがポイントです。
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これで、1時間41分、経過。まだ、試験では、残り4時間19分あるので、これから素直な観察表現と、質感も出していけますね!円盤投げらしさも当然、重要なポイントですね。
夏季講習会でも、こういった学生のリクエストに応えます。お楽しみに!!

僕は「パースと光」のゼミを担当致します。みなさんお誘いの上、ご参加下さい。
その他、人体、手、自画像、動物など、ためになる必須課題が盛り沢山の夏季ゼミです!
夜間のコースなので、昼間は実戦、夜はゼミで知識も付ける!なんて、バランス良いですよね。先生たちもみんなのために頑張りますよ。自分の苦手課題をこれで克服ですね!(^v^)/

●テラコッタ
先日の日曜日、6/27。3回目のテラコッタコースがありました。
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参加者のみんなとても良い集中力で、驚くほどです。自分のオリジナル作品が出来る喜びを感じていることでしょう!講座後、窯場へみんなで運んで、昨日、1回目のあぶりと焼成を行いました。
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まず半分は、無事に焼けています。残りの半分は7/1以降に焼成します。来週が最後のテラコッタコースですが、作品の完成後、学生の作品を(7/4〜10)に展示しますので、そちらもお楽しみに!!
                       竹花 哲

2010年06月22日

●自由の行き先

20日で彫刻科昼間部生による自由制作展が終了した。
全力で出し切った「自由」の行き先は様々。

一日の展示のみだったこの作品は
すいどーばたのお隣のカフェでこのように展示され、
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今はこのように展示されている。
この展示は多分長期にわたる。
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石膏で作ったこのレリーフ状の作品は、
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持ち帰ることが出来ない程重く、解体することに。
その前に「再生する街」というこの作品は別のカタチに変化した。
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男子トイレにあったこの作品は、
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今はもうなく、何か寂しい。
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「ここにはいつも何かあってもいいのではないか?」
という提案を残しているように感じるのは私だけだろうか。
                    西嶋雄志

2010年06月13日

●自由を探る。

主要な美術大学の彫刻科の受験では水粘土を使った彫刻の試験がある。
彫刻をまことに大雑把に分類すると「カービング(削る)」と「モデリング(盛る)」に分けられるのだが、受験で出題されるのはほとんどこの「モデリング」のほうである。
水粘土を使った「モデリング」を「彫塑」あるいは「塑造」と呼ぶが、何故「彫塑」が受験に出題されるかというと、基礎的な立体感覚の確認がしやすく、個性も見ることができるから。
「彫塑」の利点をいくつかあげると、「手」以外に道具をあまり使わず、短時間である程度形になり、粘土を取ったり付けたりのやりとりをしながら制作ができる。また、作り終わったら壊してまた別のものを作れ、経済的にも優れているため、習作にはもってこいである。
だから、当然この予備校でもほとんどの立体制作は「彫塑」である。

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しかし、「カービング」でないと味わえない彫刻の魅力もある。簡単には形にならない硬い素材との格闘、固まりの中に形を見つけるデッサン力、それらを段取りする計画性など非常に面白い。
そういったこともあり以前から授業の中で「実材実習」として木か石をカービングする授業を一年に一回行ってきた。一週間程度の時間の中での課題なので大きさも両手に収まる程度のもの。
最初のうちは、テーマも「自分の体の一部」など観察したものを再現するというものだった。
限られたテーマや素材の中で、当時の学生は慣れない作業の中から面白い作品を生み出してくれた。
そんな中、時代の流れか数年前より学生の中から自由なテーマを求める声が上がり始めたので、初めてテーマを「自由」にし、素材に石膏も加えてみた。そうしたところ思っていた以上に内容や素材の扱いなど作品の幅が広がり、色を塗る学生やインスタレーションをする学生が現れ始めた。

ここまでくると、もう「カービング」とか「モデリング」といった枠も外し、それらも含めて表現方法自体から「自由」にしたほうが良いだろうということになった。

こういった流れの中で徐々にカタチを変えて出来上がってきた「自由制作」。
そしてそれらを発表する「自由制作展」を昨年から始めた。
では「自由」って何?
「自由」っていうのは難しい。何でもありというのとも違う。
予備校生が授業の中でこれをどう成立させるか。
制作時間、制作場所、展示空間、展示期間、予算、素材、準備期間などの限られた条件の中でいかに自分の表現ができるか。
コンセプトをどう探り出すか。社会に目が向く人もあれば、自己の深層を見つめる人もいる。素材から入る人もいる。日常のささやかなことに目を向ける人もいる。過去に遡る人もいる。
この「自由制作」では約一月の準備期間と一週間の制作時間と一週間(人によっては数時間)の展示期間とすいどーばた美術学院内での展示ということを条件としている。展示方法や展示場所、素材は場合によっては交渉次第。予算は自分との相談。作品プラン提出から設置希望書の提出もする。
これら全てをひっくるめて「自由制作」ということにしている。

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この一月余り「自由」を探った試行錯誤の結果がカタチとなって現れた作品たち。
その中でそれぞれの「足掻き」「もがき」が何とも言えずいい。
画廊や美術館で観る洗練されたものもいいが、この初めてに近い
捻り出された作品たちを観れるのは、私たち予備校講師の特権かもしれない。
まだ作品と伝えたいことがうまく結びついていなかったり、計画通りに進まず仕上がらなかったり、予算が足りず計画を変更したりしたものもあったが、皆それぞれに格闘した痕跡が素敵でした。

その痕跡の展示が20日までの間、観ることができる。
すいどーばたの内部のみの展示だが、最終日はOPENコンクール
となっているので、参加者は昼休みや採点中に観ることができるので
覗いてみてください。

最後に、今回各講師と教務さんにそれぞれ賞を決めてもらうことにしたのだが
失敗だったかな。
それぞれすばらしくてとても選べないし選ぶ必要性もなかったかな。
無理に一つに絞っていただいた皆さんすみませんでした。
またまた反省です。
                     西嶋雄志

2010年05月28日

●種は待っている

梅雨に入る前のこの時期、きれいな太陽のひかりは、歩きなれたいつもの道がやけにクッキリと見えるように射し込んでくれる。足は自然と外へと向かい、ありふれたいつもの景色に何か発見だったり、ヨロコビだったり、はたまた作品のキッカケになるのでは?と赤瀬川原平ではないが、感度ビンビンに上や横を眺めつつ怪しくも近所をウロウロしたりする。そんな時出会うのが家屋が取り壊されてできた空き地。その場所には元どんな建物があったのか?と記憶をたどることがある。何日かするとそこにはやっぱり自然と雑草が生えてきて、あたかも別の景色になろうとしているようだ。
そこである疑問を感じてしまった。

この雑草の種はいったいどこから?

風に乗り他所からやってきた種がほとんどだと思うが、それすべてではないハズ。それでは元あった建物の縁の下にずっと前からあった種なのか?永い築年数の間、日がさすのをそれらは待っていたのでは?

やがて芽が出て花が咲く

よしんば結果を求め、実際とのギャップに不安になることもしばしばありますが、彫刻の勉強は必要に時間がかかるのです。こと作品となれば言葉にできない領域を表現するために時間は必然とかかるもの。兎に角みなさん!日がさす条件の揃うまで、まずは色々な種を見つけておきましょう!そして来たる時の為に今はあせらずその種を蒔けばいいと思うのです。

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ネタのモト 空き地です               阿部光成

2010年05月23日

●街で見かけたおもしろいもの

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駅のとぼけた番人

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ハートに育ったトマト

だから何っていう訳じゃないけど、街にはおもしろいものがいっぱいある。
みんなの自由制作が楽しみだ。
                       西嶋雄志

2010年05月17日

●場との呼吸

 僕は栃木県益子町という焼き物の盛んな町で主に彫刻をしています。その中でも30年以上も景色の変わらない(地元のおじちゃん談)山本地区という所です。
 基本的にズボラな僕は田舎くらしで重要な草刈の類をナチュラリストを気取ってサボってしまいます。結果隣のおじちゃんや大家さんに迷惑をかけています。しかし一度やりだすと人が変わったように徹底的にやってしまい、そうやって気持ちよくなった家の周りや庭に親しみを覚え寝転びながら草花、虫を眺めたり、食事をしたりと実に家の外とのキョリが近くなるのです。
 今僕は今年7月の海の日に向けて野外展を企画、運営をしていて隣町の茂木町にあるキャンプ場を借りてやっています。(赤ちゃんみたいな小さな規模の野外展です!)会場はもともと草はボウボウ、竹害はあり、ゴミの不法投棄もありました。そこを参加メンバーで整備をしています。のちのち自分の作品を展開する場なだけに、みんなイメージを膨らませながら真剣に場所つくりをします。そうやって展示スペース自体から作り上げるトコロにねらいがあります。
 場所のよしあしを含め、作品は作家とその展示される場との関係でそれ相当に輝きをもたらします。ギャラリー、美術館など、そして僕がやっているようなおよそ不向きな場所でも展示できる場は無限です。大切なのはキャリア関係なく、その時その時の自分のリアリティーに耳を傾けながら作品と展示スペースのシンクロを感じる事だと思います。
 来月に迫った自由制作。みんなの自由にそしてシビアな作品に期待します!

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切り取られ、並んだ、篠竹たち              阿部光成

2010年05月06日

●春のうちに

ゴールデンウィーク中に蓮と睡蓮の植え替えをしました。
昨年は睡蓮のきれいな花が咲きすごく感動したので、是非今年もと思っています。

蓮や睡蓮は鉢の中で、根が増え過ぎて巻き付いてしまい根が腐ってくるのだそうです。
なので毎年花を咲かせるには、品種にもよるのですが毎年古い根は切り落とし、しっかりと養分のある土を準備して植え替えなければならないのだそうです。
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浪人生にとっても同じように、春のうちにやらなければならないことがあります。
つけた力を客観的に分析し、問題点をあぶり出し、対策を立てて、夏頃までにはきっかけをつかんでおきたいものです。
ここで踏ん張った人は、年明けに大きな花を咲かせることができるでしょう。
焦らずじっくりと取り組んでいきましょう!
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(↑こちらは昨年咲いた睡蓮の花)
                              西嶋雄志

2010年04月26日

●東雲のドライブ 

先日夜中に家族に起こされた。
「次男の具合が悪いの、救急病院に連れてってほしい!」
こういう場合すぐに飛び起き、容態を確認し、落ち着きながらしかるべき行動に移るようにしている。日頃の怠慢を帳消しにするかのように・・・
時刻は明け方の4:00、一日で一番さむい時間帯ではないか?車の準備をしながら手足が次第にかじかむ。
「今年の春は寒すぎる!しかも昨日は雪が降っていたではないか!」
逆上ぎみに一人叫ぶ。長男ひとり置いておくわけにはいかないので、熟睡中だが布団にくるんだまま車に詰め込む。
 程なくして病院に到着。そこは桜並木に面している高台のとても気持ちの良い場所なので、本来の目的以外に度々散歩に訪れていた。
 無用な院内感染を避ける為に長男と二人で布団にくるまりながら車中で待つことにした。そんな中、時間と共に外はゆっくりと確実に明るくなっていった。
「ドンドンあかるくなるネー朝がくるんだネー」
「こういうの朝明けって言うんだよ」
「・・・・・ふーん」
そんな会話をしながら、しばし日の出を眺めていた。
夜と朝を繋ぐ時間帯。神秘的な光はあまりにも劇的過ぎて、時間(日常)を感じないまま流れていく。
 目下の状況(次男の容態)は気になるが、これはこれで、たまには味わいたい朝のひとときだなと思った。

 たとえば、あえて米を炊くのに鍋と焚き火、野菜はもぎたて、魚は自分で採ったモノを、毎日は難しいけど口に運ぶまでのストーリーなど、日常と少しかえてみるだけで改めて感じる事は沢山あります。それはモノをみる視点が変わるキッカケにもなりますね。

※その後、僕と長男が家族の中で重症化してしまいました。(ナゼ?)ご迷惑をかけた方々スミマセン。

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山頂だと太陽のスバラシさを改めて感じます。        阿部光成